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与茂七と「三角屋敷」の意味

〜「東海道四谷怪談」

別稿「伊右衛門はホントに大悪人か」の続編として書かれています。


1)なぜ与茂七に伊右衛門が討てるのか

民谷伊右衛門を討つのはお岩ではなく、お岩の妹お袖の夫である佐藤与茂七なのです。伊右衛門が「何で身どもをいらざる事を」と言っているように大詰めでの与茂七の登場は観客にとっても意外です。誰もがお岩が伊右衛門に直接手を下して決着をつけることを心中期待しているに違いないからです。

お岩の幽霊は伊右衛門の母親や仲間たちをとり殺しているのだから、その霊力からして伊右衛門をとり殺す力はあるはずです。しかしお岩の幽霊は伊右衛門をとり殺すことはしません。いやお岩の背負っている「忠義の論理」では伊右衛門は殺すことはできないのです。

与茂七の登場について、これは四十七士の一人である与茂七が伊右衛門を塩冶浪士の裏切り者として討つことで、自由人伊右衛門が封建社会の論理で罰せられるのだと解釈する人が多いようです。確かにこの結末によって「四谷怪談」は表の世界である「忠臣蔵の世界」に収束されていくのですが、別の見方もできるのではないでしょうか。なぜなら民衆にとって塩 冶(赤穂)浪士は「腐ってない武士」ではあるが、忠義などという封建主義の論理を振りかざしていることでは他の武士と大同小異であるからです。

もし与茂七が単に塩冶浪士としての位置付けだけで「忠義の論理」を振りかざして登場するのであれば、小仏小平の幽霊が伊右衛門の刀に追い払われたように、与茂七に伊右衛門を討つ事はかなわぬはずではないでしょうか。したがって与茂七が伊右衛門を討ち得たからには、彼が封建社会の建前である「忠義の論理」ではなく、真の人間だけが持つ「誠の論理」が備わっているはずだと見なければならないと思います。

そのためには表の「忠臣蔵」は建前の世界で、裏の「四谷怪談」は本音の世界であるという従来の「並列の図式」を捨て去って「四谷怪談」の意味を読もうとしなければならないでしょう。

2)与茂七と「三角屋敷」の意味

「四谷怪談」では忠義という武士社会の論理のもとで、敵討ちを強制されて苦しむ人間の姿が描かれています。主君の無念を晴らすために家来たちが命も財産も投げ出すというような行為が誰にでも可能であったわけではありません。多くの人々が家族のため、あるいは生活のために心ならずも不忠者の名を着せられて脱落していきました。それを誰が非難できるでしょうか。

佐藤与茂七もまた一歩間違えれば伊右衛門の立場になったかも知れない人物です。与茂七も弱い人間で女房お袖を夜鷹に出させるような苦労をさせておきながら、一方で自分はこっそり夜鷹を買いにいくようなずるさを持っています。だから与茂七の塩 冶浪士としての栄光も、お袖の犠牲によって成り立っていることを考えれば討ち入りもきれい事では済まされなくなるのです。

「仮名手本忠臣蔵」七段目において由良之助が「女房に日々傾城の勤めをさするも皆、亡君の仇を討たんがため・・」と言っていますが、これを南北は「地獄宿」でもっと具体的に生々しく見せているのです。

だから与茂七がお岩の代わりに伊右衛門を討つ資格があるとすれば、それは「三角屋敷」の場において、女房お袖とその兄直助の死をまのあたりにして、生の無情と武家社会の論理の愚かしさを痛いほど感じながらも、それでも武士の誠の道として討ち入りをせざるを得ないという、人間としてのギリギリの生き方を与茂七が選び取ったからに他ならないのです。まさにその意味において赤穂義士は、武士階級のみならず町人階級においても手本となってきたはずなのでした。

表の世界である「忠臣蔵」が忠義の論理を押し付ける建前の世界だと割り切る限り決してこのことは見えてはこないでしょう。武士としての誇りも人間としての誇りも捨て去ってしまった伊右衛門を罰することができる人間は与茂七以外にはあり得ないのです。与茂七は塩 冶浪士としてではなく、「誠の人間」として伊右衛門を討つのです。

そう考えて初めてお岩と伊右衛門の筋からまったくはずれてしまう「三角屋敷」の存在の意味が理解されると思います。「三角屋敷」は与茂七を「伊右衛門の刑執行人」として承認するための手続きの場なのです。

怪談芝居としてみると「三角屋敷」は本筋から離れているように見えます。この場は「四谷怪談」のなかでは最も芝居らしい面白さのある場ではありますが、伊右衛門もお岩も登場しないのです。まさか洗濯桶からお岩の手がニュッと伸びてくるのをみせるためだけにこの場がある訳ではないでしょう。「三角屋敷」は最近あまり上演されないようですが、この場がカットされてしまうのも本筋から離れるように見えるせいでしょう。

しかし「四谷怪談」において伊右衛門を与茂七が討つ以上は「三角屋敷」なしで鶴屋南北の作意を理解することは不可能だと思います。このことは文政八年江戸中村座での初演時に三代目尾上菊五郎がお岩、小仏小平とともに与茂七を兼ねたという事実が証明しています。

南北作品のように歌舞伎オリジナルの場合には作者は役者にはめて台本を書くのですから、番附けが作品解釈の有力な手掛かりになるのです。言うまでもなくこの事実は、お岩と与茂七を同一役者が演じることにより役の並列的構造を観客に印象付けようとした南北の作意を反映したものだと思います。

3)南北の作劇術

考えれば考えるほど「四谷怪談」はラジカルな作品だと感じ入ってしまいます。世界の設定という歌舞伎の作劇術は「現代劇を作ってはならない」という幕府の弾圧に対する苦肉の策であったといいます。ところが南北は「忠臣蔵」と「四谷怪談」をテレコで上演することによって、「忠臣蔵」が本来秘めている封建社会批判の意図をより鮮明に浮き出させ、さらには「四谷怪談」は室町時代の架空の話ですと高らかに宣言して逃げを打ってしまうのですから、そのしたたかさには驚かざるを得ません。

南北の作劇術はよく言われるように退廃的、趣向的なものではなく、むしろはるかに健康な批判的精神を備えているのではないでしょうか。南北の生世話に、当時の社会風俗を描写しているという三面記事的な興味だけを見るのではなく、その底に潜む民衆のエネルギー、変革への意欲こそを見るべきだと思います。

東海道四谷怪談 新潮日本古典集成 第45回

 

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