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吉之助の雑談23(平成2 5年1月〜6月)  


○「盛綱陣屋」の音楽的な見方・その3

史実の真田幸村は、慶長20年(1615)の大阪夏の陣で戦死しました。しかし、幸村は影武者が何人もいたと云われる謀将だけに、そう簡単に死んだと思えない。どこかに きっと生きているだろうということで、大坂城落城直前に豊臣秀頼を守って城を脱出し、天寿を全うしたとの伝説が生まれました。当時、「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり加護島(鹿児島)へ」というわらべ歌が流行したそうです。幸村はあらゆる策を使って徹底的に戦う、その勝利への執念はさながら「鬼の如し」というわけです。徳川方には、幸村は鬼のように恐ろしく見えたことでしょう。

そこで「盛綱陣屋」のことですが、鬼のようなる佐々木高綱(=真田幸村)も所詮は人の子・人の親 です。血もあれば・涙もあったはずです。そんな高綱が、一子小四郎をたかが偽首の傍証にするために敵陣に送り込み腹を切らせるような非情なことをするでしょうか。策略で兄盛綱を落としいれ切腹に追い込んで、「してやったり」と高笑いするような人物でしょうか。果たして高綱とは、勝利のために身内も息子も平気で踏み台・道具扱いにする情け容赦のない「鬼」なのでしょうか。もし高綱がそういう人物ならば、「弟への心ざし・・」と言って笑って死んでいく兄盛綱が、哀れを通り越してピエロに見えて来ませんか。だから、何度も言いますが、「盛綱陣屋」を共感できる芝居にする為に、そのような解釈は否定されねばならないと吉之助は思います。これは丸本字面を読んで解釈として成り立つかどうか議論する以前の問題です 。

吉之助は、敵陣に捉われた息子のことを考えて高綱は懊悩 したに違いないと思います。兄が息子を送り返してくれないかと願ったり、もし時政が人質交換条件を申し出てきたら・それに負けてしまいそうな気弱なことをつい考えてしまったと思います。しかし、最終的に高綱が出した苦渋の結論は、盛綱が考えたこととまったく同じで、「父は信念を曲げず・最期まで戦うぞ、申し訳ないが小四郎は死んでくれ」ということでした。そのサインがあの偽首なのです。偽首を見てそれを察知した小四郎が腹を切る。そこに事前の謀(はかりごと)などないのです。盛綱は、それを「教へも教へたり、覚えも覚えし親子が才智」と言 うのです。要するに、これこそ日頃の親の教育の賜物ということです。詳細はふたつの論考(「京鎌倉の運定め」、「兄弟の絆」)をお読みください。

兄盛綱は、つねに弟高綱がこの状況で何を考え・どういう行動を取るかを考えています。そう考えるならば、「盛綱陣屋」の各場面、和田兵衛上使の件、盛綱が微妙に「孫を殺してくれ」と頼む件、篝火が登場して息子の安否を心配する件、小四郎が「死ぬのが怖くなった」と泣く件、高綱が戦場で の有り様をふたりの注進が語る件、そのすべての場面が、パラレルに、舞台に登場しない高綱の苦悩に重なってくるのです。 同時にそれは舞台を見る観客の、「何とか小四郎を助けてやって欲しい」と思う心の揺れでもあります。ここまで兄盛綱が考えている通りにドラマが進行して行きます。ところが、最後にそれが小四郎の切腹によって、盛綱をアッと驚かせる大転換が起こます。これを 「事前の謀」があったが如くに見事変えて見せたのは、小四郎と盛綱だったのです。そうでなければ盛綱は「弟への心ざし・・」と言って笑って腹を切ることは決して出来ないでしょう。

ですから「盛綱陣屋」のドラマのなかに、通奏低音のような形で、舞台に登場しない高綱の存在があるということです。主人公の心理プロセスを追体験すること、それはまさに芝居を流れにおいて感じ取るということです。そういう音楽的な感性で「盛綱陣屋」を見て欲しいと思います ね。

(H24・6・14)


○「盛綱陣屋」の音楽的な見方・その2

別稿「音楽的な歌舞伎の見方」のなかで、古典作品の場合には、主人公の心情は常にポジティヴに解釈すべきであることを申し上げました。「本当は私はそれをしたくない、しかし、私はそれをやらされる」と読むのではなく、「世間が許さない・やってはならないことを・自分の責任において私はやる」という風に読むということです。主人公のことを「封建倫理に振り回された可哀想なひとだなあ」と見るのと、「覚悟して人の在るべき道に殉じた人であったのだなあ」と見るというのとでは、全然違うということです。同情ではなく、共感で読むことです。その行為によって、主人公は損得勘定を越えた、もう一段上の次元の倫理感覚に立つのです。

『イイヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。父が為に命を捨つる幼少の小四郎が、あんまり神妙健気さに不忠と知って大将を欺きしは弟への志。・・』

盛綱はそれが偽首であることを完全に見破っていたのに、不忠を承知の上で大将を欺きました。それは「父が為に命を捨つる幼少の小四郎のあんまり神妙健気さ」ゆえのことで した。露顕した時には自分は腹を切る覚悟をし、家が断絶する覚悟をした上でのことです。このどんでん返しに芝居のポイントがあるのですから、「盛綱陣屋」を感動できる芝居にするために、自分を捨てた盛綱の行動をポジティヴに・共感を以って理解せねばなりません。

ある歌舞伎解説によれば、盛綱は頭は良いが情にもろく、武士の本分とか家名とか、格好にこだわるプライド高い人物である。そこに盛綱の弱みがある。小四郎自害に直面し、盛綱はこれが弟が自分を陥れようとする計略であることが分かっていながら、小四郎の行為を否定できない。小四郎の行為を否定すれば、それは自分が常から主張している武士の道を否定することになる からである。そのような頑固に筋を通そうとする弱みを、高綱親子につけこまれ、盛綱は偽証せざるを得ない状況に追い込まれる、そこに盛綱の悲劇があった・・というのです。自分の論理が掘った墓穴に自分が落ちたということでしょうかね。

この解釈で、盛綱の行為に共感し、「盛綱陣屋」に感動することができるでしょうか。吉之助にとって、答えは明らかです。主人公に共感しない解釈ならば、それは間違いだということです。「自分の論理が掘った墓穴に自分が落ちた」ということならば、そういうものを悲劇とは呼びません。 そういうものは茶番と呼ぶべきです。主人公の行動が然りと受け止められるものでないならば、その解釈はまだまだ掘り下げ不足なのです。

それを普遍のものにまで高めたいとするならば(それが何がしかの批評行為を含むものならば)、何度も何度もこれを反芻するが如きの検証が必要になります。登場人物の言動・行動が腑に落ちない時には、「自分はその人物に共感できるか、彼がそのようなことを言い・そのような行動を取ることを彼の立場・状況において自分は然りと受け止められるか」ということを考えねばなりません。彼の心理プロセスを追体験すること、それはまさに芝居を流れにおいて感じ取るということです。

(H25・6・7)


○「盛綱陣屋」の音楽的な見方

本稿は「音楽的な歌舞伎の見方」の番外編とお考え下さい。本年4月歌舞伎座杮葺落公演の「盛綱陣屋」の観劇随想でも触れましたが、歌舞伎の「盛綱陣屋」は死に行く小四郎への愛惜の方に大きく比重が掛かっていて、まさに小四郎の芝居という感じがします。まあそれはそれとして良しとしますが、そうなると吉之助は舞台には登場せぬ佐々木高綱の心理のことを考えてしまいます。

