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「歌舞伎素人講釈」連載コーナー


鬼が棲むか蛇が棲むか〜谷崎潤一郎:「卍」論


鬼が棲むか蛇が棲むか・その16

ですから「卍」と云う小説は女同士の同性愛と光子をまぐる男たちの動きを絡み合わせ谷崎お得意の変態性欲を扱った作品であると巷間よく言われますし、世間の興味はどうしてもそういうところに行く と思いますが、吉之助はむしろ小説中の夫・柿内の行動の変化の方に興味がそそられます。

柿内は最初は妻・園子と光子との関係を不愉快に感じて、ふたりの交際を禁じたりもします。しかし、いつしか柿内は園子と光子の関係に興味を持ち始め、いろんな場面に関与し始めます。それも最初は成り行き上仕方なく係わる・・という感じですが、次第に積極性が増してきます。明らかにその後の柿内は主体的に園子と光子の間に割り込んでいくようになっていきます。妻に「いったいこの人の胸にはパッション云うものがあるのかしらん?この人でも泣いたり怒ったりびっくりすることあるのかしらん。」と馬鹿にされていた偏屈男が、最後には妻との一体感を見出したかのような異常なはしゃぎぶりを見せています。

『それで枕もとの壁にあの観音様の画像飾って、三人よってお線香上げて、「この観音様の手引やったら、あて死んだかて幸福や」と、わたしがそない云いましたら、「僕ら死んだら、この観音様『光子観音』云う名アつけて、みんなして拝んでくれたら浮かばれるやろ」と夫も云うて、彼の世い行つたらもう焼餅喧嘩せんと仲好う脇仏のような本尊の両側にひッついてまひょと、光子さん真ん中に入れて枕並べながら薬飲みましてん。』(谷崎潤一郎:「卍」・その33)

「心中天網島・紙治内」では、おさんに小春を助けてくれと訴えられた治兵衛が「そうは言っても小春を身請けする金がどこにあろうか」とつぶやくと、おさんは「ノウ仰山な、それで済まばいとやすし」と言ってその場に新銀四百目を投げ出して夫を驚かせます。さらに「箪笥をひらり」と開けて鳶八丈などの着物を取り出します。ここでのおさんは、夫の恥をすすぐのと・女同士の義理を果たすということで一種の躁状態になっています。それが「箪笥をひらり」という描写に表れています。恐らくおさんはその時に冶兵衛との夫婦の絆を確認したような気分になっているの です。柿内の場合も、光子を介在させたなかで、夫婦の絆を確認したようなところがあるのかも知れません。

『あんたこそお人好しのぼんぼんやないか。あんたみたいな人欺(だま)すぐらいじッきやわ』と夫を嘲弄していたはずの園子が、いつの間にやら本気になって割り込んできた夫にお株を取られていきます。 小説を読むと、このような展開は多少の無理もあって、確かにストーリー的になだらかとは言い難い感じがします。事実谷崎は執筆に難渋したようです。「卍」は同時期の「蓼喰う虫」よりも先に着手されたにも係わらず・完成したのはそれよりも遅く、しかも谷崎は何回か 原稿に大幅に手を入れたようです。しかし、この急転直下のようなストーリー展開こそが 谷崎の「卍」の核心であると吉之助は考えます。谷崎は「蓼喰う虫」の夫婦関係を今度は妻の方から見る形で裏返して見せたのです。

柿内は妻との縒りを戻したかったのでしょうか。それとも光子の方に興味があったのでしょうか。変態趣味に興味があったのか。それとも自分の意志ではないところで・間にはさまって・成り行き上どうにもならなくなってしまったのか。俺はこんなことをしたくてしてる訳じゃないんだ・・・自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだがね・・・柿内がそんなことをぶつくさ言いながら、妻と光子の間に次第に割り込んでいくのが見えるようです。そして最後に三人心中に至るわけです。小説はあくまでも妻である園子の視点で書かれていますから、小説からだと柿内の本心は見えてきません。柿内は外部から操られている人形のようにも見えます。それは二重星の周りを旋回していた惑星が突然軌道を失って、恒星のなかに飛び込むようなものです。それは園子と光子というふたりの主人公の間にある「小説」という重力場のバランスが突如として崩れるから起こるわけです。これは近松の「心中天網島」からインスピレーションを得た谷崎の実験であったということです。


鬼が棲むか蛇が棲むか・その15

谷崎の小説「蓼喰う虫」や「卍」についての評論は数多くありますが、吉之助が気になるのは、そのほとんどが主人公の夫婦間の不一致という問題に関心を置いているということです。まあ、そうなるのも理由がないわけではありません。つまり執筆当時(昭和3年〜5年頃)の谷崎と妻千代との関係のことです。昭和5年に谷崎は千代と離婚し・千代が佐藤春夫に再嫁する旨の挨拶状を関係者に送って、これは細君譲渡事件として世間を スキャンダラスに騒がせたものでした。千代と佐藤とのことはそれ以前の十年間ほどの 紆余曲折の経過があるもので・本稿では触れる気はないですが、その印象があまりに強烈な為か、文学研究者はその辺の経過を投影して谷崎の作品を読もうとし勝ちです。「蓼喰う虫」の結末を斯波夫妻が離婚すると決め込んだ評論が多いのもそうです。確かに実説の方は離婚に至ることは誰でも知っていますが、小説の斯波夫妻の方は美佐子の父親である老人が離婚を思いとどまるように説得中であって・最終場面でその結論はまだ出ていないのです。「蓼喰う虫」において夫婦が離婚するかしないかなどということは、実はどうでも良いことなのです。例えば巷間の評論でよく引用される部分を挙げてみます。主人公斯波要が老人とお久との淡路の旅を終えて神戸にいる愛人ルイズを訪ねた後の記述です。

『「たった一人の女を守っていきたい」と云う夢が、放蕩と云えば云えなくもない目下の生活をしていながら、いまだに覚め切れないのである。妻をうとみつつ妻ならぬ者に慰めを求めて行ける人間はいい、もしも要にその真似が出来たら美佐子との間にも今のような破綻を起こさず、どうにか弥縫(びほう)して行けたであろう。彼は自分のそう云う性質に誇りも引け目も感じてはいないが、正直なところそれは義理堅いと云うよりも寧ろ極端な我がままと潔癖なのだと自分では自分では解釈していた。国を異にし、種族を異にし、長い人生の行路の途中でたまたま行き偶ったに過ぎないルイズのような女にさえも肌を許すのに、その惑溺の半分をすら、感ずることの出来ない人を生涯の伴侶にしていると云うのは、どう思っても堪えられない矛盾ではないか。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その12)

芸術家は自分の生活や体験のなかから作品の材料を見つけ出すものです。人間がそうならざるを得ないのは当然のことですが、芸術作品というのは自分の生活や体験の置き換えではないのです。それは芸術家の心のなかで昇華 して・まったく別のものに転化して出てくるものです。上記の引用を当時の谷崎の千代に対する気持ちであると読もうとすれば、確かにそのように読めると思います。特に矛盾 もないようです。そのような読み方をなさる方は、斯波要に谷崎を当てて・美佐子に千代を嵌めて小説を読むわけです。そして精神分析よろしく作品の細部から作者の本心 ・創作の秘密を探り出そうと試みる、まあそんなところでありましょうか。それが科学的あるいは学究的な読み方だと信じていらっしゃるのでしょう。しかし、小説が作者の生活の置き換えに過ぎないものであるならば、そんな小説を 他人がわざわざ読む必要などないのです。谷崎の書いたものは自らのゴシップ実話の置き換えなどでは決してなく、谷崎はもうちょっと次元の違うものを書こうとしたと吉之助は思いたいのですがねえ。

要の言い分と似たような気持ちを当時の谷崎は持ったことがあったのかも知れません。しかし、作家としての谷崎はその気持ちを第三者的に醒めて顧て、これを材料に使用しているのです。文章をよく読めば分かりますが、これは実に身勝手な男の言い分なのです。要は「俺はこんな放蕩をしたくてしているんじゃないんだ・・・」と言い訳しているのです。要は、自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだが・・生憎そうじゃないんだ・・と言い訳しているのです。そして、それは「たった一人の女を守っていきたい」と云う夢を妻がかなえてくれないから仕方ないんだと言い訳しているのです。要の言い分の身勝手さをよく分かっていて谷崎がこの文章を書いているということは、当たり前のことなのです。美佐子は小説では一方的に魅力ない妻にされていますが、それは小説に記述がないからであって、要に言い分があるならば・美佐子の方にも言い分があっても良いのではないでしょうか。しかし、「蓼喰う虫」にはその場面がないから分からないだけの話です。吉之助は、それは裏返しの形で「卍」の方に出て来ると思います。

『わたしと夫とはどうも性質が合いませんし、それに何処か生理的にも違うてると見えまして、結婚してからほんとに楽しい夫婦生活を味おうたことはありませなんだ。夫に云わすとそれはお前が気儘なからだ。何も性質が合わんことはない、合わさんようにするよってだ。巳の方は合わすように努めてるのんに、お前がそう云う心がけにならんのがいかん。(中略)と、いつもそうない云うのんですけど、私は夫の世の中悟りすましたような、諦めたような物の云い方が気に入りませんよって、(中略)あんた大学では秀才やったそうやさいかい、あてみたいなもん定めし幼稚に見えるやろうけど、あてから見たら化石みたいな人やわと、云うてやったこともあります。いったいこの人の胸にはパッション云うものがあるのかしらん?この人でも泣いたり怒ったりびっくりすることあるのかしらん。』(谷崎潤一郎:「卍」・その7)

このすぐ後に「それが光子さんのことや、いろいろの事件惹き起こす元となったのんです。」という文章が続きます。だから夫婦の生理的不和が「卍」の異常な性愛事件の発端になっており ・これは「蓼喰う虫」と同じく谷崎文学のなかの共通したテーマであるというようなことがよく言われます。しかし、吉之助に言わせれば、それは全然関係ないことなのです。それは小説のプロットに過ぎません。夫婦の生理的不和など小説の筋を回すための動力に過ぎないのです。別稿「生きている人形」をお読みになればお分かりかと思いますが、この「卍」での園子の言い分を重ねてみれば、 「蓼喰う虫」での美佐子の言い分は「あなた(要)はおんなは馬鹿で幼稚な生き物で、おんなは人形で良いと思っているのでしょうけれど、わたし(美佐子)だって人間なのです・わたしにだって感情があるのです」ということなのです。谷崎はちゃんと自分の 身勝手さが分かっているのです。谷崎はそのことを第三者的に冷静に分析して、完璧にコントロールして登場人物を動かしているのです。そのことは 短編「おさん」で太宰治が書いた女房の台詞(本稿・その1で引用)と、実はそれほど遠いわけではないのです。要の身勝手な言い分と 比べて見れば分かります。

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

夫の言い分は、俺はこんな放蕩をしたくてしてるんじゃないんだ・・・自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだが・・ということです。 女房はそれを笑っているという構図です。谷崎の小説の主人公の振る舞いは、太宰のそれ(自己卑下的な道化の振る舞い)とは全然違うように見えるかも知れませんが、その違いというのは実は表面的な違いなのであって、根にあるものはまったく同じであることが明らかです。(谷崎と太宰の違いは時代の違いに発するものでしょう。機会があれば、そのことにも触れたいと思いますが、本稿においては指摘するに留めます。)それにしても、同じ近松の「心中天網島」 を見ながら(読みながら)谷崎と太宰が同じようなことを考えていた(らしい)というのが、吉之助にはとても興味深く思われるのです。(この稿つづく)

(H23・7・17)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その14

「卍」での園子と光子の関係について考えます。園子に対して光子が取る行動は不可解で、ある時は園子に媚びて悦ぶことをしますが、かと思えば園子を怒らせる突拍子もない事をしたりします。しかし、後から思えば、それも自分をじらして・気を惹く為にわざと怒らせる振りをしたのか知らんと思うところもあり、それで園子は気を許して・ますます深みにはまって、光子に振り回されます。光子の心理はよく理解できないところがありますが・これは当然なことで、小説は園子の 告白形式で書かれており・園子の視点で書かれているのですから、つまり園子の把握している情報しか入って来ないわけで、読者はその情報からしか光子を判断できないわけです。よくよく小説を読んでみれば園子が光子についてあれやこれや考え ・憶測して、時に怒ったり・時にヤキモキしたり・不安になったり・喜んだりしているのは、それは園子が勝手にそうしていること・あるいは勝手にそう感じていることであって 、もちろんそれは園子なりの理由があってのことですが、それは光子が本当は何を考えているかという事とは・それは全然別の問題であるということなのです。 このことは園子にとっての夫柿内や綿貫の考え・行動についても同じことが言えます。

逆から見るならば、小説「卍」は主人公園子の心象風景を綴っているのであって、園子の周囲で起こっている様々な出来事はすべて埒外(心の外)のことであると言うこともでき るわけです。そのように考えれば、文楽の「心中天網島」の舞台を見ながら斯波要が感じたことをそのまま当てはめることができると思います。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

周囲の人物が騒ぎまわるなかで、小春だけが目をつぶって・じっと顔を伏せたまま動かない。小春だけが騒ぎの埒外にいて静寂を保っているように見える。視覚的に見れば、そのような場面なのです。小春の動かない・静かな佇まいが、斯波要を惹きつけているように見える。「蓼喰う虫」のこの場面は、一般的にそのように読まれており、谷崎潤一郎の日本回帰の例証としてしばしば取り上げられます。しかし、そうではないことは別稿「生きている人形〜「蓼喰う虫」論」で論じた通りです。視覚的には静寂を保っている小春の心のなかで、大きな渦が轟音をあげて回転しているのです。心理的観点からみれば、この場面の小春こそ最も動的であると言えます。このことは人形遣いを観察するならば容易に分かること です。このような静止した人形の姿勢を長く維持する為に、三人の人形遣いは長時間息をためて筋肉を硬くしていなければならないのです。人形がじっとしている場面こそ、人形遣いが最も辛い箇所なのです。谷崎はそういうことをちゃんと 観察したうえで文章を書いているわけです。

「卍」でのすべての出来事は主人公の埒外(心の外)で起こったことであるとしても、実は園子の心のなかは激しく渦巻いているのです。 「蓼喰う虫」の上記の場面に日本趣味を読もうとする方は「卍」」にはドタバタした喧騒な気分ばかり感じて、同じ時期に並行して書かれた「蓼喰う虫」と「卍」との共通項を見い出すことはないだろうと思います。しかし、よく読むならば、両作品は表と裏の関係のように、ひとつのテーマを追っているのです。登場人物の心理のなかに分け入れば、主人公がじっとひとつ事を考えている時こそ、心のなかが激しく渦巻いている・それが最も動的な場面であることが明らかなのです。むしろ、主人公が泣いたり・喚いたり するならば、それは心のストレスが行動のエネルギーに変換されて発散されているということですから、心のストレス値はいくぶん低くなるということが言えます。

もちろん埒外であると言っても、園子のなかの光子と、夫垣内あるいは綿貫の比重は比べ物になりません。園子の心のなかに占める光子の比重はそれほど大きいものです。「その6」において二重星のことを例に挙げました。二重星とは 近距離にあるほぼ質量が同じふたつの恒星が互いに引き合って不思議な回転 をする特殊な天体のことを言います。 園子と光子はちょうどそのような関係にあると考えて良いでしょう。(ふたつの恒星の質量が大きく異なりますと、大きい方の恒星が中心に居座って・片方がその周りを旋回することになり、二重星にはなりません。) このような二重星が惑星を持つとするならば、その惑星はふたつの恒星から影響を受けて傍からみればまったく予測が付かない不思議な フラフラした軌道を示します。夫垣内あるいは綿貫の行動はそのように考えればよろしいものです。 そして、小説は最後には三人心中というような予想も付かない展開を示す(結果的には園子だけが取り残される)ということになります。 これは旋回していた惑星が突然軌道を失って、恒星のなかに飛び込むようなものです。それはふたつの恒星が作り出す重力場のバランスが崩れることによって生じるのです。谷崎は、園子と光子というふたりの主人公の「小説」という重力場のバランスの微妙な変化を感じ取りながら、筋を展開させているわけです。(この稿つづく)

(H23・6・19)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その13

『わたしかって、ほんま云うたら夫の知らん間にたんと苦労しましたのんで、だんだん擦れて、ずるうなってたんのんですが、夫にはそれ分からんと、いまだに子供や子供や思てます。わたし最初それが口惜しいてなりませんでしたが、口惜しがるとなお馬鹿にしられるので、ようし、向(むこ)が子供や思てるのんなら、何処までもそう思わして、油断さしてやれ、と、次第にそんな気イになりました。うわべはいかにもやんちゃ装うて、都合の悪い時はだだこねたり甘えたりして、お腹の中では、ふん、人を子供や思てええ気イになってる、あんたこそお人好しのぼんぼんやないか。あんたみたいな人欺(だま)すぐらいじッきやわ、と、嘲弄するようになって、しまいにはそれが面白うて何ぞ云うとすぐないたり怒鳴ったりして、自分ながら末恐ろしいなるほど芝居するのんが上手になってしもて・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その8)

「心中天網島」の人物関係を谷崎の「卍」に見るならば、当然ながら園子がおさんで・光子が小春、夫柿内が治兵衛であり、そして三人の関係の間に割って入って掻き回す綿貫が太兵衛ということになります。それはその通りなのですが、「卍」は別に「心中天網島」の置き換え・リメークではないのです。独自の谷崎的世界を持っているのですから、それ以上の比較 対照は無駄なことです。上記の柿内未亡人(園子)の述懐を読めば、そのことははっきりしています。園子が言っているのは「わたしは夫の人形やあらしまへん。夫はわたしのことを何も知らへん・何もできんと思てるか知れまへんが、わたしかて意思を持ってますねん。わたしかて人間ですねん。向こうがそう思てるのんやったら、うわべはそう思わせといて、わたしはやりたいことしますさかい。」(注:この台詞は吉之助の作です)ということなのです。園子の夫への不満の根本がそこにあります。これはまさに大正から昭和初期の・女性は自由で意思的であるべきという教育の成果でもあります。それは当時の女性の自立の風潮・意識の目覚めを敏感に反映しています。(注:「私は夫の人形ではない。私も意思を持つ人間なのです。」という主張が明確に出ているのが、「痴人の愛」のナオミであることに注目してください。「痴人の愛」は変態マゾ小説みたいに見えるかも知れませんが、ナオミの言いたいことは「夫がそう思っているのだったら、うわべはそう思わせておいて、私は自分のやりたいことをします」ということではないでしょうか。)

このことは「蓼喰ふ虫」では別の形の不道徳で現れます。主人公・斯波要は妻美佐子に対して、試験的かつ段階的に彼女を恋人阿曾に譲渡する為の五つの条件を切り出し、2年間付き合ってみて阿曾と巧く行きそうになければ戻っても良いとか・何だか彼女の意志と判断を尊重しているのように見せながら、世間に知られれば間違いなく不道徳・不謹慎だと糾弾されるようなことをしています。美佐子の父親である・老人は、要の行為に内心は怒りつつも・それを面に出すことはせず・次のようなことを言い始めます。

『・・しかし、女と云うものは、試験的にもせよ、一度脇へ外れてしまうと、途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないようなハメになるんで、自由の選択ということが、実は自由の選択にならない。ま、これからの女はどうか知れないが、美佐子なんかは中途半端な時勢の教育を受けたんだから、新しがりは附け焼き刃なんでね』(「蓼喰ふ虫」第14章)

本人の自由意志を尊重した、これは夫婦の契約だとか言っても、「美佐子をそういう風に仕向けたのは、要さん、あなただろう」というのが、老人の言いたいことです。だから「要さん、あなたが悪い」と老人は言うのです。(これについては別稿「生きている人形・その16」をご覧下さい。)これが父親である老人の見るところですが、しかし、美佐子本人は、夫婦が分かれるという結論は誰に強制されたのでもなく・私自身で決めたのだと言い張っている(思い込んでいる)わけです。 ここが大事なポイントです。しかし、老人は、「自分で決めたというけれど、本当は自分の意志で何も決めちゃいない」と看破しているのです。途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないような感じで、そう決めてしまったということです。これは「成り行きでそういうことになってしまった」と読めるかも知れませんが・そうではなくて、人間というものは内面のどうにもならぬものに突き動かされて生きているのだということです。それが谷崎潤一郎の人間理解なのです。もうひとつ付け加えるならば、美佐子が「自分で決めた」と思い込んでいるのは、夫がそうさせたということだけではなくて(小説の筋としてはそういうことですが)、現代人は自由意志で生きるのだという考え方を世間・社会から仕付けられている、 だから自分で決めたと思っていないと自分が生きていると感じられないということでもあるのです。

これとまったく同じことが園子の口から出ています。「蓼喰ふ虫」は夫である要の視点で書かれており・美佐子の感じていることが表面に出てきませんから、要が人形遣いで・美佐子が人形みたいに見えるかも知れませんが、実は人形のように見える美佐子にも意思があるわけです。当然なことですが、谷崎潤一郎はそんなことは十分分かったうえで、斯波夫婦にそれぞれ の役割を与えています。「蓼喰ふ虫」では見えなかった美佐子の意思が、裏返しにする形で「卍」では園子の口を借りて出て来ます。

『前でしたら時に依ってはっと思て、ああ、こんな事するのんやなかったと、後悔する気イになりましたのんに、今では反抗的に、なんじゃ意気地のない、これぐらいのこと怖がってどないすると、自分で自分の臆病あざわらうようになるなんて・・・それに、夫に内証で外の男愛したら悪いやろけれど、女が女恋いするねんよってかめへん。同性の間でなんぼ親しくなったかて夫がそれとやかく云う権利あれへんと、いつもそんな理屈つけて自分の心欺いてました。その実わたしの光子さんを思う程度は、前の人思うたよりも十倍も二十倍も、・・・・百倍も二百倍も熱烈や ったのんですけど、・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その8)

園子も「私は自分の意志で行動してるんです」と思っていますが、「しまったと思っても途中で引き返すことができない」という自分も感じているのです。それは成り行きと勢いでそうなってしまったと自分に言い聞かせているのですが、実はもっと深い内面からの衝動で自分が動かされているということも、園子は分かっているのです。(この稿つづく)

