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生きている知盛〜「大物浦」の本歌取りの構造

〜「義経千本桜・渡海屋〜大物浦」


1)本歌取りの面白さ

昔から「本歌取り」というのが日本の伝統にはありまして、先行作の趣向を踏まえてそれをどう発展・あるいは倒置してみせるかーその着想とひねりの面白さを味わうという、まことに高等なお楽しみがあったのでした。著作権などというものが横行している現代では、こういう楽しみは許されません。それどころか「創作能力がないからパクリに走るのだ」なんて非難されかねません。

しかし歌舞伎・浄瑠璃の名作と言われるものは大抵は「パクリ(本歌取り)」で出来ているものです。そのなかでも「義経千本桜」の平知盛の件「渡海屋・大物浦」は、そのスケールの大きさと趣向の奇抜さにおいて群を抜いた存在だと思います。逆に言いますと、その「本歌取り」の面白さが現代では十分に理解されないのではないかということも感じるのです。

そこで本稿では「渡海屋・大物浦」の「本歌取り」について考えたいと思います。まず壇ノ浦の合戦において源義経によって平家一門が海の藻屑と消えたのは歴史上の事実です。この合戦において、安徳天皇は祖母である二位の尼に抱かれて入水します。また平知盛は最後まで奮戦しますが、もはやこれまでと覚悟を決めた知盛は壮絶な最後を遂げます。当時の庶民の知識というのは「平家物語」などの流布によって形成されておりましたから、こうした話はすべて常識でありました。

しかし民衆のこころというのは不思議なもので(あるいは民衆はホントに心やさしいというべきでしょうか)、こうした「諸行無常」の有様に哀れみを感じ、「もしかしたら彼らは生き延びてどこかに隠れ住んでいるのではないか(あるいはそうであって欲しい)」というようなことも感じたようです。各地に伝えられる「平家の落人部落」伝説というものがすべて本物なのかどうかはともかく、そうした民衆のこころの産物であると言ってよろしいでしょう。

さて兄頼朝に追われた義経は一旦は西国へ落ちようとして、大物浦から船出しますが嵐で果たせず、結局、義経は吉野経由で奥州へ落ちていきます。これも歴史上の事実です。かつて義経は屋島の合戦に当たりやはり嵐のなかを突いて摂津の国渡辺から船出して、通常は3日くらいかかる船路を追い風を利用して6時間ほどで屋島へ渡り切るという荒技を見せたのですが、この時にはさすがの義経の武運も尽きたかのように思われます。

この時に義経の西国落ちを嵐とともに阻んだのが平知盛の怨霊であるという着想で書かれたのが、能の人気曲である「船弁慶」(観世小次郎信光作)です。浄瑠璃の「渡海屋・大物浦」は直接的にはこの「船弁慶」をもじって作られているわけです。浄瑠璃では「義経の西国落ちにを阻んだのは知盛の怨霊ではなく、まさしく知盛本人が壇ノ浦を生き延びて密かに義経を討つ機会を狙っていたのだ」と言う設定になります。そして最後に碇をかついで入水する知盛には「大物の沖にて判官に怨をなせしは知盛が怨霊なりと伝えよや」と言わせます。

つまり、これは能「船弁慶」の伝説の種明かしという形になっているのです。私は当時の大阪の庶民は今の人が考えるよりずっと科学的・論理的であると思います。「知盛の怨霊が義経を襲ったという話より本人が生き延びて襲ったという話の方が有り得る」と思ったかどうかは分かりませんが、そういう歴史推理を楽しむ余裕があったということではないでしょうか。

2)知盛はやはり怨霊なのだ

これが浄瑠璃「渡海屋・大物浦」の根本なのですが、ここでの浄瑠璃作者の趣向はさらに手が込んでいます。「壇ノ浦の合戦と平家滅亡のさま」を舞台に再現しようと言うのです。浄瑠璃作者は「壇ノ浦」の経過を舞台でなぞっていきます。史実を重ね合わせて、「やはり今回も駄目であったか、やはり歴史は変わらないのか」という想いに観客を誘います。

まず知盛とその手下は幽霊の装束で義経一行を襲うわけですが、これについては義経一行を恐れおののかせようという効果を狙うとともに、「事が成功した後に知盛が生きていたと分かっては後が面倒になるので、ここは幽霊が義経を討ったということにして源氏の目をくらませよう」という魂胆であると知盛が言っています。しかしこの知盛の計略は義経に完全に見破られていました。襲い掛かった知盛一行に対して用意していた提灯松明を突き付けて反撃に出ます。戦は知盛の敗北に終わり、戦の成り行きを見守る典侍の局の目の前で、ご注進の入江丹蔵が「冥土の御供仕らん」と言って刀を突き立て海に飛び込みます。典侍の局も安徳帝を抱きかかえて入水しようとして寸前で義経に押さえられます。