一般に高綱(モデルは真田幸村)は影武者を何人も持ち、ここと思えばまたあちら、変幻自在、権謀術数に長けた武将というイメージです。そこで
歌舞伎の「盛綱陣屋」を見れば、高綱は死んだとみせかけて鎌倉方を油断させて大打撃を与えようとの作戦(目指す相手は大将である北条時政)を立て、まず息子の小四郎をわざと敵に生け捕らせ、次に高綱の首(実は影武者の首)の実検の時に「これは父上の首だ」と言って切腹させてその傍証とさせる、これで大地を見抜く北条殿も偽首に絶対騙されると企てたというのです。それを指図された通りにやってみせた小四郎は、「教えも教え覚えも覚えし親子が才知」であると、これは首実検後の兄盛綱がそう言って褒めるわけですが、芝居をご覧になった方は、これで芝居にご納得が行くのでしょうか。少なくとも吉之助は納得が出来ませんね。

かつての戦争では神風特攻隊とか人間魚雷とか、そういう非人間的行為が行なわれました。国を守る為に犠牲になって健気に死んでいった若者の気持ちを思うと切なくなります。その気持ちの崇高さを感じる一方で、そういう犠牲を強制した権力あるいは組織に対しては憎んでも憎み切れないものを感じます。そうすると特攻隊をことさら賛美するのも如何なものかという疑問も生まれて来ます。そこで高綱親子のことですが、親に教えられた通りにそれをやって見せて父を勝たせようとした小四郎の気持ちはもちろん涙なくしては見れませんが、たかが偽首の傍証にするためだけに息子を敵陣に送り込み自害させるなどと、そんな子供を道具みたいに扱うことには、吉之助は 心底怒りを覚えますねえ。こういう 策謀が、親としてイヤ人間として許せるかという疑問を、「盛綱陣屋」を見た観客はちょっと考えてみた方が良いと思います。「ハハアさすが高綱は権謀術数の武将」などと 呑気に感心していられるでしょうか。

芝居においては、どんなものでもドラマのなかにそれなりの大義がなくてはなりません。つまり、主人公がこういう行動をするのは必然であると十分納得できる理由がなくてはなりません。それがないと、芝居に感動出来ません。「盛綱陣屋」の高綱にも、大義がなければなりません。それがなければ兄盛綱が「教えも教え覚えも覚えし親子が才知、褒めてやれ、褒めてやれ」という爆発的高揚に至らないわけです。高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ならば、吉之助はこの芝居に必然を認めるわけには行きません。逆に云うならば、「盛綱陣屋」を必然のあるドラマとして読もうとするならば、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ということが否定されねばなりません。そうではないでしょうか。

そこで「盛綱陣屋」を見直してみれば、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ということをはっきり言っているのは、実は兄盛綱だけなのです。他の登場人物ははっきりしません。盛綱の言説を肯定するでもなく否定するでもなく、状況的にどちらにも取れる曖昧な感じで書かれています。和田兵衛は、あるいは篝火は 、最初から高綱の意図を受けて、敵陣を混乱させるべく或る役割を持ってこの場に来ているのか、その役割がどうも不明確である。見届け役だと云う説があるようですが、和田兵衛は強いから兎も角、あの状況で小四郎と一緒に篝火まで捕われてしまったら、高綱はどうなってしまうか考えてみて下さい。足手まといなだけです。なのにどうしてあの場に篝火はノコノコ現れるのでしょうか。小四郎がちゃんと自害するか母親が見届けに来たなどと、考えただけでもおぞましい。近松半二は意地悪ですね。意図的にその辺をぼかして書いていると思います。考えてみれば「妹背山婦女庭訓」でも「本朝廿四孝」でも一筋縄で行かない作品です。「盛綱陣屋」もまたそうです。

だから吉之助は、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」という説を断固拒否します。その理由では、高綱の行為に必然を見出すことが出来ないからです。その理由では盛綱が「弟へのこころざし」と云って偽証をする必然が見出せないからです。それは盛綱がそう言っているだけのこと。盛綱は、表向きそういう理由にして、真相を伏せたと考えます。吉之助が「盛綱陣屋」をどう読むかは、「盛綱陣屋をかぶき的心情で読む」のふたつの論考(「京鎌倉の運定め」、「兄弟の絆」)をお読みください。

大事なことは、芝居においては、ドラマのなかにそれなりの大義がなくてはならぬということ、つまり、主人公がこういう行動をするのは必然であると十分納得できる理由を見出すこと。 理屈ではなく、心情において。これがどんな場合でも作品解釈の鉄則だということです。

(H25・6・1)


○芸道における体罰・いじめ

最近、スポーツ関連の指導者や先輩による体罰・いじめについての報道がよく話題になります。「いかなる体罰も虐待であり、決して許されない」という声がある一方で、「体罰というのはいわば選手に対する愛の鞭である、そういう厳しさを乗り越えて選手は強くなっていく」というような容認論も依然としてあるようです。そういうことと絡めて、芸道の修行が引き合いに出されることも少なくないようです。確かに「○○道」などと云われるものは、どこか似たようなところがあるようです。折口信夫は、そのような師弟関係というのは通過儀礼の意味合いがあるとして、次のようなことを言っています。

『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』(折口信夫:座談会「日本文化の流れ」・昭和24年12月)

二代目豊沢団平と三代目大隅大夫の芸談には、吉之助でもどこか胸に熱くなるものを感じてしまいます。杉山其日庵は、大隅大夫のことを話す時にはいつも目に涙を浮かべていたそうです。 ただし、団平は暴力は振るいませんでした。そこは誤解ないように願いたいですが、しかし、厳しかったですねえ。それでも師匠を仰ぎ見つつ、ストイックに芸道を追い求める大隅 大夫の姿には何だかツーンと来ちゃいます。

こういう話から書き始めると、吉之助は体罰容認派かと思われそうですが、逆です。吉之助は、スポーツの体罰問題であんまり芸道の話を引き合いに出して欲しくないと思っているのです。体罰に伝統的な裏付けがあるなどという論理展開になってしまう ならば迷惑だと思っているのです。昔はどうだか知りませんが、現代においては弟子であっても・選手であっても、ひとりの個人としての尊厳がありますので、そういうものを大事にしなければならないと思います。現代 においては団平と大隅大夫のような師弟関係は、もう無理でしょう。団平は今生きているならば、別の指導法をせねばならないと思います。そうすると芸というのは、どこかふやけたような・厳しさのないものに変容していくのでありましょうか。まあ、それならばそれなりの芸の在り方があるべきだろうと思います。

昭和24年に四代目清六が山城少掾とのコンビ解消をした話は、武智鉄二や八代目三津五郎の芸談など読むと清六が一方的に悪者にされていて、「清六は我慢が足りなかった、芸に対する謙虚さが足りなかった」と言われますが、吉之助が思うには、山城少掾がいろいろな場面で「自分がここまでこれたのも女房役の清六の支えのおかげです」とでも言っていれば、このコンビ解消はなかったと思います。 それだけのことなのです。そのひと言が言えなかったところに、山城少掾の人間として至らぬ部分がなかったかということを考えます。 現代の師弟関係においては、ますますそういうことを考えねばならなくなります。当然、芸の在り方も変わらざるを得ない。昔と同じではあり得ません。

出典が思い出せないので記憶で引きますけれど、六代目菊五郎が芸術院会員になった時(昭和22年)のことですが、ある方が菊五郎のお弟子さんに話を聞いていたところ、その年老いたお弟子さんが「(菊五郎が功なり名遂げた今)俺は旦那に何でも欲しいことをしてもらう権利がある」と言ったので驚いたそうです。「子供 の頃から(菊五郎に)それだけのことをされてきたんだから・・」、そう言った彼の目は憎しみに燃えていたそうです。こういうことを、ちょっと考えてみなければなりません。

六代目の評伝など見ますと、子供の頃の六代目は弟(六代目彦三郎)やその他御曹司連中を引き連れてグニャ征伐と称して三階の女形役者にいたずらを仕掛けに向かう、そういう逸話を「 いたずら好きの元気が良い子供で・・」みたいな調子で書いてあるものが少なくありません。三階の役者さんが子供たちに押さえつけられて、「坊ちゃん、やめてください」などと叫びながら、それでも旦那の子供だからと我慢して、いいように弄られている、そういう光景を想像してみれば良いです。そういうことは今の歌舞伎の世界にはないと思いたい。

