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人間国宝・坂東玉三郎


○人間国宝・玉三郎・その1

本年(2012)の歌舞伎界もいろいろなことがありました。そのなかで「文化審議会が7月20日、歌舞伎女形の坂東玉三郎を重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定するよう文部科学相に答申した」とのニュースは最も嬉しい出来事でありましたね。吉之助が人間国宝・玉三郎の報を聞いてまず感じたことは、何時の発言かは忘れましたが(多分30年ほど前のことと思いますが)玉三郎は「舞台での自分の姿が自分で綺麗だと思えなくなったら、その時は女形を辞めて、演出とか他の方面で舞台の仕事をしたい」という趣旨の発言をしたことがあったと記憶していますが、今回玉三郎が人間国宝の答申を受けたということは「玉三郎が歌舞伎女形として最後まで(死ぬまでという意味ですが)やっていく」という覚悟を 決めたということだと思うので、吉之助もとりあえずそれでホッと ひと安心したということです。

実は吉之助は、もしかしたら或る時点で玉三郎は女形を辞めるかも知れないと、ずっと心配であったのです。ここ数年は何だか昔の当たり役を再確認か・納めるかのようにひとつづつ順番に演じているような感じがあり、「娘道成寺」や「鷺娘」は止め狂言にしてしまったし、そのなかでは 平成22年(2010)3月歌舞伎座さよなら公演での「道明寺」で玉三郎が覚寿(三婆のひとつと云われる老け役の大役)を演じたのはちょっと 嬉しい驚きではありましたが、歌舞伎座が改築のため閉場すると東京であまり見掛けなくなって・玉三郎が歌舞伎に集中してないように思えて、まあそんな心配がずっと吉之助のなかにあ ったわけです。しかし、兎に角玉三郎が今回「歌舞伎女形として、後進の指導と歌舞伎の発展のため、責任を持ってやっていく」という気になってくれたことを、とても嬉しく思います。

本サイト「歌舞伎素人講釈」のどこかで書いたかも知れませんが、吉之助が本格的に歌舞伎を意識して見るようになったきっかけのひとつは、実は玉三郎でした。ただし歌舞伎の玉三郎ではなくて、新劇の玉三郎ですが。それは昭和51年(1976)2月日生劇場での「マクベス」(シェークスピア)でのマクベス夫人、次いで同年7月国立小劇場(これは2日間だけの上演でしたが) での「斑女」(三島由紀夫・近代能楽集)の斑女ということになります。伝統芸能のなかの女形芸というものに対する衝撃という点で、玉三郎のマクベス夫人が吉之助に与えたものは実に大きかったのです。その衝撃がいかに 大きかったかは、この時に主役マクベスを演じた平幹二朗がそのすぐ後に女役に挑戦したことで分かるでしょう。吉之助が見ても・この時のマクベス夫人の出来は主役がかすむような気がしましたが、平幹もとても悔しく感じたようです。平幹の「俺にだって女役くらいできるぜ」という気概を示したのが、昭和51年7月国立小劇場での・まさに玉三郎が「斑女」を演じた同じ日に次の演目「卒塔婆小町」(三島由紀夫・近代能楽集)の舞台で 平幹が演じた老婆(小町)で した。もちろんこの舞台もよく覚えています。このしばらく後に平幹の最大の当たり役のひとつとなった「王女メデイア」が来ます。(後に玉三郎も同じメデイアを演じました(昭和58年・1982・2月日生劇場)が、こっちは平幹の圧勝でしたね。)

実は十代の頃の吉之助は歌舞伎を見てはいましたが・それはドラマとしてのみ関心があったことで、歌舞伎の女形への関心の方は意識的にこれを排除して見ていました。つまり女形というのは江戸の昔は女優が禁止されて仕方なく在ったものなので・本来あるべきものでない・だから「女形は記号として見るべし・記号に留めて置くべし」という見方でした。正直に云うならば、吉之助は女形は気持ち悪いと思ってまして(これは今でもそうには違いないですが)、歌舞伎の女形には距離を置いていました。だから、そういう障壁を乗り越えて、吉之助の伝統芸能・歌舞伎の女形芸というものへの関心を呼び起こしてくれたきっかけが、実は玉三郎のマクベス夫人だったということです。

以後の吉之助は次第に歌舞伎を熱心に見ることになりますが、もっとも吉之助の歌舞伎の女形芸への関心は、その後は玉三郎中心に展開したのではなく、もっぱら晩年の六代目歌右衛門 (それと同時期に並び立った七代目梅幸)を中心に展開しました。このことは本サイト「歌舞伎素人講釈」をお読みになれば歴然としています。吉之助の歌舞伎歴の中核にあるものは、間違いなく六代目歌右衛門なのです。これは 過程でそうなってしまったことで、そうなる必然は当然あったと吉之助は自己分析しますが、かと云って・その後の吉之助のなかで玉三郎への関心が失われたということはまったくなく、「玉三郎が○○に初役で挑戦」とか「玉三郎○○年ぶりの当たり役」なんて云えば、玉三郎の節目となる舞台は吉之助は 大体見てきたはずです。だから吉之助は自身を玉三郎ファンと呼んで良いと思っていますが、それにしても、歌舞伎の女形に関心を持つきっかけが歌舞伎の玉三郎ではなくて新劇の玉三郎 だったというところに、吉之助の歌舞伎の女形芸に対する見方の特異なところがあるのかも知れません。


