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「四谷怪談」の東と西

〜南北を同時代化の発想で読む(2):「東海道四谷怪談」


1)「四谷怪談」の東海道

ある時にフッと思ったのですが、どうして「四谷怪談」は「東海道四谷怪談」というのでしょうか。ご存知の通り、「四谷怪談」は「忠臣蔵の世界」に仕組まれており、それ自体が忠臣蔵外伝といった形に作られています。それならば、翌年(文政9年)に大坂で上演された外題「いろは仮名四谷怪談」の方がピッタリする感じです。どうして「東海道」なのでしょうか。

一説によれば、今の神奈川県藤沢市あたりに四谷という地名があったそうで、南北は「四谷怪談」を忠臣蔵の世界・つまり江戸を鎌倉に置き換えるために、藤沢が「四谷」だという便法で「東海道」とつけたのだろうとも言われています。しかし、南北がはっきり「雑司ヶ谷四谷町」と書いていることですし、隠亡堀とか蛇山など実際にある地名も含めて、南北は「四谷」を江戸の地名であるとして書いているとしか思えません。

南北がこの芝居の外題を「東海道四谷怪談」としたのは、その名の通り江戸と上方を結ぶ大動脈である街道「東海道」を指しているのだろうと思います。上方は赤穂(つまり、ここでは表狂言である「仮名手本忠臣蔵」の世界)、そして江戸(つまりここでは裏狂言である「四谷怪談」の世界)とをつなぐ線こそが、この芝居を読む鍵であろうと思います。

「東海道四谷怪談」は文政8年(1825)7月江戸中村座での初演。鶴屋南北71歳の作品です。初演時にはこの作品は「仮名手本忠臣蔵」と交互に上演し、二日掛かりで完了する興行形式を取りました。

第1日:「忠臣蔵」大序から六段目までを上演し、次に二番目狂言として「四谷怪談」序幕から三幕目の「隠亡堀」までを上演。

第2日:まず「隠亡堀」を上演し、「忠臣蔵」七段目から十段目まで、次に「四谷怪談」四幕目から大詰めまで、最後に「忠臣蔵」の十一段目(討ち入り)を上演。

「隠亡堀」が重複して演じられているのが興味あるところです。また「四谷怪談」大詰めで伊右衛門が討たれる場面で雪が降っており・与茂七が火事装束で現れるのは、この場面が「忠臣蔵」のまさに討ち入り 前夜であるということ、つまり与茂七は伊右衛門を討った後に討ち入り現場(高師直館)へ駆けつけるということを示しています。

こうした上演形式をとったのは初演時だけのことで、再演以降は「四谷怪談」は単独で上演されてきました。怪談芝居としての「四谷怪談」の要素の方が主体になってしまって、仕掛け物・ケレン物としての工夫がされてきました。だから「四谷怪談」が「忠臣蔵」の世界であることは予備知識として持ってはいても、討ち入り物(「忠臣蔵」の世界)としての「四谷怪談」の意識はいまでは薄れてしまっていると思います。

「忠臣蔵」の世界は武士の建前の世界で、忠義・仇討ちの論理を伊右衛門に強制し、伊右衛門はこうした論理に反発し自由に生きようとようとして結局は建前の世界に殺されるという風に「四谷怪談」を読む見方があります。この場合には、お岩の幽霊は忠義の論理を夫に強制する対立存在として見ることができるでしょう。怪談芝居として恐ぁ〜いお岩さまを作り上げるためには、その怨念の対象である伊右衛門もそれなりの存在に仕立て上げなければなりません。伊右衛門が「色悪」という役柄で磨き上げられていくのも、そうした考え方によるものでしょう。

しかし南北の作意を読むには「四谷怪談」をもう一度「忠臣蔵の世界」に戻して同時代化の発想で読み直してみる必要があるかも知れません。

2)義士物の同時代化の発想

南北は本作を書くにあたり、お岩稲荷の由来を記した小説「四谷雑談集」を参考にしたと言われています。この小説は享保12年(1727)の成立ですから、お岩の怪談はかなり以前から江戸の街に流布していたことが分かります。「四谷雑談集」によれば、寛永の頃までは江戸の街は空き地だらけで、特に江戸城西の麹町あたりは草むらばかりでありました。そのなかに四つほど民家があってその所を「四つ屋」と称しましたが、やがて家が立ち並び「四つ谷」とも言うようになったのだそうです。また、この地には御先手組諏訪左門組が拝領して住んでいました。左門がここを拓いたというので「四谷左門町」と呼んだそうです。(注:「東海道四谷怪談」では実在の田宮家の抗議をはばかり雑司ヶ谷四谷町に変えられています。)

お岩は御先手組同心田宮又左衛門の娘で疱瘡を患って面相が醜かったのですが、摂州浪人伊右衛門という夫がおりました。この伊右衛門に、与力伊東喜兵衛が自分の妾お花を押し付けようとします。伊右衛門は喜兵衛らと策謀してお岩をさんざんにいじめ、離縁し、家から追い出します。その後の気が狂ったお岩の行方は知れませんが、やがて伊右衛門の周囲に次々と不思議な事が起こり、関係者はすべて死んでしまったと言います。ここではお岩は幽霊としてその姿を現してはきません。しかしその事件がお岩の怨念のせいだということは誰の目にも明らかなのでした。これが「四谷雑談集」の伝える話です。