六代目菊五郎と云えば、吉之助にとっても芸の神様みたいなものですけどね、決して良いところばかりではなかったのです。

(H25・5・27)


○歌舞伎座5月柿葺落し興行のことなど

第5期歌舞伎座の隈研吾氏の設計についてはいろいろ報道されていますが、概ね好評に受け止められているようです。舞台・客席関連は、先代歌舞伎座の良い ところを踏襲しつつ・改善もなされており、吉之助もそのように思います。ただし、ロビーやトイレについての設計・動線配置などを 、隈氏はあまりお考えでないように思います。容量の関係で如何ともし難いのかも知れませんが、狭くて動きづらい。 トイレなど東京の主要コンサートホールと比べて格段に貧弱です。こういうところに設計者の心配りが必要じゃないのかな。それと売店が集約されたせいか、幕間は時間を持て余す感じがしますね。帰りは出口でイヤホンガイドの返却が邪魔して外へなかなか出られない。その辺の改善はなりませんものでしょうか。さて5月柿葺落し興行について、仁左衛門の「廓文章」については観劇随想をアップしましたが、その他をメモ風に書き留めておきます。

藤十郎の政岡による「先代萩」ですが、今回は時間の関係か・藤十郎の体力を考えてか、飯焚きがカットになっていたのが、とても残念でした。七年前、平成18年1月歌舞伎座での藤十郎襲名の「伽羅先代萩」は好演でしたが、その時に特に良かったのが飯焚きであったからです。飯焚きは確かにダレ場になりやすい箇所ですし、カットされる ことも多いですが、この時の藤十郎の舞台はコンパクトに引き締まったとても良い飯焚きでありました。今回、飯焚きカットの舞台を見て、千松が殺される場への伏線としての飯焚きの重要性を改めて痛感させられました。逆に云えば、そのせいで 今回の飯焚きカットの「先代萩」はいまいち腹応えがしなかったということになります。藤十郎の政岡は腹のある立派なものですが。

吉右衛門の「石切梶原」は、仁にぴったりで・安心して見ていられる立派なものでした。播磨屋型は橘屋型と比べるとやや渋いですが、そういうところも含めて吉右衛門の人柄に似合った役どころだと思います。

玉三郎と菊之助の「二人道成寺」は絵面的にとても美しいので、初めて見たお客さんには感激ものだと思います。過去の舞台と比べると、菊之助の芸格が上がって来たのが見た目に明らかで、このためふたりの花子のバランスも自ずと変わって来たということがあります。この変化がこの陽と陰の「二人道成寺」のコンセプトにどうはまるかということですが、恐らくこのふたりの「二人道成寺」はこれが最後になるだろうという気がしました。菊之助はもう十分ひとりで「道成寺」を出せますね。

(H25・5・19)


○「勧進帳」・飛び六法での手拍子

第5期・歌舞伎座の柿葺落し興行が開幕となりまして、4月2日の初日には珍しいことにNHK9時のニュースで「勧進帳」の最後の場面が数分くらいでしたが生中継になりまして、吉之助も見ました。幸四郎の弁慶が幕外でいよいよ飛び六法に掛かるというところで、観客席から手拍子が巻き起こりました。これには吉之助もビックリして、やれやれ歌舞伎座で「勧進帳」に手拍子が入る時代が到来か・・・そういう時代になったのかと思いました。これはエポックメイキングな出来事として後世に記憶されるかも知れませんね。とは言え、吉之助は「勧進帳」の飛び六法で手拍子が入るのを悪いとかマナーを知らないとか非難するつもりは別にないのです。四十年歌舞伎を見てきた人間にはもちろん非常な違和感があります(吉之助はニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲での恒例の手拍子さえ嫌 なくらいです)が、まあこれも仕方ないことかという気がしています。

吉之助の記憶では、平成19年1月2日のNHK正月初芝居生中継で、大阪松竹座での「勧進帳」、故・十二代目団十郎の弁慶の花道での飛び六法で盛大な手拍子が巻き起こって、テレビの前でのけぞったことがありました。これも大阪人特有のノリであろうかなどと思ったものでしたが、6年経ったら東京でもこうなるとは・・。聞くところでは、これまでも「勧進帳」の飛び六法で手拍子が起こることは時たまあったことだそうです。ただ歌舞伎座でこれまでそれが起こったことがあったのかは知りません。

吉之助は今月9日に歌舞伎座で「勧進帳」を見ました。また手拍子が起こるかと不安でしたが、起こりませんでした。何だかホッとしたような、怖いものを見たかったような、妙な気分になりました。しかし、同じ日の「盛綱陣屋」では大河クンの小三郎が花道を駆ける時に、吉之助の周囲の数名の観客が手拍子をやり掛けました。が、幸い満場での手拍子にまで至りませんでした。あれは確かに可愛い子役が一生懸命やってるのを「ガンバレェ、ガンバレェ」という感じで手拍子したようで、悪気はないことはよく分かるし、これも彼らなりに芝居に入れ込んだ結果なのでしょうなあ。

ところで、吉之助が「まあこれも仕方ないことか」と感じるのは、近年歌舞伎でカーテンコールをやる役者が増えていますが、そういうことと、今回の手拍子は無関係でないと思うからです。ただし故・勘三郎にしても玉三郎にしても、カーテンコールは「これは自分だけの演し物だ」と云える作品に限っていて、 まだそこに一定の自己規制はあるようです。しかし、観客の方にカーテンコールを期待する雰囲気が確実に育ってきているようです。今年のNHK初芝居生中継では大阪松竹座での「四の切」で猿之助の狐忠信が宙乗り引っ込みの後で、舞台に再登場してカーテンコールをやりました。「勧進帳」での手拍子というのも、役者と観客との関係での・そういう流れの上にあるものだろうと思います。良く云えば役者とお客様との交感 ・交流ということです。悪く言えば・・・まあいろいろ言えますけどね。

江戸時代の歌舞伎の観劇では客席は絶えずワーワーザワザワしていて、観客は気に入れば声を掛け、気に入らなければ野次を盛大に飛ばすようなものであったと想像します。そこにかしこまった観劇マナーなどなく、みんな好き勝手に芝居を楽しんでいたと思います。故・勘三郎が平成中村座に夢見た芝居空間というのは、そんなライヴハウス的な感覚ではなかったかと思います。カーテンコールもそういうなかでの・重要な手法であったと思います。そういうところからすると、もし「勧進帳」の手拍子が客席から自発的に湧き上がったものであるならば、あるいはそこから役者と観客との新しい関係が生まれつつあるのかも知れないと思ったりもします。観客の反応が少しづつ変わってきていることは確かなようです。それが良いか悪いかということは、また別の問題です。歌舞伎座をライヴ空間に・・・などというと勘三郎は泣いて喜びそうな気がしますが、この「勧進帳」・飛び六法での手拍子を見たら、亡くなった勘三郎はどう言ったでありましょうか。

(H25・4・20)


○第5期・歌舞伎座開場

先月、3月27日に第5期・歌舞伎座開場式が行なわれ、4月2日からいよいよ柿葺落し興行が開幕しました。第4期・歌舞伎座の閉場は平成22年(2010)4月30日であったので、あれからほぼ3年が経ったということです。その3年間にいろいろなことがありました。あまりに多くのことがあり過ぎた気もしますが、これから心機一転、ここから歌舞伎の新たな歴史が刻まれることと大いに期待しています。

劇場は外観も内装も、先代(第四期)の面影をよく生かしたものです。先代は文化財指定でしたし、全面改築に反対の声も結構ありましたから、こうしたファンの気持ちにも配慮してくれたということだと思います。3階席もやや勾配が 急になり・客席数は減ったようですが、今回の改築で花道スッポンがかろうじて見えるようになったことは、今後の若い歌舞伎ファンのためには嬉しいことです。

