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「合邦庵室」の倫理性

〜「摂州合邦辻・合邦庵室」


『女神を魔女に、うら若き乙女をみだらな女に作り変えるには何の芸も要らない。しかし、その逆を成し遂げるのは、蔑まれた存在に威厳を与え、堕落した存在を望ましいものに生まれ変わらせるのは、芸術の域あるいは舞台の上の業 (わざ)である。』(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

1)

『玉手御前のサワリ、表に意気を持って、心に深き憂いを含んで語るのであるとの事。この段では、玉手のこのサワリを聞いて聴衆が、「ハハア、この玉手は口ではアンナ色気タップリの事を云っているが、何か腹のなかに深き考えがあって、決して不貞一方の女ではない。即ち悪い女ではない、善い人であろう」と聞き分けるように語る。それがむつかしいのである。』(杉山其日庵:「浄瑠璃素人講釈」)

浄瑠璃素人講釈〈下〉 (岩波文庫)

浄瑠璃解釈の手引きとして必携であり・本サイト「歌舞伎素人講釈」のタイトルの由来でもある「浄瑠璃素人講釈」のなかの文章です。「摂州合邦辻・合邦庵室」の玉手御前のサワリは本段中のクライマックスです。玉手御前の性根については「玉手御前が義理の息子の俊徳丸に仕掛ける恋は本物なのか・偽の恋なのか」という議論が現代人の興味をそそるところです。しかし、 そのことについて本稿では論じません。本稿では「合邦庵室」の倫理性について考えます。不道徳性じゃないのと思うかも知れませんが、倫理性です。杉山其日庵は観客は「玉手は悪い女ではない・善い人だ」と思いたいのである・だから聴衆がそう納得できるように語れと言 っているのです。つまり「合邦庵室」の倫理性ということです。

「摂州合邦辻」は安永2年(1773)初演の人形浄瑠璃作品です。音曲というのは三味線のシャンの音で終えることによりその世界を完結させます。つまり、そこに 音曲の自己完結性があるのです。同じように古典派交響曲の場合には終わりが協和音でジャーンと大音響で終わってスッキリとして完結します。これが中途半端な音階で終わると尻切れになって・ なんだか終わったという感じがしない。モヤモヤして消化不良の感じになるものです。ロマン派交響曲になると、意識的にピアニシモで終えたりして・完全な美の形を意識的に採らず・いわば斜(はす)に構えた終わり方も出てきますが、これもその美の形式を踏まえたところから出る変形なのです。完結したという感覚は・どこかしらスッキリして腑に落ちると言うか・なるほど然りと納得できる感覚に通じます。つまり西洋音楽に限らず・義太夫節でも・すべての音楽は本質的に倫理的・道徳的な要素を持っているということです。

「玉手御前の恋は本物なのか・偽の恋なのか」ということが現代人の関心をそそるのは、玉手御前のなかに引き裂かれた状況を見て現代人に何かしら共感するところがあるということで、それはそれで興味深いことです。「人というものはどこかで本来の自分を裏切り・その自責の念を押さえつけながら・別の人生を生きている」というのが近代人の感性であるからです。

「柵(しがらみ)を越えた恋」というテーマは近松門左衛門以来 、浄瑠璃歌舞伎には多くあるものです。これは状況における個の発露ということであり・かぶき的心情のドラマの大きなテーマのひとつです。しかし、同じ柵を越えた恋であっても、玉手御前の場合は継母が義理の息子に恋するという・刺激が強い設定ですから、その不道徳性がより強く目に付くと思います。事実、そのために「合邦庵室」は明治大正になっても検閲の目を気にして・あまり上演回数が多くなかったのです。逆に言えば・それだけ「合邦庵室」は近代人の興味を強くそそり・感性を刺激する存在であったわけで、それも玉手御前の不道徳性のゆえです。

ですから「合邦庵室」の不道徳性に目が行くのは現代においては当然のことと言うべきですが、あえてそこのところに目をつぶり・「合邦庵室」の倫理性の方に目を向けて欲しいと思います。別稿「主題と変奏〜浄瑠璃・歌舞伎におけるプロットとは」でも論じましたが、プロットと主題は分けて考えねばならないからです。玉手御前の義理の息子への恋はプロットであると考える必要があります。

2)

「合邦庵室」の倫理性は玉手御前がその義務に対して忠実であったということに感じられます。義務と言うと、それは夫高安殿に対しての義務なのか・そもそも玉手御前は夫を本当に愛していたのかという疑問がまた出てくると思いますが、そういうことも本稿では論じません。玉手御前の義務感は彼女が育ち・生きてきた環境から生じてきたものでした。

まず玉手御前(前名・お辻)の生い立ちを考えます。玉手御前の父・合邦は「もとおれが親は青砥左衛門藤綱といってな、鎌倉の最明寺時頼公の見出しに逢うて、天下の政道をあずかり武士の鑑と言われた人・・・」と言っています。青砥左衛門は鎌倉時代の人物ですが、江戸時代の民衆は誰でも知っていた有名な人物でした。ある日の夜、 藤綱は出仕しようとして・途中の川を馬で渡る時に10文の銭を落としてしまいました。小額なので・普通はそのまま行き過ぎるところですが、 藤綱は人を走らせて50文で松明を買わせて、その灯りで落とした10文をついに探し出しました。後日、この話を聞いた人が「10文を取り返すために50文を使うとは大損ではないか」と笑うと、藤綱は「落とした銭をそのままにすれば、銭は永久に失われてしまうが、自分の費やした50文は商人のところにあるので、合わせて60文が1文も失われず天下の財として残っ たことになる」と答えたそうです。これを聞いて周囲の者はなるほどとみな感心したそうです。この「太平記」の逸話は私利を離れて公益に尽くすべしという教訓として江戸時代の民衆によく知られていたものです。

