(TOP)           (戻る)

文学のふるさと・演劇のふるさと


1)絶対の孤独

グリム童話の「赤頭巾」を知らない方はいないと思います。この「赤頭巾」ですが、赤頭巾がおばあさんを訪ねていくと、狼がおばあさんに化けていて大きな口を開けて赤頭巾をパックリ食べちゃいましたというのがグリムの採取したオリジナル民話の結末です。それじゃあんまり可哀想 だということでしょうが、この後に狩人が登場して寝ている狼のふくれた腹を裂くと、なかから赤頭巾とおばあさんが出てきて・・・などという改変がされていたりして、吉之助 がその時代に読み聞かされたのはそちらの方でした。

しかし、赤頭巾がパックリ食われてそれで終わりというのはもの凄い結末ではありませんか。この結末については「モラルがない」という指摘があります。いきなり筋が途切れてしまうというか、中空に放り出されたような感覚に襲われます。

しかし私たちはこの結末を読んで「いきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな・しかも透明な、ひとつの切ない『ふるさと』を見ないでしょうか」と、坂口安吾は随筆「文学のふるさと」で書いています。なにか氷を抱きしめたような・切ない悲しさ・美しさだとも書いています。

安吾の「文学のふるさと」は名評論で、もしお読みでなければ是非お読みになることをお勧めします。そしてその後に小説「桜の森の満開の下」をお読みいただければ、安吾の言いたいことがさらによく分かると思います。ここにあるのは、むごたらしいほどに救いようのない・絶対の孤独なのです。

読み手は突き放されて戸惑いながらも、しかし、自分自身が置かれている生の意味を改めて噛み締めるのではないでしょうか。結局それは「自分はひとりで生まれてひとりで死ぬのだ」という確信につながるような気がします。そこには救いがないようにみえますが、それこそが唯一の救いなのです。そこで「自分だけが頼りだ」ということを再確認するからかも知れません。

堕落論,日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫 緑 182-1)

このことを謡曲「弱法師」の脚本を読んでいた時に思い出しました。日想観で盲目の身に見えないはずの風景を見て、「おう、見るぞとよ見るぞとよ」と叫んでよろよろと歩き出す俊徳丸に人がぶつかり・突き飛ばされ、現実に引き戻された俊徳丸は「今よりはさらに狂わじ」と肩を落とすのですが、もしここで芝居が終わってしまったとしたら、「弱法師」もまた「赤頭巾」のような「ふるさと」を観客に感じさせたでしょうか。

しかし、観世元雅の謡曲「弱法師」にはさらに結末が付いています。「弱法師」が観客に慰め・静かな感動を感じさせるのは、追放した息子を捜し求める父・高安左衛門が俊徳丸と再会して・息子を家に連れ帰る結末があるからだということを別稿「天王寺の西」で書きました。芸能は「慰み」でありますから、文学とはちょっと役割が違うかも知れません。もし「弱法師」にこの結末がないならば、やはり「寸切れ」の印象は避けられないかも知れません。

2)救いと慰め

ところで話題は突然変わりますが、折口信夫は評論「歌の円寂する時(正・続)」において面白いことを書いています。「歌の円寂する時」は短歌論でして、折口の所属していたアララギ派(斉藤茂吉を中心とする)の状況がよくつかめてないので短歌に疎い 吉之助には難しいところが あるのですが、その最後の方で折口は興味深いことを書いています。

日本の古代人の悲しみは絶対的な救いようのないものだった。そこへ仏教が来て、悲しみに慰めを与えてしまった。芭蕉の世界も悲しみのなかに慰めを見出してしまって、その悲しみに絶対的な深さがないと折口 信夫は言うのです。アララギ派は万葉の風を理想としていますから、こうした仏教の影響が邪魔になるというようなことを書いています。

『(日本の古代人の)生活には感謝すべき神がなかった。孤独に徹しても光明の赫奕地に出たことはない。東洋精神の基礎となったと信ぜられる仏教の概念が、修道生活によって内化せられて、孤独と感謝、寂寥と光明、悲痛と大歓喜とを一続きの心境とした 。芭蕉jは、この昔から具体化の待たれていた新論理の、きわめて遅れて出た完成であった。だが、実はこれは祖先以来暗示となっていた生命律の、真に具体化せられたものではなかった。異種同貌の近似から、しいて意訳せられたものに過ぎなかったのだ。「憂き我を寂しがらせよ閑古鳥」。寂寥に住して、孤独の充実感に慰めを得ている。寂寥に徹することが光明をほしいままにする所以だということを意識し過ぎている。孤独を呪うたものは外にも見当たらない。』(折口信夫:「歌の円寂する時・続編」:折口信夫全集第29巻)