一方、舞台や花道のサイズなどは、先代とまったく同じだそうです。第1部の最初の演目「寿祝歌舞伎華彩〜鶴寿千歳」の幕が上がった時には、何だか昔の我が家に戻ったような気分がしてホッとしました。実は吉之助は舞台の幕が上がった瞬間に「やっぱり歌舞伎はこのサイズじゃなくちゃいかんなあ・・」というような考えがフト頭をよぎって、それに気が付いて・自分で苦笑いしてしまいました。

歌舞伎座改築が決まった時の「雑談」(H20年11月)のなかで、吉之助は「歌舞伎座の舞台の大きさが歌舞伎の本質を歪めた」という利倉幸一先生の言を引いて、「歌舞伎座の歌舞伎(すなわち現代の歌舞伎ということ)は決して本物でない、ただしそれは偽物ということではなく・またそれが悪いということでもないのですが、本物に良く似ているけどそれはどこかが違う」ということを吉之助は常に念頭に置いて歌舞伎を見てきたということを書いたわけです。これは今でもそう思っています。頭のなかではということですが・・・・。

しかし、頭のなかでは分かっていても、身体の方はそう感じていなかった(らしい)ということが、どうやら明らかになりました。やっぱり新橋演舞場でもなく、国立劇場でもなく、歌舞伎座の舞台サイズなのだなあ。吉之助も先代で四十年近く歌舞伎を見てきたわけですし、やっぱりこのサイズが身体に沁み込んじゃってるのですねえ。吉之助も、歌舞伎の見方を歌舞伎座から教わったんだということです。このこと改めて痛感しました。故・勘三郎であったと思いますが、「俺たち役者は、舞台で形を決める時に、あそこの何番目の提灯に目線を置く・・とか、そういう見当を付けて行くので、新しい歌舞伎座でも同じサイズにしてもらわないと困るんだ」というようなことを言っていたと思います。歌舞伎役者も、良かれ悪しかれということはありますが、歌舞伎座の舞台で仕込まれてきたということです。まあそういう意味において、新生・歌舞伎座に舞台が先代と同じサイズで誕生したことは、役者にとっても・観客にとっても、何らかの安心感を抱かせることかと思います。

*写真は吉之助の撮影です。

(H25・4・8)


○どちらの側に立つか・その3

芝居が単純明解になり過ぎて問題があるかも知れませんが、アーノルドをユダヤ系に設定する方が、この芝居の劇構造は明確になると思います。迫害を受けたユダヤ人の立場から、アーノルドがドイツを糾弾するということです。ただし、そうするとこの芝居が報復劇みたいになってしまって、観客の共感を得難くなるということを作者ロナルド・ハーウッドは考えたかも知れません。(ちなみにハーウッドはユダヤ系です。)この芝居でのアーノルドはユダヤ系ではありません。代りにアーノルド を補佐するデービッドがユダヤ系です。デービッドは「10歳の時にドイツからアメリカへ亡命し、両親は遅れてアメリカへ行くはずだったが、間に合わず収容所で死んだ」ということを言っています。しかし、デービッドはドイツに対する恨み を一切口にせず、むしろドイツ音楽を愛し、フルトヴェングラーに非常に同情的に描かれています。こういう人物も実際いるだろうとは思いますが、これでは演劇的に シチュエーションが機能しないようです。ユダヤ系のデービッドに「そうだ、もっとフルトヴェングラーをいじめろ、アーノルド」と背後でけしかけるような役割を与えた方が、劇はもっと面白くできるのではないかと思います けどね。この芝居のデービッドは良いユダヤ人過ぎるようです。その辺にもハーウッドの抑制が働いているようにも思われます。

兎に角、この芝居の背後に潜むドイツ精神とか・ドイツの心とか・ドイツ的深遠さに対する悪意・敵意というものが、観客という第三者的立場から見て、清廉潔白な・誰が見てもそう言えるような「正義」ではないことは明らかです。これはあくまで戦争の勝者だけが使うことのできる「正義」という名の建前です。もちろんナチス の行為を支持するなんてことは出来ませんから、アーノルドの言うことを「それは違う」と表立って反対することは躊躇せざるをえませんが、アーノルドに両手を挙げて賛成する観客は少ないでしょう。このことが、この「テイキング・サイド」という芝居を何となくモヤモヤとした割り切れない後味にしています。そこが吉之助がどうもこの芝居は出来がいまひとつだと感じる点です。「芸術か?政治か?」というテーマに肉薄できていないということです。

ただし、そう感じるのは、この芝居がフルトヴェングラーの非ナチ化裁判を扱っているということで、吉之助がそのようなドラマ展開をこの芝居に内心期待し過ぎているせいだということも言えます。この芝居でのアーノルドの尋問が実は正規の手続きを経たものでなかったとすれば、「テイキング・サイド・・どちらの側に立つか」という作者の意図を、どのように受け取るべきでしょうか。作者ハーウッドはインタビューで次のように語っています。

『この芝居のなかで人間の価値について語っているのは彼(アーノルド)だけだ。その他は全員、芸術、音楽、文化の話しかしない。(中略)いわゆる情を持つためには、文化を愛さなくてはならないと考える人が多いけれど、私はその意見には、まるっきり反対だ。この文化への愛情のために、人間の価値に対してまるで盲目になってしまうこともあるんだから。』(ロナルド・ハーウッド、1995年のインタビュー、「テイキング・サイド」上演プログラムに所収)

要するに、芸術・文化を守るために、それに奉仕する「神の如き芸術家」は特別な人たちで、彼らは何をやっても許される、彼らにはそのような特権がある、みたいな考え方には反対だということです。そういうことならば、何となく分かります。非ナチ化裁判ほど重い話でないにしても、 芸術家が何か不道徳なことを仕出かしても「それも芸の肥やし、そのくらいハチャメチャでないと芸の魅力がなくなる」などと何となくウヤムヤにされて許されちゃうことはよくあることですが、これなども低次元ではあるけれども、同じことなのです。アーノルドはそういうことに猛然と反発します。「彼は最高の芸術家なんだから・・・許されるんだ」という論理が、アーノルドは嫌いなのです。さらに「・・そしてその芸術を愛する私も・・また許される」と展開しそうな気配があるのが、これまた許せないのです。何と言っても、アーノルドは芸術・文化なんてものに全然価値を置いていないのですから、そんなアーノルドだから言えることがあるのです。 最終的には、この芝居は「芸術は無価値である」という結論には決してなりません。アーノルド自身が道化を自認しているわけですから、アーノルドを議論の枠外に置かねばなりません。きっかけを提起することだけが彼の役割なのです。そういうことをハーウッドは分かっていて、この芝居を書いているのです。

それでも「あの時、私はどうしたら良かったのか?ドイツを捨てれば良かった というのか?そうしたらドイツは、私の国はどうなるんだ。そしてドイツ人である私はどうなるんだ?」、そういうことは誰もが自身に問うてみる価値があることです。ですから「どちらの側に立つか」ということを、陪審員である 自分はフルトヴェングラーを有罪にするか・それとも無罪かというような第三者的な立場に自分を置くのではなくて、もし自分がフルトヴェングラーの立場だったら・ 自分は国を捨てるか・それとも残ってどうするか?、自分ならどうするか?と自分自身を問うという風に考えたいのです。「テイキング・サイド・・どちらの側に立つか」を、そのような意味に取りたいと思います。願わくば、それが可能であるのならば、偉大な芸術を生み出すこと・これを愛することと、人間の高潔さを高めることとが、同じ次元でつながるものでありたいと思います。しかし、その問いは、第二次大戦中のフルトヴェングラーの ベートーヴェンの放送録音から聞こえてくる人間の偉大さへの確信を決して揺るがしはしないでしょう。

筧利夫は、道化役としてのアーノルトの軽薄さを巧く出していたと思います。平幹二朗は恰幅良くて、見た目はヒョロヒョロのフルトヴェングラーとはちょっと違うけれども、毅然たる品格みたいなものをよく出していて、さすがでしたね。