ここで見事なのは「壇ノ浦での平家滅亡」という厳然とした歴史的事実(もちろん観客は承知している)があって、浄瑠璃作者はまず観客に「じつは知盛は生きていた」という虚構(ウソ)を突きつけ、さらにその知盛に幽霊の格好をさせるという虚構(ウソ)をまとわせ、それをまたひっくり返してみせるという形で「平家滅亡」という現実を観客の目の前に浮き彫りにしているということでしょう。そしてさらに大事なことがあります。その「平家滅亡」という現実が眼前にあるならば、「舞台にいる『生きている知盛』はやはり怨霊なのだ」ということなのです。そのことが観客に明らかになるということです。

3)そして「平家物語」の世界へ還る

「大物浦」での知盛は水入りの鬘・青隈をとり、まさに「この世の怨霊」といった必死の形相です。すでに安徳帝は義経の手に落ちていますが、致命傷を受けて知盛はなお義経に最後の戦いを挑みます。この知盛の燃え上がる怨念をくじくような出来事がふたつ起こります。まずここまで苦節 をともにし盟友ともいうべき典侍の局の自害、さらに安徳帝の「朕を供奉し、永の介抱はそちが情。けふ又まろを助けしは義経が情なれば、仇に思うな知盛」の一言です。これにより知盛は入水を決意するのです。

ところでここで問題になるのは、典侍の局の自害・安徳帝の一言は知盛にとって「裏切り」であったのだろうか、ということです。平家一門の仇をはらさんとここまで生き延びてきた知盛は、ここまで苦節をともにしてきた典侍の局・守り通してきたはずの安徳帝に裏切られてガックリきて、それで絶望して入水するのでしょうか。

これは義経を知盛の敵だと考えて、典侍の局・安徳帝が敵に寝返ったと考えるならそういう風にも読めるのかも知れません。しかし江戸時代の義経信仰を理解していれば、そうではないことが分かります。義経は知盛の敵ではないのですから。そのことが分かったからこそ、知盛は安徳帝を義経に預けて自らの怨念を鎮めるために入水するのです。知盛の最後の科白「きのうの怨はけふの味方。あな心安や嬉しやな。是ぞ此の世の暇乞い」と本文にはっきり書いてあります。

歌舞伎における義経の位置付けについては本サイトにおける「義経と初音の鼓」あるいは勧進帳:義経をめぐる儀式」をご参照ください。大事なことは、歌舞伎での義経というキャラクターは「この世の無常を知る男・そしてその悲しみを清めることのできる男」だということです。それは義経信仰を背景にしており、観客にとって改めて説明の必要のないことなのです。最後の最後で義経の霊力が知盛と平家一門の怨念を鎮め癒すと考えるべきだと思います。

まず弁慶が知盛の首に数珠をかけます。知盛は「出家せよと言うのか」と叫んで引きちぎるのですが、これはホントは知盛の怨霊に鎮まれと言っているのです。ここではまだ知盛は義経の正体を理解していません。しかし、さらに典待の局の死を賭しての「もう恨みを捨てる時が来た」という諫言、そして安徳帝の「仇に思うな」の一言で、知盛はついに義経がどういう役割を持っている男なのかを思い知るのです。

入水にあたって知盛は述懐します。「壇ノ浦での平家の滅亡のありさまも、元はといえば父清盛の天道をあざむく横暴が、つもりつもって一門我子の身に報いたのか」と。安徳帝の行く末は義経が見守ってくれる、もはやこの世には未練はない。そして清盛の報いの輪環を断ち切り、平家一門の怨念を鎮めるために知盛は入水を決意するのです。

ここでの知盛の入水は「自殺」ではなく、「生きている怨霊が本来のあるべき世界へ還る」という意味を持ちます。怨霊というのは現世に恨みを晴らそうとしてもがくのではありません。恨みが魂の成仏することを許さないからもがくのです。怨念を捨て去った時、知盛はすべてが楽になって「行くべき時が来た」ことを悟るのです。そしてこの時、浄瑠璃の壮大な「本歌取り」の仕掛けが「平家物語」の世界へ収束されていくのです。

知盛の最後にあたり、安徳帝は「知盛さらば」の一言を手向けます。義経は一言も発しません。当然です。これまで苦労をともにしてきた安徳帝のこの一言なくして知盛は死ねましょうか。そして知盛の入水のありさまをこの目に焼き付けて、その魂を清めるのが義経の役割なのです。いまはすべてを飲み込んで義経はただ黙るのです。もしかしたらその目は涙でかすんでいたかも知れません。

(後注:知盛入水直前の安徳帝の「知盛さらば」の一言は歌舞伎の入れ事で本文にはありません。が、同じく知盛入水の後、幕外で弁慶が法螺貝を吹いて知盛の魂を鎮めて退場するのと並び、歌舞伎の名演出と言えましょう。)

義経千本桜 (岩波文庫 黄 241-3)

義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))


(H13・5・13)


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