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「お宝」の権威喪失〜「三人吉三」のお宝の行方

〜「三人吉三廓初買」


1)解体された曽我狂言

それまで芝居を見たことのなかった田舎者が、江戸に出てきて初めてかぶきを見物しました。宿に戻った田舎者に宿の亭主が「今日の芝居はいががでしたか」と聞くと、田舎者は「いやいや散々なことであった」と言う。どうしたことかと亭主が聞けば、田舎者は「芝居へ入るとそのまま役者仲間に何とやらいう宝物が見えぬと言って一日中まぜかえして肝心の狂言は見ずに戻った」と言ったそうです。

この笑い話は、探華亭羅山「落噺軽口瓢箪」に出て来る「芝居の宝もの」という小噺です。たしかに歌舞伎では、お家の重宝だといって名刀やら絵巻物・香炉・絵皿などが登場して、これが盗まれてお家は没落、一族郎党が右往左往して「お宝」の行方を捜し求める、そのような筋立てが多いようです。「お宝」がラグビーのボールみたいに登場人物の間を行ったり来たりします。

「三人吉三」もそうした「お宝」をめぐる芝居です。ここでの「お宝」は名刀庚申丸です。しかし「三人吉三」の場合に特徴的なのは、この名刀に百両の値段がついてしまって、その代金の百両が行ったり来たりすることでしょう。庚申丸は途中でひょんなことからお嬢吉三の手に入るのですが、そのまま芝居の最後の方まで姿を現しません。登場人物の間を行ったり来たりしてドラマを作り出すのは、庚申丸の代金の百両の方なのです。

「三人吉三廓初買」は安政7年(=万延元年・1860)正月市村座での初演。江戸の正月は曽我狂言と決まっていますから、この「三人吉三」も曽我狂言です。どこが曽我狂言なのかというと、第1番目大詰に和尚吉三の夢の場面として地獄での閻魔大王と朝比奈が出会うという「曽我対面」のパロディが見られます。この場面は現在では上演されませんし、「三人吉三」と曽我狂言との関連を考えることは本稿では目的ではありません。ただし触れておかねばならないのは、「助六」でも刀(友切丸)の詮議は重要な伏線でありますし、大事なのは、ここでも名刀庚申丸の行方が伏線になっているということです。しかし、刀の詮議が代金の行方にすりかわってしまっている、というところに「曽我狂言」の実質的な解体・形骸化が見えるのが面白いところだと思います。

また、曽我狂言は敵討ものですから、本来は敵と味方は明確に区別されて対立図式になければならないでしょうが、ここではそれも明確ではありません。安森家から庚申丸を盗んだ伝吉は「敵役」かというと必ずしもそうではないし、結果的にはお坊吉三(没落し た安森家の長男)が伝吉を殺していますから「仇討ち」にはなっているのですが、「三人吉三」ではその意味をまったく喪失してしまっています。

2)「お宝」の権威喪失

ところで「三人吉三」のなかで行ったり来たりする百両ですが、金包みには持ち主の名や使い道が記してあるわけではないので、正確に言うと、百両という金包みではなく、百両の「価値」が行ったり来たりしているのです。

お嬢吉三はおとせから百両を奪い、お嬢吉三とお坊吉三は百両をめぐって争いますが、別に因縁のある金だと思って争っているわけではありません。和尚吉三が持ってきた百両を伝吉が捨ててしまうのも、因縁のある金と知ればそうするはずもありません。百両のことでお坊吉三は伝吉を殺しますが、これもそれぞれの事情で百両の金が入用なので二人は争うわけなので、百両の因縁は関係ありません。それぞれの百両のやりとりの背景・動機はバラバラです。

彼らは百両の「価値」をやり取りしているだけで、もし別の百両包みがどこからか登場してくれば問題は解決してしまってドラマは終わりです。「お宝」というものにはそれ自体に固有 に備わった・由緒ある権威があるわけで、それは本来は他のものに代替えできないはずなのですが、「三人吉三」では庚申丸に百両という値段が付いてしまって、代金の経済的「価値」の方が「お宝」の権威より重くなってい るのです。つまり、歌舞伎の「お宝物」にあるパターンが崩されているということです。

