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生は暗く死も暗い〜「三人吉三」の因果の物語

〜「三人吉三廓初買」


1)救いのない人生

「三人吉三廓初買」は安政7年(=万延元年・1860)1月市村座での初演。この芝居は、お嬢吉三・お坊吉三・和尚吉三という、三人の「吉三郎」のめぐり逢いと運命の変転を描くものです。とりわけ「稲瀬川庚申塚(大川端)の場」は、お嬢吉三の「月も朧に白魚の・・・」という名科白とともに歌舞伎美に満ちた代表的な名場面です。この場面だけ思い浮かべれば華やかなイメージさえある「三人吉三」ですが、この芝居は実は陰惨な因果の物語です。相思相愛のおとせと十三郎が、本人たちは知らないが実は双生児であった、というような話は余り聞きたい話ではありません。しかし、因果の物語がこの芝居を貫く根本であって、それは三人の吉三郎の運命と複雑に絡み合っているのです。

幕府お抱えの刀剣鑑定家である安森源次郎は、将軍から名刀庚申丸を預かっていましたが、その刀を夜盗に盗まれてしまいます。そのために、源次郎は切腹し、お家は断絶となります。(この安森家の長男がお坊吉三でありました。)

この名刀庚申丸を盗んだ盗賊が伝吉でした。伝吉には子供がおり、長男は和尚吉三。次に生まれたのが男女の双子でしたが、双子は縁起が悪いという俗信から、男の子を捨てて女の子だけを手許に置きました。男の子は十三郎、女の子がおとせです。次の子供は庚申丸を盗んだ5日後に生まれました。実は伝吉は安森家に盗みに入った夜に野犬に襲われて、庚申丸でその犬を斬ったのです。それは孕んだメス犬でありました。それが祟ったのか、5日後に生まれた子供にはマダラの斑が全身にありました。これを見た母親は発狂し、生まれた子を抱えて稲瀬川(=隅田川)へ飛び込み自殺します。母子の死を見た伝吉は改心して、それ以後は稲瀬川に浮かぶ土左衛門を引き上げて埋葬することを心掛け数珠を離さず、「土左衛門伝吉」と呼ばれています。

伝吉に捨てられた十三郎は、これを拾った八百屋久兵衛に養子として育てられました。伝吉の今の職業は夜鷹宿の経営で、おとせはそこで働いていて、偶然に十三郎と出会い、兄とも知らずに客にして愛し合います。これも犬の祟りなのでありましょうか。

さらに名刀庚申丸とその対価の百両が、「三人吉三」の登場人物の間を行ったり来たりします。大川端では、お嬢吉三がおとせから百両を奪って川へ突き落とします。お坊吉三は、伝吉が和尚吉三の父と知らずに、伝吉を殺して百両を奪います。

「吉祥院本堂裏手・墓地の場」では、和尚吉三がおとせ・十三郎の兄妹を殺します。和尚吉三は本当のことは二人に話さず、おとせ・十三郎は真相を知らないまま、自分たちの死が和尚吉三の役に立つ(お嬢吉三とお坊吉三の身替わりにするという)と信じて死んでいきます。「その極楽へ行かれぬ二人、親の因果が子に報い、あの世へ行けば畜生道」(和尚吉三)というおとせ・十三郎の死に救いはありません。

このように「三人吉三」は、すべてが伝吉の盗み・そしてその時に犬を殺したことから発しています。この因果物語は歌舞伎での上演ではすべての場が通して上演されるわけではないので、舞台を見ただけでは理解が行き届かず判然としない部分が出てきますが、そのため余計にいい気分がしません。芝居のなかに因果物語が突然に浮き上がってきて、登場人物が運命に弄ばれるだけの木偶人形に見えてきます。「これだから黙阿弥は・・・」という声が聞こえてきそうです。

それにしても他の登場人物はともかく、おとせ・十三郎の人生は実に暗く、救いようがありません。この二人のカップルはこの芝居の登場人物のなかでは実にまっとうで清い考え方の人間でしょう。そのような人間にして生に救いがありません。そして、死んでもその行き先は畜生道しかなく、救いがありません。この二人は自分たちのあずかり知らぬところで因果の業に縛られて、運命の糸に翻弄されて苦しまなければなりません。黙阿弥はどうしてこのような暗い因果に支配された・救いようのない人生を描いたのでしょうか。

