(TOP)                (戻る)

吉之助の音楽ノート

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 へ短調・作品21


吉之助はどちらかと言えばレコード(CD)派なので・生(なま)の演奏会にそう頻繁に行くわけでもないですが、それでも長年聴いていれば忘れ難い演奏会というのがいくつかあるものです。演奏がずば抜けて良いとか言うのともちょっと違うもので、その行為自体がひとつのドラマとして神懸かり的 な熱気を帯びるのです。何がそのきっかけになるのか誰にも(当の本人でさえ)分かりません。それは実に他愛もないきっかけで起こる場合もあるかも知れません。とにかく演奏家を触発する何かがそのタイミングにおいて起こったということなのです。そのような機会に居合わせることは実に幸運なことですが、そういう意味で先日( 2010年4月28日)のシャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団とイーヴォ・ポゴレリッチによるショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏はスリリングで 興味深く、これはこれからの吉之助にとって忘れ難い演奏会のひとつになりそうです。

実はこの演奏会はもともとマルタ・アルゲリッチが出演してラヴェルのピアノ協奏曲を演奏する予定であったものですが・アルゲリッチが実にプライベートな事情でキャンセルしてしまったので、ポゴレリッチによるショパンに差し替えられたものですが、おかげで思いがけずポゴレリッチとデュトワとの共演を聴くことになったわけです。今回の演奏が忘れ難いものに なったのは、ふたりの優れた音楽家・しかし芸風としてはぴったりとは行かないらしいふたりが・思いがけず共演することになって、互いの力量をいかに出し切るかの真剣勝負の雰囲気があったからでしょう。試合としては終始ポゴレリッチが仕掛けてデュトワがこれを受けるという展開でしたが、デュトワはこれを完全に受け切りましたし、 ここでロマン派協奏曲のひとつの形を提示してくれたという印象があって感服しました。ショパンの協奏曲第2番は第1楽章冒頭にオケだけの序奏が長く続きます。ここをデュトワは中庸よりやや早めのテンポで行ったと思いますが、ポゴレリッチは最初の一音でその流れを止めてしまいました。その後のオケとソロが作る間合いが押し引きするところが実に面白いのです。決してギクシャクする感じはありませんが、ポゴレリッチが「おっ受けたか、ホイこれならどうだオラオラ」と感じで間合いを引っ張る場面が随所にあって、確かにポゴレリッチは「おぬしワルであるなあ」と思わせました。しかし、ポゴレリチのピアノは第2楽章などの音楽の流れがせき止められたところにキラッと輝くものがあって、真に音楽的で美しい瞬間がありました。もともとデュトワは合わせ物が巧い指揮者ではありますが、今回は顔を赤くしたり・渋面を作ったり (吉之助の側からは見えませんでしたが、反対側の席で聴いた方の話ではなかなか大変であったようですねえ)・ウンウン唸りながら、それでも見事なサポートを見せてくれました。 リズミカルな第3楽章はデュトワが主導権を取って、ポゴレリッチがそれに乗ってスイングした感じであったかな。イヤそれにしても指揮者もオーケストラもまことにお疲れ さまの伴奏であったと思います。そのせいかその後のプログラム(ラフマニノフの交響的舞曲、ラヴェルのラ・ヴァルス)はまるでその憂さを晴らすかのような躍動感ある演奏を聴かせました。フィラデルフィア管はホント素晴らしいオケです。

「協奏曲の主導権を持つのは指揮者か・ソリストか」というのはしばしば言われる命題で、例えば1962年のバーンスタインとグールドが共演した時のエピソードなどはその典型です。まあ正解は多分「それはどちらでもある」ということなのかと思います。いずれにせよ互いに合せようという気がないのでは仕方ありませんけどね。本年が生誕200年ということになる フレデリック・ショパンはピアノの可能性をぐっと押し拡げてくれた作曲家で(グレン・グールドなら別の言い方をショパンにしたと思いますが)、吉之助もショパンのピアノ曲を愛すること人後に落ちないつもりです。しかし、吉之助はこれまで協奏曲 についてはいまひとつショパンの魅力が十分発揮されていると感じていませんでした。2曲の協奏曲はショパンの若い頃の作品ということもありますが、よく指摘されるのはオーケストレーションに多少の難があるということです。逆に言 うとピアノが管弦楽にやや遠慮気味に感じられることです。吉之助はショパンのピアノ協奏曲を聴くともう少しヴィルトゥオーゾ・コンチェルトのイメージにして欲しかった なあという不満をよく感じたものでした。まあショパン自身は確かにベートーベンを尊敬していましたから、古典的ながっちりした構成の協奏曲を書きたかったのかも知れません けどねえ。ところが、今回のポゴレリッチとデュトワの演奏を聴いていると、ピアノが思い切りやりたいことをやっている・途中はハラハラさせるけれども・結果としては管弦楽の作る枠のなかにちゃんと納まっている演奏になっているのです。「この曲は確かにロマン派協奏曲だったんだなあ」と 吉之助はショパンの協奏曲を 再認識した次第です。この演奏ではピアノの主張が確としており・オケに埋没する印象がまったくなくて、まさにヴィルトゥオーゾ・コンチェルトの様相を呈したと思います。


* ショパンのピアノ協奏曲というと日本では第1番の方が好まれて・よく演奏されますが、欧米では第2番の方が一般的に評価されているようで・演奏頻度も高いようです。ポゴレリッチのショパン:ピアノ協奏曲 第2番の録音はアバド指揮シカゴ響のもの(グラモフォン・スタジオ録音)がありますが、これは1983年の・ポゴレリッチの若い頃の録音ですから、今は解釈もだいぶ変わってきているようです。ポゴレリッチはこの頃から曲者のイメージが強くて、吉之助のずいぶん昔のメモを見るとこの録音については「テンポの緩急・音の強弱が作為的に過ぎる」とあまり良いことを書いていないのですが、吉之助もこのところポゴレリッチの評価がだいぶ変りました。というか吉之助のショパンの聴き方が変ってきました。ということで吉之助も久しぶりにこの録音を取り出して聴いてみたいと思っているところです。

(H22・4・30)

ショパン:ピアノ協奏曲第2番、ポロネーズ第5番(アバド指揮シカゴ響)

 

   (TOP)             (戻る)