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吉之助の音楽ノート

ビゼー:歌劇「カルメン」


歌劇「カルメン」の作品解釈については別稿「八つ橋の悲劇」で触れていますので、ここでは別の角度から「カルメン」を考えます。世紀のプリマドンナ:マリア・カラスのカルメンのことです。フランコ・ゼッフィレッリ監督の映画「永遠のマリア・カラス」 (ファニー・アルダン主演・2002年)はまったくのフィクションですが、晩年のカラスがオペラ映画制作に取り組むというストーリーです。演奏活動から退き・パリで孤独な隠遁生活を続けるカラスに 友人のプロデューサー(恐らくゼッフィレッリの分身でありましょう)が・現役時代のスタジオ録音に映像でオフレコの演技を重ねてオペラ映画を作ろうと働きかけます。最初は嫌がっていたカラスも・もう一度 人生の輝きを取り戻したいと次第にその気になってきて・映画制作は順調に進むのですが、いざ公開の段階になって・カラスはやはり歌わない自分は自分ではないということで公開を拒否してしまう・フィルムは結局葬られてしまうという筋であります。ここで登場する幻のオペラ映画こそがカラスが 生前舞台では一度も演じたことのない歌劇「カルメン」であります。

実際に隠遁中のカラスに現役時代の録音をベースにしてオペラ映画を作ろうという話が持ちかけられたことがあるのです。もちろんカラスが拒否して話はそのままになってしまったのですが、この時にプランに挙がったのはプッチーニの「トスカ」で した。ゼッフィレッリ演出・カラスのトスカ・ゴッビのスカルピアの舞台は写真集にその舞台写真が詳細に残されていますが、まさに迫真(リアルそのもの)の演技で・まさにカラスは世紀の女優だなあという感じがします。(そう言えばサルドゥーによる原作戯曲はサラ・ベルナールのために書かれたものでした。) そこで生前のカラスと親しかったゼッフィレッリは以上の経緯をもちろん承知のうえで、もしカラスがオペラ映画制作を承諾したとしたらというフィクションを映画にした わけです。しかし、ここでゼッフィレッリが実際にあった「トスカ」ではなくて・「カルメン」を材料に選んだのはやはり意味深であったと思います。

まずカルメンは自由奔放で・勝手気まま・我儘に気分の赴くままに行動をする情熱的な女性であるというイメージ(先入観)がありますが、実は彼女は絶えず不安におびえ・何かに縛られ・苦しみ・もがいているということです。カラスのディーヴァ(歌の女神)としての華々しい名声は言及するまでもありませんが、同時にカラスは絶えずスキャンダルに巻き込まれ・キャンセル魔とも我儘だとも中傷を浴びてきました。レッツォ・アッレーグリ著「真実のマリア・カラス」は、カラスがファンから届く膨大な手紙のなか・賛辞で埋め尽くされたような手紙は捨ててしまって・誹謗中傷罵詈雑言の手紙だけ手元に残して大事に保管していたことを記しています。またひとりの女性としてはオナシスとの恋愛に破れ傷つき、芸術家としては晩年は満足する声が出せないことに苦しみ・その湧き上がる表現意欲を抑えられずにもがいていたわけです。そんなカラスとカルメンのイメージが二重写しに見えてくるわけです。

カラスのカルメンは1964年の有名なスタジオ全曲録音が存在しますが、カラスの当たり役のように思えるこの役を彼女が一度も舞台で演じなかったというのは考えてみれば不思議なことに思えます。それだけに映画で(フィクションとは言え)カラスがカルメンを演じた(かも知れない)という想像は、カラス・ファンとしてはゾクゾクと痺れるようです。そして、フィルムが闇に葬られたということも(もちろんフィクションとは言え)またカラスならさもありなんと・どこか納得してしまうところがあるわけです。 (上述の通り・カラスは実演でカルメンを歌っていませんが、1962年ロンドンでコンサートの歌唱をお聴きください。 その雰囲気が想像できると思います。)

「カルメン」第4幕でカルメンがホセに指輪を投げつける直前の場面で、カルメンが「自由に生きて、自由に死ぬんだ」と叫びます。 (メリメの原作では「カリに生まれてカリに死にますからね」となっていることは別稿「八つ橋の悲劇」で も触れました。)お育ちはいいとは言えないジプシー女がこう叫ぶことがどれほどに衝撃的なことであったかは、オペラ興行を支えているのがブルジョワの上流階級であると言うことを考えれば想像できます。この時代(「カルメン」初演は1875年・明治8年)には女性を主役にした「女の一生」的な小説・演劇が多く登場しま した。こ うした現象は産業革命の進行・帝国主義の勃興などで急速に変化していく欧米社会の歪みの影響を特に強く受けたのが社会的弱者である女性であったということにも起因 します。

そんななかで社会下層に属するカルメンが「自由に生きて、自由に死ぬんだ」と叫ぶことは、ひとつには民衆の抑えきれない自我の叫び・さらなる自由への欲求と思われますが、また別の側面からは自虐への衝動・死への欲求とも解することも可能です。「カルメン」もまたそのような引き裂かれたバロック的な要素を持っているのです。これはコインの裏表のようなもので一体であり・そのどちらであるとも読むことが出来ます。そして、作品を読み取る者の時代によって見えてくる様相が変ってくるのです。現代においてどちらの様相が濃く出てくるのかは、ブルックの「カルメンの悲劇」、あるいはゼッフィレッリの「永遠のマリア・カラス」を見てもお分かり のことかと思います。


(吉之助の好きな演奏)

本文に関連して、カラスの1964年のスタジオ録音(プレートル指揮パリ・オペラ座・EMI録音)は当然挙げておかねばなりません。 これはグランド・オペラ形式のギロー版によるもの。

ビゼー:歌劇「カルメン」全曲(カラス、1964年EMI録音)

もうひとつコンサートでの歌唱ですが、カラスが「ハバネラ」を歌ったハンブルクでの映像がDVDで見られます。これもカラス・ファンなら見ておくべき でしょう。こうした断片のアリアだけからでもカラスの抜群の集中力が分かります。「カルメン」は名盤が少なくないのですが・全曲録音ではアグネス・バルツァがカルメンを歌ったカラヤン指揮ベルリン・フィル(DGG録音)が 断然魅力的です。これは初演時のオペラ・コミック形式に準拠したアルコア版によるものです。

ビゼー:歌劇「カルメン」 (1982年録音)
アグネス・バルツァ(カルメン)、ホレ・カレラス(ホセ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 

カラヤン指揮の映像では、バンブリーのカルメンによるグランド・オペラ版がスケールが大きくて、これも吉之助のお気に入りです。

ビゼー:歌劇《カルメン》 [DVD]  (1965年収録)
グレース・バンブリー(メゾソプラノ)、ジョン・ヴィッカース(テノール)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

 

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