(TOP)                (戻る)

吉之助の音楽ノート

ワイル:「三文オペラ」


吉之助が「三文オペラ(Die Dreigroschenoper)」を知ったのは クルト・ワイルの音楽よりも、ベルトルト・ブレヒトの脚本の方が先でありました。「三文オペラ」は岩波文庫で簡単に手に入ります。これが滅法面白い芝居でして・芝居を音楽付きで見たいものだと思いましたが、これがなかなか劇場に掛らない。待ちに待って・やっと舞台を見たのが・昭和52年(1977)8月帝国劇場での蜷川幸雄演出の「三文オペラ」のことで した。この時の舞台ですが、メッキースが平幹二朗・ポリーが栗原小巻・ジェニーが鳳蘭・ピーチャムが若山富三郎でした。なかなかの豪華顔ぶれでしょう。この時に初めて「メッキースのモリタート(殺人物語大道歌)」がフランク・シナトラがよく歌っていた「マック・ザ・ナイフ」であることに気が付いたという次第。(ワイルはナチス迫害を逃れて・その後渡米しますが、戦後、英語に訳された「三文オペラ(Three Penny Opera)」が大ヒットします。そのヒットナンバーが「マック・ザ・ナイフ」です。渡米後のワイルが作曲して有名なポピュラーソングは「セプテンバー・ソング」があります。これもいい歌ですね。)

「三文オペラ」は1927年ベルリン初演ですが、演劇なのか・オペラなのか・はたまたオペレッタであるのか、ジャンルが明確でない作品です。現在は本作は欧米でも演劇に分類されることが多いようですが、 吉之助自身は「三文オペラ」はオペレッタというより、アンチ・オペレッタ作品として理解しました。

この1920〜30年代のベルリンというのは第二次世界大戦直前の文化爛熟・熱狂の時代で芸術が乱れ咲いた時代でありました。映画で言えば「嘆きの天使」・「カリガリ博士」・「メトロポリス」と言った作品が生み出されていますが、オペレッタも全盛期でした。この時期のオペレッタと言えばレハールやシュトルツのウイーン・オペレッタ が有名ですが、ベルリン・オペレッタも続々生まれました。代表的なものを上げればリンケの「月夫人」・べナツキーの「白馬亭にて」です。これらが後にアメリカに渡ってミュージカルになっていくのです。

ベルリン・オペレッタはもうほとんどポピュラー音楽です。これは実に旋律が美しくて楽しい音楽です。オペレッタの筋立てはだいたい男と女が出合って恋をして・いろんな行き違いやらがあってドタバタがあって・しかし最後はめでたく結ばれるみたいな他愛のないパターンですかね。吉之助は一時は随分オペレッタに入れ込んでおりました。ところが、ある時ハッと気が付いたのです。これは迫り来る不安の時代 ・戦乱の時代から目を逸らしている享楽の音楽だということです。そこに気が付いたちょうどその頃に「三文オペラ」に出会ったわけです。

「三文オペラ」はジョン・ゲイの「乞食オペラ」(1728年ロンドン初演)の翻案物でして・「乞食オペラ」が当時のロンドンで全盛であったヘンデルのバロック・オペラ(神話や伝説など荒唐無稽な筋立てのオペラ)を散々にやっつけたという背景は本稿では長くなるので省きます。とにかく「三文オペラ」は文化爛熟・享楽の時代のベルリンにあって・冷ややかに現実を見詰めようとするオペレッタであると吉之助は理解をしました。

ブレヒト自身はある雑誌アンケート(1929年)のなかで 「オペレッタはジャンルとしてはまだ有効でしょうか・それとも「三文オペラ」のようなやり方で変えるべきものと思いますか」という問いに対して、「これもオペレッタであると仰るなら、むしろこれはオペラの白痴化に反撃しようとする試みなのです。私にはオペラの方がオペレッタより・はるかに愚かしく・現実離れしていて ・その志向においてもっと低級なものだと思います」と答えています。だから、やはりブレヒト・ワイルの標的はオペラなのです。

しかし、まあ、現在では「三文オペラ」は演劇に分類されることが多いようですし、この雑誌アンケートで分る通り・これをオペレッタ批判であると見た批評家が当時も 少なからずいたわけで、「三文オペラ」が反オペレッタであると見た吉之助の理解は的外れではないと思っています。事実、オペラ史のなかで見ると「三文オペラ」は特異な存在で して・後に同じ流れを汲むものがなく、ブレヒト・ワイルの成果はむしろミュージカルの方に多分に生かされていると思います。例えば次のような点です。ブレヒトは自作の芝居「三文オペラ」のなかで「ソング」と呼ばれる劇中歌を多用して、ドラマにダイナミクスを与えています。ブレヒトは「三文オペラへの註」のなかで、ソングについてこう書いています。

