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端敵としての元右衛門

「敵討天下茶屋聚」


1)元右衛門は「人間臭い」のか

「敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがちゃやむら)」は天明元年(1871)大阪角の芝居での初演、作者は奈河亀輔。いわゆる「小芝居」で上演されたもので、当時の観客の嗜好に迎合して残虐なシーンを取り入れた典型的な敵討ち狂言で、内容は決して上質とは言いかねる代物です。

それ以降もその都度書き換えられながら上演されてきましたが、この芝居に人気が出たのは、端敵の安達元右衛門という役が、天保6年(1835)江戸中村座での上演において、四代目友右衛門がこの役を演じて、「元右衛門の友右衛門か、友右衛門の元右衛門か」と言われるほどの大当たりをとって以後のことです。さらに近年では六代目菊五郎がこの役を得意としてきました。元々はたいした役でないものが役者の工夫で大きな役になったという例には、他にも「忠臣蔵」の定九郎での初代仲蔵の例があります。芝居は生き物ですから、時折こういうことがあるのは面白いことです。

ところでこの元右衛門は元々は追っ手(討つ方)の側の早瀬家の家来なのですが、根は真面目だが酒癖が悪い。ふとしたことから酒を飲まされ、これがきっかけで追われる側の悪役東間三郎右衛門の片腕となり、弟の弥助を殺し、さらに元の主人の早瀬伊織を返り討ちで惨殺するなどの悪事を働きます。もともと端敵ですから大団円ではあっけなく殺されてしま いますが、それまでの筋は元右衛門を中心に展開する感がありますから役者の意欲をそそるのでしょう。

ただし脚本は何度となく役者の工夫なども加えて書き換えられており、各場での元右衛門の性格描写はバラバラになっています。よく言えば、その場その場に応じて面白く工夫されているということで す。序幕天王寺では写実の世話、二幕目東寺裏貸座敷では喜劇風、三幕目天神森の返り討ちでは大時代の実悪風、大詰天下茶屋での敵討ではドタバタ風ということになります。こういう役は「一本筋の通った人物解釈で演じよう」などと思っても仕方ありません。はじめからそんな無駄な努力は放棄して、その場その場を面白く演じる方がいいようです。

「元右衛門という人物はエタイの知れない変な奴ですよ。だから出るたんびに、前場のことをすっかり忘れちまって出なければなりませんや。前場にああしたから、今度はこうしなければ矛盾だとかなんとかいってた日にゃァ、この役はしてられませんよ。早い話が、顔の化粧にしてもそうです。眉と目張りが立敵で、口が二枚目、両頬の髭が敵役で、髷が三枚目というんですからまるで鵺(ぬえ)みたいな奴でさァ。一体、こういった風の芝居に現代的の理屈は禁物で、ヤレ性格のヤレ筋のと、ジタバタすべきもんじゃァありません。」(六代目菊五郎芸談:大正3年8月「演芸画報」)

これはまったく菊五郎の言う通りだと思います。なぜ主人早瀬伊織を酒程度のことで裏切り、惨殺するのか、その理由はまったく理解できません。「主人に普段から冷たく扱われていてそれを根に持っていた」とか、それらしい伏線を現代人は欲しがりますが、そういう事は見当たりません。こういう端敵というのは役の性根の詮索をするものではないようです。

しかし「天下茶屋聚」の元右衛門について非常に興味あると思うのはむしろ観る側の感じ方で、「元右衛門という役が人間臭い・人間的である」とか「悪の魅力がある」とか本に書いてあるのが多いことです。 吉之助は下戸だからよく分かりませんが、酒を飲んで身を持ち崩すというのはたしかにある種の人間的弱さでしょうが、元右衛門がそれを陰翳にした奥行きのある役であるとはとても思えません ねえ。しかし「面白くてつい味方したくなる役」の理由を挙げるのについ「酒に弱いなんて人間的だ・殺しの場でも酒が飲みた〜いなどとやってしまうのは人間臭い」と言ってしまう、これは観客の役の受け取り方の面白い例である かなと思ってます。むしろ観客の受け止め方の方が「人間的」であるように思います。

吉之助自身は元右衛門は面白い役だとは思いますが、「人間的な役」だとはとても思えないです。むしろ、人物像としては薄っぺらで、その場その場で都合のいいパターンを与えられただけで、その結果、菊五郎の言うように「エタイの知れない変な役」になってしまったという感じがします。もっともそういう役だから演じてつまらないかと言うとそんなことはないので、むしろその逆。いろんなパターンが演じられるので役者は楽しいだろうと思います。菊五郎がこの役を初めて演じた時(大正3年7月歌舞伎座)には、「あそこはこう演ろう・ここはこう演ろう」と考えると初日の来るのが待ち遠しくて前の晩は寝られなかったそうですが、その気持ちはよく分かる気がします。

