(TOP)            (戻る)

その問いは封じられた〜「義経千本桜」結末の意味

〜「義経千本桜・吉野花矢倉」


1)院宣は嘘であったのか

「義経千本桜」大序では、平家を討った義経が後白河法皇に報告に仙洞御所を訪れます。その義経に、左大将藤原朝方(ともかた)が院宣だと言って「初音の鼓」を与えます。この朝方という男、維盛の正室若葉の内侍に懸想する腹黒い男です。朝方の与えた初音の鼓は、鼓の表皮は兄頼朝、裏皮は弟義経、鼓を打てとは頼朝を討て、との院宣であるというのです。義経は苦渋の挙句に「たとえ拝領申しても打ちさえせねば義経が身の誤りにもならぬ鼓」と言って、これを受け取ります。ここから「義経千本桜」のドラマが始まるのです。

ご承知の通り、この「義経千本桜」は義経が鎌倉に送った平家の武将の首のうち、知盛・維盛・教経の三人の首は贋首であった、という謎を解くストーリーです。「大物浦」(2段目)で知盛が碇をかついで入水、「鮨屋」(3段目)では維盛は高野山へ出家という形で、「平家物語」の世界へ還って行きます。「川連館」(4段目)では教経が横川覚範と名乗って吉野に隠れていたことが判明します。

大詰「五段目」(この部分が歌舞伎で上演されることはもはやなくなりました)において、義経は教経と戦い、遂にこれを倒します。その直前に、川越太郎重頼が左大将朝方を捕縛して登場して、なんとこう言うのです。「久しう候、義経公。たまわる鼓に事を寄せ、頼朝追討の院宣と名付けしは、朝方が業(わざ)と事現れ。義経に計らわせよとの綸命(りんめい)受けて参ったり」

何と、院宣が朝方の作った嘘だったというならば兄頼朝と義経との諍いは何であったのでしょうか。朝方の企みにより兄弟はただ踊らされただけであったのでしょうか。このような疑問が形をなさないまま、さらに不可解な展開が続きます。

この川越太郎の言葉を聞いた瀕死の教経がこう叫びます。「ホウ平家追討の院宣も朝方の仕業と聞く、きやつを殺すが一門への言い訳」そして教経は最後の力を振り絞って朝方の首を落とすのですが、さらに覚悟を決めた教経が「さあ義経、教経が首取れ」と言い終わらない内に、義経はこう言います。「ヤア能登守教経は八嶋の沖にて入水せり、横川の覚範が首は忠信に」そして佐藤忠信が刀を振り上げて、兄継信の仇の首を討つのでした。

ここにおいて「千本桜」の第3の謎「教経の贋首」に決着がつくのです。ここには疑問が沢山あるのですが、まず第一に義経は教経に「平家物語」の世界に還ることを許さなかった、ということがあります。教経は壇ノ浦の戦いで源氏の兵士の二人を脇に抱きかかえ、冥土への土産だと言って海に飛び込んだ、という壮絶な最後を遂げたことが「平家物語」に記されています。義経は教経に対し平然として「教経は壇ノ浦で死んだのだ、お前は覚範として死ぬのだ」と言い切ったのです。まるで何かを打ち消すように。

何故なのでしょうか。それは教経が言ってはならないことを言ったからに違いありません。教経は「頼朝追討の院宣が朝方の仕業で嘘だというのなら、平家追討の院宣もまた嘘だったのだな」と言ったのです。これは大変な問いなのです。この教経の問いを義経は肯定も否定もしていません。肯定すれば、平家を討った源氏の大義名分はないことになってしまいます。否定すれば、天皇制の機能そのものへの批判にもなりかねません。

実際、状況によってころころと態度を変えた後白河法皇の判断は平氏・源氏を手玉に取ったつもりでいて世の混乱に拍車をかけただけであったでしょう。この法皇の権力欲のために一体どれだけの戦いが起き、どれだけの人が無駄に死んでいったことか。このことは江戸時代の人でなくても源平時代の人でも誰しもが思ったでしょうが、しかし言ってはならないことでした。そして今更言っても何も変わらないことでした。だから義経は教経の問いに答えずこれを無視して、「教経は壇ノ浦で死んだのだ、お前は覚範として死ぬのだ」と言ったのです。