(H23・6・12)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その12

前項において被害妄想の第三の段階・「私は彼を愛していない、私は彼を憎んでいる」はおさんの場合には当てはまらないと書きましたが、一応、これについて触れておきます。吉之助はおさんは当てはまらないと考えますが、そうでないと考える方がいらっしゃるかも知れません。例えば世間について数々の論文を出された歴史学の某大先生(名前はあえて伏す)の本を読むと、近松の登場人物はみなポトラッチ的なのだと言います。ポトラッチとは贈与に対するお返しみたいな関係のことを言います。「心中天網島・大長寺」で小春はおさんとの義理立てから治兵衛と同じ場所で死ぬことを拒みますが、起請文を交わしているので治兵衛から心中を言い出されると拒否ができなかったというのです。この場合、実在のおさんがどう考えているかは別として、小春のなかでのおさんが「私(おさん)は彼ら(治兵衛・そして傍にいる小春)を憎んでいる」というメッセージを発し 、それによって二人を脅迫していると読むということになります。

このような読み方は、個人と社会(世間)を対立的関係に見て、世間が主人公を強制するとする見方です。こうした見方は現代ならば、もちろんあり得ることです。現代においては、自我は状況と鋭く対立しており、常に状況からの強いストレスにさられています。おさんをそのよう な症候の対象として見ることは、現代からの視点であって・ もちろんそれが間違いと言うわけでもないですが、少なくとも登場人物に対して共感と思い入れを持とうと思って芝居を見ようとするならば、こういう見方は絶対に変だと感じるはずです。小春・治兵衛はおさんに感謝しながら死ぬというのが正しくあるべき演劇的解釈であると吉之助は考えます。 常に音楽が協和音を以って終わらねばならないのと同じことです。「心中天網島」の古典的な印象は、このようなところから発するということを知らなければなりません。お芝居の登場人物は生きた人間なのですから、演劇視点から社会学・歴史学 への批判がもうちょっとされても良いと思いますね。

別稿「特別講座・かぶき的心情」で、江戸期には個人と社会(状況)を対立的に見る見方はなかったということを申し上げています。だからと言って作品を現代的視点で読んではいけないということではなく・まあ古典のお楽しみは人それぞれのことでありますが、元禄期の「心中天網島」においては、個人と状況を対立的に見る構図はないのです。もちろんその萌芽がないわけでもないのですが、しかし、江戸期には個人と状況の境目はまだ明確に仕分けられておらず、抑圧された個人の鬱屈した心情の解決の方に重点が置かれています。だとすれば、妄想が「私」ということから離れることはないのです。妄想は第2段階に留まるということです。

しかし、逆に「心中天網島」にインスピレーションを受けた谷崎潤一郎の小説「卍」の場合は、それが昭和初期の作品であることから分かる通り、個人と状況を対立的に見る視点から離れることは絶対に出来な くなります。「卍」は人妻・園子と光子との同性愛関係のなかに、いつの間にやら夫である柿内が入り込んで、さらに光子観音をはさんで三人心中になり・園子だけが生き残るという結末になります 。この場合、「卍」の生き残った園子が「心中天網島」のおさんに擬せられていることが明らかです。おさんは父親・五左衛門によって実家へ戻されてしまっており・大長寺の場に は登場しませんが、小説末尾の園子の述懐を読めば、「卍」は古典的終結を取らず・乱調で終わっていることが明らかです。

『明くる日眼エ覚ました時にも、直きに二人の跡追おう思いましてんけど、ひょっとしたら、生き残ったん偶然やないかも分かれへん、死ぬまで二人に騙されてたんやないやろか云う気イしましたら、あの手紙の束預けなさったことにしたかて疑わしいになって来て、折角死んでも彼の世で邪魔にしられるんのんやないかと、ああ、・・先生、(柿内未亡人は突然はらはらと涙を流した)・・その疑いさいなかったら・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その33)

「卍」では三人心中から園子が生き残ることで、「生き残ったん偶然やないかも分かれへん、死ぬまで二人に騙されてたんやないやろか」という疑い で園子が苦しむという形で、被害妄想の第三の段階が出ています。 そこに昭和初期(1920年代)の小市民が置かれた精神状況が察せられます。大正・昭和初期においては国家社会の個人への締め付けというものは元禄の昔よりもはるかに複合的・かつ圧倒的に強くなっています。国家社会が求める ・あるべき市民像というものが厳然としてあるのです。そのような状況では、個人は蔭に隠れてシコシコと隠微なお楽しみに耽ることくらいしか出来ない。せいぜいそのくらいが小市民が出来る不道徳の関の山ということです。同性愛も三人心中もそのような不道徳なのです。もちろんこれは近松の「心中天網島」から引き出されるものではなく、それこそ が谷崎的世界であるということですね。(この稿つづく)

(H23・6・7)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その11

フランスのフロイト派心理学者ジャック・ラカンは、1956年のセミネールにおいて、ジークムント・フロイトが神経症の患者のなかに見出された基本的な傾向 について紹介しています。「私は彼を愛している」、この命題を患者が否定する方法が三つあるということをフロイトは言っているそうです。つまり、妄想には三つの型があるというのです。

『「私は彼を愛している」、これを否定する第一の方法、それは次の通りです。「彼を愛しているのは私ではない、それは彼女だ」、つまり配偶者、分身です。第二の方法は次の通りです。「私が愛しているのは、彼ではなくて、彼女だ」です。しかし、この第二の水準では、防衛はパラノイア患者にとっては十分ではありません。つまり、変装はうまく行っておらず、「私」が隠されていません。ですから、投影が導入されねばなりません。第三の可能性は「私は彼を愛していない、私は彼を憎んでいる」です。ここでもまた、主語を「私」でなくするひっくり返しが十分ではありません。少なくともここまではフロイトが言っていることです。そしてここでもまた投影というメカニズムが介入しなくてはならないことになります。すなわち「彼は私を憎む」。こうして迫害妄想となるのです。』(ジャック・ラカン:「精神病」〜大文字の他者と精神病・1956年)

ジャック・ラカン:精神病〈上〉

ラカンの指摘するところを借りながら、「心中天網島・紙治内」をちょっと読んでみます。おさんの心理のなかで「私(おさん)は夫(治兵衛)を愛している」という命題は、彼女の置かれた状況のなかで否定され・それにも係わらず彼女はその状況を耐え忍ばねばならぬ為、おさんは自分のなかでその命題を否定しに掛からねばならなくなります。まず第一段階での否定、すなわち「夫(治兵衛)を愛しているのは私ではない、それは彼女(小春)だ」です。これは逆転された疎外です。同一化された相手の女性(小春)を 分身として、おさんは彼女自身のメッセージを語 っているということです。次に第二段階での否定、すなわち、「私(おさん)が愛しているのは夫ではなくて、彼女(小春)だ」です。これは逸脱された疎外です。妄想者が係わる他者は極めて特殊な相手です。「心中天網島」の場合を見れば、おさんと小春の関係は手紙をやりあっただけの関係(恐らく最初におさんが小春に手紙を書き、これに対して小春が返事を寄越しただけの関係)であり、互いに見知ってはい ません。この時、小春という存在は脱人称化して います(つまり具体的な人間ではない)。この状況下では、おさんのメッセージを受け取る相手が入れ替わることが容易に起こり得るのです。この状態はおさんから見れば、プラトニックな恋愛関係 と自然に似通ってきます。(第三の段階はおさんの場合には当てはまりませんから、ここでは割愛します。)

太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いて、おさんは瞬間的に反応して「ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや」と言います。そして「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。」という衝動的な選択をおさんは一気にしてしまいます。このような選択をどうしておさんはしてしまうのかということは、上記のメカニズムを考えれば理解できると思います。もちろんおさんは神経症患者ではありませんが、 そこに妄想的な要素があるのです。 もちろん近松門左衛門はフロイト心理学を知るはずがありませんが、しかし、近松という作家は実に人間心理のメカニズムを知り尽くしていると思いませんか。近松は実に恐ろしい人ですね。

このような精神状態におさんが陥るのは何故かということが、ここで問題になってくると思います。夫が浮気して愛人の元に走った(三角関係 )ということは、それは表面的なことです。もっと根本的な問題として「心中天網島」の登場人物を取り巻く状況を考えた方が良いのです。

『天満に年経る。千早(ちはや)降る。神にはあらぬ紙様と、世の鰐口(わにぐち)にのるばかり。小春に深く大幣(あふぬさ)の、くさり合ふたる御注連縄(みしめなは)。今は結ぶの神無月。堰かれて逢はれぬ身となり果て。あはれ逢瀬の首尾あらば。それを二人が。最後日と。名残の文の言ひかわし。毎夜毎夜の死覚悟。玉しゐ(魂)抜けてとぼとぼうかうか身を焦す。』

これは「心中天網島・河庄」での治兵衛登場の場面の詞章です。「天満に年経る・千早降る神」というのはもちろん天神さんのことです。遊里においては客の名前・商売などを一字取って「○さま・・」などと呼んだりするもので、冶兵衛は紙屋ですから「紙さま」と呼ばれているのです。「心中天網島」には紙に関連する言葉・同音語が頻出します。紙(=神)のイメージが作品全体にあ ります。(これについては別稿「たがふみも見ぬ恋の道」をご参照ください。)

治兵衛・おさんの夫婦に非常に重く圧し掛かっているものは、紙屋の店の経営の維持・大坂商人としての 信用・プライドの維持ということです。つまり、社会的・あるいは経済的なプレッシャーということです。なぜなら、自分たちは大坂の商人階級に帰属しているということが、彼らのアイデンティティーですからです 。それを否定していまったら、彼らは「ない」ということなのです。治兵衛の浮気ということがなかったとしても、紙屋商売を維持することは大変な状況であったのだろうということを、まず想像したいと思います。その重圧から抜け出したいから治兵衛は小春の元に走 った、その重圧のなかでおさんは夫の浮気をひとり耐え忍んで・店を切り回さねばならなかったということなのです。そのようななかで、おさんの妄想が起こるのです。一瞬のことなのですが、小春が治兵衛・おさんの夫婦を繋ぐ共通の存在となります。それが「紙治内」で突如として起こったことです。しかし、それは一瞬のことで、長くは続きません。妄想が起こした選択からは 、結局、鬼は出ず、蛇も出なかったのです。「心中天網島」のドラマは網島大長寺での小春治兵衛の心中へと大きく動き出すということです。(この稿つづく)

(H23・5・29)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その10

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 というクドキの時点では、おさんは選択することをまだ怖れているのです。そのおさんが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いた瞬間、「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て、どうぞ殺してくださるな」という選択をしてしまうのです。おさんが黙ってさえいれば、冷えた関係ではあっても夫婦は続いたであろうに、どうしておさんは突然ここで女の義理を言い出すのでしょうか。巷間で「このおさんの心境変化がどうもよく分からん」と言われるところです。しかし、吉之助はこれはこのように考えれば良かろうと思っています。

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 というクドキの気持ちには、怒りとか・嫉妬とか・悔しさとか・恥であるとか・いろんな感情が渦巻いているのは確かです。それらは、おさんの私(わたくし)としての感情とか、女性としての一分(いちぶん)から発するのです。「ホントに自分はどうにかなってしまいそうだ」という寸前でおさんは踏みとどまっています。そこでおさんが選択してしまえば、その感情はひとつの方向に流れて、ホントにおさんはどうにかなってしまうでしょう。そうなればおさんは泣き喚くか・修羅場が繰り広げられるか、そんな場面になるでしょう。しかし、おさんはここでは選択しません。おさんは選択することをまだ怖れています。これが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞く以前のおさんの心理です。何がおさんに選択を躊躇させるのかと言えば、 治兵衛が家に戻ってまた夫婦で紙屋の店を続けるということは小春との約束なのですから、それを反故にしてしまうことはおさんに出来ないことだからです。 ここで選択してしまうと、ただ自分の欲得と浅い女の恨みで泣き叫ぶのと同じ次元に自分の行為が落ちてしまうからです。

ところが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いた瞬間に、おさんはハッと反応して「ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや」と言います。そして「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。」という選択をおさんは一気にしてしまうのです。これはどうしてかと言えば、これは明らかに自分の為ではなく・他人のための選択である、この選択には女同士の義理という大義があるということです。女同士の義理と言ったって、所詮はおさんと小春の間にあった誰も知らなかった個人的な義理なのですが、義理には違いありませんから、これは社会性・客観性を持つ選択です。義理を破ることは大坂商人にとっては、大坂においてもう商売を続けられない・社会から抹殺されるのと同じことでした。大坂商人の女房であり・夫に代わって商売を切り回すこともできる自立心のあるおさんが、そのような倫理感覚を持っていたとしても、ちっとも不思議なことではありません。

しかし、実はその選択にも、おさんの私(わたくし)としての感情・女性としての一分(いちぶん)とかいろんなものが心底に絡んでいます。「歌舞伎素人講釈」の重要な概念である「かぶき的心情」ということになりますが、おさんは私(わたくし)・あるいは一分(いちぶん)の実現ということを、「このままでは死んでしまうだろう小春を救い出す」という行為に託しているということです。なぜならば、小春は夫・治兵衛のことを愛しているのであるし(その点において夫を愛している自分と小春は重なってくるし)、それなのにおさんの頼みを聞き入れて・身を引いてくれた女性であるからです(つまりおさんは小春に対して義理があ り、おさんと小春は治兵衛を介して結ばれていることになる)。つまり、これはおさんの夫に対する感情の代償行為であるとも言えますが・大義の裏付けがあり、これでおさん は自己実現の満足が同じように得られると信じているということです。しかし、おさんは請出された小春が家に来る・そうなったら自分はどうなる?ということまでは考えが至っていません。あくまで目先の狭いスパンにおいてこれが私の選ぶ道だという反応をおさんは瞬間的に取っているのですが、その選択をするまでの過程に悶々とした時間が実に長くあったからこそ、衝動的な選択をおさんはしてしまうということなのです。

これで分かる通り、おさんは選択という行為をもちろん自分の意志において行なったのには違いないのですが、おさんの選択には、その場にはいない小春の存在が強い影響を与えてるのです。おさんの思考のなかに、自分(おさん)と小春というふたつの中心があって、そのふたつの中心で以って思考が巡っているのです。互いの星が引き合って軌道を描いている星(恒星)を連星と呼びます。このような連星が、もし惑星を持つとするならば、その惑星は傍からみれば予測もつかないフラフラした不思議な軌道を描くことになります。おさんの思考はそんな単純なものではありません。おさんの思考のなかにふたつの中心があることが、おさんの選択が他人から見てスンナリと理解が行く論理的展開を取らないことの理由です。これこそが谷崎潤一郎が「心中天網島」から受けたインスピレーションなのです。結局、「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 という混沌たる感情が生み出した選択からは鬼は出ず、蛇も出ず、「心中天網島」のドラマはおさんさえ予期しなかった・望んでもいなかった結末へ向かって動き出すことになります。それが網島大長寺での小春治兵衛の心中ということなのです。(この稿つづく)

(H23・5・9)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その

大事なことは、作品にふたつの中心(強烈なキャラクター)が存在することで、互いの引力が影響し合うことで作品空間が歪められ、周囲の登場人物が奇妙な行動を示し・筋が当の主人公さえ思いも寄らない展開を見せるということなのです。まずそのことを近松の「心中天網島」から見たいと思います。「心中天網島」は24編ある近松の世話物浄瑠璃のうちの最後の方に位置する22番目の世話物で、享保5年(1720)の初演です。ちなみに近松の最初の世話物は「曽根崎心中」で、 こちらは元禄16年(1703)初演です。つまり「曽根崎心中」から「心中天網島」までの間に約17年の歳月があるのです。同じ近松の心中物ですが、この歳月はふたつの作品に 大きな色合いの違いをもたらしています。「曽根崎心中」は筋自体がシンプルで最初からふたりは心中に一気に突っ走っていく感じがあり、心中に向かうお初徳兵衛のその 心情に熱さが感じられます。心中するという行為は明らかに彼らが自ら選び取った行為なのです。「この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい」とお初は叫びます。そのかぶき的心情の熱さが当時の観客を熱狂の渦に巻き込んだのです。一方、「心中天網島」の小春治兵衛は因果の律とかどうにもならぬ柵(しがらみ)のなかで心中に追いやられていくというような印象があると思います。ふたりは死にたくないけれど・死なないと格好がつかない・世間が認めないという感じで心中するようにも見えます。そして観客がそう思った通りにふたりは死ぬので、それで何となく落ち着いた古典的な印象になっているのです。本当はそういう風な読み方をすべきではないのですが(これについては別稿「たがふみも見ぬ恋の道」など本作に関連する記事をご参照ください)、しかし、そのような読み方がしばしばされるのは因果とか世間とか・抗し切れない圧倒的な外的要因があって、それがふたりに心中行為を強制しているように見えるからに違いありません。

そうなる大きな要因は享保5年当時の世相にありました。当時心中は社会問題化するほどのブームで、江戸にまで飛び火する勢いでした。江戸幕府はこれを危険視して、ついに 2年後の享保7年(1722)に禁止令を出して心中物の出版・芝居の上演を禁止してしまいました。さらに心中を「相対死(あいたいしに)」と読ませて、そのロマンチックな響きを消し去ろうとしました。「心中天網島」はその 寸前の危うい時期に書かれた作品なのです。大坂の商人社会は整備されて、世間は個人をますます束縛するようになってきます。そういうなかで個人は私(わたくし)や一分(いちぶん)を世間と折り合いを付けていくのかということが、大坂町人の切実な問題になっていました。この悩みに一気にケリをつけて、個人が社会に対抗してやろうじゃないかというのが心中でありました。だから近松としては、この問題をもっともっと突っ込んで描きたかったのです。しかし、江戸幕府の厳しい監視の目が光っているから、さすがの近松 も心中を煽るようなラジカルなことはなかなか書ける状況ではなかったのです。間違えば近松の身まで危うくなります。だから「心中天網島」では因果の律ということが表面上強調されてきます。ふたりは運命に押し流されるように・死ななければならない状況になって死ぬかのように、そのようにも読めるように書かれているわけです。近松の心中物は後年原作で上演されることはなく・ ほとんど改作で上演されることになりますが、改作ではこの要素がもっと意図的に強調されていきます。主人公に対して悪意を抱く友人が登場し、姦計に陥れて主人公を窮地に追い込む、そのため世間から逃げるように主人公は死ぬことになるのです。もはや心中は社会的メッセージを持つ行為ではなくなって、主人公は社会の掟を破った為に世間から放逐されて愛人と一緒にのたれ死ぬだけの行為とな っていくのです。そしてこれが世間の近松の心中物のイメージになってしまいました。このような近松の誤ったイメージは現代でも尾を引いています。

近松が「心中天網島」で描きたかった小春治兵衛の心中の本当の意味というのは、世間・社会の締め付けのなかにあっても、彼らが自分の意志で強く生きようとして・私(わたくし)や一分(いちぶん)という問題を強く主張しようとして、結果として心中という行為の自らの意志で選び取ったということにあるのです。しかし、その一方で近松はそのようなラジカルな要素を、「紙=髪=神」の連想とか・因果の律であるというような通奏低音で 意識的に隠蔽してしまいました。その結果として奇妙な現象が作品のなかで起こりました。それは、小春治兵衛とおさんを含む登場人物三人が自分の意志で強く生きようとして・私(わたくし)や一分(いちぶん)という問題を強く主張しようとして・彼らは心中ということを露ほども思い描いていなかったのだけれども、最後の最後に「心中」ということが瓢箪から駒みたいな感じで出てきて、結局、小春治兵衛は心中で死んでしまう・おさんはひとり残されるという結末になってしまうということです。彼らはそういう形を自らの意志で選んだことは 疑いありません。しかし、何だか急旋回のような形でそういう結論に落ちていく感じがあります。これはまずひとつには、「心中天網島」の劇空間が世間・社会の締め付けの下にあってもともと強い圧力を受けているということがあります。もうひとつは、おさんと小春の関係・つまりふたりの間にある強い絆(きずな)のことです。おさんと小春が互いに影響しあって「心中天網島」の劇空間は歪(ひず)んでいるからなのです。

このことが明確に出るのはおさんが「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て・どうぞ殺してくださるな」が叫ぶ場面です。小春を救いたいおさんの気持ちに嘘偽りがあるはずはありません。しかし、おさんはその次に起こること が全然頭の中にありません。「(小春を身請けしたとして)そなたはなんとなることぞ」と夫に言はれておはつはハッと我に返りますが、「アツアさうぢや、ハテなんとせう子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしませう」とおさんは言ってしまいます。小春を身請けしたら小春が家にやってくる・そうすると自分がいる場所が なくなるということはよく考えれば分かるはずですが、おさんは女同士の義理を果たすことしか考えていないのです。しかし、「小春を見受けしてくれ」と言い切った以上は、その結果としてこの事態をも受け入れなければならぬのは当然のことであって、「子供の乳母か・飯炊きか・隠居なりともしませう」という道をもおさんは自分の意志で選択したということになるわけです。自分の意志で強く生きること・私(わたくし)や一分(いちぶん)を主張するということ、彼らがそうしようとしていることは間違いないですが、その選択がこのような形で跳ね返ってきます。

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」

おさんのこの台詞は孤閨をかこつ女房の恨みの言葉という風にふつうは理解されていると思います。家庭が修羅場と化すか・あるいは「道成寺」の清姫が恋人を焼き殺した如くに嫉妬と肉欲の炎のなかで家庭崩壊となるか。もちろんそういうこともあるでしょうが、吉之助が考えるのはこういうことです。この場のおさんには夫に対する言い様がない感情が渦巻いていることはもちろんです。それは怒りとか・嫉妬とか・悔しさとか・恥であるとか・いろんな形を取り得るもので、そのすべての感情を含むものだと言えますが、いずれにせよまだ明確な形を取っているわけではないのです。 そのなかからひとつの形がなって現れたならば(それは「選択」したということになりますが)、一体どういうことが起きるのか、おさんには予想が付かないのです。 そのことは彼女自身も分からない。だから彼女は選択することを内心怖れているのです。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」というおさんの台詞は、そのような不安とも恐怖ともつかないなかで言われていると吉之助は考えます。 選択への衝動はもちろんおさんのなかにある私(わたくし)や一分(いちぶん)への強い意識から来るものですが、この時点ではおさんは選択することをまだ躊躇しています。しかし、「太兵衛に小春が請出される」という話を聞いた時に、おさんは「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ」という反応をしてしまうのです。この瞬間に、おさんは怖れていた「選択」をしてしまったのです。この瞬間にドラマは心中の方へ一気に傾くことになります。(この稿つづく)