父・合邦はこの青砥左衛門の息子であり、讒言によって合邦は鎌倉を追われ・今は捨坊主をしているけれども、今でも武士のこころは捨てていないと言っています。だから合邦は頑固なほど に清廉潔白な人物で、その厳しい倫理感のもとに合邦は娘お辻を厳しく育て上げたに違いありません。この生い立ちがお辻の生き方に決定的な影響を与えています。

お辻が高安殿の後妻になった経緯は定かではありませんが、お辻は高安殿の元侍女であり・先妻の死後に高安殿のお目にかなったものと思われます。ふたりの年齢差はどう考えても親と娘くらい年が離れているようです。結婚してお辻は玉手御前となるのですが、彼女の結婚が不幸だったのではないか・不釣合いではなかったかとか・推測すること はあまり意味がありません。息子・俊徳丸に邪恋を仕掛けて毒酒を勧めて業病にしてしまうという行為が夫・通俊のためを思った時の最善の方法であったのか・他にもっといい方法はなかったのかということもあまり意味がないと思います。ただ玉手御前が彼女に与えられた状況をその通りに受け入れて・果たすべき義務を忠実に果たしたということが大事なのです。それが「合邦庵室」が倫理的だという印象を呼び起こします。

結局、観客が「合邦庵室」が倫理的と感じるのは、玉手御前がどんな状況にあったとしても(仮に高安殿との結婚が不幸であったとか・俊徳丸を心底愛していたとしても)、玉手御前が揺ぎない確固としたものを持ち続けているからなのです。それは彼女の幼年時代の思い出や父の教育・そして故郷にあるものです。つまり、四天王寺の西門からほど近いところにある合邦ヶ辻の庵室に玉手御前の原点があります。彼女が生まれ育ったその庵室でドラマは起こるのです。

3)

四天王寺には、彼岸の中日に「日想観(じっそうかん)」を行うために大勢の人々が集まったものでした。日想観と言うのは、天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かい合っているという信仰から来たものです。そのために人々は西門付近に集まって、沈む夕日をここから拝みました。まず夕日をじっと眺めて、目を閉じてもその像が消えないようにして、その夕日の沈む彼方の弥陀の浄土を思い浮かべます。だから太陽が真西に沈む彼岸の中日が一番良いとされました。日想観の修行の目的は、極楽浄土に心を集中することで現世に対する執着を捨てることにありました。現世に対する執着が強い人ほど死への恐怖やこの世を生きていく苦しみが大きくなります。日想観を修することでその執着を捨てようとした わけです。

そう考えると玉手御前の実家が四天王寺の西門からまっすぐ西方向の合邦ヶ辻にある・ほど近い閻魔堂の庵室に置かれている理由は、実は玉手御前の生き方から来ていることがよく分かります。玉手御前の義務感、それは人が人として生きる時に負うべき義務・人が人としてあるべき道と考えてよろしいものです。つまり、生きていればいろいろと悩み苦しむことがあるだろうが・人のあるべき道をひたすら信じて真っ直ぐな道を歩めよ・というようなメッセージが「合邦庵室」にはあるのです。

「合邦庵室」は能の「弱法師」から来ているとか・説経の「しんとく丸」から来ているとか歌舞伎の解説には書いてありますが、舞台を見てると日想観がどこにあるのか・さっぱり分からないでしょう。俊徳丸が出てくるから・まあルーツは「弱法師」なのかねえ・・という程度です。しかも関心はどうしても継母の息子への恋の方に向いてしまいます。プロットの刺激が強すぎるところに多少作者の力量の問題があるかも知れません。しかし、「合邦庵室」の倫理性ということ を分かっていれば日想観の主題は見えてくると思います。やはり観客は「玉手は悪い女ではない・善い人だ」と思いたいのです。

「我々が人形芝居や舞台を見て受ける印象は、平凡だけれど力強いものを受ける。江戸時代の女は、今と違って、社会的にも宗教的にも宿命を負うているので、玉手が自分と同じように苦しんでいる女に向って、強く生きて美しく死んでいくものだ、詩人的な言い方をすると、哀れな死を遂げた屍がこれだ、と人が言うように生きなさい、と我々に言ってるのだと感じても、その受け入れ方は誤りではないと思う。凡庸な作者がそんなことを言うのでは反発する心が起こるが、玉手が・作品の上の主人公がそう言うのなら、不都合ではないと思う。」(折口信夫:「玉手御前の恋」・昭和29年)

(H20・1・9)

新版歌祭文―摂州合邦辻・ひらかな盛衰記 (歌舞伎オン・ステージ)

*折口信夫:「玉手御前の恋」(折口信夫全集 第18巻 藝能史篇2 (中公文庫 )に収録。)

(後記)

別稿「合邦庵室の劇的構造」「玉手御前の恋」・「女武道としての玉手御前」もご参照ください。

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