○人間国宝・玉三郎・その2

「歌舞伎素人講釈」はもうすぐ13年目になりますが、吉之助はこれまで何度か玉三郎論的な文章を書こうとして・その度原稿をボツにしてきました。実は吉之助にとって玉三郎はなかなか微妙な題材なのです。と云うのは、書き進めるうちに筆に何やら反・玉三郎的なネガティヴな方向へ論旨が向かいそうな気配があって、玉さまファンとしてはそれ が困る。ということは、やはり玉三郎の美学というものに歌舞伎と相容れない要素が若干あるのかなあとも思うわけですが、吉之助としてはそういう功罪も含めてやはり最終的にはポジティヴな視点で玉三郎論を仕上げたい。こうなると、玉三郎のマクベス夫人に衝撃を受けて「これから歌舞伎をもっと真剣に見ていこう」と感じたあの頃の吉之助が歌舞伎に何を期待していたのだろうかという点をもう少し突き詰めていかねばならないことになりますが、これがまた難しい。

現時点の吉之助には玉三郎は若干ネガティヴに映るのかも知れません。吉之助は歌右衛門論の方は書きましたし、もう少し踏み込んだものをいずれ書きたいと思っています。こっちは書ける自信がありますけれど、玉三郎論の方が当分先の話になりそうです。吉之助としては歌舞伎の女形論を歌右衛門論を第1部にして・第2部を玉三郎論として・それで対としたい。そのような設計を考えていますが、第2部の方向性が決まらないから第1部も書けない。今の吉之助はそういう状態なのです。ということで、今回は雑談の形で玉三郎のことを書かざるを得ないわけです。

例えばこの映像をご覧ください。これは昨年(2011)11月・玉三郎が京都賞を受賞した時の記念のワークショップの映像です。(注:これは京都賞主催の稲盛財団の公式アップ映像です。)ここで玉三郎が解説する「女形の所作の美しさ」について、役者の実践的解説としてまったくその通りだと思いますが、この映像で見る玉三郎の動作を見ていると、吉之助はやはり落ち着かない感じがしますねえ。本番の舞台ではなく・ワークショップで素で観客に見せているのですが、むしろそれだからこそ本舞台よりはっきり見えるものがあるのです。

坂東玉三郎の美の世界―第27回京都賞ワークショップ―第2部

例えば映像3分辺りで玉三郎が「娘道成寺」の所作をする場面ですが、何だか身体を苛めず、身体を楽ちんに置いている感じで、とても気になります。身体の軸がユラユラ揺れて、フォルムへの意識が希薄に感じます。 実はこれは本舞台での玉三郎の踊りの印象と同じです。きちんと枠のなかに所作を押し込む意識と云うか、身体の周囲に結界みたいな空間が見えてくる感覚が欲しいと思います。そういうものがフォルム感覚です。このようなワークショップで断片をちょっと切り取っただけで、役者のフォルム感覚がどの程度かは分かるものです。歌右衛門にはそうした感覚が厳然とありました。「娘道成寺」でも歌舞伎座ではなく・座敷で踊っているような気がしたものです。そのような感覚を吉之助は「古典的」と呼 びたいのですが、この玉三郎の踊りにはそういう感覚が希薄に思われます。たぶん玉三郎は踊りを流れで捉えているということでしょうね。しかし、もしかしたら歌右衛門の芸の在り方の方が先鋭的かなということを思いますねえ。

昭和63年(1988)11月・東京文化会館でのモーリス・ベジャール・ガラのことを思い出します。この時、玉三郎は「娘道成寺」の一部をジェルジュ・ドンと並んで同じ振りをやりました。さすが世界の頂点に君臨する踊り手だと感嘆しましたが、上半身裸の黒タイツ姿で踊ったドンは、見事に日本舞踊の所作の勘所をキッチリ取って見せました。軸がしっかりした安定感ある振りでした。一方、横で並んで舞台衣装を着けて踊っている玉三郎の方が、まったくクニャクニャ踊りでありました。頭もユラユラ揺れていました。ちょっと残念でしたね。この時、吉之助は歌舞伎の女形芸の脆弱性ということを思いました。

「舞台に立つ時は身体を正面に置かず(そうすると男が見えてしまうので)斜めに置く・そうすると美しく見える」と玉三郎が言うのは、実践者ならではの解説なのかも知れません。しかし、吉之助は歌舞伎というのは観客に対して正面に置くのが、どんな場合でも ・女形の場合であっても基本であると考えます。まずこの正面の感覚をしっかり押さえておいてから、「崩す」ということで身体を斜めに取るのならば・それは良いでしょうが、身体を斜めに取るのが女形の基本だみたいな解説はあまりして欲しくないと吉之助は思うのです。映像3分辺りでの「娘道成寺」の所作のことですが、この場面は能掛かりの箇所で・下半身は内輪に取りますが・上半身はナンバに置かないのですから、上体はしっかり正面に取らないといけません。右肩が前に出そうになる時には・右肩を後ろへ引くのです。だから結果として身体の軸がブレない・金冠の紐が揺れないということを口伝ではうるさく言うのです。身体を正面に取ることで能掛かりのフォルムが出るのであって、紐を揺らさないことで能の品格を出すというのでは本末転倒だと思います。

女形芸の脆弱性と言うのは、女らしさ・美しさを表現する為の技巧がフォルムから実質を以って発想されるという正しいプロセスを踏まずに、技巧が技巧として浮き上がっているということです。美しさの為だけにある技巧ということですかね。ワークショップでの玉三郎の教え方を見ると、そういう感じがします。これも実践者としての感覚ということでしょうか。それはともかく、京都賞関連での稲森財団の一連の公式アップ映像には玉三郎を考える為の興味深いヒントがあるので、是非ご覧ください。ともあれ、「玉三郎の美学と歌舞伎の美学と・・」という多少の齟齬がありそうな問題をひとつにすべく、吉之助は悩んでいる最中なのです。今回は玉三郎論ではなく ・雑談と云うことで。

(H24・11・25)


 
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