(TOP)            (戻る)

失われた故郷への想い

〜「寺子屋」をかぶき的心情で読む:その1「松王丸」


1)次男坊・松王丸の苦しみ

「菅原伝授手習鑑」に登場する三兄弟を年長から順に挙げよ、というのは歌舞伎クイズで出そうな問題ですが、これは梅王・松王・桜丸の順番であります。世の稀な三つ子が生まれたことを聞いて菅丞相は喜んで、『三つ子は天下泰平の相、舎人にすれば天子の守りとなる、成人さして牛飼に差上げよ』と言って父四郎九郎(後に隠居して白太夫)を召抱え、佐太村の領地まで下されました。このことは「加茂堤」の場で梅王がこう語っています。『(丞相は)御寵愛の三木の名を我々にお付けなされ、おれを兄のお心でか梅王丸、とお呼びなされて召使はる。その方は松王丸、桜丸は宮の舎人。』

ところがいつのころからか歌舞伎では松王が長兄ということになってしまいました。歌舞伎の「賀の祝」喧嘩の場面では梅王が松王を蹴りますと、「お兄(あに)いさまを足蹴にしたな」というような入れ事があります。これは歌舞伎では四段目切「寺子屋」の主人公である松王は座頭格の演じる重い役ですから、自然に兄貴然としてしまったものと思われます。しかし、これは大変にまずいことで、松王が長兄ということになると『寺子屋」の悲劇の意味がまったく変わってしまうのです。

ご存知のように江戸時代の家督は長子相続制でした。家督は長男が継ぎ、次男以下は養子先を求めて他家に出るしかありませんでした。養子先が見つからなければ次男はぶらぶらしているしかありませんでした。これは当時も大きな社会問題になっていて、時には次男が長男を陥れて家から追い出そうというようなお家騒動などが起きたりもしました。白太夫の三つ子の兄弟の場合は、長男梅王は主家である菅家に仕えて家を継ぎ、次男松王は藤原家に、三男桜丸は宮家に仕えるという形で次男以下はそれぞれ家を出ることになります。

しかし、「たまたま」と言うべきか「運悪く」と言うべきか、松王が仕える主人・藤原時平が丞相の最大の政敵であり、丞相を失脚させて筑紫に流した張本人であった、ということが松王を後々まで苦しめることになるのです。松王にとって丞相は父の主筋に当たるだけではありません。三兄弟の烏帽子親(名付け親)でもありました。松王は烏帽子親のご恩(丞相)と、現在の主人のご恩(時平)との間に板ばさみになってしまったのです。

ここでは「松王にとって烏帽子親の恩の方が現在の主人の恩より重かったのであろうか」ということが問題になるでしょう。吉之助は松王がこの二つのご恩を計りにかけたとは思いたくありません。それでは松王が丞相を取って、現在の主人・時平を裏切ったことになってしまいます。そうではなくて、松王が自身の出生(アイデンティティー)に関わる問題として丞相へのご恩をまず第一義に考えたと、そう考えたいと思います。「寺子屋」で松王が我が子小太郎を菅秀才の身替わりにする行為は、松王が自らのアイデンティティーの問題として「家への帰属」を主張しようとする行為であった、こう考えて初めて松王の行為の真意が理解できると思います。

さらに丞相は死後に天神様になる御方ですから、その生前においても神性を備えているわけです。(その奇蹟は「道明寺」の場において描かれています。)このことにより丞相が命に賭けて守るべき御方であることは誰の目にも明白なのですが、しかし、まずは次男坊松王がその内に秘めた「故郷への喪失感」に思いを馳せなければならないでしょう。

2)「寺子屋」の悲劇とは

松王は丞相の政敵・時平に仕える身であるため、「車引」の場でも「賀の祝」の場でも、松王は悪役のイメージをまとって登場します。松王は悪役として振舞わざるを得なかったのです。「賀の祝」では父白太夫でさえも、他家へ出した息子への遠慮もあってか、松王に対しわざとつらく当たります。

「賀の祝」で松王は父に勘当を申し出て許されます。松王が「親子兄弟の縁を切る、所存も問わず赦されしは、この松王が主人へ忠義。推量あっての事なるべし」と言うと白太夫は、「いかさま口は調法な物ぢゃなァ。主人への道立て、臍がくねるわい。道も道によってな、こう横に取って行く道を、蟹忠義というわぃやぃ。甲に似せて穴を掘ると、勘当受くれば兄弟の縁も離れ、時平殿へ敵対はゞ、切つても捨てん所存よな。もっとも善悪の差別なく、主へ義は立つにもせよ親の心に背くをな、天道に背くというわぃやぃ。望み叶えてとらする上は、人外め、早や帰れ。隙取らば親子の別れ竹箒喰らわすぞ」と松王を追い出します。白太夫からすると、どんなに悪人であったとしても現在の主人である時平を裏切れ、とは口が裂けても言えないのです。ここでは親兄弟でさえも心を開いて語り合うことが出来なくなっています。