*本稿の関連記事として吉之助の音楽の雑談・「テイキング・サイド」もご覧下さい。

(H25・3・6)


○どちらの側に立つか・その2

アーノルドはどのような筋から命令を受けてフルトヴェングラーを追及しているのか、何が彼らの目的なのか。最終場面でアーノルドは誰か仲間らしき男に電話を掛けます。もし芝居にこの場面がなければ、芝居での尋問というのはアーノルドのまったくの自作自演か・妄想の産物か?とでも思ってしまいますが、ここでアーノルドの背後になにか組織らしいものが確かにあることが暗示されます。

『フォーゲルか、アーノルドだ。一件を立証できるものが手に入ったかどうか、俺には分からん。だが相当に痛めつけてやれることは確かだ・・・』

ここから推察できることは、フルトヴェングラーに対する尋問の目的はフルトヴェングラーを痛めつけることだということです 。非ナチ化裁判なんてこととは関係なく、フルトヴェングラーを愚弄できればそれで良いのです。振り返れば第1幕でアーノルドは、こう言っています。アーノルドが「連中」にそれを指示された時のことです。

『それから、俺は呼び出された。「ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのことは聞いたことがあるかね?」と訊かれた。「いや」と俺は言った。(中略)「なるほど」と俺、「そいつはバンド・リーダーか」。連中は笑った、ほんとに笑ったよ。「そう、それ以上かも知れんよ、スティーヴ、この分野じゃたぶんボブ・ホープとべティ・グレーブルを一纏めにしたようなもんだろう」と連中は言った 。「へえー、だけど全然聞いたことなかったな」と俺。次に連中が何と言ったか分かるか?「スティーヴ、そこなんだよ、きみをこの仕事につけるのは」と連中は言った。』

*1998年劇団民芸によるロナルド・ハーウッド作「どちらの側に立つか」上演台本:渾大防一枝訳・雑誌「悲劇喜劇」・1998年5月号掲載に拠る

アーノルドと「連中」との会話に感じられるのは、「連中」の底知れぬ悪意です。あるいは憎悪といっても良いものです。アーノルドは文化とか芸術とかにまったく関心を示さぬ男です。「連中」はそういうアーノルドにも内心軽蔑を感じているようです。しかし、アーノルドはそのことにまったく感づいていません。むしろ取り立ててもらってはしゃいでいるようです。こういう 感受性の鈍い男の方が「連中」にして見れば道具としての利用価値があるわけです。誤解ないように付け加えますが、芸術を解さないから人間として劣るということがあるはず がないです。しかし、ある高次元の感情に対して敬意を全然を払わないということは品性として卑しいということは言えるかも知れません。ただしアーノルドに人間的感情が全然ないわけではないのです。現にアーノルドは収容所の光景を見て何か強い衝撃を受けています。アーノルドが収容所の光景に怒りを感じ、単純な正義感からドイツ人を糾弾しようと考えたということも十分想像出来ます。アーノルドには、収容所での光景を生み出したドイツ人の鬼畜のような行為と、文化とか芸術を生み出したドイツ人の偉大さとが全然結びつかないのです。ホントはそういうことが結びつくべきなのかは分らないのですが、多分、結びつくべきだと考える人が多いのでしょう。そこで芸術を全然解さぬアーノルドを使ってドイツ音楽の権化とも云うべきフルトヴェングラーを徹底的に愚弄してやろうというわけです。だから「連中」が愚弄しようとしている 最終目標はフルトヴェングラー個人ではないのです。それではフルトヴェングラーがなぜ選ばれたのか。ドイツの音楽評論家ヨアヒム・カイザーはこう書いています。

『それにしても気付かされるのは、「ドイツの」という形容詞が今では高度の抽象概念との関連で使われることがなくなったということである。ドイツ軍、ドイツ兵は今でもある。必要ならドイツの戦後文学を挙げても良いし、ドイツ哲学とさえ言えるかも知れない。だが「ドイツ精神」とか「ドイツの心」とか「ドイツ的深遠さ」という語は禁句である。少なくともある年齢以上の人々の大部分にとっては。(中略)死の危険に囲まれ、恐ろしい終末の接近に 怯えながら偉大な音楽に慰めを感じるということが、あの時、そしてその後の数年間、どういう意味をもっていたかを言葉にするのは難しい。戦時中のフルトヴェングラーのレコードの方が、よく伝えてくれるだろう。今、コンサートが終わるとわれわれはどこのレストランに行こうかと考える。あの頃はもう一度音楽を聞くことがあるかどうかが分からなかった。誤解しないでもらいたいのだが、きっと誰しも同じだろうが、私だって死の不安よりレストラン選びの方がうれしい。ただ、いわば運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない、と云うことなのである。』(ヨアヒム・カイザー:「非政治的と考えられていた人の政治的伝記」・1980年カイザーのミュンヘンでの講演より〜「フルトヴェングラーを讃えて―巨匠の今日的意味」に所収・音楽之友社)

現代ドイツにおいては、「ドイツ精神とか、ドイツの心とか、ドイツ的深遠さという語は禁句である」とカイザーは言います。これは戦後の日本人には想像ができないかも知れません。現代日本において「大和魂」、「武士道」が禁句ということはないと思います。しかし、戦後ドイツにはそうした状況があり、今もそのような精神的 に虚脱した状況にあるのです。ドイツでは第二次大戦の戦争責任は現在も徹底的に追求されています。また学校教育にそうした議論が組み込まれています。逃げ回る祖父母に対して孫たちが「どうしてあなた方はナチスに反対しなかったのか・戦争を阻止しようとしなかったのか」とその責任を追及して世代間に亀裂が入るようなことも実際頻繁に起きています。ナチスは国家戦略としてドイツ精神・ドイツ芸術の高揚をスローガンとしてきました。ドイツ精神とか、ドイツの心とか、ドイツ的深遠さとか言うと、その言葉の背後にナチズムがちらつくような感じがしてしまう。だからドイツ精神とか、ドイツの心とか、ドイツ的深遠さという語は禁句なのです。

ですから、ここで「連中」がアーノルドを使って徹底的に愚弄しようとするものは、ドイツ精神とか・ドイツの心とか・ドイツ的深遠さというものです。そして、その精神的な象徴たるものこそヴィルヘルム・フルトヴェングラーなのです。(この稿つづく)

(H25・3・2)


○どちらの側に立つか・その1

2月・天王洲銀河劇場での「テイキング・サイド」(ロナルド・ハーウッド作)の舞台を見てきました。20世紀前半の偉大な 指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーの戦後の非ナチ化裁判を題材にしたお芝居です。「テイキング・サイド」とは、裁判において被告フルトヴェングラーを有罪とするか・それとも無罪か、あなたならどちらの側に立つか、という意味です。休憩中に「・・難しい」とか「時代背景がよく分からない」という観客の方がぼやく声を いくつか聞きました。確かに、この芝居は戦時中のドイツの状況とフルトヴェングラーの置かれた立場について・ある程度の事前知識がないと、ちょっと難しいところがあるかも知れません。

戦時中のフルトヴェングラーに関する史実あるいはゴシップの類はよく集められて、芝居のなかに取り入れられています。ただし、舞台中で蓄音機に掛けられてフルトヴェングラー指揮した録音がいくつか鳴りますが、ブルックナーの交響曲第7番アダージョ(第2楽章)42年録音のテレフンケン盤は確かにヒトラー死去を告げる帝国放送のラジオ(45年4月30日)でかけられたものですが、第2楽章のみで・全曲録音はありません。脚本の設定である46年当時においては、フルトヴェングラーの指揮したベートーヴェンの交響曲第8番・第9番のレコードはリリースされていませんでした。舞台で鳴った第5番は43年ライヴ録音のようでしたが、これも46年当時にはリリースされていない。史実に合わせて使うならば37年録音の独エレクトローラ盤でなくてはいけませんね。 お芝居だから「まっ、いいか」というところですが、音楽オタクとしてはこういうところが妙に気になったりするものです。