(H23・5・1)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その8

「天満紙屋内」の場で太兵衛に小春が請出されるという噂を聞いて・炬燵のなかで治兵衛がすすり泣きます。これを女房おさんがなじると、これに対して冶兵衛は「女には未練がないが、太兵衛に商売仲間に悪口を言われて生き恥をかく、それが口惜しい無念だ」と言います。ここで冶兵衛が訴えてるのは「男の一分(いちぶん)」ということです。この冶兵衛の言葉を聞いて、おさんは意外な反応を示します。『はっとおさんが興さめ顔、ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや。』 もちろん冶兵衛には何のことか分かりません。『ハテサテなんぼ利発でも、さすが町の女房なの。あの不心中者、なんの死のう。』 冶兵衛はそう言って一笑に伏すのですが、そこでおさんは一生言うまいと思った秘密を夫に打ち明けます。このままでは冶兵衛が死ぬと見たおさんは小春に手紙を書いて、「女は相身互いごとだから・思い切れないところを思い切って・夫の命を助けてくれ』と訴えます。その手紙を読んだ小春が「身にも命でも代えられない大事の人だか・引くに引かれぬ義理から思い切る」と返事をよこしたのです。その小春が金づくで太兵衛に請け出されようとされているなら・きっと小春は死ぬに違いないとおさんは直感したのです。

ここでおさんが『悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て・どうぞ殺してくださるな』と突然言い始める心理が、「どうも理解できない」とよく言われるところです。妻の座にいるおさんが憎んでも飽き足らない遊女のことなど気に掛けることはないはずだというのが 、現代人の思うところです。しかし、これはこのように考えれば良いと思います。大坂商人である冶兵衛が「男の一分」を大事にしているように・おさんにも「女の一分」があるのです。「女同士の義理」とは何でありましょうか。「女は相身互いごとだから・思い切れないところを思い切ってくれ」と必死で頼んだ・自分の訴えを聞いてくれた人であるから・その人がまさに死のうとしている危機を自分は見過ごすことはできないということです。大事なことは、おさんと小春の間にある義理は大坂商人である冶兵衛という存在を介して社会的な意味を有するということです。冶兵衛という男性個人ではなく、大坂商人である冶兵衛です。

おさんが小春への手紙にどんなことを書いたのかは本文では分かりません。しかし、おさんは、妻の立場から夫と別れてくれ・夫を返してくれという願いを書いたのではないだろうと吉之助は考えます。「冶兵衛が仕事を放り出してしまってこのままでは紙屋の商売が続かないこと・それでは大坂商人である冶兵衛の面目が立たない」ということをおさんは書いたのだろうと推測します。だから小春は「身にも命でも代えられない大事の人だ が・引くに引かれぬ義理から思い切る」と返事をよこしたのです。それは何故かと言えば、小春が愛するのは冶兵衛という男性個人という以上に大坂商人である冶兵衛 だからです。つまり、小春とおさんというふたりの女性は「大坂商人である冶兵衛を愛する私たち」という連帯感で結ばれていることになります。それがおさんの言う女同士の義理ということです。

「そうは言っても小春を身請けする金がどこにあろうか」と思案する冶兵衛の前で、おさんは「ノウ仰山な、それで済まばいとやすし」と言ってその場に新銀四百目を投げ出して夫を驚かせます。さらに「箪笥をひらり」と開けて鳶八丈などの着物を取り出します。ここでのおさんは、夫の恥をすすぐのと・女同士の義理を果たすということで一種の興奮状態になっています。それが「箪笥をひらり」という描写に表れています。

一方、「網島大長寺・心中の場」では冶兵衛・小春はすぐ死ぬわけではなく、ここでも義理の問題が絡んできます。冶兵衛と小春が同じ場所で死顔並べて死んでは・おさんに対して「冶兵衛を死なせないために思い切る」と返事した手紙に対し嘘をつくことになる・だから別の場所で死んでくれと小春は言うのです。ここで小春が主張することも「どうも理解できない」とよく言われ る所です。これは小春が冶兵衛と一緒に死ぬのを拒否しているのではないのです。この場に及んでは大坂商人・紙屋冶兵衛の 「男」を見せるには心中してみせるしかないわけですから、小春はもちろん喜んで冶兵衛と心中するつもりです。しかし、それでもおさんとの約束が引っ掛かります。おさんに「思い切る」と返事したのを裏切ることになる ・だから一緒に死ぬけれども・別の場所で死にたいということです。ここで小春も・おさんと同様に女同士の義理を主張しているのです。誤解してはならないのは、この心中直前においての「義理立て」は世間に対してするものではないということです。冶兵衛と小春が一緒に死ぬのを世間が許さないということではありません。 世間に対して小春が怯えているわけでもない。小春は「世の人千人万人より。おさん様ひとりのさげしみ。』とはっきり言っています。(以上の考察については別稿「女同士の義理立たぬ」・「惨たらしい人生」をご参照ください。)

「心中天網島」に見られる小春とおさんの女同士の義理は女の友情と言えるかも知れませんが、それ以上にもっと強く、もっと心情的に熱い要素があるようです。そこに大坂商人である冶兵衛という存在が介在しますが、これは女の恋愛に近いものに感じられます。小春とおさんを擬似的なレズビアンと断定することは出来ませんが、まあ似たような感情がふたりに通っていることは明らかです。繰り返しますが、そこには大坂商人である冶兵衛という存在(アイデンティー)が介在しており、それゆえその感情は社会的な裏付けを持ちます。だから女同士の義理ということになるのです。「心中天網島」で近松門左衛門が訴えたいことはそこにあるのですが、逆に言えば社会的な裏付けを取り去ればレズビアンととてもよく似た感情であるということも言えます。

昭和2年3月1日に谷崎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象は、そのような形で谷崎のなかに取り入れられていくのです。もちろん、谷崎は「心中天網島」のなかのシチュエーションを自らの小説「卍」のなかにそっくりそのまま移し変えたわけではありません。凡庸な作家ならばともかく・そのようなことは大谷崎にあり得ないことです。谷崎が取り入れたのは、まずふたりの主人公・小春とおさんに間にある強い絆(きずな)ということです。そして、作品にふたつの中心が存在し・それが互いに引き合うことで、周囲の登場人物が奇妙な行動を示し・筋が思いも寄らない展開を見せるということです。これが谷崎が「心中天網島」から小説技法的にインスピレーションを受けた点であろうと吉之助は考えます。「卍」のふたりの女主人公・園子と光子をレズビアンという関係にしたのは、これはまあ二次的な要素でしょう。それは「心中天網島」から来たものであるとも・そうでないとも言えます。それは「卍」の核心的な要素ではないのです。しかし、谷崎が「心中天網島」から小説技法的な影響を受けたことは明白であると吉之助は考えます。そのキーワードこそ「鬼が棲むか蛇が棲むか」なのです。(この稿つづく)

(H23・3・27)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

「北新地河庄」の場ではすべての登場人物が小春を中心に動いていると斯波要は感じています。しかし、それは谷崎潤一郎の作中人物の話であって、これは谷崎潤一郎が同じように感じて 書いたということにはなりません。それは作者の設計であるかも知れないということを考えねばなりません。事実「蓼喰う虫」においては斯波要がどうして文楽に惹かれるのか・その理由が自分でよく飲み込めていないまま・老人に誘われて淡路人形を見に行ったりしながら、最後の場面でそのことを思い知ることになります。「蓼喰う虫」は谷崎潤一郎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象を文楽人形の機能面から考察したものだと言えます。それは人間とは内なる衝動に突き動かされるだけの生きている人形にすぎないのだという二十世紀初頭の人間理解と重なってい ます。 斯波要は最後にそのことに気が付きます。「蓼喰う虫」はそのような設計の下で書かれているのです。(別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」をご参照ください。)

「心中天網島」では、「河庄」でも・「時雨の炬燵」でも、おさんと小春のふたりがその場には常にどちらか片方がいませんが、片方がその場にいなくとも・決定的な強い場の捻じれをそのドラマに与えていているのです。「河庄」はすべての登場人物が小春を中心に動いているのではなく、実はその場に見えないおさんという・もうひとつの中心があって、ふたつの中心が引き合うことによって・周囲の人物は予想もできない不思議な軌跡を示すのです。その不思議な軌跡はふたつの中心(小春とおさん)がある意図を以って・そのように仕掛けたものではありません。ドラマは当のふたつの中心が思いも寄らない方向へ動いていきます。彼らは初めから心中したかったわけではないのです。しかし、あれよあれよという間に心中の方向にドラマが傾いていきます。そうなってしまうと心中へのドラマの流れを登場人物の誰もが止めようがないのです。パワー・バランスが何かの拍子に一気に崩れたとしか言いようがありません。そ のような崩壊は「心中天網島」に中心がふたつあるから起こるのです。それほどにおさんと小春の絆(きずな)が強く・互いを強く引き合っているということです。このことを谷崎潤一郎 ほどの目利きが看破しなかったはずがありません。

小説「卍」は主人公・若い人妻園子が技芸学校で出あった光子と同性愛関係に陥る・レズビアン小説とも言われています。谷崎は世に変態作家と言われているくらいです。吉之助はその見方を別に否定するつもりはありません。名作はどんな読み方もできる・お楽しみはそれぞれのことですから、そう思う方はそのようにお読みになれば良ろしいことです。しかし、表向きはそのような刺激的な体裁を取りながら、実は谷崎はとても冷静に登場人物たちが自分勝手に動き出すのを見詰めているように感じられます。それは人形を背後から操る人形遣いの目の如きです。これは筆任せに書いているようでも作者なりの制御は 当然しているもので、筋がどのように展開するかは予想がつかないけれども、筋というものは作中の園子と光子というふたつの中心が互いに引き合う力関係から生まれてくるのです。谷崎はふたりの主人公が生み出すパワー・バランス の微妙な変化を感じ取りながら書いているのです。

谷崎自身の回想でも「蓼喰う虫」は割合スンナリと筆が進んだようですが、同時期に並行して書かれた「卍」の方は難渋したようです。雑誌に連載された時もたびたび休載をしていますし、単行本へ移行する際にも筋の変更が大幅に加えられたようです。しかし、「卍」のその1には、作者註として「柿内未亡人はその異常なる経験の後にも・・・」という箇所があって、明らかに園子の夫はその時点で死んでおり・小説は柿内未亡人の異常なる経験を回想する 形で展開し・彼女の夫の死はその異常なる経験と深い係わりがあることが、そこに示唆されています。つまり、光子観音を中心として柿内夫婦が三人心中を行ない・園子だけがひとり生き残るという 「卍」の結末は、最初から動かせない結末と決めたうえで谷崎が創作を開始したことは明らかなのです。「卍」は三人心中の結末に向かって動いており、その途中の筋がどのように変わろうが作者には些細なこと だったのです。この時、谷崎が「心中天網島」を念頭に置いていたことは疑いのないことです。(この稿つづく)

(H23・3・7)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その6

「北新地河庄」の場では治兵衛や孫右衛門・太兵衛といった人物が入れ替わり立ち騒いで・ドラマが展開しますが、そのなかで小春はじっと思い沈んだままで す。小春の座っている場所だけが虚なのです。斯波要は文五郎の遣う小春の人形を見ながら、そのような小春に異様な美しさを感じています。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

小春の美しさが際立つのは、騒々しい大阪弁の渦のなかで・小春だけが異様な静寂を保っているからです。騒音の渦のまっただなかに小春はいます が、小春は騒音の埒外です。しかし、小春は何を思いつめてじっと動かないのでしょうか。観客には最初はその理由がよく分かりません。治兵衛の方は小春が心変わりをしたと誤解して 、小春の不実を責めて、罵ったりします。小春は苦しそうにしますが、申し開きをする気配を見せません。しかし、やがてそれは小春に届いた手紙の主に義理立てた行為であったことが明らかになってきます。つまり、舞台上で視覚的に小春はドラマの中心に位置するのですが、実は「河庄」の場では中心が もうひとつあることになります。ひとつはもちろん小春ですが、もうひとつは手紙の主・治兵衛女房おさんのことです。おさんは「河庄」に登場しませんが、実はそのドラマ空間のなかにしっかりとした位置を占めています。それが登場人物たちの 心理行動に非常に強い影響を与えているのです。つまり、治兵衛が小春と別れる・切れると大騒ぎしているのも、結局、おさんの仕掛けたものだということです。

物理学の法則に拠れば、中心がひとつである時・その周囲を旋回する物体は円弧を描きます。(正確に言うと離れようとする力と・近づこうとする力が等しい場合です。)一方、中心がふたつある場合にはその軌跡は楕円を描きます。つまり、旋回する物体はひとつの中心を離れたり・近づいたりを繰り返すように見えます。このような楕円のイメージで治兵衛の行動を見れば、「河庄」の場のドラマ構造がはっきりと見えてきます。治兵衛は小春に悪態をついて「思い切る」と宣言したかと思えば、未練がましく「ちょっと言う事がある」と近づいてみたりします。優柔不断で思い切りが悪いのが和事の演技であるように現代では思われていますが・実はそうではなく、別れるという気持ちも・一緒にいたいという気持ちも、その時その時の局面の治兵衛の真実としてある感情なのです。治兵衛の心情は引き裂かれているのです。このことは「河庄」に中心がふたつあることで理解することができます。治兵衛が小春から離れたり・近づいたりするのは、実は舞台で見えないところにあるもうひとつの中心からの引力のせいです。宇宙のなかには二重星という存在があります。二重星にもいろんなタイプがありますが、互いの星が引き合って軌道を描いている星(恒星)を連星と呼びます。このような連星に、もし惑星があるとするならば、その惑星は傍からみれば予測もつかない フラフラした不思議な軌道を描くことになります。治兵衛の言動行動はそうしたものです。

一方、次の場にある「天満紙屋内」の場(ただし「蓼喰う虫」で斯波要が見たのはその改作である「時雨の炬燵」ですが)においては、逆に小春はこの場に登場しませんが、小春の存在が登場人物たちの行動に強い影響を与えていることが分かります。おさんが「それなればいとしや小春は死にやるぞや」が言った途端に様相が 急に変化して、ドラマは小春との心中の方向へ転げ落ちるように展開していきます。この場においてもドラマの中心はもうひとつあったのです。つまり、舞台にいない小春 のことです。ドラマは舞台で見えないところにあるもうひとつからの強い引力によって起きます。(これについては別稿「女同士の義理立たぬ」をご参照ください。)網島大長寺における心中の場でも冶兵衛・小春は一緒にすぐ死ぬわけではなく、ここではおさんの存在がドラマに影響を与えます。冶兵衛と小春が同じ場所で死顔並べて死んでは・おさんに対して「冶兵衛を死なせないために思い切る」と返事した手紙に対し嘘をつくことになる・だから別の場所で死んでくれと小春は言うのです。(これについては別稿「惨たらしい人生」をご参照ください。)

つまり、近松の「心中天網島」ではおさんと小春のふたりがその三場には常にどちらか片方がいませんが、片方がその場にいなくとも・決定的な強い場の捻じれをそのドラマに与えていているのです。それほどにおさんと小春の絆(きずな)が強いということです。このことが「心中天網島」のドラマ構造の特徴なのです。だとすれば「心中天網島」というのはふたりの女たちが互いに引き合うドラマなのです。その周囲を旋回する男たちの行動は、ふたりの女たちの作り出す引力の影響によって、観客から見ればそれは混乱し・迷走した奇妙かつ滑稽な動きに見えるのです。

小説「蓼喰う虫」とは見方を変えれば谷崎潤一郎の書いた文楽人形論であるということを、別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」で論じ ました。「蓼喰う虫」での要の観察は文楽人形の機能についてのものです。人間というものは時代と社会という大きな流れのなかで外側から動かされ、一方で情念や衝動といった内面からも動かされる人形のようなものではないかというのが、二十世紀初頭の芸術思潮のなかで創作活動を続ける谷崎潤一郎が書いた「蓼喰う虫」 の主題です。したがって、小説「蓼喰う虫」は昭和2年3月1日に谷崎潤一郎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象を文楽人形の機能面において生か したものだということです。一方、「心中天網島」のドラマ面においての谷崎の考察は小説「卍」の方に生かされることになります。(この稿つづく)

(H23・2・13)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女 の美しさが異様に高められていた。なるほど義太夫の騒々しさも使い方に依って下品ではない。騒々しいのが却って悲劇を高揚させる効果を挙げている。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

道頓堀の弁天座で「心中天網島・北新地河庄の段」の舞台を見ながら、主人公斯波要はこんなことを考えています。この箇所には考える必要のあるポイントがいくつかあります。まずそのひとつは、大阪弁の持つ騒がしさと・それに対する主人公の嫌悪感のことです。上記引用箇所のすぐ後になりますが、要はこんなことを考えています。

『要が義太夫を好まないのは、何を措いてもその語り口の下品なのが厭なのであった。義太夫を通じて現れる大阪人の、へんにずうずうしい、臆面のない、目的のためには思う存分な事をする流儀が、妻と同じく東京の生まれである彼には鼻持ちがならない気がしていた。(中略)兎に角義太夫の語り口には、この東京人の最も厭う無躾なところが露骨に発揮されている。いかに感情の激越を表現するのでも、ああまでぶざまに顔を歪めたり、唇を曲げたり、仰け反ったり、もがいたりしないでもいい。ああ迄にしないと表わすことのできないような感情なら、東京人はむしろそんなものは表わさないで洒落にしてしまう。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

ここに東京生まれの谷崎の大阪弁に対する感じ方がそのまま現れています。随筆「私の見た大阪及び大阪人」(昭和7年・1937)を読んでも、まったく同様のことがそこに出ています。大阪弁の持つ騒がしさと下品さ、その会話に現れる大仰で無遠慮な感覚、そのようなものに谷崎は何となく嫌悪感を抱いているのです。これは多くの東京人が大阪弁に対して持つ印象なのだろうと思います。吉之助は関西生まれなので・関西弁のニュアンスは聞き分けられますが、東京での生活の方がずっと長いので・もは や自分が関西人であるとは申せません。だから谷崎が言いたいことも十分理解できます。まあ東京人がそう感じるのも無理はないとは思います。

後に谷崎は「細雪」を書いて登場人物に関西弁をしゃべらせています。だから長い関西での生活のなかで谷崎はいつしか関西弁のニュアンスの美しさ・あるいは日本の伝統美に目覚めたのである・・などとよく言われます。しかし、吉之助に言わせればそれは作品を表面的に見ればそう見えるだけのことです。人間というものは誰でも段々慣れてきますから・いつもそうだったとは言えないと思いますが、最初に感じた関西弁に対する嫌悪感は谷崎のなかに生涯残ったに違いありません。そして何かの拍子に「・・これだから俺は関西が厭なんだ」とその感覚が蘇るということが時折りあったかもしれません。

谷崎潤一郎は明治19年東京・日本橋の生まれです。谷崎が関西へ定住するきっかけは大正12年の関東大震災でした。谷崎は一時逃れのつもりで関西に避難したのですが、そのまま関西に居つくことになりま した。昭和3年から昭和5年にかけて執筆された小説「卍」では主人公園子が事件の顛末を大阪弁で語るという形で綴られています。正確にはいきなり谷崎が原稿を関西弁で書いたのではなく て、谷崎が粗稿を書いて・次に知り合いの関西女性に文章を関西弁に直してもらって・これを谷崎が推敲して最終原稿に仕上げるという制作過程を経たようです。この時期の谷崎が関西弁に対する嫌悪感覚から離れていたということは有り得ないことです。それは同時期の「蓼喰う虫」を読んでも明らかです。だから谷崎が「卍」の全編を関西弁に彩ったのは完全に意識的にやった ことです。

谷崎は自分の根本に持っている大阪弁に対する嫌悪感覚を逆利用しようとしたのです。関西人の持つ騒がしさと下品さ・その大仰さ・無遠慮さ、そのような材料を全部まるごと作品のなかにぶち込もうとしたわけです。すなわち、ぶざまに顔を歪めたり、唇を曲げたり、仰け反ったり、もがいたりしないと表わすことのできないような人間の実相を、洒落にしていまうことなく・ありのままに表現するということです。そのために東京人の作家谷崎が関西弁が必要であると感じたということです。「卍」の内容は東京弁で書くならば、主人公の赤裸々な告白が洒落に落ちてしまって真面目に受け取られないか、逆に過度にシリアスに受け取られればとんでもなく不道徳だと社会から糾弾されかねない内容です。関西弁で書くならばそこをちょうど良い塩梅に収めることができるということです。それが小説「卍」での谷崎の実験でした。

関西での生活が続き・「卍」での実験なども効を奏して、谷崎は関西弁のニュアンスを次第に聞き分けられるようになっていきます。そうやって出来た作品が「細雪」(昭和19年〜昭和23年)なのです。「細雪」での関西弁はしっとりと落ち着いて美しいと巷間評されますが、実はそこにも関西に対する嫌悪感覚が底流にあるのです。それは ひとつには「細雪」のなかで綴られるエピソードのある種の軽妙さ・ユーモア感覚として現れますが、その底にあるものは実は関西人の持つ騒がしさと下品さ・その大仰さ・無遠慮さということなのです。関西人の生態を冷静に観察している東京人・谷崎がそこにいます。まあ「細雪」については機会を改めて触れることにします。「心中天網島・北新地河庄の段」に話を戻しますが、ここに出てくる登場人物たちはみなワイワイと騒がしい。言うことは下品で、その動作の大仰なこと・無遠慮なこと。ところがそのような周囲の騒がしさが、真ん中でじっとうつむいたまま動かない小春の美しさを異様に高めているのです。周囲の騒がしさは、実は小春の静寂さを高めるためにあったのです。そして小春をじっと見詰めていると、その騒がしさは消えていくのです。そして静寂さだけが要の印象のなかに残っていきます。義太夫の・大阪弁の騒がしさ・下品さが要のなかで気にならなくなっているということです。

ここで大事なことは、「大阪弁の騒がしさ・下品さが要のなかで気にならなくなっている」ということは、要にとって大阪弁が騒がしく下品なものでなくなったということを意味しないということです。要にとって大阪弁は間違いなく騒がし く下品なものです。これは動かしようがない感覚です。しかし、ここではそれが気にならないということは、「北新地河庄」のなかで大阪弁の騒がしさ・下品さが、ドラマを描き出す・すなわち小春の寂しさを描き出すための材料として必要不可欠なものとなっているということです。だから要としてはこの場面の大阪弁の騒がしさ・下品さを受け入れざるを得ないということです。