こうした状況において「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」という丞相の歌の意味が松王に鋭く突き刺さるのです。丞相が「どうして松王がつれないことがあろうか(そんなはずはない)」と言っているのに、世間はそれを「どうしてそんなに松王はつれないのだ」と解釈します。「違う、丞相に対する俺の想いは誰にも劣るものではない」、そのようなどうしようもない・鬱屈した松王の怒りの感情が「かぶき的心情」において理解されなければならないと思います。

さらにこの松王の気持ちは「家のアイデンティティー」にも関わっています。丞相との絆は松王一家の家の出目(アイデンティティー)に関わる問題でした。だからこそ、一子小太郎は父松王と共同で親子してこの課題に立ち向かうのです。小太郎は父によって身替わりに「差し出される」のではなく、自らの意志で身替わりに立つのです。こう考える時、「寺子屋」はたしかに親子の別れを描いてはいるのですが、親子が封建思想によって引き裂かれるという悲劇ではありません。「寺子屋」は自己のアイデンティティーに関わる本質的な「存在悲劇」であると考えられるべきだろうと思います。

3)日本の親父

小太郎がその最後にあたって「本当ににっこりと笑っていさぎよく首差し出して」身替わりとなって死んだのだろうか、と疑う人もいるらしいですが、これはとんでもないことです。ある意味では小太郎は松王にとって戦友と言ってもいいほどだと思います。小太郎は父松王を信じて、「丞相との絆」を主張するのは今この時だ、と感じてにっこり笑って死んだと思います。

吉之助が松王を「日本の親父だなァ」と思うのは、潔く死んだ息子をこういう時に素直に褒めずに、「源蔵殿、申し付けてはおこしたれども、定めて最期の節、未練な死を、致したでござろう」などと言ってしまうところです。歌舞伎の松王の場合は、源蔵が「イヤ、若君菅秀才の御身代りと言ひ聞かしたれば、潔う首差しのべ」と言うと「おお、息子はやはりやりましたか」という感じで身体を前に乗り出すような演技が多いようですが、これは心のどこかに息子を疑うような気があったような感じがして、どうも好きになれません。

吉之助が思い出すのは、昭和56年12月国立劇場の「寺子屋」での十七代目勘三郎の松王です。勘三郎は「アノ、(小太郎が最後に)ニッコリと笑いましたか」を苦虫を噛み潰したような表情で言いました。「なんだ、フーン下らん」というような感じで、万感の思いを押し殺したような、まさに日本の親父だなァと思ったものでした。

息子のことを素直に褒めない松王ですから、松王が「(小太郎は)出かしをりました。利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで、親に代つて恩送り、お役に立つは孝行者、手柄者と思ふから、思ひ出だすは桜丸、御恩送らず先立ちし、さぞや草葉の蔭よりも、うらやましかろ、けなりかろ。悴が事を思ふにつけ、思ひ出さるる、出さるる」と言って大泣きするのは、息子の死のことで泣くのは恥ずかしいから弟桜丸の切腹にかこつけて泣くのだという解釈も出てくるのも無理はありません 。しかし、これにも吉之助は納得できません。松王は本心から桜丸が可哀相だと思って泣いていると考えるべきだと吉之助は思います。

三男・桜丸もまた松王と同じく、他家へ奉公して故郷を捨てた身でした。桜丸の場合は丞相失脚の原因を作ってしまっただけにその無念は察して余りあります。故郷を喪失し・失意のままに死んだ弟桜丸の気持ちを松王ほどに理解できる人間がいるでしょうか。切腹して果てた桜丸の無念を思う時、松王は息子小太郎とともに戦ってきたことの意味の重さを改めて噛み締めたのではないでしょうか。だからこそ感極まって松王は泣き出すのではないでしょうか。

(H14・2・10)

菅原伝授手習鑑 (岩波文庫)

菅原伝授手習鑑 (歌舞伎オン・ステージ)

(追記)

本稿の姉妹編:「寺子屋をかぶき的心情で読む」その2「武部源蔵」もご参照ください。

 (TOP)             (戻る)