これを「貨幣経済の時代における価値観の転換」と論じることもできるかも知れません。しかし、「金がすべてだ」という考え方自体は近松の「冥土の飛脚」でも「忠臣蔵・六段目」にでも共通することなので、幕末の「三人吉三」だけの問題というわけではありません。面白いのは、「三人吉三」の芝居での最初の百両包みと最後の百両包みはたしかに同じ物なのですが、それが同じ 金包みだと証明できるのは観客だけだということでしょう。

吉祥院の場で和尚吉三は、「そでねえ金は受けねえと、突き戻したは親父が誤り。さすればお嬢に科はねえ。お坊吉三も己が親父を、高麗寺前で殺したは、すなわち親の敵討ち」と言い、「二人に恨みは少しもねえ」と言ってお坊吉三・お嬢吉三の二人を許してしまいます。(因果の糸を意識的に断ち切った和尚吉三の行為の意味は別稿「生は暗く死も暗い」で論じました。)

不思議なことですが、和尚吉三が因果の糸を断ち切った途端に、捜し求めていたものが二つともポロリと出てきます。それは、因果の糸が切れた時に「お宝」の役目が終ったからに違いありません。

(和尚)「そんなら(おとせ・十三郎の)首を役に立て、逃げてくれるか、かたじけない」(お坊)「忘れていたがこの百両、落とせし金の償いに、死んだ二人へ己が香典」(お嬢)「向後(きょうこう・以後の意味)悪事は思い切る、証拠は要らぬこの脇差し。これは兄貴へ置き土産。」

見ればその脇差は庚申丸ではありませんか。それに加えて百両がそろって、一気にドラマは解決に向います。しかし、「落とせし金に/失う短刀/二品揃う上からは・・」とありますが、庚申丸のことはともかくとして、三人が目の前にある百両包みがお嬢吉三がおとせから奪ってから転々としてきた同じ金包みであると見抜いているのかというと、脚本を読むとどうもそこまでは言い切れないように思います。あまり深いこと考えなくとも、とにかく誰の金であれ、百両が手許に入ったことで問題は解決した、ということだったのではないでしょうか。もちろん観客は同じ金包みが行ったり来たりしているのを知っていますが、百両に関する限りは「捜し求めていたお宝が遂に手に入った」というドラマとは若干意味合いが異なるようです。つまり「お金」のドラマは「お宝物」のドラマとは同じではあり得ない、ということが言えるかもしれません。

百両に関して言えば「お宝が持ち主のところへ戻ってめでたし」というパターンも破られています。百両の金というのは道具屋木屋文里が海老名軍蔵に庚申丸を売った代金でした。これを木屋の手代十三郎が落としたために金は転々とするわけですが、芝居の最後でこの代金が木屋文里のもとに届くという形で本来の形に納まるわけです。しかし、百両を 実際に払った軍蔵には庚申丸は渡っていないわけですから、つまりこの取引においては「軍蔵は庚申丸を取られ損」ということになります。

このことは、庚申丸盗難の件では文里は「善意の第三者」ですから、その売買は正当な行為としての報酬(百両)を受ける資格がある・軍蔵は実は伝吉に安森家への庚申丸盗難を指図した人間であるから罰として百両を取られた、と読むべきでしょうか。だとすれば、軍蔵に百両を 用立てした金貸し・太郎右衛門がこの件においてはまことに哀れというべきですが、まあ今も昔も金貸しには誰も同情しませんからこれはこれでよろしいのでしょう。芝居では軍蔵も太郎右衛門も殺されてしまいますから百両のことを言う被害者はいないことになります。つまり勧善懲罰の形になっている訳です。軍蔵がお宝に不遜にもお値段を付けるなどという行為をしたからこういう破目になった、とも読めるかも知れません。

結局、庚申丸は安森家に戻り、庚申丸を保管していた文里には対価としての百両が入る、という形で「三人吉三」は落ち着くわけです。それにしても、このような生臭く・醜い人間ドラマを引き出す「お金」というものは何と言う存在なのでしょうか。

(H14・5・26)

三人吉三廓初買 (新潮日本古典集成)

(追記)

「三人吉三」のシリーズは、1)「生は暗く死も暗い」、2)「お宝の権威喪失」、3)「三人吉三の三 すくみ」、4)「因果の律を恩愛で断ち切る」の4本で成っています。

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