2)黙阿弥の因果の律

そもそも因果物語とはどういうものを言うのでしょう。因果とは前世の業が後の世に応報して、本来罪もない子供までが無残の死を遂げるとか、もともとは小乗仏教の三世因果の説から出たものです。さらに自分の犯した罪業がめぐり巡って自分やその親族にはね返っていくようなことも因果の業と言われました。そのことから、「一種の超自然的な因果の律があって、それが人間の運命を支配している」と考えられるようになっていきました。これが因果物語の基本的な思想です。

黙阿弥という人は酒も煙草もやらず女遊びもせず、とくに信心に凝ることもなかった人であったようです。醒めた眼でさまざまな人生を観察しながら芝居作りに励む職人気質、そんな人物像が浮かんできます。しかし、黙阿弥は因果応報の理だけは固くこれを信じ、これを終生、処世の方便・信条としていたそうです。黙阿弥がそういう信条にいかにして至ったのかが問題となりましょう。

「三人吉三」には、幕末の世相のどうにもならない閉塞感・無力感が見えるようです。彼らはどうにもならぬ閉塞感のなかで、何をどうしようという信念もなく・ただ流れのままに刹那的に暮らしています。ただ彼らはその生活に満足しているわけではありません。自分たちを変えてくれる何ものかを待ちながら、ただ無定見に生きています。しかし、ひとたび自分を変えようなどと思い立たとうものなら最後、周囲の状況が次第に捻じ曲がって行って、ついには状況に復讐されてしまうのです。「自分を変えようなどと余計なことを考えなければ良かった」と悔やんでもあとの祭り。・・そんな感じです。

天保から安政にかけての幕末は、天災に人災、まさにありとあらゆる災厄が巻き起こり、民衆の生活の秩序は大きく乱れました。さらに黒船の来航・安政の大獄、特に安政2年の江戸の大地震では、一面焼け野原の光景を見て黙阿弥も、「俺もここまでは漕ぎ付けたが、厄年には向うし 、財産(しんしょう)震いをするのか」と落胆せざるを得なかった、といいます。(河竹繁俊「河竹黙阿弥」)安政の大地震については、それが当時の江戸の人心・経済に及ぼした影響というのは私たちが想像するよりもはるかに大きいものだ、ということは明記しておかねばなりません。(写真館「安政大地震と白浪狂言」をご参照ください。)

話は飛びますが、天災は為政者の徳の乱れによって起こるという考え方は昔からあったものでした。例えば、大塩平八郎の乱が起こったのは天保8年(1837)2月のことでした 。大塩は大坂居付の幕吏ですが、周囲の役人たちが次々と起こる飢饉を天災とだけ考えて、自分たちの施政が悪いために起こる人災だということが分からぬことに腹を立てて、自ら先頭に立って「天が不義・非常を討つ」ということで挙兵をしたのでした。大塩が挙兵に当たり配布した檄文には次のようにあります。

『泰平が持続すること二百五十年、このごろ人のうえに立つ者はおごりたかぶって、政治にたずさわる役人どもは賄賂を受け取り、自分一人一家の繁栄だけを考えて立身出世をはかり、百姓・町人を苦しめている。用金や年貢を無理やりに搾り取ろうとしているので、天下の困窮となり、下民のうらみが天に通じ、天変地異がつづいている。近年の凶作は、天からのありがたい御戒めを告げているのである。』

こうした考え方から、「この世の中の何かが悪いためにこうなった(地震が起きた)」と人々が考え始めるのは当然のことであったでしょう。大きな意味で、これもまた因果の律といえましょう。

また、この世に突如現出した地獄の様相(安政の大地震の惨状)を目のあたりにすると、さらに地震や火事で死んだ人々・財産を失った人々、一方で助かった人々・被害が軽微であった人々など、さまざまな状況に人々は追い込まれます。地震で死んだ人と助かった人にはいったいどのような運命の差があったというのでしょうか。財産をすべて失った人とそうでなかった人の運命の差は、いったい何がどう作用してこうなったというのか。前世にどんな因果があってそうなったのか。それともその人になにか悪行の報いがあったのか。こういうさまざまな現象を見て、黙阿弥は人間の力ではどうにもならない超自然の力の存在=因果の律の働きに目覚めたのではないでしょうか。