「北新地河庄」のなかで小春の座っている場所だけが虚なのです。小春は確かにこの芝居の中心なのですが、そこに質量はなく・中空のように感じられます。小春の周囲で・登場人物たちがまるで雲のように、いろんなものが騒がしい音やら熱やら発しながら・目まぐるしく回転をしています。そのなかで小春はひたすら静寂を保ってい ます。小春の美しさだけが要のなかの印象として残ります。この時点の要はそのような文楽の芸の不思議さにちょっと興味を覚え始めた段階に過ぎません。どうして自分がそのようなもの、それまで嫌悪感を抱いていたものに 何故気が引かれるのか、要は自分でもその理由が分からないでいます。(この稿つづく)

(H23・1・30)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その4

谷崎潤一郎の小説「卍(まんじ)」は昭和3年3月から昭和5年4月にかけて雑誌「改造」に断続的に掲載されたものです。同じ時期の谷崎の重要な小説として「蓼喰う虫」がありますが、こちらは大坂毎日新聞に昭和3年12月から昭和4年6月にかけて連載されました。従って、「卍」は「蓼喰う虫」より先に構想着手されて、やや遅れて完成した 小説だということです。「卍」の執筆時期に重なるものとしては、「蓼喰う虫」の前後にそれぞれ「黒百」と「乱菊物語」が位置しますが、とりあえず本稿では「卍」と「蓼喰う虫」との関連を考えます。

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」が同時期に書かれ・互いに対をなす存在であるように、時期を同じくして書かれた作品というのは何らかの形で関連・あるいは補完関係を成すことが あるものです。もちろんいつでもそうだと言うわけではないですが、それが作品解釈のヒントになる場合が結構あります。吉之助も現在谷崎潤一郎折口信夫の作品論を並行して書いていますが、実は吉之助のなかではふたつのテーマが相互関連し補完し合っています。お読みになる方は多分お感じにならないと思いますが、吉之助自身はこのことを明確に意識して書いています。まあそのうちに関連がはっきり見えてくるかなと思います。

「卍」と「蓼喰う虫」の同時代的な関連を指摘した評論はいくつかありますが、そのなかでは千葉俊二氏の評論が示唆があるものでした。その評論は谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』作品論集 (近代文学作品論集成 (13))(クレス出版)に収められている「女房のふところ」(初出は昭和51年)です。ここで千葉氏は、『「蓼喰う虫」で「心中天網島」について書く作者の念頭に、それと並行して書いていた「卍」の存在がまったくなかったとはとても考えられない』として、「蓼喰う虫」で主人公斯波要が「心中天網島」を描写する場面で、ここにある小春を光子(「卍」の副主人公)に置き換えてみれば、それはそのまま「卍」の説明文になると書いています。引用されているのは「蓼喰う虫」の次の文章です。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女 の美しさが異様に高められていた。なるほど義太夫の騒々しさも使い方に依って下品ではない。騒々しいのが却って悲劇を高揚させる効果を挙げている。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

もうひとつ千葉氏が指摘していることで興味深い事実は、「卍」構想が始まる少し前と思われる昭和2年3月1日に大阪・道頓堀の弁天座で「心中天網島」・「本朝廿四孝」など の演目を、谷崎が芥川龍之介・佐藤春夫・里見ク・久米正雄らと一緒に見たということです。この面々が集まったのは前日の大阪で改造社主催の文学講演会があったからだそうです。芥川龍之介はこの時のことを次のように書いています。

『僕は谷崎潤一郎、佐藤春夫の両氏と一しよに久しぶりに人形芝居を見物した。人形は役者よりも美しい。に動かずにゐる時は綺麗である。が、人形を使つてゐる黒ん坊と云ふものは薄気味悪い。現にゴヤは人物の後に度たびああ云ふものをつけ加へた。僕等も或はああ云ふものに、――無気味な運命にられてゐるのであらう。……』(芥川龍之介:「文芸的なあまりに文芸的な」〜近松門左衛門・昭和2年)

ちなみに芥川龍之介の自殺は昭和2年7月24日のことで、上記の文章にも当時の芥川の神経衰弱的な状況が伺えます。しかし、別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」でも触れましたが、20世紀初頭の 芸術思潮というのは人間という存在を自分の意識しないところの何かによって縛られ・動かされる人形に過ぎないと見たのです。谷崎潤一郎がそうであったし、芥川龍之介もまたそうであ ったわけです。 文楽の人形がふたりの作家に同じような印象を与えていたことが分かります。

昭和2年3月1日に弁天座での「心中天網島」観劇での印象が、「蓼喰う虫」のなかの・老人に誘われて要・美佐子の夫婦が弁天座で「心中天網島」を見る場面に 直接的に取り入れられたことは明らかです。それでは同時期の「卍」に「心中天網島」がどのように関連しているでしょうか。後段ではそのことを考えていきたいと思います。(この稿つづく)

(H23・1・11)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その

前項で「小市民」という言葉を使いました。今はほとんど使わない言葉で定義はちょっと曖昧なところがありますが、ここでは中産階級ということに規定しておきます。小市民感覚というのは、金持ちというわけではないけれど、一応生活に不足はないだけの収入はあって、真面目に道徳・法律を守って慎ましく生きている一般市民のノーマルな生活感覚ということです。

「痴人の愛」(大正13年)は、主人公河合譲治がナオミというカフェの女給を自分好みの人形に仕立てようとしますが、逆に人形遣いが人形に操られてしまうが如くに、ナオミの体の奴隷として生きていく羽目に陥るという倒錯的なストーリーです。世間 からは変態小説とも呼ばれており、どうしても興味は主人公のマゾヒズムの方に行 き勝ちです。まあそういう読み方ももちろんあるのですが、ちょっと視点を変えて見れば、主人公河合譲治は小市民としての本来あるべき姿を裏切っており、主人公はそのために罰を受けるという見方もできるわけです。 主人公が罰せられる結末に落ち着くことで、この小説は世間に受け入れられるものになっているのです。大事なことは、主人公は「ノーマルな」小市民としての生活にどこか適応できないものを感じており、その閉塞感から逃避する為に自分好みの人形を仕立てるという隠微な楽しみに自己開放を見出そうとするのですが、その一方で本人はそれが小市民としてのルールからはみ出た不道徳で糾弾されるべき 行為であることを本人は重々承知しているということです。だから、こんな不適応で・小市民失格の自分はいずれ何か罰を受けなければならない身であると 何となく感じているのです。隠微な個人的なお楽しみには罪の意識がつきまとっています。罪の意識があるから、なおさらお楽しみの味わいが増すということもあります。自分は罰せられるために隠微なお楽しみに走るのか、隠微なお楽しみをするからこんな罰を受けねばならぬのか、 いつしかその辺のところが自分でも分からない倒錯状態になっていきます。(ところで小説に社会不適合の主人公の悩みなり苦しみが書かれてないじゃないかと言う方がいそうなので言っておきますが、それは時代の空気としてあるもので すから、同時代の読者にそんな自明のことをわざわざ書く必要などないから書いてないだけですね。)

ですからナオミに奴隷として扱われるのが主人公の喜びであるというのは本当はちょっと違っていて、ナオミに奴隷として扱われるのは主人公にとっても苦痛には違いないのです。苦痛ではあるけれども、その苦痛はいずれ自分が受けねばならないと内心望んでいた罰であることも本人は承知しているのです。主人公はノーマルな小市民としての生活にどこか居心地の悪いものを感じており、自分は社会で慎ましく真面目に生きていくべきだと信じているにも係わらず、それがどうも巧くいかない・心地が良くない 。だからそのことで自分は小市民として失格の人間だと思って自分を責めているのです。河合譲治の場合、その鬱屈はたまたまナオミというカフェの女給を自分好みの人形に仕立てようという不道徳になって現れます。それは人によっては酒や博打・あるいは粗暴な振る舞いになって現れることもあるし 、それは状況によっても異なります。いずれにせよ、それは世間に罰せられねばならないことだということを河合譲治は承知しているのです。

ところで「ここは自分の居場所ではない・これは自分の生きるべき時代ではない」という思いは、元禄のかぶき者の「生き過ぎたりや」と同じような感覚なのです。「歌舞伎素人講釈」 ではこれが歌舞伎という演劇の根本にある思いであるということをずっと考えてきました。かぶき者というのは、江戸初期のならず者・粗暴な振る舞いをする者たちのことを言いました。かぶき者の生態は直接的には助六など江戸荒事のなかに取り入れられています。しかし、同時代であっても興味深いことに、上方においてはそれは和事という現れ方をします。表面的な感触は異なりますが、江戸荒事と上方和事は実は同じ時代の空気から生まれたものであり、その根源は一緒です。(この点については「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」でリズム面からの検証をしていますから、そちらをご覧ください。)

近松の心中物の主人公たちが助六のような粗暴な振る舞いをしない(できない)のは、ひとつには江戸と上方という地域的な感性の違いもありますが、それよりも当時の大坂の商人社会が江戸よりも社会組織としてはるかにしっかり固まっている為に、その分だけ個人は社会に強く組み込まれていて容易に身動きがし難いということがあるのです。「心中天網島」の治兵衛も、大坂の商人社会になじまず、自分は大坂商人として失格だと思っています。それが治兵衛が小春にのめりこんでいくことの発端となります。そして、いつか自分は世間に罰せられねばならぬことを治兵衛は分かっているのです。やがてそれは小春との心中ということになります。

翻って谷崎潤一郎の「痴人の愛」・「蓼喰う虫」のことを考えますと、主人公(河合譲治・斯波要)がそれが不道徳な行為であることを自覚しつつ隠微なお楽しみに走るのは彼らが小市民生活に居心地の悪さを感じているということは先に考察した通りですが、大正・昭和初期においては国家社会の個人への締め付けというものは元禄の昔よりもはるかに複合的・かつ圧倒的に強くなっているのです。国家社会が求める ・あるべき市民像というものが厳然としてあるのです。そのような状況では、個人は蔭に隠れてシコシコと隠微なお楽しみに耽ることくらいしか出来ない。せいぜいその くらいが 小市民が出来る不道徳の関の山ということになります。ですから吉之助は谷崎文学の変態マゾヒズムというのは、自分が苛められたいという作者の積極的な喜びであるという風に読めないのです。もう少し屈折した感覚に読みたいと思うのですね。(この稿つづく)

(H22・12・6)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その2

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

ここで指摘しておきたいことは、主人公の亭主に何となく罪悪感がつきまとっているということです。女房に隠れて浮気しているという罪悪感だけを言っているのではありません。この亭主は何となく自分の存在自体が罪だと感じているようなところがあります。「生まれてきてスミマセン・私は世の中の役に立たない人間です・こ こにいて申し訳ありません」という感じがつきまといます。これは太宰治の主人公によくあるパターンなのはご存知の通りです。太宰の罪悪感がどこから来ているかは本稿の論じるところではありませんけれど、「心中天網島」の治兵衛を見ていると確かに同じ様な罪悪感が感じられるようです。太宰はそこのところを実に正確に突いているのです。だからこの短編のタイトルが「おさん」なのです。

もちろん時代が全然違う治兵衛の事情は太宰とまったく異なります。近松の心中物にはそれ特有の事情があるのです。元禄の大坂商人の世界というのは、暗黙のうちに大坂商人にふさわしい振舞い方・作法・規律みたいなものがあって、その範囲のなかでやっている時は自由なのですが、いったんそれからはずれたことをすると厳しい制裁が待っているという世界です。元禄の商人世界はちょっと仁侠の世界みたいなところがありました。治兵衛も(徳兵衛も忠兵衛もですが)、そのような大坂商人の世界に何となく付いて行けないと感じているのです。治兵衛は大坂商人であり・その世界で生きているのですから、そこに本来彼のアイデンティティーはそこにあるはず(あるべき)です。しかし、彼は自分はそれを裏切っていると感じているのです。ということは治兵衛の本当のアイデンティティーは別のところにあるのかも知れませんが、治兵衛はそう は考えないのです。大坂商人のコミュ二ティーから離脱するなどということは治兵衛に到底考えがつかないことです。治兵衛は自分が大坂商人のあるべき姿(イメージ)を裏切っていると感じています。治兵衛は自分が本来あるはず(あるべき)のところにこだわっています。それが治兵衛の罪悪感を駆り立てています。

本稿は『谷崎潤一郎:「卍」論』であるはずですが、冒頭が近松門左衛門であり・太宰治になっているのが変に思うかも知れませんが、実は谷崎作品の主人公においても自分が本来あるはず(あるべき)のアイデンティティーを裏切っているという罪悪感があるということをまず確認してから「卍」論を進めたいわけです。(注:もちろん谷崎作品の主人公の罪悪感の源は、近松とも太宰とも異なるものです。しかし、罪悪感ということなら同じです。そのことは本論の以後で論じていきます。)

例えば小説「蓼喰ふ虫」(昭和3年・1928)の主人公斯波要はバートン版の「アラビアン・ナイト」の英訳初版本を入手し・その注釈を読みながら、「アラビアン・ナイト」を最初に紹介したレーンが世間から擯斥(ひんせき)された」という記述を見つけて「とうとう見付けたな」と思います。このことは別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」に詳しく触れましたからそれをお読みいただきたいですが、要は妻美佐子に対して、試験的かつ段階的に彼女を恋人阿曾に譲渡する為の五つの条件を切り出し、2年間付き合ってみて阿曾と巧く行きそうになければ戻っても良いとか・何だか彼女の意志と判断を尊重しているのように見せながら、世間に知られれば間違いなく不道徳・不謹慎だと糾弾されるようなことをしています。世間の常識感覚・ここで吉之助は「小市民感覚」と言う言葉を使いたいところですが、それに反したことを自分がしていることを要は自覚しているのです。つまり、要は小市民の本来あるはず(あるべき)姿を裏切っているのです。そして、そのことで自分は擯斥されねばならない・罰を受けなければならないと感じているのです。そうした感覚が谷崎の「蓼喰う虫」の通奏低音として流れているのです。それが分かれば「蓼喰う虫」のなかの揺れる感覚の源泉も分かってきます。(この稿つづく)

(H22・11・15)


○鬼が棲むか蛇が棲むか・その1

『あんまりぢや治兵衛殿。それほど名残惜しくば誓紙書かぬがよいわいの。一昨年の十月中の亥の子に炬燵明けた祝儀とて、まあこれここで枕並べてこの方、女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか。二年といふもの巣守にしてやうやう母様叔父様のおかげで、睦じい女夫らしい寝物語もせうものと楽しむ間もなくほんに酷いつれないさほど心残らば泣かしやんせ。その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやらうぞ。エエ曲もない恨めしや』

近松門左衛門の「心中天網島」(享保5年・1720・竹本座初演)の中之巻・天満紙屋内の場での・有名な女房おさんのクドキの詞章です。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」が特に有名で、 この箇所はいろんな場面で引き合いに出されます。上之巻(河庄の場)で遊女小春と別れることを誓った紙屋治兵衛は、それ以来・小春とは会っていませんが、恋敵である太兵衛に小春が身請けされるとの噂を聞かされて 炬燵に寝転がったまま涙を流します。その夫の姿を見ておさんが夫をなじって言うのが、このクドキです。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」の詞章には、夫が他の女性に走って・愛してもらえないという女房の、怒りと嘆きと嫉妬など諸々の感情が渦巻いているのが生々しく表現されています。

この場面のおさんの心情はもちろん真実そのものです。しかし、「心中天網島」中之巻のドラマは女房おさんの怒りと嫉妬で身を焼いて・それが小春治兵衛の心中の引き金になるという風にはなっておらぬのです。女房に「恨めしや」と言われた治兵衛は、こう言います。小春のことは何ともないが、ライバルの太兵衛に小春が請出され、治兵衛が身上の終わりだの・金に窮したなどと大坂中に触れ回られて・生き恥をかくのが、胸が裂ける・身が燃えるほど悔しいと言うのです。これを聞いておさんはハッとして、「それなれば、いとしや小春は死にやるぞ」と言うのです。ここからドラマは急旋回して 行きます。おさんは夫に隠していた小春への手紙のことを打ち明けて、「ああ悲しや、この人(小春)を殺しては、女同士の義理立たぬ、まづこなさん早う行て、どうぞ殺してくださるな」と泣き出します。

実はおさんは小春に手紙を書いて・治兵衛と別れてくれと頼んでいたのです。それで「河庄」の場で治兵衛は小春と別れることになったのです。この事実をおさんがひた隠しにしていれば、その後・小春は独りで死んだかも知れませんが、冷えた関係であってもおさんと治兵衛の夫婦はずっと続いたかも知れぬということが想像されます。黙っていれば妻の座は守られるはずです。しかし、おさんはここで女同士の義理ということを突然言い出します。これが小春治兵衛が心中に至る引き金となるのです。( 急に夫の愛人への義理を言い出すおさんの変化が分からぬとよく言われるところですが、これについては別稿「女同士の義理立たぬ」で論じていますので・そちらをご覧ください。)つまり、「心中天網島」中之巻を見ると、有名なクドキでの女房おさんの心情というのはドラマの中核にあるものではなく、まあ何と言いますかね、そこに至る序(段取り)の部分ということです。それはクドキの心情がドラマとして取るに足らぬということではありません。むしろその心情が真実なるがゆえに、そこから導きだされたことが、本人が意図も予期もしない事態を引き起こしてしまうということなのです。

もうちょっと角度を変えて「心中天網島」中之巻を検証していきます。 太宰治の短編「おさん」(昭和22年・1947)を見ると、まさに中之巻の女房おさんのクドキの詞章が引かれています。

『あの昔の紙治のおさんではないけれども、「女房のふところには/鬼が棲むか/あああ/蛇が棲むか」とかいうような悲歌には、革命思想も破壊思想も、なんの縁もゆかりもないような顔で素通りして、そうして女房ひとりは取り残され、いつまでも同じ場所で同じ場所で同じ姿でわびしい溜息ばかりついていて、いったい、これはどうなる事なのでしょうか。運を天にゆだね、ただ夫の恋の風の向きの変るのを祈って、忍従していなければならぬ事なのでしょうか。』 (太宰治:「おさん」)

太宰治の短編「おさん」の上記の文章は近松の「心中天網島」関連の論文でもおさんの気持ちを表す表現としてよく引用されます。まあそれは解からぬことはないですが、太宰治の作意としてはそれより後の次の文章の方がより主人公の心情を表していると思いますねえ。治兵衛に小春を助けてやってくれと頼んで・「しかし金はどこに・・・」と夫に言われれば箪笥から蓄えたお金をサッと出してみせる女房おさんの気風(きっぷ)をよく表しています。自立した女房が自分のことは何にも言わず・ただニッコリと笑って「男を立てて来い」と言って夫を送り出すのです。つまり太宰治はとても太宰的な読み方で 、近松の「心中天網島」の核心を正確に言い当てているのです。

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

紙屋治兵衛という男は、女房おさんにこのようなことを言われそうな、みっともない男なのです。浮気するなら、明るく楽しくパアッと後腐れなく楽しんでくださいよ。それを女房に申し訳ないとか・俺は悪いことしてるんだとかウジウジ罪悪感を感じながら浮気して も楽しまず、女房の前では御免なさいみたいな顔をして何だか卑屈な態度を取ってみせて・ちっとも晴れ晴れとしない。そんなに済まないと思うなら浮気をしなきゃいいのに、そのくせまたこそこそと浮気する。俺はしたくて浮気してるんじゃないんだ などと自分に言い訳してみたりする。バッカじゃなかろか。男なら明るく、正々堂々と浮気しなさいよ。これはまったく女房の言う通り、治兵衛は明るく浮気すればあんなこと(心中する破目)にならなかったのです。

ところが、あいにく治兵衛はそんなことが出来るような男ではなかったのです。明るく浮気できるような男ではなかったのです。常に女房に対する後ろめたさがつきまといます。 おさんが出来る女房だから、なおさら浮気して申し訳ないと感じるのです。身勝手のように見えるかも知れないが、そこに治兵衛という男の弱さと・優しさと、 まあ言うのも何だが、真っ正直さがあったということです。近松の世話物に出てくる男たちと・太宰の「おさん」に出てくる亭主 ・あるいは「人間失格」(1948年)に出てくる葉蔵などはその心情 ・感性が実によく似ているというわけです。思えば近松の世話物に出てくる男たち・徳兵衛も忠兵衛もは生粋の大坂生まれではなく・地方出身者です。つまりアイデンティティーがそこ(大坂)にない・精神的な根無し草なのです。「心中天網島」の治兵衛は大坂生まれ のようですが(作品でははっきりしませんが多分そうでしょう)、根本に大坂の商人気質になじめないものがあったのでしょう。そこが終戦直後の太宰治の精神状況のどこかに似るのかも知れません。そういうわけで近松世話物研究のために太宰治を読むことはとてもヒントがあること なのです 。(この稿つづく)

(H22・11・3)


生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論


○生きている人形・その1

吉之助が「蓼喰ふ虫」関連の評論を読んで不満を感じるもうひとつの点は、「蓼喰ふ虫」最後の時点で、斯波要・美佐子の夫婦は離婚すると決め込んでいるものが多いということです。確かに要・美佐子は分かれると決めて周囲に宣言していますが、まだ離婚はしていません。現に老人が娘に言って聞かせますと言って、美佐子を連れて外に行ってしまいます。小説は老人と美佐子がまだ帰ってこないうちに終わり、結論は出ないままです。つまり、要・美佐子は本当に分かれることになるかは小説では分からないのです。それなのに「蓼喰ふ虫」は斯波要・美佐子の夫婦は最後に離婚すると決め込んで書かれている評論が実に多い。何故そうなるかと言うと、小説「蓼喰ふ虫」執筆前後の谷崎潤一郎の状況、当時の妻千代と佐藤春夫の妻譲渡事件の顛末を、この小説に投影して読むからです。本稿ではそのような私小説的な読み方はしないようにしたいと思います。

小説「蓼喰ふ虫」は、老人と美佐子がまだ外から帰って来ず・親娘の話しの結論がもたらされないままに、不安のままで・宙ぶらりんで終わるのです。どうせ老人は娘を説得できないから離婚の結論は変らないと要が自信を持って いるとは思えません。ポツンとひとり残された要が考えていることは、「自分はこれからどうなるのか」ということです。それを決めるのは美佐子であって、要ではありません。美佐子が父親に説得されたのなら・夫婦はそのままということですが、それが今までと同じ生活に戻るということになるのかは分かりません。父親の説得が失敗ならば・夫婦は離婚するということですが、当然いろいろな騒動に巻き込まれることになります。いずれにせよ、何が起こるかは老人と美佐子の話し合いの結果に拠って決まります。そのような不安定な ・揺れる気分のなかに要はいるのです。

