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ハーディングのブルックナー&マーラー


吉之助は東日本大震災のあった本年(2012)3月11日夜に演奏会(すみだトリフォニー・ホール)を聴きに行く予定にしていました。最近メキメキ頭角を現してきた英国の若手指揮者ダニエル・ハーディングが新日本フィルを振って、マーラーの交響曲第5番を演奏することになっていたのです。地震で首都圏の交通機関が麻痺してしまった為、吉之助はその演奏会には行けませんでしたが、徒歩や自転車で集まった百人ほどの聴衆を前にガラガラのホールで当日の演奏会は決行されたということを後でインターネットで知りました。吉之助はその時刻には東京の仕事場から家へ徒歩で歩いて帰る最中で、錦糸町を素通りしまして・家に着いた時には日付が変わっておりました。ハーディングもあの時の経験は忘れられない・これからずっとこの曲を振るたびにこのことを思い出すことだろうと語ったそうですが、吉之助もこの日を決して忘れないでしょう。切符の方は払い戻しがありましたので、今考えると、家に歩いて帰る道それてトリフォ二ー・ホールへ行けば良かったなあと思ったりもしますが、当日は家の方が心配でそれどころじゃありませんでしたね。

そのハーディングが6月に新日本フィルとブルックナーの交響曲第8番を振りに再来日、これは当初から決まっていたスケジュールですが、あの時に振り損なったマーラーを絶対振るんだということで特別演奏会を行なうというのだから、これは聴かないわけにはいきません。そういうわけで6月はハーディングで、ブルックナーとマーラーをまとめて聴くことが出来ました。ハーディングは演奏終えるなり・そのままロビーへ走って・募金箱を手にお帰りの聴衆に復興支援の募金を呼びかけるという具合で、演奏もさることながら・その人柄も見上げたものがあるようです。

吉之助がハーディングに注目するようになったのはそれほど昔のことでもなく、ウイーン・フィルを振ったマーラーの交響曲第10番(クック補筆版)のCD(2008年リリース)を聴いてとても感心したからです。これ など同曲の録音のなかでも筆頭に挙げても良い出来栄えです。アダージョ冒頭など曲者揃いのウイーン・フィルの弦を実によくコントロールできています。それから彼の演奏をいろいろ聴いてみたのですが、才気煥発というか、曲によってはテンポやアクセントに個性的な主張を入れることも多く、吉之助から見ると「御主まだ青いな」と思うような解釈も少なくないようではあります。(「ドン・ジョヴァン二」序曲などはちょっと・・・ね。)この点では例えば若き日のカラヤンや夭折したグィド・カンテルリのように聴いた瞬間その完成度に目をむくというほどの衝撃はないのだけれども、しかし、 まあそういうところも含めてフレッシュな若さの魅力があると言うことでしょう。ともあれ現在最も将来を嘱望されている指揮者であることは疑いありません。今回のブルックナー(17日、第8番)・マーラー(20日、第5番)ではハーディングは解釈面でもなかなか手堅いところを聴かせてくれました。

マーラー:交響曲第10番(ハーディング指揮ウイーン・フィル)

今回のブルックナー・マーラーともに解釈を正攻法に取って、最終楽章コーダを除いてあまりテンポを動かさず・比較的インテンポに取っていたことが特徴かも知れません。逆に言うと、吉之助としてはコーダもイン・テンポで堂々押し通して欲しかったところではありますが、それはまあ大きな欠点とは思いません。多分ああいうところで追い込み掛ける方が興奮する方は多いだろうと思います。感心したのは、テンポ設定が適切で、両曲ともにバランスがよく取れて各楽章がそれぞれの位置をしっかり主張できていたことです。それとハーディングとマーラー室内管との演奏では解釈も仕掛けに行くせいか・リズムの刻みが浅いと感じることが少なくないのですが、今回の演奏ではまったくそういう不満を感じませんでした。これも正攻法で行った成果じゃないかと思いますが、ハーディングの力量をまざまざと感じさせましたねえ。

ブルックナー:交響曲第8番では、第2楽章スケルツオの中間部で思わぬ発見がありました。この中間部について作曲者は「野人(ミヒェル)が田舎を夢見る」ということを言っています。「野人(ミヒェル)」というのは田舎者という意味でありましょうか。ハーディングのこの場面の遅いリズムの刻み方が如何にも野暮ったく・しかしどことなく素朴でユーモラスで、ハッとさせられるところがありました。それと第3楽章アダージョ冒頭の低弦のリズムの・少し足を引きずったような重い刻み方がとても面白いと思いました。もっとも作曲者は楽譜に“Feierlich langsam, doch nicht schleppend”(荘重にゆっくりと、しかし引きずらないように)と記しているようですが。しかし、ハーディングの演奏を聴きながらこのアダージョは第7番のアダージョよりもずっと「葬送」そのものではないのかと感じましたねえ。これもひとつの発見でありました。(注:第7番の アダージョはワーグナーのための葬送音楽であると言われています。)今回の演奏では、この中間2楽章の出来が特に素晴らしかったと思いますが、もうひとつ第4楽章でふと感じたことですが、ハーディングはオルガンの響きをイメージしながら指揮しているようでした。特に金管でオルガンの持続する響きをフレージングで意識していたように感じられました。そんなこともこの演奏を印象深いものにしていたと思います。

マーラー:交響曲第5番は恐らくハーディングにとってブルックナー以上に相性が良ろしい曲でしょう。バランス的には第1・2部を重めに取り、第3部(第4〜5楽章)をやや軽めに抑えた感じでありました。有名な第4楽章アダージェットは情感に浸るのではなく・むしろ客観的に対していたようですが、それも良かったのではないでしょうか。それはそこに至るまでの第1・2部を重めに取っていたから、その軽さが効いて来るわけです。第1楽章はもともと葬送行進曲であるから、震災支援チャリティコンサートということもあるから尚更と言うべきか、非常に沈痛な思いが伝わってくるずっしり重い・しかし緊張感がある演奏になりました。第3楽章も激しい鋭角的なリズムがよく打ち込まれていて、ずっしり腹に響く演奏でしたねえ。

それにしても新日本フィルも渾身の力演を聴かせてくれました。金管もとてもよく鳴っていていました。ハーディングはこれから新日本フィルのMusic Partnerという肩書きで、いろんな演奏を聴かせてくれる予定になっていますが、このコンビでそれらを聴くのがとても楽しみです。


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