ところでハーウッドの戯曲「テイキング・サイド」は1995年ロンドンで初演され、日本においては「どちらの側に立つか」という邦題で98年に劇団民芸により上演されました。吉之助はこの時の舞台を見てません けれど、雑誌「悲劇喜劇」に掲載されたその時の脚本は持っています。脚本を読んだ印象としては、戦時中のフルトヴェングラーに関する事実あるいはゴシップの類は芝居のなかに巧く取り入れられていますが、その論述に時間を費やすところが多く、 その一方、フルトヴェングラーを尋問するスティーヴ・アーノルド少佐の人物描写が十分とは言えず、そのため芝居が「芸術か?政治か?」という重い対立構図にまで至らず、ドラマとしてはそこに喰い足りなさがあるようです。アーノルド少佐がそこまで何故執拗にフルトヴェングラーを追い詰めなければならないのかという説明が、いまひとつ十分ではないようです。 今回の舞台を見てもそのような印象が否めません。

まず大事なことですが、戯曲には明確にそう書かれてはないけれども、舞台を見れば分かることは、舞台でのアーノルドのフルトヴェングラーの尋問は、実は連合軍総司令部の正規の非ナチ化裁判とは 違うものらしいということです。このことは第2幕でディビット中尉が「非ナチ化裁判を担当するヴィースバーデンの人たちはアーノルドが誰から命令を受けてフルトヴェングラーを追及しているのか 疑問に思っている」と言っていることでも分かります。しかも、アーノルドの追及は次第にまともな尋問とは言えない個人攻撃になってしまって、最後はディビットも秘書エンミもアーノルドに反発してしまいます。どうやらこれは占領地での連合軍の指揮系統の混乱につけこんだ越権行為なのです。しかも、これはアーノルド個人のスタンド・プレイということではなく、背後に何か組織みたいなもの があるようである。その組織の意図でアーノルドは動いているのです。つまり、本稿冒頭に「これはフルトヴェングラーの戦後の非ナチ化裁判を題材にしたもの」と書きましたが、実際にはそうではないということです。

戯曲にアーノルドの人間が全然描かれていないわけでもないのです。第2幕冒頭では、アーノルトが占領したナチスの収容所で目にした凄惨な光景が、彼に大きな心理的外傷を 与えたらしい描写があります。またアーノルドは「おれはこういうことをこの目で見たのだ。それ以来毎晩見ている。夜な夜な、それを見て叫んで目が覚める。おれにはもう二度と安らかな眠りはないだろうと分かっている。」とも言っています。この体験がアーノルドのトラウマになっていることはまあ理解はできますが、 それならば対象は別にフルトヴェングラーでなくても、他のドイツ人でも良かったように思えます。彼の憤りが、どうしてフルトヴェングラー個人に向かうのかが今ひとつ見えてこない。アーノルドの憤りがフルトヴェングラーに向かう必然、それが「芸術か?政治か?」というテーゼにつながるはずですが、その関連がいまひとつ見えて来ない。

そこで改めて考えてみるに、「アーノルドが どのような筋から命令を受けてフルトヴェングラーを追及しているのか、何が彼らの目的なのか」ということが問題になってくるわけです。(この稿つづく)

(H25・2・23)


○もうすぐ再開場

本年4月2日に再開場が予定されている新・歌舞伎座は、外装はほぼ完成して、植栽や内装工事の仕上げを経て2月28日に竣工とのこと。昨夜(14日)から22日まで試験的に外観ライトアップされるとのことでしたので、吉之助も 気になったので、仕事の帰りにちょっと寄って見てきました。真っ白な外壁が照明で眩しいくらいでしたが、そのせいで写真の出来が良くないですね。外観見た目はあまり変わらないように思いましたが、玄関のところの階段はまったくなくなってバリア・フリーでした。ひと幕見の入り口 は同じような感じで、同じところにありました。何だか家に戻ったような気分になりましたよ。

歌舞伎座が閉場していた3年間に色々なことがありました。富十郎、芝翫、雀右衛門が亡くなり、まさかの勘三郎に、これもまさかの団十郎と、あまりにも多くのことがありすぎたような気がしています 。歌舞伎はこれからどうなるの?という思いで鬱々してしまいそうですが、「こういう危機にこそ歌舞伎はしぶとい」ということを信じたいと思います。本日からみてあと46日で再開場ということになります。待ち遠しいことです。

(H25・2・15)


○歌舞伎役者の稽古

今月(平成25年1月)6日のNHKで「父と子 市川猿翁・香川照之」(このタイトルは市川猿翁・中車とすべきでは?香川照之の方が世間に通りが良いのは分かるが。)というドキュメンタリー 番組をやってましたので見ました。46歳(昨年6月襲名時)で歌舞伎の世界に飛び込むというのは大変なことですが、複雑な家庭事情があって歌舞伎から隔絶されていたわけで、ご本人が記者会見で「この船に乗らないわけにはいかない」と語った気持ちは良く分かる気がします。その辺のことは週刊誌にまかせて・「歌舞伎素人講釈」では置いておくことにしますが、本稿では、今後中車がどんな風に歌舞伎を 稽古していけば良いかということを考えてみたいと思います。

昨年6月新橋演舞場での襲名興行の中車の「小来栖の長兵衛」については危ぶまれたほどではなかった、まあ初体験ならこのくらいのものかなと許せるレベルではあったということで、まずまず無難なデビューであったと言えましょうか。役が身の丈に合っていたと思います。風貌が曽祖父(初代猿翁)似なのかもしれませんね。しかし、翌月の「将軍江戸を去る」(山岡鉄太郎)はちょっと重荷のようであったし、今月(平成25年1月) 初日の大阪松竹座での「楼門」(石川五右衛門)でもキツイ掛け声がかかったようですから、これから苦労することと思います。「俳優・香川照之・歌舞伎に挑戦」の話題も、いつまでも続くわけではありません。観客もだんだん許してくれなくなります。しかし、吉之助は 「46歳からのスタートでは歌舞伎は無理だ」などと全然思っていません。うまくコツをつかんで、適切な自分の位置を見出せば良いことだと思います。「コツ」をどうやってつかむかが問題なのです。

吉之助が中車のドキュメンタリーを見て「ふ〜ん?」と思ったのは、誰かがお手本をしてみせて・「こんな風にやるんだよ、真似してやってみな、駄目だよ、もう一回」みたいな 稽古の仕方を、歌舞伎は相変わらずやってるんだなあと思ったことでした。コツは自分で掴め、自分で盗めというわけかな。まあそういう世界もあるわけですが、もう少し理論があっても良いのになあと思いました。吉之助がちょっと見ただけでも、ここをちょっとアドバイスして助けてやれば感じがかなり変わるのに・・と思えるのです。

これまでの舞台を見る限り中車は歌舞伎の「イキ(息)」の取り方がまだ分かってないようです。リズム感覚と言っても良いです。例えば、今回、断片が放送になった「楼門」初日の五右衛門も、見よう見真似で頑張っていますが、「絶景かな」でいきなり大音声を出そうとして・ずっこけています。こういうのはちょっとアドバイスしてやれば直ることです。どうも中車は「絶景かな」を100m走のロケット・スタートの如く・いきなり大音声を発しないと五右衛門にならないと思っているようですね。そうじゃなくて、「絶景かな」を言う前の・三呼吸くらいの間合いをゆっくり息を吸って吐いて、そのなかで「イキ」を最高潮に取っていくことで「絶景かな」を言うタイミングを作るのです。そこまでをすべて含んで台詞になるのです。ゆったりした感じで台詞をしゃべらなければなりません。むしろ走り幅跳びのスタートのようなものだと云うべきです。中車を見ていると「絶景かな」をいかに大声で言って・あとの台詞を抑揚つけて転がすかしか、頭にないように思われました。 そういう教え方をされていると感じます。