3)因果の結末

「三人吉三」の因果物語の発端を作った伝吉こそ、その因果に復讐され苦しまなければならない人物で、本来ならば伝吉はこの芝居の主人公であるべき人物です。しかし、黙阿弥はそうは書いていません。伝吉は脇役(重要な人物ですが、たしかに脇役です)であり、川に浮かんだ土左衛門を引き上げては葬り・数珠を離さない信心深い人物として描かれています。

しかし改心したはずの伝吉にも、因果の律は止められません。彼の改心にもかかわらず、おとせ・十三郎は犬の報いを受けて畜生道に墜ちてしまいます。その時点では伝吉は十三郎を息子だと知りませんが、伝吉は川に飛び込もうとする十三郎を助けます。土左衛門を引き上げ、自殺しようとする者を寸前で助けるという善行でさえも、ここでは因果の業をさらに深くしてしまう結果にしかなりません。伝吉の改心が甘いとか、そういうことではなくて、因果の律は動き出したらどうにもならないということなのでしょう。

八百屋久兵衛の話で十三郎が自分の息子だと分かっても、伝吉はぎっくり思い入れあって、おとせ・十三郎を見て憂いの表情は見せますが彼らには何も言いません。それどころか伝吉は、「まあ、案じずとも二人とも、夕べからの心遣い、奥へ入って寝るがいい」と二人に言いさえします。自分のしたことの報いを目の当りにしても、伝吉にはどうしようもなく、ただ本人たちにそれを知らせないことだけが伝吉の情けなのです。伝吉の、因果の律に対する無力感が思いやられます。

そのような伝吉が、数珠を切って「切ったからにゃあ以前の悪党」と啖呵を切って、お坊吉三につかみかかる(高麗寺前の場)時、もはや伝吉はこの世への絶望しか感じていない のでしょう。果たして伝吉は死ぬことになるわけですが、伝吉を殺したお坊吉三は伝吉に名刀庚申丸を盗まれて没落した安森家の長男であり、結果としてはその死が因果の律を巻き戻す働きをすることになります。

和尚吉三がおとせ・十三郎を殺す(吉祥院本堂裏手・墓地の場)のは、二人の首をお嬢吉三・お坊吉三の身替わりに使うという目的もありますが、それよりも和尚吉三にとっては、父・伝吉の蒔いた因果の流れを息子の自分が親に代わって断ち切る、ということの方が重要な意味を持っています。和尚吉三の言う通り、「思えばかかる因果な縁も、これみな親父が悪事の報い」なのです。このことを和尚吉三ははっきりと意識しています。だから、伝吉を殺したお坊吉三に 対しても、おとせから百両を奪ったお嬢吉三に対しても、「そでねえ金は受けねえと、突き戻したは親父が誤り。さすればお嬢に科はねえ。お坊吉三も己が親父を、高麗寺前で殺したは、すなわち親の敵討ち」、だから「二人に恨みは少しもねえ」と和尚吉三は言い切るのです。

和尚吉三が二人の吉三を許したというのは、和尚吉三が「三人吉三」の血の盟約を優先したということではありません。自らの手でおとせ・十三郎兄妹を殺したように、和尚吉三が父・伝吉の悪事から発した因果の流れを自分の手で清算しようということでしょう。ひとたび因果の業が清算されてしまえば、血の盟約ほどに強いものはありません。

こうして三人の吉三郎は再びその絆を確認しあうのですが、しかし、今度は三人の吉三郎が自らの悪事の因果を清算しなければならないのです。血の盟約の確認はこの芝居の結末において、三人が同時に果てねばならぬことを意味する訳です。

(H14・5・19)

三人吉三廓初買 (新潮日本古典集成)

(追記)

「三人吉三」のシリーズは、1)「生も暗く死も暗い」、2)「お宝の権威喪失」、3)「三人吉三の三すくみ」、4)「因果の律を恩愛で断ち切る」の4本から成っています。

*本稿の題名は、グスタフ・マーラーの交響曲「大地の歌」の第1曲「大地の寂寥を詠う酒の歌」の歌詞から取っております。

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