2)義経もまた「義経記」の世界へ還る

同時に義経がここでとった重要な判断がもうひとつあると思います。義経が教経の問いを無視したということは、同時に「たまわる鼓に事を寄せ、頼朝追討の院宣と名付けしは、朝方が業(わざ)と事現れ」という川越太郎の言葉をも無視したことになるのです。

そんなはずはない、3人の偽首の謎は解けた・院宣は朝方の仕業と判明した、もはや頼朝・義経兄弟が諍いをする理由はなくなったはずだ、とお考えかも知れません。「千本桜」の大詰めにおいて兄弟の和解が暗示されている、と書いてある歌舞伎の研究書もあります。たしかに五段ものの浄瑠璃の約束に沿って「義経千本桜」の五段目は、「打ち治まつたる君が世に、奥州へ行く小原へ行く、平家の一類討ち滅ぼし、四海太平民安全、五穀豊穣の時を得て、穂に穂栄ゆる秋津国繁昌、ならびなかりけり」と、すべてがめでたく終わり、国家と民の安全が詠われることで結ばれています。表向きはそのようにも読めましょう。

しかし義経はこの後、兄の顔を見ることもなく、各地をさまよったあげくに奥州平泉で死んだ、ということは「義経記」で誰でも知っている事実なのです。兄弟は最後まで和解することはなかったのです。この厳然たる事実、というより民衆の心にながく留まってきた義経信仰のバック・ボーンというべき大前提を無視して「義経千本桜」が成り立つはずがありません。

もう一度繰り返しますと、「初音の鼓に事寄せ、兄頼朝を討てとの院宣」が嘘であったとすれば、それは左大臣朝方のせいだとか何だと言っても、「源氏に対し平家を討てとの院宣」への疑念をも必然的に招くことになるのです。だとすれば「源平の争いとは何ぞや・源氏の平家追討の正当性はあったのか」ということになってしまう。したがって義経は否定も肯定もせずに自らこの疑念を封じ込めることによって、同時に「兄頼朝を討てとの院宣を受けた」という汚名を着ることを自ら引き受けたのです。教経に「お前は覚範として死ぬのだ」と言い切った義経の真意はここにあるのです。「そのかわり俺も奥州平泉で死ぬつもりだ」ということなのです。(この心境にまで義経を至らせる背景として四段目「川連法眼館」での源九郎狐との係りがあります。このことは別稿「義経と初音の鼓」で論じましたから、そちらをご参照ください。)

本「歌舞伎素人講釈」の「義経もの」(義経千本桜・一谷嫩軍記)に関する一連の論考において、「平家物語」の本歌取りの構造と登場人物が「平家物語」の世界に還っていく仕掛けについて考えてきました。知盛然り、直実然りです。そして、この作品の主人公たる源義経もまた例外ではあり得ません。義経もまた本来の世界・「義経記」の世界へ還っていかねばならないのです。まず、義経は教経を覚範として死なせることで、彼を「義経記」の世界へ収めます。そして義経は最後に自らの行き先を定めるのです。

五段目大詰めにある最後の文句「打ち治まつたる君が世に、奥州へ行く小原へ行く」を考えてみたいと思います。字面だけ見れば、奥州へ行くのは兄継信の仇を討って故郷に帰る佐藤忠信であり、小原に行くのは母建礼門院の傍に行って暮らす安徳天皇です。まずは義経は安徳天皇を小原の里に送り届けるわけですから、義経は小原へ向うということになります。歌舞伎の解説など見ると大抵そういう解釈です。しかしそれならば身分の順序からしても文句は「小原へ行く奥州へ行く」とせねばならないでしょう。

どうして奥州が先に来るのでしょうか。それはもちろん奥州へ行くのが義経を指しているからに違いありません。つまり、「義経はもう行き先を決めている・死を覚悟している」ということなのです。これが、歴史推理を楽しんで自由な発想で書かれた物語が、再びもとの歴史の流れのなかに収束されていく過程です。ここにおいて「義経千本桜」の主人公義経はすべての結末をつけて、自らも「義経記」の世界へ還ることを決意する、ということなのです。こうして「義経千本桜」は大団円を迎えるのです。

(H13・9・30)

義経千本桜 (岩波文庫 黄 241-3)

義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))
 

      (TOP)         (戻る)