四代目芝翫の五右衛門は幕が開くとすぐ「絶景かな」を言いました。九代目団十郎は幕が開くとゆっくりと客席の方を見回し・しばらくして「絶景かな」を言いました。或る人がそのことを芝翫に言うと、芝翫は事もなげにこう言ったそうです。「団十郎は幕が開いてから景色を見てるんだろう。俺は幕が開く前に景色を見ちゃってるんだ。」 実はこれは芝翫でも団十郎でも、どちらでも良いのです。肝心なことは「絶景かな」を言う前に眼前の満開の桜の景色を見てるかどうかです。中車の五右衛門にはそういう余裕がまだないようですが、そういうことを教えてあげて欲しいと思います。

もうひとつ、中車は「絶景かな」の第一声を「ゼッケイカナ」と頭打ち(一字目にアクセント)で言っています。そうではなくて、これは二字目起しの台詞なのだから「ゼッイカナ」でなくてはなりません。 「ゼッケ〜カナ〜、ゼッケ〜カ〜ナ〜」と頭打ちで言うものだから「カ〜ナ〜」の時にはもう息が足りなくなっているのです。台詞のなかにある「イキ(息)」の波を読めば良いのです。こういうことをアドバイスしてあげて欲しいのです。

まだあります。五右衛門が久吉に小柄(こ づか)を投げる場面ですが、中車はどこに 向けて投げてるつもりでしょうか。小柄は客席の向こうに飛んでいるように思われます。そうではなくて、楼門の下にいる久吉に 向けて投げるのですから、身体の置き方・首の向け方・目線の置き方を考えなければなりません。特に目線の置き方は大事です。 放送では顔がアップにしかなりませんでしたが、幕切れに決まる時の目線の置き方も駄目ですね。見得というものは、必ず見得の方向(誰に向けて仕掛けているのかという対象)を定めなければならないのです。それを決めずに・ただ正面を向いて睨めば良いのではありません。方向性のない見得はあり得ません。見得のなかにドラマが見えなければ ならないのです。こういうことをアドバイスしてあげて欲しいと思います。放送をちょこっと見ただけでもこれだけ注文が出てきます。

中車は頭の良い人ですから、そういうことを理屈で言って理解すれば、多少ぎこちなくてもコツを取ることは出来るだろうと思います。あとは場数を踏めばだんだん出来てくることです。「こんな風にやるんだよ、真似してやってみな、駄目だよ、もう一回」みたいな稽古、あとはひとりビデオを繰り返し見ながらひたすら真似る稽古、そういう稽古は、もう先の時間の余裕がない中年の新人には全然向きません。肝心肝要なポイント、つまりコツをしっかりアドバイスしてあげることです。 そういうことが「俺たちはいつもこんな風にしてやってきた」だけで済まされてはいませんか?歌舞伎はもうそろそろ・しっかりした演劇理論を打ち立ててもらいたいものだとつくづく思います。

(H25・1・12)


○三島演劇の言葉の過剰性について

吉之助も若い頃は色んなジャンルを意識して見ましたが、現在はクラシック音楽を除けば観劇はほとんど歌舞伎でして、現代劇を見る機会がめっきり減りました。歳取ると新しいものを見るのがおっくうにな って来るのは事実です。まあ、しかし、同じものを繰り返し見ても・その度また新たな発見がありますから、どちらが良いとも言えませんけどね。先月(平成24年12月)、吉祥寺シアターで鈴木忠志氏のプロジェクトSCOT(鈴木カンパニー・ オヴ・利賀という意味だそうです 。富山県利賀がSCOTの拠点です。)の公演・「シンデレラからサド公爵夫人へ」を見てきました。吉之助は鈴木氏演出というと「バッコスの信女」(1978年・岩波ホール)のことを思い出します。白石加代子の怪演が思い出されますが、吉之助の鈴木氏の印象はそこで止まっちゃっているので、現代劇を論じる資格は吉之助にはないのですが、メモ代わりに気が付いたことを書き留めておきます。当然ながら歌舞伎視点になります。

SCOTのサイトはこちら

ホントに久しぶりに鈴木氏演出を見ましたが、観客に「君、今どんなことを感じてる?その今感じてることを大切になさい」と言われているような舞台で、これはモーリス・ベジャールのバレエもそんなところがありますが、よく分からないけども・何かがありそうだと思って見るという、ちょっと癖になるところがありますねえ。まあ見て疲れるのは確かですが、こういう感じは吉之助は嫌いではありません。ところで「シンデレラからサド公爵夫人へ」というのは奇妙なタイトルですが、鈴木忠志演出の「シンデレラ」と「サド公爵夫人」という二つの芝居の舞台稽古を二本立ての コラボレーション劇中劇として見せるという趣向です。この二つの芝居の関連ですが、前者は家庭のなかで疎外されたシンデレラが主人公、後者も抑圧されたルネ(サド公爵夫人)が主人公ということでしょうかね。 もっとも吉之助には「サド公爵夫人」の背景に美空ひばりの歌が流れる意図は今ひとつ良く分かりません。鈴木氏なりの内的関連があるのだろうと思いますが、吉之助にとっては同時代的な関連がよく見えないということですが、これ一体何の関連かね・・・こういうことをムニャムニャ思うのも癖になるということです。

ところで感心したのは、昔の「バッコスの信女」での白石加代子のことを思い出しましたが、今回の役者さんたちも言葉の力が凄いのですねえ。客席の隅々まで声が通るということももちろんですが、言葉の粒のひとつひとつが明瞭で・ひとつひとつの音が聴き手に向けて放たれているということです。これは確かにプロフェッショナルの仕事ですね。劇場というのは非日常の空間ですから、それで演じられる会話も日常ではあり得ないということです。そのリズムは、ちょっとグレン・グールドの弾くバッハを思わせます。1955年デビュー盤の「ゴールドベルク変奏曲」のような感じ。聴き手に対して攻撃的に仕掛けてくるのですね。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤)(グレン・グールド)

別にここで引き合いに出す必要もないのですが、吉之助がいつも見ている歌舞伎のことを考えるならば、歌舞伎ではこういうツブツブ感の強い台詞はもはやほとんど聴かれません(現在の歌舞伎の台詞はずいぶん間延びしてのっぺりしています)が、本来は二代目左団次の新歌舞伎でこれに似たリズムが舞台で発せられるべきであると思いますねえ。(別稿「左団次劇の様式」をご参照ください。)昨今は新歌舞伎の台詞は朗々と・音楽的な抑揚をつけて歌うものなんて誤解している方が多いので困ります。本来の左団次劇の台詞というのは主人公の熱い思いを、機関銃のようなリズムで観客の心に弾丸を撃ち込むようなものなのです。言葉の音のひとつひとつが弾丸だということです。思えば日本の新劇というのは二代目左団次の自由劇場に発するわけですから、SCOTの舞台もその系譜の上に乗っているということですね。

しかし、後半の「サド公爵夫人・第2幕」(もちろん三島由紀夫作)を見ていると吉之助はあれっ?と思いました。台詞のリズムがしっかり打ち込まれていることはとても良いのですが、若干重めに感じられました。これはやはりグールドの弾くモーツアルトに感じる違和感とよく似たものです。ただしグールドは確信犯ですが。鈴木氏も確信犯かも知れませんがね。

モーツァルト:ピアノソナタ第11番、第15番(グレン・グールド)

三島由紀夫の芝居の台詞というのは、言葉の過剰というか・日常会話とはちょっと異なるものです。だから三島の芝居は臭くてイヤだという方は少なくないようです。特に「サド公爵夫人」については三島は「ロゴスとパトスの相克」ということを言っているくらいで、これをルネとモントルイユの論理的な対決と考えることはもちろん出来ます。(別稿「サド侯爵夫人を様式で読む」をご参照ください)それは間違いではないのですが、相手を論破することが・あるいは観客に自分の言い分を論理的に納得させることが、必ずしも三島の台詞の目的ではないのです。ルネとモントルイユが向き合っている構図が見えれば良い、それだけのことです。