実は吉之助は「蓼喰ふ虫」の末尾を読んでいて、ある小説の末尾を思い出すのです。別に谷崎がその最終場面を真似たと言うのではありません。しかし、とても似た気分がそこに漂っているようです。ふたつの小説の結末部分を・最後の一行だけを除いて比べてみます。新潮文庫版「蓼喰ふ虫」では実に都合の良いことに・最後の一行を残したところで・頁が変わります。

『旦那、旦那、旦那、提灯が、あれへ、あ、あの、湯どのの橋から、……あ、あ、ああ、旦那、向うから、が来ます、とおなじ男が参ります。や、並んで、お艶様が。」 境も歯の根をくいしめて、「しっかりしろ、可恐しくはない、可恐しくはない。……まれるわけはない。」 電燈のが巴になって、黒くふわりと浮くと、炬燵の上に提灯がぼうと掛かった。 ・・・「似合いますか。」』(泉鏡花:「眉かくしの霊」 末尾)

眉かくしの霊 (岩波文庫)

鏡花の「眉かくしの霊」(大正13年・1924)の最終場面では、お艶という姦通事件で死んだ美しい女性のことをふたりの男が語りあっているところにお艶の姿が現れ、部屋の電燈がふうっと消えて、「似合いますか」というお艶の声がそこに響きます。 冷水をさっと首筋に浴びせ掛けられたような、いかにも鏡花らしい幻想的・かつ怪奇的な雰囲気が急にやってきます。

『行燈が仲にあるせいか外はもやもやと翳っていて、図柄も楽観もよく分からない。(中略)ふと、要は床脇の方の暗い隅にほのじろく浮かんでいるお久の顔を見たように覚えた。が、はっとしたのは一瞬間で、それは老人の淡路土産の、小紋の黒餅の小袖を着た女形の人形が飾ってあったのである。涼しい風が吹き込みのと一緒にその時夕立がやって来た。早くも草葉の上をたたく大粒の雨の音が聞こえる。要は首をあげて奥深い庭の木の間を視つめた。いつしか逃げ込んできた青蛙が一匹、頻りにゆらぐ蚊帳の中途に飛びついたまま光った腹を行燈の灯に照らされている。 ・・・「いよいよ降って来ましたなあ」』(「蓼喰ふ虫」第14章 ・末尾)

鏡花と谷崎との関連性については先に触れました。この場面はたそがれの世界・陰翳の世界として読まねばなりません。「蓼喰ふ虫」最終場面では夕立前のもやもやと翳った雰囲気が描写されています。要は 薄暗い床の間に置いてある淡路人形を見て、そこにお久の顔を見たような錯覚を覚えてはっとしますが、それは一瞬で終わります。そして、夕立が始まって要の意識が 次第にたそがれ状態になって来たところで、「・・・いよいよ降って来ましたなあ」という女性の声が響くのです。その瞬間、女形人形が口を聞いたように感じられて、要は一瞬、ぞっとしたに違いありません。そのように谷崎は最終場面を書い たのです。

この結末は、この小説に「蓼喰ふ虫」にどういう意味をもたらすのでしょうか。斯波要は夫婦の危機のなかで、妻譲渡の契約などという・それが知れたら世間から擯斥されるような不道徳なことをしています。自分たちは分かれた方が良いのか・このままでいるべきか、それともっと良い手段があるのか・ないのか、いろんなことを考えながら夫婦は具体的な行動に踏み出せないままでいます。そんななかで、要は もともとあまり関心が持てなかった文楽に次第に興味を持つようになり、どうして自分はこんなに人形に惹かれるようになっていったのか、その理由を自分なりにいろいろ考えているうちに、自分は実は人形遣いを気取っていたことに次第に気が付いてきます。しかし、同時に 要は自分は本当に人形遣いであったのだろうかということも感じ始めます。最後の場面で実は人形にも心があったことを要は知ります。突如人形が口を開いてしゃべり始めた瞬間を、要は体験しました。しかし、人形が何を考えているのか、要には分かりません。自分はこれからどうなるのだろうか。彼の未来は他者に握られています。もしかしたら操られていたのは自分の方なのかも知れない。自分を操っているのは何者か、あるいは・・・。

吉之助にとって「蓼喰ふ虫」という作品は、谷崎潤一郎が、文楽を・文楽の人形をどう見たか・どこに魅せられたのか、その思索を通じて・自らの内面を 重ねた「人形論」なのです。

(後記)

*本論考中の引用文章は蓼喰う虫 (新潮文庫)を参照しています。

*「蓼喰う虫」に関する重要な作品論がまとめて収録されていて便利です。
谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』作品論集 (近代文学作品論集成 (13))(クレス出版)

(H22・10・12)


○生きている人形・その16

『何も当節のことだから、女房を一人前の男なみに扱うのもようがしょうが、なかなかそれが思い通りには行かないもんでね。早い話が、あなたは自分に資格がないからと云う訳で、試験的に外の夫を選ばせた。こりゃあどうして出来ないことだ。口で何のかのと新しがりと云ったってそれだけ公平にはやれるもんじゃない。・・・・いや、要さん、私は皮肉を云ってるんじゃないんですよ。ほんとうに感じ言っているんですよ。これは一と昔前だったら、あなたがたのような夫婦は世間にいくらもあったんで、私なんぞが現にその通りだったんだが、・・・』(「蓼喰ふ虫」第14章)

「こりやぁ要さん、私に云わせると、一体あなたが悪いんだね。」と言っておいて、美佐子の父親である老人は、こんなことを言い出すのです。ひと昔前でも要・美佐子のような夫婦はいくらもあった 。そういう場合は昔の亭主は女房打ち棄てておいて・外に愛人を作って、それで平気で済ましていたのです。しかし、要は当世の人間だから、女房をひとりの人間として対等に扱った。自分には夫の資格がないというので、美佐子に試験的に外の夫を選ばせた。そうして美佐子は自分の判断で阿曾の方を選んだ。要はその意志を尊重して、分かれることにした。いやどうして出来ないことだ、私は感じ入ってるんですと、老人は言います。これを老人が本心で言っていると思いますか。まあ要が分かれるのが自分の娘でなかったのならば、確かに老人はこれを本心で言ったかも知れません。しかし、この場合は分かれるのが自分の娘です。老人は抑えに抑えて、要に対してものを言ってい るのです。最初に「要さん、あなたが悪い」と、老人ははっきり言っています。女房をひとりの人間として対等に扱い・試験までして、女房が分かれると判断したから・彼女の意志を尊重して分かれるという要の論理は、如何にも公平・対等に 見えますが、要のどこが悪いのでしょうか。それは、その後の老人の話を聞けばわかります。

『・・しかし、女と云うものは、試験的にもせよ、一度脇へ外れてしまうと、途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないようなハメになるんで、自由の選択ということが、実は自由の選択にならない。ま、これからの女はどうか知れないが、美佐子なんかは中途半端な時勢の教育を受けたんだから、新しがりは附け焼き刃なんでね』(「蓼喰ふ虫」第14章)

老人は、要は美佐子をひとりの人間として対等に扱い・美佐子本人も自分で判断したんだと言うけれども、実は美佐子は自分で判断などしちゃいないと言うのです。成り行きでそうなって引っ込みがつかなくなっただけで、自由の選択ということが実は自由の選択になっていない。夫婦の契約とか言って「美佐子をそういう風に仕向けたのは、要さん、あなただろう」というのが、老人の言いたいことです。だから「要さん、あなたが悪い」と老人は言うのです。言葉の調子は抑えていますが、老人は父親として怒っているのです。

つまり、要は表面上は如何にも美佐子をひとりの人間として対等に扱い・その意志を尊重しているように見えるけれども、実は美佐子は自分の意志で行動などしておらず、その意味で要の操り人形なのです。しかし、時勢の教育を受けて、女性は自由で意思的であるべきだなどという意識を附け焼き刃では持っているので、本人は自分の意志で行動して判断しているようなつもりでいます。しかし、 日本の女性の意識はまだそういうところまで行っていない。実はこれは要がそうなるように美佐子を操っていたということだから、実は美佐子は自分で何も判断なんかしていないのです。老人は、要が人形遣いで・美佐子は人形であったことを看破しています。老人のことを、傍に妾をはべらせて・気楽にお茶やら芝居見物にうつつを抜かして・何も考えていないただの道楽人の爺さんだと思っていたら大間違いです。 (注:ここで老人は美佐子のことのみ言っています。これは当世男性が人形ではないということを意味しません。このことは後で分かります。)

「一度脇へ外れてしまうと、途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないようなハメになるんで、自由の選択ということが、実は自由の選択にならない」と言っていることで、老人が本質を確かに見抜いていることは明らかなのです。本論前半では二十世紀初頭の芸術家たちが、その時代に生きる人間というものを人形のイメージに重ねてきたことを見てきました。生きている人形(つまり現代人)は、確かに自分の意志で生きようという意欲は持っているのです。しかし、状況は彼が自由の意志でしたい放題にすることを許しません。彼は自分の意志でどうにもならないものを自分の内面にも持っています。これはフロイトの発見した無意識ということです。彼の判断・行動は外側・内側から捻じ曲げられて、彼は自分の意志で生きているようだけれど・実は生きていないという軋轢がしばしば生じます。結局、彼は自分ではない何者かに操られる人形だということです。これが二十世紀初頭の人間観なのです。

このような二十世紀初頭の時代的気質を、この昔気質の老人がどうして看破できたのでしょうか。これは老人が文楽に親しみ・人形 というものの本質を観察するなかで自然に習得してきたものです。なぜならば文楽の人形にはそのような要素が先取りされているからです。文楽の人形はダークの操りと は違うということを要に教えたのは、老人でした。文楽の人形はただの操り人形ではありません。文楽の人形はその動きに力感があります。それは時に人形遣いの腕を振り払って、自分の意志で動き出しそうにさえ見えます。しかし、本当にそうなることは決してありません。人形は自分の意志でどれだけ動こうとしても 、やっぱり人形は人形遣いの腕のなかにあるのです。文楽の人形のその姿は二十世紀初頭の人間が置かれた状況を象徴しているのです。(この稿つづく)

(H22・10・8)


○生きている人形・その15

吉之助が「蓼喰ふ虫」関連の評論をいくつか読んで不満を感じる点は、要にとっては義父であり・美佐子の父親である老人に対する考察が足りないと感じることです。要にとっての義父とはどういう存在なのでしょうか。傍に妾をはべらせて・気楽に芝居見物をしている道楽人、いつかはあんな風になってみたいもんだということを要は感じているのでしょうか。確かに第2章にはそれらしき文章が出てきます。

『(要は)十年のあいだにやっぱり(自分も)歳を取ったんだなと、思わずにはいられなかった。この調子だと京都の老人の茶人ぶりも馬鹿にはできない。更に十年も立つうちには自分もそっくりこの老人の歩んだ道を辿るようになるのではないか。そしてお久のような妾を置いて、腰に金から草の煙草居れを提げ、蒔絵の弁当箱を持って芝居見物に来るようなふうに、・・・・いや事に依ると十年を待たないかも知れない。自分は若い時分から老成ぶる癖があったから、人一倍早く年を取る傾向があるのだ。要は下膨れのお久の横鬢と、舞台の小春とを等分に眺めた。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

「痴人の愛」(大正13年)では主人公河合譲治はナオミを自分好みの人形に仕立てようとしますが、逆に人形遣いが人形に操られてしまうという倒錯的なストーリーです。一方、「蓼喰ふ虫」では、老人の妾であるお久は自分の感情を顕わにすることがない・慎み深い女性です。要は肩衣を着た文五郎の腕に留まっている妖精ティンカーベルを思い浮かべたりします。お久は良い意味で人形に徹しており、老人を操ろうなどと決してしません。そこにあるのは人形遣いと人形の理想的な関係です。そうすると、要は十年後の老境の自分の理想像みたいなものを老人に見ているのでしょうか。まあ第2章だけを読めばそういうことなのかもしれません。しかし、「蓼喰ふ虫」の最後の最後まで老人が傍に妾をはべらせて・気楽に芝居見物をしている道楽人であるわけではないのです。そこのところが取りこぼされていると思いますねえ。

「蓼喰ふ虫」第13章は老人の手紙から始まります。要から夫婦の事情を打ち明けられた老人(義父)からの手紙の文章は、不自然なほどに畏まったもので、「然る上は拙老より篤と本人へ申聴かせ何卒して料簡を入替えさえ度、万一改悛不致候わば如何様にも成敗可仕」などと綴ってあります。この老人の手紙が「吹き出したくなるくらいユーモラス」だと書いている評論を見ましたが、とんでもないことです。この手紙の文章は、美佐子の父親としての老人がカッカと頭に来ているのが伝わってくるようです。 老人は怒っているのです。この時代(昭和初期)においては家長の判断は絶対です。家長である要が「この女と別れる」と決めた以上は、美佐子の父親である老人が何を言おうと、もう変えようはないのです。まして美佐子自身も別れることに同意なのだと言うならば、なおさら変えようがないはずです。昔気質の老人にそんなことは分かりきったことです。分かっているけど、それでも父親として言わねばならぬから、家長としての要を最大に立てつつ、老人は身体をコチコチにしながら言い難いことを言っているのです。それが不自然なほど畏まった文体になっているのです。そこのところが大事なことです。手紙を受け取った要と美佐子は老人の家を訪ねますが、要に対して、老人はこう言います。

『「なあに大凡そは分かっています。しかし、こりやぁ要さん、私に云わせると、一体あなたが悪いんだね。」 はっとした要が何か云おうとするハナを抑えて、老人は後を被せた。「いや、悪いと云うと穏やかじゃないが、つまり、私の考えじゃあ、あなたがあんまり理 詰めに持って行き過ぎたんじゃないか。・・・」』(「蓼喰ふ虫」第14章)

老人の言葉の調子はあくまで柔らく、家長としての要を立ててもいます。が、「要さん、あなたが悪い」と、老人ははっきり言っています。それを聞いて、要はハッとします。もちろん傍に妾をはべらせて・気楽に芝居見物をしていた道楽人の爺さんがヘラヘラ笑って許してくれると 、要が思っていたわけではないでしょう。が、どうして、要はハッとするのでしょうか。そこに要がこれまで見たことのなかった老人の顔を見たからです。この後の老人の話でそれが明らかになります。(この稿つづく)

(H22・10・3)


○生きている人形・その1

老人とお久と一緒に三人で旅する淡路人形見物の旅は、まるでアラビアン・ナイトの世界を旅しているような幻想的な気分に思えます。要は旅の途中で「のどかですなあ。・・」という言葉を何度も繰り返します。確かに現在が昭和なのか・江戸時代かも分からなくなってくるような、時間の座興が失われてしまっているような印象があります。

「太夫はだんだん本職に近いような上手なのが床にあがる。それを一方の桟敷から、「どうだ、わしの村の太夫はうまいもんだろう、みんな静かに聞いてくれ」と、同じ村の人らしいのが声援すると、「己の村の何々太夫はもっとうまいぞ、良い加減に引っ込んでくれ」と、一方の桟敷から罵声を飛ばす。寄った勢いで見物人の大半がめいめいどっちじゃへ味方をして村と村との競争が夜が更けるほど激しくなる。サワリの美しい文句へ来ると、ドースル連がいろいろの言葉で半畳を入れる。そしてしまいには「あんまいじゃぞえ」と、みんなが一緒に泣き声を出して感心する。』(「蓼喰ふ虫」第11章)

ここ淡路では芸能が人々の生活のなかに密着して、まだビビッドに生きているのです。このような雰囲気は大阪の文楽でもその昔はあったものでしょうが、現在ではそのような熱い感覚は薄れてしまっています。ここでは江戸が眼前に生きているかのようです。要の生きている昭和が現実ならば、江戸の昔は幻想に違いありません。要には淡路の光景が現実と幻想が入り混じって見えているのです。鏡花の「たそがれの味」の表現を借りるならば、昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるように、現実と幻想が渾然一体に入り混じっています。そこに境目がないのです。そのどちらもがリアルな感覚で要に実感されています。

道中で要は「のどかですなあ・・」を何度も繰り返します。しかし、それは幻想のなかに心地良く身を伸ばして浸っているということではないのです。要は今自分が夫婦離婚の危機にあることを片時も忘れていません。横にいる老人が妻の父親であることを思い出せば当然そのことを思うでしょうし、そういうことは小説中に一切出てきませんが、恐らく要は機会を見て老人にこのことを告白しようと思ったことが何度かあったに違いありません。現実と幻想が渾然一体であるということは、自分が現実に向き合おうとすれば幻想の方に逃げようとし、幻想に酔おうとすれば知らず知らずにうちに現実の方に引き戻されて・醒めてしまうということです。そういう雰囲気を「蓼喰ふ虫」の淡路旅行の場面に感じにくいかも知れませんが、その文章を読むと要の観察はとても細かくて、どこか冷静な目が感じられます。要は決して醒めているわけではありません。しかし、幻想に酔っ払ってもいないのです。

このことがはっきり分かるのは、老人とお久と別れて・先に神戸へ戻る場面です。要は家にまっすぐ帰るのではなく、そのまま山手の愛人ルイズのところへ寄ります。のどかで幻想的な淡路旅行の描写の後だけに、ルイズが登場する第12章は「蓼喰ふ虫」のなかでも評判があまり良ろしくない箇所です。松本清張は「三味線の音楽に突然ジャズが割り込んでくるような違和感」があると書いています。しかし、たそがれ感覚のことが分かっていれば、これは酔い覚ましみたいなもの なのです。要にとってアラビアン・ナイトのたそがれの世界から現実の社会に戻る為にどうしても必要なことであったのです。しかし、酔い覚ましには手荒い手法が付き物です。「ほんとうに惚れてる?惚れてるなら千円ぐらい出したらいいわよ。でなきゃ優待してあげないわよ。・・さあ、どっち?・・出すか出さないか・・・いつ出す?」とルイズに言われて、要は「ここにはもう来ないぞ」と心のなかで思います。しかし、すぐに要は「今度こそほんとうにこれっきりだろうか。もう二度と行かずにいられるだろうか」と自問自答をするのです。 (この稿つづく)

(H22・9・22)


○生きている人形・その13

「アラビアン・ナイト」のような猥雑で不道徳な物語は公の場で暗誦したり朗読すべき性質のものではなく、他人のいないところで夜に独りこっそりと楽しむべきものである。この要の認識(ここでは谷崎と要が重なってきます)が、どのような意味を持つのかを考えます。それは「アラビアンナイト」が登場する第8章後半に出てくる挿話を読めばわかります。要は妻美佐子に対し「では僕たちは自分たちにも分からないように極く少しづつ別れる手段を取ろうではないかと言って、箇条書きにした条件を切り出します。(その詳細については小説本文をご覧ください。)それは試験的かつ段階的に妻美佐子を阿曾に譲渡する為の五つの条件でした。2年間付き合ってみて阿曾と巧く行きそうになければ戻っても良いとか、何だか彼女の意志と判断を尊重しているのようにも見えます。しかし、実はこれは要は美佐子を試して弄んでいるのです。だから後で老人(美佐子の父親)から「こりゃあ要さん、私に云わせると、一体あなたが悪いんだね」と言われることになりますが、もちろんこの譲渡取引みたいなものは、世間に知れれば不道徳の極みであると擯斥されて仕方ないものです。そのことを承知で要は取り引きを美佐子に対して提示しています。本来は夫婦間のなかに秘めておかねばならぬ問題を取引契約みたいなものにしているのです。何だかこれは「アラビアン・ナイト」めいていて大人の艶笑話にでもなりそうなものです。同時に世間に対して公開する 性質のものではないのです。

『「・・このところはこの美しく物語られた美しい物語中での唯一の汚点で、レーンが此処を訳したために擯斥(ひんせき)されたのは一往当然なことである。・・・」 要ははっとして、とうとう見付けたなと思いながら、急いでその注を読みくだした。』(「蓼喰ふ虫」第8章)

要がバートンの注を見てハッとして「とうとう見付けたな」と思うのは、自分たちの行為がどこか「アラビアン・ナイト」の世界に似ていると感じるからです。上記のバートン注が谷崎の誤訳を含むことは既に触れましたが、ラカン流に言うならば要はまさに自分たちがそうならねばならない(=レーンと同じく世間から擯斥されねばならない)と思っているので自分が望む通りにその注を読んでいるのです。要が「バグダットの三人の貴婦人と軽子の話」のタイトルの軽子(Porter)を門番と誤訳したのも同様の意味があります。門番とは門に立ち・そこを通ろうとする者を通行可であるか否であるかを判断する役目です。つまり門番とはジャッジ(裁く)する者です。要は自分たちの行為は世間から裁かれならねばならない不道徳な行為であることを分かっているのです。だから要はこのような誤訳をするわけです。

もうひとつ大事なことは、「アラビアン・ナイト」という幻想的でエロチックで・時に残酷・時に不道徳な物語が、イスラム社会という厳格な規律を持つ世界で生まれたものであるということです。これもとても不思議なことです。しかし、西尾哲夫著「アラビアンナイト」によれば、「アラビアン・ナイト」はイスラム世界ではもともと文学としてさほど重要視されていたものではなく、むしろ19世紀末の西欧によって見出されたと言って良いものだそうです。西欧の人々は「アラビアン・ナイト」を当時の時代的気質において人間の深層に潜む欲望・願望をイメージ豊かに羽ばたかせた幻想であると同時に、それは厳格な規律によってどこか歪んでもいると読んだのです。密かな楽しみはその厳格さによってさらに高められます。「アラビアン・ナイト」はユラユラした幻想世界で、それはひとつの定まった形を取ることはありません。次に泉鏡花の文章を引用しますが、そこに人間世界の幻想と現実、あるいは理性と欲望というものが 境界なく入り混じっているという点においては、「アラビアン・ナイト」もたそがれ趣味の物語であるということが言えます。同時にそれは谷崎の「陰翳礼賛」の世界に通じてもいるのです。(これについては本稿その10を参照ください。)

西尾哲夫:アラビアンナイト―文明のはざまに生まれた物語 (岩波新書)