『歌を歌うことで、俳優はひとつの機能転換を行なう。俳優が普通の会話から無意識のうちに歌に移っていったような振りを見せるほどいやらしいことはない。普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない。高められた会話が普通の会話のたかまりであったりしては決していけないのだ。』(ブレヒト:「三文オペラへの註」〜ソングを歌うことについて)

ベルトルト・ブレヒト:三文オペラ (岩波文庫)に収録

世間で「ブレヒト・ソング」と呼ばれているものがそれです。「高められた会話が普通の会話のたかまりなのではなく、高められた会話が歌唱になるのでもない・それらは切り離されなくてはならない」とブレヒトは言うのです。このことは歌舞伎の 演技や台詞回しにも面白いヒントを与えるものだと思っています。例えば見得は演技の高まりであってはならない・台詞の世話と時代の様式は切り離されなくてはならないとか、いろいろ考えられますね。(別稿「試論・黙阿弥の七五調について考える」をご参照ください。)

ところで、ワイル作曲になる「ソング」は素人っぽく・シンプルに作られているように見えますが、聴けば聴くほど実によく考えられたものです。「ソング」は芝居の解説でもなく・芝居を高めたものでもなく、ドラマにはめ込まれた 「絵」のようなものなのです。そこに「ソング」の面白さがあります。

ワイルのブレヒト・ソングに関しては音楽が言葉と密接に関係していることを痛感します。ワイルは「三文オペラ」の大ヒットの後、好評だったナンバーを歌なしの管楽合奏の組曲に編曲しています。「小さな三文音楽(Eine Kline Dreigroschenmusik)」と題される・その曲は、吉之助が聴く限り「歌なしだとこんな侘びしく響くのか」と思うほどオーボエ・クラリネットが寂しく哀しく感じられます。(次いでに申し上げますと、この時代の曲はどの作曲家でもオーボエ・クラリネットの響きに共通の虚無的な哀しい響きが感じられます。R・シュトラウス 、マーラー、バルトーク、ショスタコービッチも。)この曲を聴くとほんとに歌が恋しくなります。

『音楽が社会を変えることが出来ないにせよ、音楽が表層の下で分解し・生成するものを「受け入れて」はっきり表せるならば、音楽は先取り的にその変革を意味することはできるだろう。何よりこの音楽は、音楽がなくても未来に行進していくが、音楽付きならもっと容易に行動できる人々の起動力に照射を加えるものだ。ワイルの音楽は、今日・社会的・論争的なパンチ力を備えた唯一の音楽である。風が吹きすさんでゆく、正直な風だ。どの家々もそれを受け止めてくれず、周りでは時代が現実になっていない場で、この風は吹いているのだ。(中略)海賊ジェニーは民衆の心に、かつて女王ルイーゼのように近づいた瞬間を期して現われたのである。』(エルンスト・ブロッホ:「三文オペラに寄せて」・1935年)


(吉之助の好きな演奏)

「三文オペラ」の録音としては、ワイル夫人であるロッテ・レーニアがジェニーを歌った古い独CBS録音を別格として挙げておきたいと思います。他の歌手の歌はそう上等とは思いませんが、まあ、こういう曲はクラシックの歌手があまり立派に歌っちゃうといけないようですね。安っぽい方がいいようです。しかし、初演でもジェニーを歌ったレー二アの歌は当時の雰囲気を濃厚に残していますから、機会があれば聴いてみることをお薦めします。このレコードではレーニアはワイル夫人の特権で・本来はポリーの持ち歌である「海賊ジェニー」 を歌ってしまっていますが、これが何と言っても聴き物です。

現在簡単に手に入いる「三文オペラ」の録音でお薦めできるのは、ジョン・マウチェリ指揮RIASベルリン・シンフォ二エッタ、ウテ・レンパー、ミルバほかによるポリドール録音でありましょう。レンパー 、ミルバにはそれぞれ優れた「ブレヒト・ソング」のCDがあることを付け加えておきます。

ワイル:三文オペラ(マウチェリ指揮、レンパー他)

もうひとつ、「三文オペラ」の二年後にやはりブレヒト・ワイルのコンビで製作された音楽劇「ハッピー・エンド」のための音楽も非常に面白いものです。 「スラバヤ・ジョニー」という有名なソングが聴けます。デビット・アサートン指揮ロンドン・シンフォ二エッタの「クルト・ワイル音楽集」(ポリドール録音)で聴くことができます。

(H18・5・24)

 

(TOP)             (戻る)