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追悼クラウディオ・アバド

*クラウディオ・アバドは2014年1月20日死去。


今月(1月)20日に指揮者クラウディオ・アバドが亡くなりました。吉之助がクラシック音楽を聴き始めた時にはアバドはまだ期待の若手筆頭くらいの位置(今のデュダメルやハーディングよりひと回り上の感じであろうか)でありましたが、とても斬れの良い・フレッシュな演奏を聴かせてくれました。吉之助がアバドの名前を意識したのは、多分、ミラノ・スカラ座管を指揮したロッシーニのFM放送ではなかったかと思います 。吉之助のお気に入り録音で言うならば、1978年ザルツブルクでのマーラーの交響曲第3番、同じく78年ですが、ミラノ・スカラ座でのヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」(五幕フランス語版)と歌劇「仮面舞踏会」の放送録音は、今でも吉之助は同曲のベスト・パフォーマンスと思っています。その頃から吉之助はアバドを一貫して追ってきました。来日回数も多かったし、当然、生(なま)で聞いたのも多い指揮者でした。こういう風に自分の音楽人生の節目で重なるところが多かった方が亡くなるのは、ホントにメゲますね。

昨年10月にはルツェルン祝祭管と来日する予定があって、恐らくこれが最後の来日だろうと思って吉之助も切符を買っていましたが、残念ながらアバドの体調不良の為に公演中止となりました。どうやら8月末のルツェルン音楽祭での演奏会が最後になったようです。この時の演奏会映像はBS2での放送がありました。これが日本で放送になったのは来日中止が決まった後で・そう思って聞いたせいもありますが、例えばベートーヴェンの「英雄」はもちろん良い演奏でしたが、ホントに微妙なところで表現が妙に弱 い感じでハッとした所が何箇所かありました。これはやっぱり体調が悪いのだろうなあ・・とは思いましたが、しかし、最後に生で聞けなかったのは大変残念です。

左は結局幻となった2013年10月に予定されていた、クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団との来日公演チラシ。

 

アバドの音楽的貢献についてはこれから多くが語られるでしょうが、恐らく彼の栄光のキャリアのなかで評価が微妙なのはベルリン・フィル音楽監督時代ということになるかと思います。 コアな音楽ファンの間ではベルリン・フィル時代がアバドの低迷期みたいに見られているようです。確かにそれまで斬れの良い・どちらかといえばシャープな印象があったアバドが、ベルリン・フィルの音楽監督になってからは恰幅が良くなって・響きは艶やかだけども・ちょっと重い印象に変化したように聞こえたかも知れません。ベルリン・フィル辞任後からの晩年、かつてのシャープさを取り戻した感があったので、ベルリン・フィル時代が余計重い印象が したということもあると思います。それにしても、これからアバドのことが語られるならば、是非ともベルリン・フィル時代の再評価をして欲しいと思います。現在のサイモン・ラトル体制のベルリン・フィルから過去を振り返れば、カラヤン時代からラトル時代への橋渡しとしてのアバド時代の 意義は明らかであると思います。現代音楽を積極的に取り入れること、小編成オケの試み・楽譜 (版)の検討など、ラトル時代に本格的になったことは、みんなアバド時代に始められたことです。ベルリン・フィル時代のアバドは結構風当りが強かったようですが、言い換えると、これは帝王カラヤンの後を継ぐということが如何に大変であったかということですね。アバドはそのきつい仕事をよくやったと思います。 アバドにしか出来なかったことじゃなかろうか。そこから指揮者アバドのベルリン・フィル時代の位置付けを改めて見直してみたいと思います。ご冥福をお祈りします。

(H26・1・22)


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