『このたそがれ趣味は、単に夜と昼との関係の上にばかり存立するものではない。宇宙間あらゆる物事の上に、これと同じ一種微妙な世界があると思ひます。例へば人の行ひにしましても、善と悪とは、昼と夜のやうなものですが、その善と悪との間には、又滅すべからず、消すべからざる、一種微妙なところがあ ります。善から悪に移る刹那、悪から善に入る刹那、人間はその間に一種微妙な形象、心状を現じます。私はさう云ふたそがれ的な世界を主に描きたい。』 (泉鏡花:「たそがれの味」」・明治41年3月)

(H22・9・14)


○生きている人形・その12

話はちょっと遡りますが、要が淡路旅行に発つ前の第8章に要が「アラビアン・ナイト」を読むエピソードが出てきます。要はかねてから従兄弟の高夏にリチャード・フランシス・バートン版の「アラビアン・ナイト」の英訳本の入手を依頼しており・それを高夏が中国で購入してくれたので、まずその第1巻を手に取って読み始めます。ここで要はそのなかの「バグダットの三人の貴婦人と門番の話」(バートン版では第9夜〜第19夜)でバートンが付した注釈に目を留めます。

『「・・このところはこの美しく物語られた美しい物語中での唯一の汚点で、レーンが此処を訳したために擯斥(ひんせき)されたのは一往当然なことである。・・・」 要ははっとして、とうとう見付けたなと思いながら、急いでその注を読みくだした。 「・・レーンが此処を訳したために・・・一往当然なことである。しかし此処でもその猥雑さは、われわれの古い時代の舞台のために書かれた戯曲(たとえばシェークスピアのヘンリー5世の如き)に比べてみて大した相違はないであろう。ましてこの夜話のような物語は、男女の席で朗読されたり暗誦されたりするものではないのである。」』(「蓼喰ふ虫」第8章)

この部分ですが、新潮文庫の注釈によると「レーンが此処を訳したために擯斥(ひんせき)されたのは一往当然なことである」という箇所は谷崎の誤訳だそうです。原文は「Lane is scandalized and naturally enough by this scene・・・」とあって、正しい訳は「レーンはこの場面に、至極もっともながら憤慨している」なのです。もうひとつ「バグダットの三人の貴婦人と門番の話」とあるのも谷崎の誤訳で、原文のPorterは運搬人あるいは軽子という意味ですが、谷崎は これを門番と訳しています。しかし、これは単に谷崎の誤訳・勘違いだと言って済まされない問題を含んでいます。フロイトは「日常生活における精神病理学」(1901年)においてジョークや失策行為・記憶違い・言い間違いなどからその人の無意識の有り様を探ることができるということを述べています。谷崎の場合は言い間違いではなくて・誤訳ですが、この場合にも同じような考察を付することができます。つまり要はここはそのような訳でなければならない・・という意識の下に英文を読んでいるのです。もし正しい訳をしていれば、「蓼喰ふ虫」のこの章での「アラビアン・ナイト」の箇所は異なった 扱いにならざるを得ません。要にとっては「レーンはアラビアン・ナイトを訳したために擯斥された」でなければならないのです。だから「要ははっとして・とうとう見付けたなと思いながら」 バートンの注をそのように読むのです。

エドワード・ウィリアム・レーンはバートン以前に「アラビアン・ナイト」を欧米に紹介した人物です。レーンは翻訳の際にレーンは猥褻あるいは不道徳で受け入れられないと判断した場面を削除したり、書き改めたりしました。その後、完訳・無修正版の『アラビアン・ナイト」はバートンによって行なわれます。その出版は1885年から88年にかけてのことです。しかし、その不道徳な内容が欧米社会で顰蹙を受けかねないことを考慮して、バートン版は私家本として予約会員のみに限定して千部だけ印刷されました。その後のバートン版は猥褻本扱いをされて珍書として高値取り引きをされていました。要はその評判を聞いて、高夏にバートン版「アラビアン・ナイト」の入手を依頼したのでしょう。 要は(ここでは谷崎と要が重なってきますが)、バートン版が社会的にこのような扱いを受けているくらいだから、先輩の翻訳者であるレーンはもっと激しい非難を浴びたに違いないと思い込んでいるのです。だから「レーンが此処を訳したために擯斥されたのは一往当然なことである」という読み間違いをするのです。つまり、要がバートン版「アラビアン・ナイト」に期待しているのは猥雑かつ不道徳な内容ということになりますが、同時に要にとってそれは社会的に「擯斥されねばならぬもの」です。それは密室に置かれることで密かな個人の楽しみを増すということでもあります。

「蓼喰ふ虫」のなかでそのような「アラビアン・ナイト」のエピソードが淡路旅行の前に置かれる意味がどこにあるのかと言えば、そのひとつは淡路人形の舞台をみながら老人がこんなことを語る場面です。

『「玉藻の前とか、伊勢音頭とか、ああ云うんものはなかなか大阪とは違っていて面白いそうだよ。」 なんでも文楽あたりでは残忍であるとかみだらであるとか云う廉(かど)で禁ぜられている文句やしぐさを、淡路では古典の姿を崩さず、今でもそのままにやっている、それが非常に変っていると云う話を老人は聞いて来たのであった。たとえば玉藻の前などは、大阪では普通三段目だけしか出さないけれども、此処では序幕から通してやる。そうするとその中に九尾(きゅうび)の狐が現れて玉藻の前を喰い殺す場面があって、狐が女の腹を喰い破って血だらけな腸(はらわた)を咬(くわえ)出す、その腸には紅い真綿を使うのだと云う。(中略)「そういう奴を見なけりゃあ話にならない・・」』(「蓼喰ふ虫」第11章)

つまり淡路人形の舞台、あるいは今はカットされたり改変されて原作通りには上演されていないが本来の文楽のなかには、残忍であるとか淫らであるとか、社会的に不道徳・不埒なものとして糾弾される べき要素が数多くあるということです。それが要のなかで「アラビアン・ナイト」の印象と不思議に重なっているのです。ですから要が老人の誘いを受けて淡路旅行に発つのも「アラビアン・ナイト」の世界に遊ぶような気分というところも多分にあるわけです。しかし、淡路旅行の場面では「のどかだ、実にのどかだ・・」という文句が意図的に繰り返されていますが・これは作者の隠蔽工作なので、実は淡路旅行のなかで要は心底のびのびと自由かつ幸福な気分で「アラビアン・ナイト」の世界に遊んでいるわけではないのです。そこのところを注意せねばなりません。このことは要が「要ははっとして・とうとう見付けたなと思いながら」読むバートンの注釈の文章を読めば分かります。それは「・・・ましてこの夜話のような物語は、男女の席で朗読されたり暗誦されたりするものではないのである」という箇所です。この箇所を読めば、後に谷崎が書いた有名な随筆のなかに似たような文章があることが思い出されます。

『返す返すも互いに相警(いまし)めたいのは、これは世界的だとか国粋的だとか言って、外国人にまで吹聴すべき性質のものではないことである。三宅周太郎氏は痴呆の芸術という代わりに白痴美の芸術と言っておられたが、まことにこれは我々が生んだ白痴の子である。因果と白痴ではあるが、器量よしの、愛らしい娘なのである。だから親である我々が可愛がるのはよいけれども、他人に向ってみせびらかすべきではなく、こっそり人のいないところで愛撫するのが本当だと思う。』(谷崎潤一郎:「いわゆる痴呆の芸術について」・昭和23年)

「アラビアン・ナイト」のような猥雑な物語は公の場で暗誦したり朗読すべき性質のものではない。他人のいないところで夜に独りこっそりと楽しむべきなのです。同様に文楽の楽しみも他人に向ってみせびらかすべきものでは決してなくて、こっそり人のいないところで愛撫するのが本当のところではないのかと谷崎は言うのです。それが要が何となく淡路に行って人形でも見てみようかと感じる理由のひとつであるということになります。(この稿つづく)

(H22・9・5)


○生きている人形・その11

「蓼喰ふ虫」の第9〜11章では要が美佐子の父親である老人と・その妾であるお久と一緒に三人で淡路に出かけて現地の民俗芸能である淡路人形を見る挿話が綴られます。淡路旅行の場面には遥か昔の江戸の・今は過ぎ去ってしまって・再び見ることの出来ない幻影を見ているような、どこか時代離れしたのどかな印象があります。この旅行の部分だけを読めば確かにそういう印象になると思います。ここでは要も夫婦の問題などすっかり忘れて想像の世界に遊んでいるようです。しかし、小説を読み終わって改めて振り返って見れば、淡路旅行の場面はもう少し別の読み方をしなければならぬことに思い至ります。

その理由のひとつは淡路三十三箇所巡礼の旅を途中で切り上げて・老人とお久に別れて先に帰途に着く要が、まっすぐに家に帰らずに神戸の山手にいるルイズという愛人のところに出かけていくことです。(第12章)この場面はその前の淡路ののどかな雰囲気から一転してとても違和感があります。松本清張はこの場面について「三味線の音楽に突然ジャズが割り込んでくるような違和感」という 否定的な感想を書いています。(「昭和史発掘・3・」〜「潤一郎と春夫」・昭和40年)それではこの違和感は作品の欠陥なのでしょうか。吉之助はそうではないと思いますねえ。谷崎は意図的にこの違和感を表出しているのです。谷崎の意図的なところを読み取らなければならぬと思います。

もうひとつの理由は第13章冒頭が要から夫婦の事情を打ち明けられた老人(義父)からの返事の手紙から唐突に始まることです。これにもちょっと驚かされます。「すでに夫婦ではなくなっている・しかし別れることが出来ない」と言ってウジウジとして行動を起こさなかったはずの要がここでは既に別れる決心をしており、しかも義理の父親宛てに手紙を書いてそのことをもう知らせてしまった後なのです。一体要はいつの時点で美佐子と別れる決心をしたのでしょうか。要が老人に手紙を書いたのは、ルイズと別れて帰宅してすぐのことなのは確かです。しかし、小説に要が離婚の決心をする時点の描写は見当たりません。

だとすると老人と一緒に淡路を旅していた時に要が夫婦の問題のことをすっかり忘れていたということはあり得ないと吉之助は思いますねえ。どんな場面においても、淡路人形の舞台を見ている時であっても、要の意識のどこかに夫婦の問題が離れることはなかっただろうと思います。しかし、小説にはそのことをほのめかす文章さえありません。路の旅先から要は、夫婦のことを心配して相談に乗ってくれる従兄弟の高夏に宛てて「カタが附いたら知らせるが、今の所いつになるやら全く不明。」などとのんびりしたことを書いて ます。「夫婦のことを老人に打ち明けなければ・・と要は旅行中ずっと考えていたが・その機会をついに得なかった・・」というような文章でもあるならば解釈は楽になりますが、小説にはそのようなヒントがありません。それならば淡路旅行中に要は夫婦の問題をまったく忘れて幻想の世界に遊んでいたということでしょうか。それは「ない」と吉之助は断言します。

「蓼喰ふ虫」の淡路旅行の場面は「動かない・静かな場面にこそ激しく渦巻いている感情がある」ことを念頭に入れて読む必要があるのです。視覚的にはじっとして動かない小春の人形は、実は激しく動いている小春の情念を表現しています。小春は治兵衛のこと・あるいは女房おさんのことを考えています。治兵衛が恋しい 。逢いたい。しかしそれではおさんに悪い。別れねばならない。いっそのこと死んでしまいたい。いろんなことを考えて小春の心は激しく乱れているのです。これが老人と一緒に見た弁天座での文楽観察のなかで要が得た 印象でした。同じように時間が停止してしまったような淡路旅行の場面においても、文章には表面的に全然表れていないけれども・実は要の内面は激しく揺れ動いているのです。淡路旅行の場面では夫婦の問題が要のなかで意識の奥に押し込まれています。だから表面的には夫婦の問題をまったく忘れ去られているように見えますが、それは別の形をとって要の想念のなかに現れる ことになります。

『ふと要は、ああいう暗い家の暖の簾のかげで日を暮らしていた昔の人の面ざしを偲んだ。そういえばああいう所にこそ、文楽の人形のような顔立ちを持った人たちが住み、あの人形芝居のような生活をしていたのであろう。どんどろの芝居に出てくるお弓、阿波の十郎兵衛、順礼のお鶴などというのが生きていた世界はきっとこういう町だったのであろう。現に今ここを歩いているお久なんかもその一人ではないか。今から五十年も百年も前に、ちょうどお久のような女が、あの着物であの帯で、春の日なかを弁当包みを提げながら、やっぱりこの路を河原の芝居へ通ったかも知れない。それとも又あの格子のなかで「ゆき」を弾いていたかも知れない。まことにお久こそは封建の世から抜け出してきた幻影であった。』(「蓼喰ふ虫」第10章)

上記も「蓼喰ふ虫」評論で引用される機会が多い箇所です。要は「概念としての昔の女の面差し」を懐かしみ・その幻影を現実の女性に照射しようとするかのようです。要が欲しているのは、生きていた女性ではなくて同じ顔をした人形で良かったということです。しかし、この部分の要の思索は弁天座での文楽観察の印象(第2章)を明らかに引きずったままです。これは淡路旅行の最初の日程でのもので、この時点では要は淡路人形をまだ見ていないのです。(淡路人形の印象は次の章で綴られます。) 下記の第2章の文章と比較してみれば、要の興味はまだ操り人形というところに留まっていることが分かります。

「昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎み深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があってはむしろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川も三勝もお俊も皆同じ顔に考えていたかも知れない。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

ここで分かる重要なことは、弁天座での文楽観察のなかで要が得た重要な印象・すなわち文楽人形では「肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かにに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生きいきと感じられる」ということが、淡路旅行を開始した時点の要のなかでまだ確実な認識になっていないということです。(本稿「その8」を参照のこと)それは印象としてチラッと要のなかに浮かんだもので、 もちろん本人はそれが何かとても重大な意味を持つことに感付いてはいるのですが、その正体が何かということまではっきりと掴んではいないのです。ですからまだ要の興味は依然として操り人形としての小春というところに 留まっているようです。しかし、「動かない・静かな場面にこそ激しく渦巻いている感情がある」という文楽人形の印象 は要の心のどこかでずっと引っかかっています。深層のところで自分に呼応しているように感じられるその正体を要はまだ掴みきってはいないのです。

淡路旅行に誘われた時・お愉しみで妾と旅行する老人にアテられるだろうし・遠慮した方がよかろうと最初は思ったのですが、要が結局誘いを受けたのは、この間の文楽の印象もあり・淡路浄瑠璃につい好奇心が動いたからでした。これは普段の要にはまったく似合わぬことで、美佐子にも「まあ酔興ね」と眉をひそめられもしたのですが、それでも淡路に行ってみたいと思わせる何かがあったということです。それが「すでに夫婦ではなくなっている・しかし別れることが出来ない」という要と美佐子の夫婦の状態とまったく無関係なものであるはずがありません。「のどかだ、実にのどかだ」・・という言葉が淡路旅行では繰り返されます。ここで谷崎は巧妙に夫婦の危機的状況を押し隠します。しかし、「動かない・静かな場面にこそ激しく渦巻いている感情がある」ということを念頭に入れて淡路旅行の場面を読 むならば、その印象はまったく違ったものとなります。文楽人形では「肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かにに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生きいきと感じられる」という印象がどうして自分のなかでこれほど引っかかっているのか、その正体を掴むために要は淡路旅行に行くのです。(この稿つづく)

(H22・8・22)


○生きている人形・その10

「陰翳礼賛」(昭和8年)は谷崎の随筆の代表作とされます。谷崎は、日本人は陰翳の美を認め・これを生活のなかに利用する工夫を考えた・これこそ日本独特の美学であるという趣旨のことを書きました。 「陰翳礼賛」は谷崎の「日本への回帰」を表明したものとされる重要なものです。事実、「吉野葛」や「細雪」など谷崎中期以後の名作がこの「陰翳礼賛」に前後して続々と生み出されているのです。しかし、篠田一士氏はこの「陰翳礼賛」について「日本への回帰と いった、軽薄な殺し文句は上っ面もいいところ、作者の真意を損なうこと甚だしいものと確信するに至ったのである」と書いています。そこでレアリストたる谷崎の「陰翳礼賛」の真意を ちょっと考えてみたいのです。

『私はしばしばあの障子の前に佇んで、明るいけれども少しもまばゆさの感じられない紙の面を視つめるのであるが、大きな伽藍建築の座敷などでは、庭との距離が遠いためにいよいよ光線が薄められて、春夏秋冬、晴れた日も、曇った日も、朝も、昼も、夕も、ほとんどそのほのじろさに変化がない。(中略)そういう時、私はその夢のような明るさをいぶかりながら眼をしばだたく。何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。それはそのほのじろい紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うのは力が足らず、かえって闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ混迷の世界を現じつつあるからである。諸君はそういう座敷へ這入った時に、その部屋にただようている光線が普通の光線と違うような、それが特に有難味のある重々しいもののような気持がしたことはないであろうか。あるいはまた、その部屋にいると時間の経過が分からなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出て来た時は白髪の老人になりはせぬかというような、「悠久」に対する一種の怖れを抱いたことはないであろうか。』(「陰翳礼賛」・昭和8年)

ところで吉之助は上記のような文章を読むと、別の作家の似たような文章を思い浮かべないわけにいかないのです。それは泉鏡花の文章です。(別稿「泉鏡花のたそがれの味」もご参照ください。)

『世間にたそがれの味を、ほんたうに解して居る人は幾人あるでせうか。多くの人はたそがれと夕ぐれを、ごつちやにして居るやうに思ひます。夕ぐれと云うと、夜の色、暗の色と云ふ感じが主になつて居る。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。と云つて、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありませんか。(中略)世界の人は、夜と昼、光と暗との外に世界のないやうに思つて居るのは、大きな間違ひだと思ひます。夕ぐれとか、朝とか云ふ両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。(中略)このたそがれ趣味は、単に夜と昼との関係の上にばかり存立するものではない。宇宙間あらゆる物事の上に、これと同じ一種微妙な世界があると思ひます。例へば人の行ひにしましても、善と悪とは、昼と夜のやうなものですが、その善と悪との間には、又滅すべからず、消すべからざる、一種微妙なところがあ ります。善から悪に移る刹那、悪から善に入る刹那、人間はその間に一種微妙な形象、心状を現じます。私はさう云ふたそがれ的な世界を主に描きたい。』 (泉鏡花:「たそがれの味」」・明治41年3月)

鏡花は明治6年(1873)・谷崎は明治19年(1886)の生まれです。大正期の鏡花は文壇では既に過去の作家と見なされていましたが、自然主義文学に飽き足らない若手作家には慕われていました。芥川龍之介や谷崎などがそうです。谷崎文学と鏡花との関連はすでに指摘もされています。耽美主義と言われた初期の作風などは、鏡花との類似が特に強く出たものだと思います。また両者は個人的な付き合いもあって、谷崎の長女・鮎子は鏡花夫妻の媒酌で佐藤春夫の甥・竹田龍児と結婚しています。まあ両者の関連はそんなところですが、これまで本稿において考察した「静止した状態こそもっとも内面的に動いている状態である」という認識を以って、「陰翳礼賛」と「たそがれの味」を読み比べるならば、感性的に鏡花と谷崎をつなぐ共通項が何であるかが次第に分かってきます。そこに19世紀末から20世紀初頭の世界的な気質が感じられます。つまり、無解決の時代・不安の時代・煩悶の時代・神気疲労の時代ということです。

谷崎の言う「陰翳」・鏡花の言う「たそがれ」とは、物事の境目が曖昧になった状態を言います。たとえば昼の明るさと夜の暗さが混ざり合います。昼と夜が同居して、そこに独特の世界が生まれます。それは昼ではなく・夜でもありませんが、同時に昼であり・夜でもあるのです。いつそのような中間の世界に入っ てしまったのかも分からないし、気が付いたら自分はそこにいたという感じです。そこ は本来は対立するはずのどちらの要素もが共存・交流するところの緩衝地帯です。ちょっとしたきっかけで、それは昼の様相を見せたり・夜の様相を見せたりするのです。しかもそれは長くは続きません。その様相は一瞬にして消え去って、また別の様相を見せたりもするのです。そのようなことが起きるのは、実はその光景を見詰めている当人の内面が激しく動いているからです。心理的な動きが周囲の様相を変容させて見せるわけです。谷崎の言う「陰翳」・鏡花の言う「たそがれ」とはそういうものです。つまり、静かに佇んでいるような風情を見せているようだけれども・それは表面だけのことで、実は内面的には非常に激しく動いている状態なのです。 その裏に当人の不安とか葛藤とか様々な感情があるのです。

谷崎が「陰翳礼賛」で述べるところの陰翳は、静かに押し黙り・どこかしっとりと湿り気を帯び・ひんやりと冷たい佇まいを見せているように感じられるかも知れません。それが日本的であるとか・静止した ような印象を読み手に感じさせるわけですが、ところが、そう書きながらその一方で谷崎は「そういう座敷へ這入った時に・その部屋にただようている光線が普通の光線と違うような ・・」と書き、「その部屋にいると時間の経過が分からなくなってしまい・知らぬ間に年月が流れて・出て来た時は白髪の老人になりはせぬかというような・「悠久」に対する一種の怖れを抱く 」ということを書くのです。実はこちらの方こそが谷崎の真意なのです。

『いつも誰かから、「君お化けを出すならば、出来るだけ深山幽谷の森厳なる風物の中へのみ出す方がよからう、何も東京の真中の、しかも三坪か四坪の底へ出すには当たるまい」と言はれた事がある。が然し私は成るべくなら、お江戸の真中電車の鈴の聞こえる所へ出したいと思う。』(泉鏡花:「予の態度」・明治41年)

谷崎の小説にはお化けは出ませんが、日常生活のなかにアブノーマルな感性がふっと顔を出す瞬間があります。それが谷崎にとってのお化けなのです。「痴人の愛」(大正13年)や「卍」(昭和6年)などがそういう世界です。実は「蓼喰ふ虫」にもお化けが出て来るのですが、しかし、そのことに触れるにはもう少し考察を経なければなりません。(この稿つづく)

(H22・8・15)


○生きている人形・その9

大阪道頓堀の弁天座での「心中天網島」の舞台を見ながら、主人公斯波要は舞台から同席者の観察まで、いろいろと思索を巡らせます。要は客席に座って舞台に見入っており・物理的には静止状態ですが、その思考回路は激しく動いています。それが読者に動的な印象を与えるものです。小春の人形を操っているのは名人文五郎です。要は文五郎の操る小春の人形を見ながら、こんなことを考えます。