2)端敵の「軽さ」とは

「端敵(はがたき)」というのは、なぜ「端(はし)」の「敵(かたき)」と書くのでしょうか。それはその役が主役か脇役か、ということではなく、その役の人間性が「重いか・軽いか」という問題であると 吉之助は思っています。人間性としてその役が重ければ、当然ながらその芝居でそれなりの位置を占めるでありましょう。敵役でも「人間性」(善とか悪の問題ではありません)が重ければ、芝居のなかでそれなりに敬意を払われる役・つまり立敵(たちがたき)になります。この芝居でいえば東間三郎右衛門はそういう役です。「人間性が軽い・薄っぺらな敵役」が端敵なのです。元右衛門は本来そういう「軽い」役なのです。

それでは端敵としての元右衛門はどういうものなのかを考えてみるために、「天神の森」での有名な返り討ちの場を例にとりましょう。この場は四代目友右衛門の工夫によって、実悪風のふてぶてしい・憎らしい悪役に仕立てられました。

この場での元右衛門の科白:「いや、まだあるまだある、うぬが女房染の井の身代金の百両も、この元右衛門様が着服したのだ。」・「びっくりするな、まだあるまだある、うぬがその躄(いざり)になったのも、俺がしたのだ」は有名な科白です。

現在の歌舞伎(つまり四代目友右衛門の型)ではこの科白は、いかにも憎々しく・伊織をいたぶり悔し涙を流させるように嬲り、太く低めの声で言われます。しかしこの科白を口のなかで繰り返してみると、この科白はむしろかん高い声で、伊織をせせら笑うような薄っぺらな調子で言われた方がぴったりくる感じがします。「まだあるまだある」、この科白は半道敵(はんどうがたき)、例えば「落人」の鷺坂伴内のようなかん高い科白廻しが、友右衛門以前のオリジナルの元右衛門の科白廻しではないかという気が 吉之助にはします。

返り討ちの場での元右衛門は、現在の歌舞伎では立敵の東間三郎右衛門の片腕(分身)となってふんぞり返っている感じでほとんど実悪の役どころです。しかし、端敵の発想からすると、仕草にいかにも「虎の威を借る狐」の尻尾が見える感じが欲しい。もう少し足取りはチョコマカして、道化た仕草があるのが、友右衛門以前の元右衛門のスタイルではないかと想像するのです。

ちょっと戻って「東寺裏貸座敷」での按摩姿の元右衛門が盗みに入り棚を渡る場面も、むしろ小柄で足取りの軽い身体を想像させます。こういう体つきの方が喜劇タッチが生きてくるような気がします。

大詰め「天下茶屋」での敵討ちの場では、東間が先に討たれて次に元右衛門が殺される形で上演されるケースが多いのですが、東間が立敵で元右衛門が端敵である以上はこれは順序が明らかに違います。天明元年の初演の脚本では端敵の元右衛門が先にあっけなく殺されるようになっています。この芝居の本筋が早瀬兄弟の東間への仇討ちであり、東間が立敵なのですから、端敵は立敵より先に殺されなければ芝居の約束にかないません。

そう考えながら、友右衛門の工夫を逆発想で読んで行きますと、友右衛門以前の古いスタイルの「端敵の元右衛門」の姿がおぼろげながらに見えてくるような気がします。元右衛門がこのような薄っぺらな役だからこそ、「前場でこうやったから辻褄を合わせないと」などと考えなくてもいい、芝居のなかで責任がないから勝手なことができるというわけです。だからこそ友右衛門のような自由な工夫も可能であったということでもあります。菊五郎の言うように、「こういった風の芝居に現代的の理屈は禁物で、ヤレ性格のヤレ筋のと、ジタバタすべきもんじゃァありません」ということなのです。

本論考は、四代目友右衛門の元右衛門の役の工夫が「改悪」であると言っているのではありません。与えられた役を自らの個性に合わせて作り変えて、いい役にしてしまう、その努力は素晴らしいものです。しかしそれが芝居のツボをとらえたものでなかったとすれば、一代の珍型で終るしかありません。友右衛門の型は、本来は「軽い」端敵の役どころを「人間臭い」と感じさせるほどに観客の心をとらえたのです。

(H13・11・18)
 

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