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「熊谷陣屋」における型の混交

〜「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」


1)近代劇としての九代目演出

武智鉄二氏が「団菊を経ていない歌舞伎は駄目だ」ということを言っています。これは武智氏が富十郎の弁慶で「勧進帳」を演出した時(昭和39年1月:日生劇場)に、初演オリジナルの七代目団十郎の「勧進帳」の様式を再現してみようと試みた時の実感でありました。すべて演出というのはひとつの理念によるものですから、「あの時はこうする・この時ならこうする」といことは、その考え方の筋道さえ分かれば誰でも同じように辿れるものだと言えます。現行の「勧進帳」は九代目団十郎により演出が大きく改訂されたものですが、武智氏が九代目団十郎の「勧進帳」を分析し、「九代目ならここをこう変えたのではないか」と推察すると、なるほどピタリとはまる。「さすがに九代目はいい加減な変更はしていない」と感じたということでした。

近年の、特に復活狂言においては上演に際して過去の類似狂言の型を安易に拝借することが多いせいか、悪く言うと「いいとこ取り」みたいなご都合主義の筋道のない演出が多いように思います。「ああ、ここはあそこから取ったな」と当ててみせるのも見る方のお楽しみではありますが、そこから作品を照らし出す視点が見えてこないのではそれは演出とは申せません。

「型とは何か」というのは歌舞伎での大きな問題でここでは触れませんが、型には演出という要素も確かにあります。演出というのは、近代劇で言う「作品を解釈し、そのコンセプトに従って登場人物をどう動かすか、どう息付かせるか」という段取りを決めることです。特に九代目が晩年に手掛けて洗い直した古典劇には、この近代劇としての「演出」という概念が型の要素になっているとはっきりと感じます。その最も代表的なものが「熊谷陣屋」です。

ものの本を読めば、「熊谷陣屋」の型には九代目団十郎型と四代目芝翫型があるということが書いてあると思いますが、現在演じられるのはほとんど団十郎型です。このふたつの型の違いは、たとえば見た目で言えば、「制札の見得」において団十郎は制札を逆さにして持ち、芝翫型では制札を上にして持つ、ということです。が、これは芝翫型は何だか飛脚を担いでいるみたいで格好悪い、団十郎型のほうが見た目がいい、というようなイメージだけの問題ではないのです。

芝翫型では、熊谷が「一枝を切らば一指を切るべし」とある義経の制札の謎を解き、その答えとして敦盛の身替わりに我が子小次郎を殺すという、まさにこの行為の拠り所として制札をつかみ、首桶にすがり付こうとする相模と藤の方を押し返すのです。したがって制札は二人に突きつけられるように(つまり「読めるように」)上に向けて掲げられます。

団十郎型においては制札を下に付き、したがって制札にすがり重心を制札に預けるかたちで見得をします。ここでの熊谷は息子を身替わりにせざるを得なかった悲しみ・自分の行為がこれでよかったのか・正しかったのかという想いを振り切るかのように、制札にすがるのです。

つまり芝翫型では自らの行為に対する確信が、団十郎型では悲しみが、制札の見得によって形象化されていると言えます。このような役の性根の把握から舞台の全体の段取りを規定していくわけです。芝翫型は根本的には人形浄瑠璃の型を踏襲した従来型ですが、団十郎型は主人公熊谷直実の悲しみに焦点を当てて、その悲劇を描き出すべく、まったく新しい型を創り出したのです。その手法は明治時代の近代演劇の演出理念の影響をはっきり受けています。

2)熊谷のメーキャップへの疑問

そういう風にして現行の「熊谷陣屋」の舞台(団十郎型)を見ていると、どうも気になる部分があります。それは最近の熊谷役者の顔の色が砥の粉に赤みが強過ぎるのと、眉尻と目尻にかけての疳筋(いわゆる「芝翫筋」)を濃く強く引きすぎることです。印象として勇壮で豪胆な感じがしていかにも時代物の武者風ではありますが、その一方で古風で人形味が強くなり、団十郎型の近代的な人間解釈にふさわしくない感じで非常に違和感を覚えます。

この疳筋を「芝翫筋」と呼ぶのは、熊谷を得意とした四代目芝翫がこの筋を特に濃くどぎつく引いたからなのですが、つまりこれはまさに「芝翫型の熊谷」のトレードマークなのです。この芝翫型の熊谷のメーキャップが現在の団十郎型に混入してしまっている、というのが今回の問題提起の第一番目です。

団十郎型が疳筋を引かないわけでもありません。九代目団十郎や、同じく熊谷を得意にした初代吉右衛門にしても写真を見てみますと、もちろん白黒写真ですから色までは分かりませんが、薄いですが確かに疳筋を引いています。しかし「薄い」ところが大事なので、これは「芝翫筋」ではありません。九代目団十郎の場合は、これは従来型の熊谷のメーキャップのイメージから完全に脱却できていない、つまり「従来型の残渣が残っている」と考えた方がいいように思われます。つまり、団十郎型を近代的な人間解釈の観点からさらに突き詰めていけば、熊谷役者の顔からは疳筋は消えなければならない、これが問題提起の第二番目です。

熊谷の顔から赤みを消し疳筋がなくなれば、その役はより実ごとに近い印象になり熊谷の悲劇はより人間的な実感を増すと思います。団十郎型というのはそうしたベクトルのもとに役の創造がなされていると思います。

このことは八代目幸四郎(初代白鸚)・十七代目勘三郎の二人の熊谷役者が疳筋をまったく引かない、顔の色の赤みを消したメーキャップで見事な舞台を見せたことで証明されたと思います。文献・芸談を調べきれず、いつ頃からどういう意図で幸四郎が疳筋を引くのをやめたのかは、よく分かりません。しかしこの決断は団十郎型の意図を正しく体現したものであると信じます。この二人が初代吉右衛門系統であることも、この決断に何かの影響を与えていることは間違いないと感じています。

このように団十郎型においてはいかにも「芝翫筋」というような濃い疳筋は引くべきではないのです。しかし最近の「陣屋」を見ると、熊谷役者はますます疳筋が濃く顔色も赤みが増し、確かに勇壮ではありますが人形味が強くなり生身の人間像から離れていっているように思います。団十郎型の意図を役者が正しく理解していない、と思うのですがどうでしょうか。

こうしたことがどうして起こったのか、については推論になりますが、歴代の団十郎型の熊谷役者の写真を見比べてみると、まず七代目幸四郎にその原因の発端があるような気がします。次にその三男で、近年の熊谷の模範であった二代目松緑にも原因があると思います。松緑の場合は芝翫型も演じていますから、その経験をもとに松緑型を創ったと言われれば文句は言えませんが、しかし、最近の熊谷役者のメーキャップを見るとやはり松緑が原因だと断ぜざるを得ません。

個人的には、他の役者はいざ知らず、初代吉右衛門の系統を引き継ぐ二人の役者、現九代目幸四郎と二代目吉右衛門には疳筋を引かず素に近い顔で熊谷を勤めてもらいたいと願っております。お二人とも疳筋を引かない素の顔の方が似合うと思いますし芸風にも合う、そして何よりもそれが先代の芸風を継ぐということになると思うのです。

一谷嫩軍記  (歌舞伎オン・ステージ (4)

(追記)

「歌舞伎素人講釈」写真館:「名優たちの熊谷直実」もご参考にご覧ください。

(H13・2・4)


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