『要はふとピーターパンの映画のなかで見たフェアリーを思い出した。小春はちょうど、人間の姿を備えて人間よりはずっと小さいフェアリーの一種で、これが肩衣を着た文五郎の腕に留まっているのであった。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

文楽を見ながら突然ピーターパンが出てくるところが面白いところです。谷崎の感性にはこのように西洋的な感覚で理解しようとするところがあるのです。「痴人の愛」(大正13年)にはヒロインのナオミの容貌を映画女優のメアリー・ピックフォードに例える場面が繰り返し登場します。主人公河合譲治のなかで西欧世紀末の人形のイメージが重ねられています。人形は没個性的であり・ひとつのタイプを表す。人形は感情を顕わにしない。そして、人形と・これを操る人形遣いとの関係ということです。「痴人の愛」は まるで主人公が人形遣いになろうとして逆に人形に自分が操られてしまうというような倒錯的なストーリーです。しかし、文楽の小春がティンカー・ベルみたいだという観察に留まるならば、谷崎は「痴人の愛」の世界から大して発展していないことにな るでしょう。「文楽の人形はダークの人形とは違う」という老人の指摘が、要の観察をさらに深いところへ導くのです。 ここから要の文楽人形の見方が微妙に変化してきます。

『酔いがだんだん醒めて来るにつれて、小春の顔が次第に刻明な輪郭を 取って映った。彼女は左の手を内ぶところへ、右の手を火鉢にかざしながら、襟の間へ頤を落として物思いに沈んだ姿のまま、もうさっきからかなりの時間をじっと身動きもしないのである。それを根気よく視つけていると、人形使いもしまいには眼に入らなくなって、小春は今や文五郎の手に抱かれているフェアリーではなく、しっかり畳に腰を据えて生きていた。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

小春は操られている人形ではなく・生きている存在に変化していきます。そのような変化が要のなかで生じたのは、文楽の人形は人形遣いが直接手を添えて身体を動かすからで・人形のほんの少しの動きが却って不気味なほど生きている感触を見る者に与えるからです。要はこのことを「文楽の人形はダークの人形とは違う」という老人の指摘から教わったのです。

さらに大事なことは「左の手を内ぶところへ右の手を火鉢にかざしながら・襟の間へ頤を落として物思いに沈んだ姿のまま・もうさっきからかなりの時間をじっと身動きもしない」小春の姿です。確かに視覚的には小春はじっとしたまま動きません。しかし、小春の思考回路は激しく動いているのです。小春は治兵衛のこと・あるいは女房おさんのことを考えています。治兵衛が恋しい 。逢いたい。しかしそれではおさんに悪い。別れねばならない。いっそのこと死んでしまいたい。いろんなことを考えて小春の心は激しく乱れています。要が見ている「河庄」の場面はそのような箇所なのです。視覚的には静止してい るようですが、心理的には激しく渦を巻いているのです。要はこの場面を熱いエネルギーが迸る動的な情景として捉えているのです。 そこに小春が生きているということの証を感じています。もちろん客席から舞台を見る要の心のなかも激しく動いているのです。

『梅幸(六代目)や福助(五代目)のはいくら巧くとも「梅幸だな」「福助だね」という気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないといえばいうものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出したりはしなかったであろう。元禄の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。事実はそうでないとしても、とにかく浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢見る小春は梅幸や福助のそれではなくて、この人形のような姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎み深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があってはむしろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川も三勝もお俊も皆同じ顔に考えていたかも知れない。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

この文章は「蓼喰ふ虫」評論で引用される機会が多い箇所です。しかし、吉之助に言わせればそのちょっと前の文章「それを根気よく視つけていると、人形使いもしまいには眼に入らなくなって、小春は今や文五郎の手に抱かれているフェアリーではなく、しっかり畳に腰を据えて生きていた」の方が重要なのです。この認識を踏まえて次を読まなければ正しい意味を取ることができないのです。そうでないと「元禄の時代に生きていた小春は恐らく人形のような女であったろう」という文章からマリオネットと依然変らぬ操り人形のイメージを読むことになります。残念ながら 多くの「蓼喰ふ虫」評論がそういう見方をしているようです 。しかし、小春が生きているという認識があれば、上記の文章の意味は一変します。要の考えていることは、江戸時代の女性は内心に激しい情熱や感情を秘めながら・それを日々の生活のなかで静かな形象のなかに閉じ込めて 生きていたのであろうということです。見掛けは静的に見えるけれども、内面は激しく動いているということなのです。だからこの人形でいいのだと要は思うのです。文楽人形の小春が要に訴えかけるものはそういうことです。

ところで文楽の人形をそのように読むならば、「すでに夫婦ではなくなっている・しかし別れることが出来ない」という斯波要と美佐子の夫婦の状態を静的な・動かないイメージで読むことが出来るでしょうか。答えは明らかであると思いますねえ。(この稿つづく)

(H22・7・24)


○生きている人形・その8

ポール・クローデルは二十世紀の重要な劇作家のひとりで、作品としては戯曲「繻子の靴」が有名です。クローデルは優秀な外交官でもあり、大正10年(1921)から昭和2年(1927)にかけて駐日フランス大使を務めました。クローデルは大正11年(1922)5月に大阪で初めて文楽を見て以来、文楽をたびたび見たそうです。これは谷崎の「蓼喰ふ虫」執筆とほぼ同時期の文楽 ということになります。日本に関する数々の美しい文章を収めた随筆集「朝日のなかの黒い鳥」のなかでクローデルは次のように書いています。

『操り人形は完全な仮面であって、もはや単なる顔ではなく、手足であり、身体の全体である。(中略)操り人形は人間の演者のように、重力と労力に捕われることなく、どの方向にも同じほど身軽に移動し、重みのない中を白紙の中の図案のように漂う。これは中心部に生を与えられているのであって、頭とともに星状をなす四肢は、操り人形が表現を行なうための要素にほかならない。これは、あらゆる接触を禁じられながらも、口をきき、光を放つ星なのである。日本人はこの操り人形を歩かせようとはしなかった。それは不可能なのだ。(中略)手や足はもはや単に前進したり支えたりする手段ではなく、あらゆる動作や、行動の仕方や精神錯乱など、つまり、私たちの内にある不安や躍動や抵抗や挑戦や疲労や覚醒や、出発したいとか留まりたいとかの願望を表現する道具のすべてであり、力なのだ。見たまえ、諸君によく見えるようにと持ち上げてくれているのだから。あの小さな男を見たまえ。彼はすべてを行なう。見たまえ、この宙に浮かぶ男女を、そして、棒の先端に宿る生面の全体を。私たちの背後にうまく隠れて誰かを存在させることはなんと面白いことであろうか。』(ポール・クローデル:「文楽」〜「朝日のなかの黒い鳥」・1924年)

*ポール・クローデル:「天皇国見聞記」(「朝日のなかの黒い鳥」を中心にクローデルの日本関連の文章を集めたもの)(新人物往来社)

西洋の操り人形は操り糸あるいは操り棒で手足を遠隔操作されます。何者かに動かされていることが明瞭で、「動かされている」ところに人形の本質があるのです。どんなに精巧に人間の動きを模していようと操り人形は「動かされている」印象から逃れられません。ところが、文楽の人形には動作に まったく次元の異なる力感があります。これは人形遣いが直接手を添えて動かしているからですが、その動作から強い「意志」が伝わってくるのです。つまり、文楽の人形は自身の意志で動いているように見えるのです。谷崎が「蓼喰ふ虫」のなかで「文楽の人形はダークの操りとは違う」と指摘した 。それと同じことをクローデルも感じているのです。

二十世紀初頭の時代的気質(無解決の時代・不安の時代・煩悶の時代・神気疲労の時代)に生きた芸術家たちは人形のことを単なる「外から動かされる意志のない存在」であると見て、これに生きている人間を重ねて見てい たということではないのです。人間のことを内的な意志を持っているけれども、それを自由にありのままの形で表情・動作に表現できない存在と見ているのです。そのような自由な表現を阻むものが彼の周囲にいっぱい存在しているのです。それらは国家・社会であったり、世間 の柵(しがらみ)であったりもします。それだけではありません。彼の自由な意志を阻むものが彼の内面にも存在するのです。つまり無意識のことです。それらが いろんな方向から連関なくバラバラに「お前はこう動かねばならない」と彼を強制するのです。「こう動かなければお前は不要な存在となる。だからこう動け」と脅迫するのです。彼は内面に豊かな感情を持っていますから、しばしば自分の意志で動きたい強い衝動にかられるのですが、それは決して許されないのです。そうすると彼の動作は傍から見ると、とてもギクシャクした不自然な動きに見えて来ます。彼の動作は外側の意志で動かされる時は内側の衝動によって邪魔されます。内側の欲求から動かされる時は外側の意志によって阻まれるのです。 だから素直で自由な動きになることは決してないのです。そのような状況をよく示す動作は、ギクシャクした鋭角的な動き、ブルブルと細かく痙攣するような動き、引き攣ったような表情・・などです。すなわち「人間とは生きている人形ではないのか」ということが、二十世紀初頭のフロイトの無意識の発見以後の人間の見方です。西洋のマリオネットより何よりも、文楽の人形は 現代の人間の在り様をその視覚的本質のなかに秘めているのです。クローデルも谷崎もそれぞれの過程を経て同様の発見にたどり着いたわけです。その発見には洋の東西もバックグラウンドの違いも何も存在しません。それは二十世紀初頭の時代的気質に拠るからです。

これで谷崎が「蓼喰ふ虫」で扱う人形を文楽人形でなければならないとした理由は明らかであると思いますが、さらにもう少し文楽人形のことを考えてみます。クローデルは人形が激しく動く場面をみて、まるで人形遣いの手を振り切って自分の意志で動こうとしているかのようだと書いています。

『日本の操り人形は私たちの腕の先の手に身体と魂がすっぽりと入るというようなものではない。不確かな運命に翻弄されたり、見放されたり、引き戻されたりを交互に繰り返す人間のように、何本かの紐の縁で不安定に揺れ動くこともない。人形師がすぐ近くから心を通わせて操作するのであり、その上、人形が強く飛び跳ねるところを見ると、まるで、人形師からも逃れようとしているかのようなのだ。』(ポール・クローデル:「文楽」〜「朝日のなかの黒い鳥」・1924年)

クローデルは文楽人形の動的な感覚をズバリと見抜いています。(なおクローデルの文楽観についての詳細は別稿「クローデルの文楽」をご参照ください。)これに対して谷崎もクローデルとはちょっと角度が違ったところから文楽人形を観察しているのが興味深いところです。谷崎も文楽人形に同じく 動的な感覚を見ていますが、谷崎は人形の激しい動きのなかにそれを見るよりも、静止した人形の方により強く動的な感覚を見ているのです。そこに谷崎の独自の感覚があるのです。

『老人の議論を押し詰めて行くと、矢張据わっている時の方がねばりの感じが表わせる訳で、動くとしても肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かにに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生きいきと感じられる。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

この後に主人公の「河庄」の小春の人形の印象が長く続きます。ここで谷崎がどうして人形が静止した人形の姿により強く動的な感覚を見たのかをちょっと考えます。文楽の人形の場合は三人の人形遣いが協同で人形の動きを形造りますが、静止する場合は大の男三人が息を詰め・筋肉を硬直させて静止した形を作らねばならぬのです。人形遣いの手先がちょっとでも動いてしまえば、その動きは人形に伝わり・静止の形は崩れてしまいます。 逆に言えばちょっとした人形の震えが人形の生きている感情を表現するのです。静止する人形の姿は人形遣いが何もしていないように見えるでしょうが・そうではなくて、実は人形遣いの肉体がもっとも緊張して力の入った形なのです。その意味では人形が躍動して動いている時の方が人形遣いにとっては まだいくらか楽だと言えます。谷崎はじっと下を向いて物思いに沈む小春の人形を見ながら、その静止した形の裏に渦巻く力感をビンビンと感じ取っています。その力感は人形遣いの肉体の緊張から来るものです。と同時にそれは小春の内面に激しく渦巻く葛藤を示してもいるのです。「肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かにに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生きいきと感じられる」と谷崎が書くのはそういう意味です。谷崎が文楽人形を実に深いところまで観察していることに感嘆させられます。(この稿つづく)

(H22・7・19)


○生きている人形・その7

「蓼喰ふ虫」では大阪道頓堀の弁天座での文楽人形(第2〜3章)・そして淡路人形座での淡路人形(第10〜11章)と操り人形についての言及がかなりの分量を占めます。「人形」が本作の重要なモティーフ なのです。通常「蓼喰ふ虫」を論じる時の「人形」のイメージは次のように集約されると思います。まずそこに登場する女形人形(例えば「天網島」の小春)は特定の女性をイメージさせるものではなく・女性を象徴するものであるということです。それは没個性的でひとつの類型(タイプ)を提示しており、その印象は生(なま)なものではありません。それは肉体を持った女性ではなく 、感情を顕わにすることはありません。谷崎は象徴的な「女性なるもの」に憧れており、それに文楽人形を重ねています。「永遠女性」は谷崎文学の重要なキーワードとされています。もうひとつは人形と・それを操る人形遣いとの関係が強く意識されていることです。これは立場が逆転して人形が人形遣いを操るように見える場合もあるのですが、いずれにせよどちらかが操り・ 片方が操られる関係をそこに見ています。これが「蓼喰ふ虫」の人形論の一般的な読み方かと思います。関連しそうな箇所を小説中から引いてみます。

『梅幸(六代目)や福助(五代目)のはいくら巧くとも「梅幸だな」「福助だね」という気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないといえばいうものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出したりはしなかったであろう。元禄の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。事実はそうでないとしても、とにかく浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢見る小春は梅幸や福助のそれではなくて、この人形のような姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎み深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があってはむしろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川も三勝もお俊も皆同じ顔に考えていたかも知れない。』(「蓼喰う虫」第2章)

『ふと要は、ああいう暗い家の暖の簾のかげで日を暮らしていた昔の人の面ざしを偲んだ。そういえばああいう所にこそ、文楽の人形のような顔立ちを持った人たちが住み、あの人形芝居のような生活をしていたのであろう。どんどろの芝居に出てくるお弓、阿波の十郎兵衛、順礼のお鶴などというのが生きていた世界はきっとこういう町だったのであろう。現に今ここを歩いているお久なんかもその一人ではないか。今から五十年も百年も前に、ちょうどお久のような女が、あの着物であの帯で、春の日なかを弁当包みを提げながら、やっぱりこの路を河原の芝居へ通ったかも知れない。それとも又あの格子のなかで「ゆき」を弾いていたかも知れない。まことにお久こそは封建の世から抜け出してきた幻影であった。』(「蓼喰ふ虫」第十章)

人形は没個性的であり・ひとつのタイプを表す。 肉体を持たず・感情を顕わにしない。そして、人形と・これを操る人形遣いとの関係。確かにその通りですが、吉之助が考えるには これだけだとまだ足 らないのです。「蓼喰ふ虫」の人形論の一般的な解釈には重要な点で見落としがあると思いますねえ。これらの要素だけが主人公がお久に興味を覚える理由であるならば、小説に出てくるのが文楽人形である必然性は別にないのです。操り人形でさえあればそれで十分良かったはずです。東京生まれである谷崎は関東大震災罹災をきっかけにして関西へ引っ越しました。谷崎は大正12年10月に京都へ転居、さらに兵庫へ転居しました。小説の舞台が関西なので描写にリアリティを持たせる為に文楽人形を材料に取り入れ たということでしょうか。そこに谷崎の上方的なものへの憧れが強く出ているのでしょうか。確かにそれもあるかも知れませんが、谷崎が小説中に文楽人形を取り上げなければならなかった必然があるはずです。そこのところをもっと深く考えてみたいと吉之助は思うのです。谷崎文学を考えるうえでも、このことがとても大事だと思うのです。

それでは谷崎が他の操り人形では駄目で・文楽人形でなければならないとする特徴的なものとは何でしょうか。実は谷崎は小説のなかにこのことをはっきり書いています。谷崎は文楽好きの老人( 主人公の義父)に「文楽の人形はダークの操りとは違う」ということを言わせています。ダークの操りというのは明治32〜35年にイギリスからやってきた興行師ダークが率いる人形劇団のことで、つまりそれは上から糸で操るマリオネット人形のことです。帰国するダークが置いていった人形を引き取って浅草花屋敷で昭和10年代まで興行が続けられ、世間ではこれを「ダークの人形」と呼んでいました。

『彼(要)はじいっと瞳を凝らして上手にすわっている小春を眺めた。治兵衛の顔にも能の面に似た一種の味わいはあるけれども、立って動いている人形は、長い胴の下に両脚がぶらんぶらんしているのが見馴れない者には親しみにくく、何もしないでうつむいている小春の姿が一番うつくしい。(中略)老人はこの人形をダークの操りに比較して、西洋のやり方は宙に吊っているのだから腰がきまらない、手足が動くことは動いても生きた人間のそれらしい弾力や粘りがなく、したがって着物の下に筋肉が張り切っている感じがない。文楽の方のは、人形使いの手がそのまま人形の胴に這入っているので、真に人形の筋肉が衣装の中で生きて波打っているのである。これは日本の着物の様式を巧みに利用したもので、西洋でこのやり方を真似ようにも洋服の人形では応用の道がない。だから文楽のは独特であって、このくらいよく考えてあるものはないと云うのだが、そう云えばそうに違いない。(中略)老人の議論を押し詰めて行くと、矢張据わっている時の方がねばりの感じが表わせる訳で、動くとしても肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かにに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生きいきと感じられる。』(「蓼喰ふ虫」第2章)

文楽の人形は西洋の操り人形とは違うというのです。それは人形遣いが自分の手を使って人形の胴を支え・手足を動かすので、人形の動きに生きた人間の弾力や粘りが伝わってくるからです。上から垂らした糸で人形を操る西洋のマリオネットではこれは表現できません。もうひとつ主人公の観察のなかで見逃してはならぬ指摘は、文楽人形は激しく動いている時よりも・むしろじっとしている時の方が生きている感覚が不気味なほど強く伝わってくると言っていることです。これこそが谷崎が他の操り人形では駄目で・文楽人形でなければならないとする理由なのです。(この稿つづく)

(H22・7・11)


○生きている人形・その

「蓼喰ふ虫」の主人公である斯波要と美佐子の夫婦は、傍から見るとまったく問題がないように見える夫婦ですが、実は性格の不一致という問題を抱えています。ふたりは合意の上で離婚することに決めていますが、息子・弘への気遣いか世間への気兼ねか、それをなかなか実行できないままウジウジしています。主人公の要自身はこのように言っています。

『僕にはどうなるか全く分からない。分かっているのは、別れなければならない理由は余りに明らかに備わっている、(中略)すでに夫婦ではなくなっている、と云う事実だ。僕も美佐子もこの事実を前において、一時の悲しみを忍ぶか永久の苦痛を耐えるか、どっちとも決断が附かずにいる。決断は附いているんだが、それを実行する勇気がないので迷っているんだ。』(「蓼喰ふ虫」・その5)

小説はこの状況のまま終始します。最後の場面ではいよいよ夫婦は別れるかという感じになりますが、結論が出たわけではありません。ところで「蓼喰ふ虫」については名作であるだけにいろんな方の評論が出ていて・吉之助も多くの評論に目を通すことが出来ました。吉之助がそれらを読んでとても不思議に思うのは、そのどれもが斯波夫妻のこの状況を静的な・動かないイメージで読んでいることです。確かに小説は離婚するのかしないのか・どちらつかずのまま・筋としては大きな展開を見せません。しかし、吉之助は昭和3年(1928)に書かれたこの小説は動的な揺れるイメージで読むことが大事であると思うのですねえ。20世紀初頭の時代的気質において読まねばならぬのです。無解決の時代・不安の時代・煩悶の時代・神気疲労の時代ということです。夫婦は離婚に踏み切るかどうか・ウジウジ悩んで動かないように外見的には見えますが、実はその内面がどうしようか・ああしようか・こうしようかと激しく波の如く揺れ動いているのです。そのような読み方をする評論がまったく見当たらないのが不思議です。これはひとつには中期以降の谷崎が日本的な美しさに回帰したという思い込みに原因するのではないかと吉之助は睨んでいます。例えば吉田精一氏は次のように書いています。

『谷崎氏の作品の生命は、その静的な美しさにあるというのが定石である。(中略)「蓼喰う虫」もそういう、動きよりも状態の描写に重点を置いた作品である。しかし、この作品が、動きを中心に展開する初期のものよりも遥かに動的な印象を与え、後期のもののように、揺るぎない造型性が精巧な絵巻の外観を呈するのと異なっているのは、言わばこの作品に捉えられた瞬間の性質に掛かっていることなのである。』(吉田精一・新潮文庫解説、昭和26年10月)

「(「蓼喰う虫」は)動きを中心に展開する初期のものより遥かに動的な印象を与える」と書いていますから、吉田氏もうすうす感付いてはいるのです。しかし、「動きより状態の描写に重点を置いた作品である」と、吉田氏がなおも斯波夫婦の状態を「動かない」と見ていることも確かなのです。まあ読み方はそれぞれのことですからどちらが正しくて・どちらが間違いということではないですが、そういう読み方が提示されていないようですから・本稿では吉之助が別視点から「蓼喰ふ虫」の読み方を提示申し上げたいと思うわけです。すなわち「蓼喰ふ虫」を動的な揺れるイメージで読むということです。同時に作品のなかで重要な役割を持つ文楽人形の描写から谷崎の人形観についても考えてみたいと思います。(この稿つづく)

(H22・7・4)


○生きている人形・その5

谷崎潤一郎の小説「蓼喰ふ虫」は昭和3年(1928)12月3日から翌年6月17日まで83回に渡って「大阪毎日新聞」・「東京日日新聞」に断続的に連載されました。「蓼喰ふ虫」は言うまでもなく谷崎の代表作ですが、それまでの悪魔的とか耽美的などと言われた初期の作品群・例えば「痴人の愛」(大正13年)などから作風を一変し、その後の「盲目物語」や「吉野葛」(ともに昭和6年)さらに「細雪」(昭和18年〜23年)に至る作品群、すなわち静的な美しさを生命とする作風への転換点に位置する作品であるとされています。ところで随筆「陰翳礼賛」(昭和8年)のなかで谷崎は「美は物體にあるのではなく、物體と物體との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」と いうことを書きました。「陰翳礼賛」は谷崎の日本への回帰を表明した重要な文章であると位置付けされています。これは「蓼喰ふ虫」執筆とほぼ同時期であり、 作中に登場する文楽人形の挿話などもなるほどこれも日本回帰ということかと何となく納得してしまいそうです。しかし、作家篠田一士氏は岩波文庫「谷崎潤一郎随筆集」解説のなかで「その後、谷崎文学に親しむにつれ、日本への回帰といった、軽薄な殺し文句は上っ面もいいところ、作者の真意を損なうこと甚だしいものと確信するに至ったのである」と書いています。