ここで大事なことは、「お岩」とは先祖の拓いた土地を守っている一種の在地霊と見ることができるということです。お岩の怪談は同心の娘が与力の謀略で土地を奪われてその怨みで祟るという物語です。江戸中期からの急速な土地開発・それにともなう先住者と新参者の軋轢のなかでお岩の霊は江戸という土地と結びついて江戸の民衆に畏れられたということだろうと想像します。

「お岩は江戸の土着のイメージと結びついている」ということがまずキーポイントです。

江戸が「東海道」の東の端なら、西の端は上方(京大坂)です。鶴屋南北はもちろん江戸に生まれ・江戸歌舞伎のなかで生きてきた人間です。江戸の民衆から見た「上方」とはどんなイメージであったのでしょうか。

江戸には徳川幕府がありましたから政治的には上方より優位に立っていたと言えましょうが、経済的には江戸は常に上方に対し従属的位置にありました。近江屋とか伊勢屋とかいう屋号で分かりますが、江戸の商店というのは大部分が上方資本で、その背後には両替という上方の大資本家がいて、江戸の資金を植民地的に食い荒らしていたのです。当時の江戸の大店の番頭というのは大抵は上方出身者でした。例えば「お染の七役」に見られるように、南北作品になかにあるお店者(たなもの)への揶揄・嘲笑というのは、こうした上方の経済的搾取に対する江戸町人の怨みからくるものなのです。

こうした上方に対する江戸の位置が経済的にも文化的にも逆転し始めるのは寛政期ごろからのことです。それまでの江戸歌舞伎は初代菊五郎・初代富十郎らの上方役者を呼び寄せることでその技術水準を保っていたわけで、上方歌舞伎の方がつねに優位であったと言えましょう。それがはっきりと江戸の歌舞伎が優位に立つようになったことを示した事件は、寛政6年(1794)に当時最高の劇作家であった並木五瓶が上方から江戸に移籍したことでした。この時に南北は40歳。「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」(寛政7年・都座)は江戸に移籍した五瓶の傑作ですが、この初演には南北もスタッフとして参加しています。鶴屋南北は、この並木五瓶が江戸歌舞伎に伝授した作劇術の影響下に生まれた劇作家なのです。(南北が立作者となるのは通例よりかなり遅く、享和3年(1803)、南北49歳のことでした。)

このような東(江戸)と西(上方)の関係によって「忠臣蔵」を同時代化の発想で読み直したのが、「東海道四谷怪談」だと言えます。ここでは江戸は裏狂言の「四谷怪談」での在地霊としてのお岩に象徴されます。一方の上方は表狂言である「忠臣蔵」の世界です。これは塩 冶(=赤穂)浪士によって代表されています。注意いただきたいのは、東と西・あるいは裏と表は「対立関係」であるという風に単純に読まないということです。東と西の関係は複雑によじれながら絡み合っていると読んでいただきたいと思います。

この芝居に登場する人物は、お岩・お袖以外はすべて「忠臣蔵」の世界から来ています。つまり、すべて上方から流れてきた人々であったということです。判官の刃傷により塩 冶家は断絶し、家来たちは散りじりになって・ある者は商人に身をやつし・ある者は物乞い・夜鷹になって江戸で生活しています。ある者は密かに敵討ちの意志を持ちながら・またある者は生きるために志に背を向けて江戸の街に生きています。高師直討ち取りをめぐる男たちの思惑と欲望のなかで翻弄されつづけるのがお岩・お袖の姉妹なのです。

江戸の在地霊お岩の怨念は、勝手放題に経済的搾取をしてきた上方に対する怨念であったと見ることもできましょう。しかし一方で、まだまだ上方なしで江戸が成り立っていけないことも事実であったのです。そのことが伊右衛門・あるいは直助に頼らざるをえない姉妹の境遇に象徴されています。

さらに見ていけば「四谷怪談」に見られる風俗は南北の生活する文政期の江戸そのままです。当時の江戸には禄を失って路頭に迷う浪人がごろごろしていました。彼らのすべてが武士としてのプライドを捨てた人たちであったでしょうか。うらぶれた生活のなかでも志をもって清く生きた浪人たちもいたことでありましょう。南北はそうしたうらぶれた武士の姿に「忠臣蔵」のなかで江戸の街に身を潜めた義士・あるいは不義士たちのことを想ったに違いありません。伊右衛門の姿はそのまま仲蔵の演じた「忠臣蔵」の定九郎の姿なのではありませんか。南北のなかでは、善と悪、義と不義の明確な区分はなく、混沌のままにまかされているのです。

こうした同時代化の発想から見ますと、「四谷怪談は忠臣蔵批判である」と単純に読めないことがお分かりいただけると思います。むしろ、「忠臣蔵」を東と西の構図で読みながら、対立構図ではなくお互いを補強し合っているようにも思われるのです。南北の上方への想いも愛憎半ばしていると見ることはできないでしょうか。

(H24・3・24)

東海道四谷怪談 新潮日本古典集成 第45回

(追記)

「歌舞伎の雑談」での、「四谷怪談と忠臣蔵」もご参考にしてください。

「南北を同時代化の発想で読む」のシリーズは、1)「菊宴月白浪」、2)「東海道四谷怪談」(本稿)、3)「盟三五大切」の三本から成っています。

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