「歌舞伎素人講釈」別館
もうひとつの吉之助ワールド

本コーナーでは音楽から文学・歴史・哲学まで
歌舞伎からちょっと離れた・吉之助の文章を格納します。
しかし、 そこはサイト「歌舞伎素人講釈」ですから・
地下水脈でどこかにつながっているのです。

*吉之助の「音楽ノート」はこちら。

吉之助の「クラシック音楽」雑記帳はこちら。
こちらには吉之助の聞いた音楽の感想メモが格納されています。

題名

文学 泉鏡花 泉鏡花について
鏡花の耽美主義について
超自我の幻想
鏡花とかぶき的心情
たそがれの味〜鏡花をかぶき的心情で読む
「高野聖」のたそがれの味
演劇 演劇論 沈黙の言語
演劇におけるジェンダー
折口信夫 折口信夫への旅・第1部〜小説「身毒丸」をめぐって
折口信夫への旅・第1部・補説
音楽 歌劇 歌劇におけるバロック
音楽と言葉
山田耕作の長唄交響曲
古典性とバロック性
音楽随想 イメージとの格闘
ヘルベルト・フォン・カラヤン ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100年
カラヤンと歌舞伎
ヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏
グレン・グールド グレン・グールドの演奏
イーヴォ・ポゴレリッチ イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル2010
イーヴォ・ポゴレリッチ・来日公演2012
文学 ポール・クローデル クローデルの「文楽」
西洋と東洋の出会い
美術 絵画論 試論:歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか
かぶき的心情とバロック
ふたつの魂
日本におけるバロック的なるもの
ジャポニズムとバロック
「マネジメントの父」が愛した水墨画〜ピーター・ドラッカー・コレクション
文学 ウィリアム・シェークスピア 喜劇「十二夜」を記号論で読む
似てはいても別々の二人
暗喩としてのシザーリオ
音楽 ジュリエッタ・シミオナート シミオナートと六代目菊五郎
西欧芸術 19世紀の西欧芸術と江戸芸術
死への憧れ〜ボヘミアンの生活
1975年・明治8年・パリ
歌舞伎の水彩画のイメージ
ヴェネチア〜人工的な自然
廃墟への思い
       
文学 武智鉄二 伝統における古典〜武智鉄二の理論
      武智歌舞伎のアヴァンギャルドな感覚
      本物のチープ感覚〜武智鉄二の理念
      吉之助が芸談「芸十夜」を読む前編
      吉之助が芸談「芸十夜」を読む・後編
      武智鉄二が愛したレコード〜プランテの弾くショパン
谷崎潤一郎 谷崎潤一郎:東京と上方と
生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論
鬼が棲むか蛇が棲むか〜谷崎潤一郎:「卍」論
谷崎潤一郎の「感覚的な悪」について
「吉野葛」の世界・その1:妹背山
「吉野葛」の世界・その2:釣瓶
「吉野葛」の世界・その3:二人静
「吉野葛」の世界・その4:狐忠信
「吉野葛」の世界・その5:葛の葉
「吉野葛」の世界・その6・吉野南朝
団十郎菊五郎在りし日のわが母よ〜谷崎潤一郎・「吉野葛」論
文学 夏目漱石 夏目漱石について
文学 三島由紀夫 三島由紀夫の歌舞伎観:その共感と嫌悪
三島由紀夫の歌舞伎観:補遺ノート
三島由紀夫と桜姫東文章
影山伯の舞踏会
故郷に帰ったつもりで
妻麗子の幻影
「サド侯爵夫人」を様式で読む
三島由紀夫の「椿説弓張月」
絶望やニヒリズムから芸術は決して生まれないのです
村上春樹 村上春樹・または黙阿弥的世界
村上春樹・または黙阿弥的世界・2
村上春樹・または黙阿弥的世界・3
村上春樹・または黙阿弥的世界・4
吉田秀和 吉田秀和は本当に偉いのか
絶対的なるもの〜吉田秀和・最後の言葉
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