『(「陰翳礼賛」のなかで)作者は日本の生活様式だけを尊しとし、これを守りつづけるべしとは一言も口にしていないのである。伝統的な生活様式のなかに、どんな知恵、どんな美が見出されるにしても、それらは日一日と、くずおれ、消え去りつつあることを、なににもまして、レアリストの谷崎潤一郎が知らないはずはない。ただ彼は、そうして滅びゆくものを嘆く抒情には無縁で、むしろ滅びゆくものをいとおしみながらも、滅びゆくものは滅びるままにするしか仕方あるまい、それより来るべき新しき事態に対して、われわれ日本人はどのように対峙し、これに適応すべきかを明快に解き明かしたのが、「陰翳礼賛」の逆説的な真意なのである。』(篠田一士 編・「谷崎潤一郎随筆集」解説・岩波文庫)

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫)

ここで「レアリストの谷崎潤一郎」という指摘が重要であると思います。なるほど谷崎はレアリストなのです。だとすれば冷徹なレアリストの視点で「蓼喰ふ虫」を読むならば、例えば次の文章をどのように読んだら良いでしょうか。

『ふと要は、ああいう暗い家の暖の簾のかげで日を暮らしていた昔の人の面ざしを偲んだ。そういえばああいう所にこそ、文楽の人形のような顔立ちを持った人たちが住み、あの人形芝居のような生活をしていたのであろう。どんどろの芝居に出てくるお弓、阿波の十郎兵衛、順礼のお鶴などというのが生きていた世界はきっとこういう町だったのであろう。現に今ここを歩いているお久なんかもその一人ではないか。今から五十年も百年も前に、ちょうどお久のような女が、あの着物であの帯で、春の日なかを弁当包みを提げながら、やっぱりこの路を河原の芝居へ通ったかも知れない。それとも又あの格子のなかで「ゆき」を弾いていたかも知れない。まことにお久こそは封建の世から抜け出してきた幻影であった。』(「蓼喰ふ虫」第10章)

主人公斯波要は文楽の人形に見られる「概念としての昔の女の面差し」を懐かしんで、その幻影を現実の女性に重ね合わせようとするかのようです。これは谷崎の永遠女性への憧れと言われるものです。確かに永遠女性は谷崎文学を貫くテーマではあります。しかし、吉之助はこれを純粋にロマンティックに見ることはできないのです。レアリストの谷崎が永遠女性という言葉を使うならば 、その女性の面差しはどこか歪んでいなければならぬのと思うのですねえ。本稿冒頭にエゴン・フリーデルの文章を引きました。「ホフマン物語」の詩人ホフマンが愛した女性は人形(オランピア)か・娼婦(ジュリエッタ)であり、真実愛する女性(アントニア)は死の手中にあり、その愛は決して成就することはなかったのです。同じようなことが谷崎にも言えます。大事なポイントは谷崎は20世紀初頭の時代的気質のなかに生きた作家であったということです。表向きは日本回帰というような様相をしていても、その裏に冷徹なレアリストの眼が 潜んでいるに違いないということです。(この稿つづく)

(H22・6・27)


○生きている人形・その4

19世紀末から20世紀初頭(ちなみに1900年が明治33年ということになります)は民衆を取り巻く環境が大きく変化した時代であったことは既に述べた通りですが、これは決して西欧に特徴的なことではなく・日本においても同様なことでした。1900年の時点で日本は既に日清戦争を経験し、さらに4年後にはロシアと戦争することになります。民衆に求められたのは国家に奉仕することでした。これは明治維新の時に民衆が抱いた夢とはかなり様相が違ったものだったのです。坪内逍遥は明治45年(1912)に次のように書いています。

『初期の明治は、截然(せつぜん)たる移り変り時であって、すべて物事が判然している。勝つも敗るるも、空竹を割ったように始末がついていた。このきびきびした時代精神を表すには、団十郎の芸風が最もふさわしいものであった。しかし今はもうそういう時勢ではない。移り変り時代たるの機運はなお続いているが、いかにも曖昧で、無解決で、あやふやで、成敗去就ともにほとんど誰にも解りかねて、昨日の楽観者が悲観者になるまいものとも知れず、大抵の人の心が、ともすれば不安の状態にある。ひと言を以って言えば、無解決の時代、不安の時代、煩悶の時代、神気疲労の時代である。それゆえ同じく煩悶を表すにしても、今日の人物のを表そうとするには団十郎のそれとは全く様式を別にしなければならぬ。』(坪内逍遥:「九世団十郎」・明治45年9月)

「ひと言を以って言えば・無解決の時代・不安の時代・煩悶の時代・神気疲労の時代」と逍遥は書いています。これこそ20世紀初頭の時代的気質とも言えるものでした。実はこの気分は色合いを変えてはいても、21世紀の現在も続いているものです。「無解決の時代、不安の時代」の気分は、揺れるような・震えるような感覚で表現されます。高揚するようだけれどすぐに収まる・沈静するようだけれどもまたソワソワしてしまう、そのような落ち着かない気分なのです。その表現はひとつの定まった方向に収斂することなくフワフワとして、明確な形をとることがありません。

音楽で言えば、それは早くなったり・遅くなったりするリズム、音量が大きくなったり・小さくなったりすることを頻繁に繰り返す旋律です。この時代の代表的な音楽作品としてストラヴィンスキーのバレエ音楽「ぺトルーシュカ」を挙げておきます。「ぺトルーシュカ」は興行師ディアギレフの主宰するバレエ・リュッス(ロシアバレエ団)により、天才的ダンサーであるニジンスキーの振り付けで1911年6月パリで初演されました。見世物小屋の人形ぺトルーシュカは、魔術師によって命を吹き込まれてバレリーナの人形に恋をしますが、ムーア人の人形に邪魔されて・殺されます。ペトルーシュカは人形ですが、人間と同じ感情を持っています。引き攣るようにぎこちない人形の機械的な動きが、人形の体の中に閉じ込められて・その殻を突き破ろうとする人間的な感情を表現しています。冒頭の「謝肉祭の市場」の揺れるリズムをお聞きください。賑やかでワクワクする見世物小屋の始まり 始まり。人形たちが心を持って動き出す。愉しいメルヒェン的なお話であるかのように見かけは作られてはいますが、その内容は実に20世紀初頭の気分そのものなのです。実は「人形」というものは、国家社会機構のなかに組み込まれて・パーツと化してしまった個人を象徴しています。もちろん個人には命があり・感情がありますが、それを主張することは許されないのです。ぺトルーシュカが恋をすることは許されません。そして社会の枠組み(見世物小屋)のなかで個人の生きた感情をとことん主張するならば人形は殺されるということです。

揺れるリズムは早くなったり・遅くなったりしますが、結局、ひとつの方向に定まらないのです。興奮と沈静を交互に繰り返しますが、結果としてそれは何も生み出すことはありません。しかし、内側から何かを生み出し・何かしら方向性を見出そうという意志を伝えるリズムです。つまり、それは内側から「もがき」・「あがく」リズムなのです。内側から盛り上がろうとすると、これを抑えようとする正反対の力が外側から働きます。逆の見方も可能です。外側からの力と折り合いをつけて沈静しようとしても、今度は内なる衝動に突き上げられて興奮せざるを得なくなるのです。いずれにしても彼は自分の意志だけで自由に動くことはできません。それでリズムが早くなったり・遅くなったりするのです。

別稿「アジタートなリズム」において歌舞伎の台詞のリズムを考えました。かぶき的心情のアジタートな気分を表す最もストレートな表現は、タンタンタン・・・と早いリズムで聴き手を急きたてていくリズムです。あるいはアッチェレランド(次第にテンポを加速する)のリズムです。当然ながら、そのような単純直截的なリズム表現が 初期の歌舞伎の台詞のリズムで した。元禄の江戸荒事の様式がそれです。しかし、もう少し時代が後になりますと表現が成熟して・洗練されてアジタートの表現に、揺れるようなリズムが登場します。「アジタートなリズム」で吉之助は黙阿弥の七五調とはそのような揺れるリズムの表現であることを指摘しました。歌舞伎のアジタートな表現が行き着いて・爛熟したリズム こそ黙阿弥の七五調なのです。そこに黙阿弥の七五調が幕末に登場しなければならぬ必然があるわけです。しかも、明治元年が1868年であることでも分かる通り・それは西欧の状況とは無関係であるにも係わらず・時代的にとても似通ったところで起きているということが興味深い のです。(このことは別稿「歌舞伎とオペラ」も参考にしてください。)同じことを西洋音楽のなかに見てみれば、揺れる 感覚が登場するのはその典型は十九世紀後半のウインナ・ワルツあるいはバルカローレ(舟歌)のリズムであるということになります。かくして揺れる気分は十九世紀後半から20世紀初頭にかけての 全世界を覆うところの時代的気質を表現する様式となるわけです。

(H22・6・12)


○生きている人形・その

人類の歴史において・科学が与えた三つの衝撃があったということがよく言われます。ひとつはコペルニクスの地動説、ふたつめはダーウィンの進化論、みっつめがフロイトによる無意識の発見です。まずコペルニクスの地動説は、教会が説くところの・神は人間と地球を宇宙の中心に位置付けたとする世界観を根本的にひっくり返しました。ダーウィンの進化論は神は自分の姿に似せて人間を作り・生命体の頂点に置いたとする考えを 覆しました。そしてフロイトの無意識の発見は、人間というのは自分の意識しないところの何かによって縛られ・動かされる人形に過ぎないことを教えたのです。

ジークムント・フロイトが著書「夢判断」を出版したのは1899年1月のことでした。しかし、フロイトの無意識の発見は突然のひらめきによって生まれたわけではなくて、実は フロイトの思想は極めて19世紀末的な感性の産物なのです。ひとつには産業革命の進行により道具のように扱われ酷使される市民、国家体制の強化と相次ぐ戦争によって落ち着いた生活を奪われた市民のイライラした気分・抑圧された精神の軋(きし)みということです。それが「まるで我々は人形同然じゃないのか」という空虚な感情を生み出します。前項で引用したヴァルベールの文章を思い返してください。

『機械の世紀には(中略)自我がこれほど大きな主張をし、これほど大きな場所を占め、これほどひけらかされたことはなかった。しかしまたこれほど個人の自由な発展の邪魔をし、個人が作りあげるものにおける個性を損ない、思うように人格を形成したいという望みを裏切った時代もまたなかった。(中略)我々は自分を複雑にし、歪め、よじり、また元に戻し、自分の言葉や思考をこねくりまわすのが好きだ。我々は単に複雑な存在であるだけでなく、いつも何かに駆り立てられている。』(ジョルジュ・ヴァルベール:「機械の世紀」・1889年)

ヴァルベールが感じていることは、私たちを駆り立てるものは何か・私たちは何を求めて生き・何ゆえ苦しむのかという問題です。ヴァルベールは外的な要因だけではなく、 その内的な要因についても目を向けています。 このような19世紀西欧の時代の思いの行き着くところにフロイトの無意識の発見があったことが分かると思います。またこのことは音楽でも文学でも絵画でも同時代の西欧芸術作品をあたってみればさらに強く実感できます。とすれば、自動人形のオランピアに恋してしまう詩人ホフマンとはただ美しい幻想に惑わされて・見えるべきものが見えなかった哀れな男に過ぎなかったのでしょうか。 まだ見ぬ日本の娘に人形のイメージを重ねるロティという男は、金銭で性的支配欲を満足させる道具を求める傲慢で嫌らしい男に過ぎなかったのでしょうか。そうではありません。そうではなくて、実は彼らは 自分の姿を自分と似た存在(人形)に知らず知らずのうちに重ねているのです。似たような存在同士が引き合っているということです。そう考えると、ホフマンはオランピアに操られている人形に、ロティはお菊さんに操られている人形に見えてこないでしょうか。人形と対している時にだけ彼らは自分が生きていると(つまり自分は人間であって人形ではないと)感じるのです。

『幻想のなかでは、主体はしばしば気付かれぬままになっています。しかし、主体は夢のなかであれ夢想のなかであれ、多少とも発展した何らかの形態においてはつねに存在しています、主体は幻想によって規定されたものとして自らをそこに位置付けているのです。幻想が欲望の支えです。対象は欲望の支えではありません。主体はたえず複雑さの度合いを増していくシニファンの集合との関係で、欲望するものとして自らを支えています。このことは主体が身にまとっているシナリオという形でよく見て取ることができます。シナリオのなかで主体はどこかにおり、もはや真の姿を見せない対象との関係で分裂し、分割され、通常は二重化されています。』(ジャック・ラカン:「精神分析の四基本概念」)

ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念

(H22・5・29)


○生きている人形・その2

19世紀末西欧の人形のイメージをもう少し考えてみます。プルーストの「失われた時を求めて」のなかのエピソードですが、「私」(マルセル)と恋人アルベルチーヌとの会話のなかである可愛い少女のことが話題になった時、アルベルチーヌが「そうね、あの子は可愛いムスメのような感じだわ」と言うのを聞いて、「私」は彼女が「ムスメ」という言葉を知っていたことにちょっと吃驚します。

『明らかに、私がアルベルチーヌを知るようになった頃は「ムスメ」というのは彼女には未知の語であった。そのまま事態が正常に進んだのであったら、そんな語を彼女が知ったはずがない、というのが本当だろう。そして私にとってもそれについては気になることは何もなかっただろう。というのもこれ以上に身の毛立つ語はないからである。この語を耳にすると、人は口のなかに氷の大きなかけらを入れた時のように歯が浮くのを感じる。しかし、アルベルチーヌを見ていると、いかにも美しいので、そんな「ムスメ」という語さえ、私にはどうしても不愉快になれないのであった。』(マルセル・プルースト:「失われた時を求めて〜ゲルマントの方・U)

ここで使われている「ムスメMusume」という言葉は日本語の「娘」から来ています。「ムスメ」は19世紀末のパリでよく知られた言葉だったそうです。これについては海野弘氏 が「プルーストの部屋」のなかで詳しく解説されていて・それがとても参考になります。その発端はロティの小説「お菊さん」(1887)にあるそうです。

海野弘:プルーストの部屋〈上〉―『失われた時を求めて』を読む

『ムスメというのは若い少女または非常に若い女を意味する言葉である。それは日本語のなかでも一番愛らしい言葉だ。そこにはムウ(彼女たちがするような、かわいく、おかしなムウ、つまりしかめ面)や、特にフリムウス(彼女たちがするようなフリムウス・シフォネ、つまり愛嬌のある顔)があるような気がする。』(ピエール・ロティ:「お菊さん」)

ロティはムスメという言葉の響きにムウとかフリムウスという言葉を重ねてイメージしているのです。さらにムスメという言葉に人形(ブウべ)のイメージが重ねらます。ロティは日本に着くとすぐに周旋屋に若い女を紹介してもらいます。金で買われてくるムスメがお菊さんです。ムスメ とは外国人に快楽を奉仕する人形なのです。

『そうだ。・・・皮膚の黄色い、髪の毛の黒い、猫のような目をした小さい女をさがそう。可愛らしいのでなくちゃいかん。人形(ブウべ)よりあまり大きくないやつでね。 君に部屋を貸してあげよう。青い花園のなかの、植え込みのこんもりした、紙の家だよ。花のなかで暮らすんだ。そこいら一面に花が咲いて、毎朝花束(ブウケ)で いっぱいになるんだ。君なんか見たこともない花束(ブウケ)で。』(ピエール・ロティ:「お菊さん」)

もちろんこれは欧米男性が日本女性に抱く自分勝手なイメージに違いありません(つまり異文化論としても読むことも出来るわけです)が、19世紀西欧の歪んだ精神状況をそこに垣間見ることができて実に興味深いものです。「ムスメ」という人形はちゃんと肉体を持っていて、金さえあればその恋を自分のものにできるからです。実体があって・しかも手が届く範囲にあるところの自動人形なのです。つまりそれはホフマンの自動人形オランピアへの願望と深いところで重なっているということです。このことは19世紀末西欧を見れば理解ができます。今はパリのシンボルとなっているエッフェル塔が作られた時の1889年パリ万国博覧会を見たジョルジュ・ヴァルベールは次のように記しています。

『人々はシャン=ド=マルスの機械館を見てまわる。唸り吼え、ヒューヒューと音を立て、何かを吐き出しながら、激しい動きによって正確で一部の狂いもない作品を完成するこの飼い慣らされた怪物の間を歩きまわる。人々は機械の時代が、何よりも人類を賞賛する方向へ向かったことに驚くだろう。機械の世紀には、それが減退させたはずの、自我崇拝がこれまでにないほど発展した。いかなる時代も、自我がこれほど大きな主張をし、これほど大きな場所を占め、これほどひけらかされたことはなかった。しかしまたこれほど個人の自由な発展の邪魔をし、個人が作りあげるものにおける個性を損ない、思うように人格を形成したいという望みを裏切った時代もまたなかった。我々が生きている社会は我々を横並びに並ばせる。誰か別の人間と取り替えることは少しも難しくない。我々は自分を複雑にし、歪め、よじり、また元に戻し、自分の言葉や思考をこねくりまわすのが好きだ。我々は単に複雑な存在であるだけでなく、いつも何かに駆り立てられている。すべてが我々の我を膨らませ、絶え間なく我々の感覚を多様化させ、変化させようとする。我々は不可能を信じることができず冒険を試みる神経症患者のようであり、あまりに軽いので止まる枝をたわめることもないまま、名付けることも、見つけることもできない何かを捜し求めるためにすぐにまた飛び立っていく鳥のようだ。』(ジョルジュ・ヴァルベール:「機械の世紀」・1889年)

(H22・5・15)


○生きている人形・その1

「オッフェンバックは、しばしば非難されてきたように、心理学的な論理や芸術的推進力には頓着せず、要するに「幕間劇」しか作らなかった。このことは、極度の、つまりは美学的な、シニシズム(冷笑主義)の結果に過ぎないとも言える。自分自身の芸術の法則をもあざ笑う自由思想と自己嘲笑の結果だったのである。しかし、彼が深く優しい心の持ち主であったということは、最後の作品「ホフマン物語」の舟歌だけでも分る。「ホフマン物語」において手本にされたドイツ・ロマン主義は、パリのデカダンスによって甘く味付けされ、洗練されて、素晴らしく感動的な歌を歌い始める。ここでは、現代的国際都市の急進主義が、消え去ってしまった愛を嘆いている。女性は人形か・娼婦である。真実愛する女性はすでに死の手中にある。』(エゴン・フリーデル:「近代文化史」)

オッフェンバックはカンカン踊りのオペレッタ作曲家としてあまりにも有名です。歌劇「ホフマン物語」(1881年・パリ初演)は彼の唯一のオペラであり、これが彼の最後の作品 でもあります。原作は19世紀ドイツの幻想文学のE.T.A.ホフマンの「砂男」などの小品から採っています。歌劇「ホフマン物語」は主人公ホフマン三人の女性と次々に恋に落ちますが、 いずれも夢破れてしまうという物語です。この第2幕でホフマンが恋してしまう女性オランピアが実は自動人形です。オランピアは物理学者スパランツァー二の作り出した自動人形です。オランピアは美しい眼をした人造美人で・機械仕掛けで上手に歌を歌い・踊りをしますが、話しかけると「ウイ(はい )」としか返事をしませ ん。スパランツァー二は金目当てでオランピアとホフマンを結婚させようと画策しています。スパランツァー二は「物理学がすべてじゃよ、君。オランピアは高くついたんだ。」などと言いますが、恋で眼がくらんでしまっているホフマンは「物理学と彼の娘と何の関係があるんだ?」とまったく無頓着です。それがホフマンに悲運をもたら します 。

ここで自動人形について考えてみます。人間の働きを真似する人工の仕掛けを創ろうとする願望は昔からあったものです。古くはギリシア神話にも機械仕掛けの人形が登場します。しかし、自動人形が最も流行したのは時計技術が発達してきた18世紀のことで、王侯貴族は精巧な自動人形を収集して居室を飾り、その優美な動作を楽しむと共に、権力と冨の象徴として誇示しました。当時の有名な自動人形の製作者ラ・メトリはフリードリッヒ大王の寵愛を受けました。訓練された軍隊、長期間の教練に熱心であったフリードリッヒ2世は自動人形に取りつかれていました。産業革命以前の自動人形は、「服従させうる・自分の意思にひたすら従順な存在」として為政者の願望と結びついてい ました。

19世紀に入ると自動人形に別の意味が加わります。それは機械・つまり科学の持つ分かりやすさです。科学には秘密を持ちません。設計図さえあれば誰でもカラクリが理解できて・同じものが大量に作れるのです。自動人形がみんなのものになるのです。このこと がフランス革命後の啓蒙思想と結びつきます。自動人形の大量生産を可能にするのは、豊富な資金力とそれに裏付けられた生産性です。それがブルジョワジーが享楽の産物として夢見た自動人形として「ホフマン物語・第2幕」に出てくるものです。「ホフマン物語」のオランピアは、オッフェンバックの時代の新興ブルジョア令嬢たちが急拵えの教養と作法で社交界へ大量に送り出されるのを皮肉ったものとも言われています。お人形のお定まりの行動パターンは令嬢たちが受けたマナーの訓練の成果です。行動を標準にまで高めた社会はそれを楽しみ・評価するけれども、実はそれには心はこもっていなくて・氷のように冷たく死んでいるというわけです。

「ホフマン物語」の詩人ホフマンは自動人形のオランピアに恋してしまいますが、バラバラにされたオランピアを見てホフマンは愕然としてしまいます。そんなホフマンを周囲の人々は嘲笑します。ここでのオランピアは見掛けは美しく魅力的であっても実体がない不毛の存在と見なされます。人形に恋してもその恋は決して成就することはありません。しかし、もしかしたらホフマンはそれが決して成就しないことを無意識のうちに感じて、恋に憧れ恋に恋していたのかも知れません。そうやってホフマンが次々恋していくなかに自動人形がいたのです。

(H22・5・10)


 

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