歌舞伎を例にすれば「勧進帳」の山伏問答では、弁慶と富樫が絶体絶命のところで対決していることが観客に分かれば、それで良いのです。弁慶の山伏問答というのはでっち上げで、でっち上げと云ってもある程度の専門知識がないとでっち上げもそれらしく出来ないのも事実ですが、「仏徒の姿にありながら額に頂く兜巾ナいかに」と問われて弁慶がどのくらい仏教の知識を持っているか、そんなことを観客がいちいち検証するわけではありません。富樫がワーと言えば弁慶がウォーと答える、お互いに何か小難しそうなことを言っているらしいな、そんなもので良いのです。それを昨今の舞台では富樫が弁慶の答えを聞いて・うなずき、「なるほど道理、それでは次の質問を、これが答えられるかな」なんて感じでやるから芝居が重ったるくなってくるのです。この「サド公爵夫人」もそんな気配が若干ありますね。

グールドの弾くモーツアルトのことを引き合いに出したから、次いでに言いますと、モーツアルトが生きた時代には、彼の音楽は音符が多過ぎるということが悪口としてよく言われたものでした。シェーファーの 戯曲「アマデウス」のなかでヨゼフ皇帝が「お前の音楽は良いぞ、しかし、音符がちょっと多過ぎる。人間が一日に頭に入れられる音符の数には限界がある。モーツアルト、このことをよく覚えておくように」と言うので、モーツアルトが仰け反ります。笑える場面ですが、これは決してジョークではなく、モーツアルトの音楽にはそのような過剰性があって、それが当時の保守的な聴衆をイラつかせたということです。これがモーツアルトが貧乏で苦しんだ原因で した。逆にそこが確信犯たるグールドの取っ掛かりになるわけです。モーツアルトの過剰性も、現代の聴衆はもはや音のイメージの応酬としては受け取らないでしょう。それは音楽の流れのなかのキラキラした珠の煌めきのようなものに感じると思います。そうやって音楽はこなれて行くのです。ただし、モーツアルトの場合は宝石を転がすようなツブツブ感は絶対に必要ですが。

三島の台詞の場合にも同じようなところがあって、ルネとモントルイユの会話が論理の応酬になってしまうと観客はやはり疲れます。宝石を転がすような言葉のツブツブ感は もちろん大事なのですが、ツブツブ感があまり強過ぎると、観客は言葉の意味を取ることに意識が向き勝ちで、芝居よりもそっちの方で疲れてしまうのです。それは観客が悪いのではなく、台詞は言葉で出来ているのですから、台詞というのは意味(あるいは論理)の方に観客の注意を自然にそちらへ仕向けるのは当然のことなのです。そこに音楽とはまるで異なる・芝居の台詞の難しい問題があります。意味や論理に縛られない台詞など存在しないからです。 ですから観客の意識を過剰にそっちに向かせないように・ちょっとした工夫が必要になってきます。音楽的な台詞とはどういうものかという問題は、そういう場面で議論に上がってくるのでしょうねえ。今の歌舞伎のように様式的な感覚にどっぷり浸っちゃってそれで良しとしている時には逆のことを言わねばなりませんが。

「サド公爵夫人」のことで云えば、鈴木氏にとっては三島は同時代演劇であるから、三島の言葉の過剰性のことを先鋭的に捉えようとするのかも知れません。それは確信犯たるグールドのモーツアルトと同じように、ある意味で正しいことです。鈴木氏がそういう先鋭的な感覚を維持し続けているということは敬服に値しますね。一方、吉之助はもう少し遅れた世代ですから、捉え方がちょっと異なるということかも知れません。吉之助が歌舞伎の批評家だということもあるでしょうねえ。

例えば「それじゃどうしても別れられないというのは、愛情からだとでも言いたいのかい」(モントルイユ)という台詞ですが、今回の舞台では「愛情からだ、とでも言いたいのかい」と発声されています。こういう台詞の切り方が吉之助には非常に気になります。「愛情からだ」はルネの言い分で、「・・・とでも言いたいのかい」はモントルイユの言葉という論理に縛られている。と云うか、こういう台詞の切り方をすると、観客の注意は台詞の論理の方に強く向けられると思います。恐らく鈴木氏は、台詞の意味が大事だから・意味を考えて台詞を言えという指導をしているのだと思います。(同じような場面が他にも見られるからです。)もちろんそれも分かるけれど、吉之助の場合は、ここは切らずに「愛情からだとでも言いたいのかい」と続けて言 って欲しいと思います。更に「それじゃどうしても別れならないというのは愛情からだとでも言いたいのかい」と続けて言いたいと考えます。

物書きとして日常で文章を書いていると、文章の持つリズムと云うか・息と云うか、そういうものがとても気になるものです。吉之助はどちらかと言えば、文章が接続詞でダラダラ長く書く傾向があります。おかげで文章が分かりにくくなって、こういうのは欠点だと思ってますが、それで吉之助 の場合は推敲する時に、読みやすくする為に文章をふたつに分けたり・句読点を付けたりして文章の流れを整理することが不可欠です。書き手にはそれぞれ独自のリズムや息があるものです。それが書き手のスタイルというものです。三島の台詞には三島の独自のスタイルがあります。「それじゃどうしても別れならないというのは、愛情からだとでも言いたいのかい」の場合は、吉之助には一気に言うべき台詞であるとしか思われません。「愛情からだとでも言いたいのかい」は三島自身も句読点を付していないのだから、これは続けて読んだ方が良いというのは、まあご理解いただけるでしょう。一方、「・・別れら れないというのは」の箇所は句読点で区切られていますが、台本読む時に読み手が台詞の意味を取り易いように、三島が便宜上句読点をつけたと感じます。台詞の句読点は必ずしも息を切るべき箇所であると云うわけではないのです。

しかし、何故そう感じるのか?という根拠は、同じ物書きとしての音楽的感覚だとしか言いようがないですが、ひとつの根拠としてはこの前後の場面の持つ緊張感というか・一貫した流れを持続したいということです。もうひとつの根拠としては、ここでのモントルイユの台詞では相手(ルネ)の言い分に反発している気持ちが優先するのであって、内容は二の次だということです。「台詞の意味を理解するためにちょっとでも言葉を聞き洩らしてはならぬ」というような方向に観客の意識を過度に引っ張る ことは吉之助はイヤだと言うことです。 SCOTの場合は役者さんの台詞のツブツブ感がとても強い(これはもちろん長所ですが)ので、台詞の意味の方向に・観客の注意が強く引っ張られ勝ちだということです。吉之助としては、モーツアルトの音楽みたいに言葉 をキラキラ粒立たせながらも・軽やかなタッチで、三島の言葉の過剰性を意識的に抑える方向で処理したいのです。その為には台詞を切る息継ぎの箇所を慎重に選ぶ必要があります。

「それじゃどうしても別れられないというのは愛情からだとでも言いたいのかい。そこが私にはどうしても腑に落ちない。」

この場合は上記ふたつの文でひとつのフレーズと考えたいのです。モントルイユはルネの言い分がどうにも理解できない。言いたい気持ちはそれだけです。ここでモントルイユは同じ気持ちを二度繰り返しているわけです。ただし、同じことを繰り返す場合でも同じように繰り返すということは音楽の場合も戒められています。まったく同じフレーズを繰り返す場合も、ニュアンスを少し変え ねばなりません。だから「別れられない」と「愛情からだ」と云う言葉をちょっと膨らませて、「どうしても腑に落ちない」で落とす。そのような流れの上に台詞を組み立てる。吉之助ならば、この三島の台詞をそのように処理したいと思います。ちょっと歌舞伎風であるかな。しかし、 これは三島の本意に叶うことかなとは思います。今回は「雑談」で済ませるつもりが、思いのほか長くなってしまいました。

(H25・1・1)


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