吉之助はこの部分に、原日本人の感性とあとから入ってきた仏教世界とのギャップ・軋轢 (あつれき)を考えました。万葉の風を理想とすれば仏教思想の影響(慰め)は堕落なのでありましょうか。仏教の「救い・なぐさめ」によって日本人の民衆は新たな生き方を得たのではなかったのでしょうか。しかし、折口信夫の指摘は日本土着の宗教ではない仏教と 原日本人の感性との間にはほんのちょっとした「ずれ」があるのではないかということを気付かせてくれました。いや、もちろん万葉だって聖武天皇を中心とする仏教の時代ではあったのですが、地方はそうでなかったでしょう。万葉集には仏教の影響を受けていない原日本人の感性が根強く息づいているということはご承知かと思います。

冒頭に「赤頭巾」を取り上げましたから、西欧の場合も触れておかねばなりません。これは宗教というものが持っている「救いと慰め」に関する問題であると整理ができるのではないかと思います。

ギリシア神話の「パンドラの箱」のお話をご存知でしょうか。(いや、今回は話がポンポンとよく飛びますネ。)箱からありとあらゆる災厄が飛び出して、怖くなって蓋を閉めようとしたパンドラに箱の奥からやさしい声がします。『私も出してください。私の名は「希望」です。』

『「あの悪魔をつめこんだパンドラの箱に「希望」を加えたことについて、神はさだめし忍び笑っておられることだろう。あれがなかでも一番残酷な悪魔であることはちゃんとご存知なのだ。つまり「希望」とは、みじめさを最後まで耐え忍ぶように、人類を導いていくものなのである。』(サマセット・モーム:「作家の手帳」)

皮肉屋のモームらしい文章でありますが、この指摘は辛辣にして真を突いています。宗教の提供する「救いと慰め」、それはもちろん素晴らしい思想なのですが、もしかしたらモームの指摘するようなところもあるかも知れません。そして、「救いと慰め」は、もしかしたら「自分はひとりで生まれ・ひとりで死ぬのだ、自分だけが頼りなのだ」という確信を鈍らせるものかも知れないと思います。「仏教が原日本人の悲しみに慰めを与えてしまった、悲しみに絶対的な深さがなくなってしまった」という折口信夫の指摘は、西欧におけるキリスト教にも当てはまることなのです。

3)演劇のふるさと

ここでまた話を「弱法師」に戻します。「弱法師」は説経の「しんとく丸」の系譜を引いているのことはご承知の通りです。もちろん説経は民衆仏教の影響を強く受けています。しかし、 説経「しんとく丸」を聞いていて強く感じられるのはその「悲しみ」です。それは坂口安吾が言っているような「むごたらしいほどに救いようのない・絶対の孤独と悲しみ」です。あるいは折口信夫の言う「原日本人の救いようのない悲しみ」です。もちろんそれが強ければ強いほど「救いと慰め」を求める気持ちも強くなるのですが(そこに民衆仏教の意義があるのですが)、そのためにも 説経では「悲しみはより深いほうがいい・救いようがない方がいい」のです。説経はそのように作られています。

謡曲「弱法師」はそうではありません。悲しみの色は淡くなり、救いと慰めの色合いが濃くなります。謡曲は民衆よりもう少し高い位置にある公家大名などを相手にする「芸術」なのですから、必然的にそうな らざるを得ないとも言えます。当然、作品としての品格も求められます。さらに作品にモラル・思想性を求められるということにもなります。宗教が作品に作用する余地がここにあります。そうして「救いと慰め」の要素が強くなっていきます。「むごたらしいほどに救いようのない・絶対の孤独と悲しみ」の彫りは自然と浅くなっていきます。

時代がかなり下がった「摂州合邦辻」の場合は、さらに事情が複雑になるでしょう。大坂の町人は経済的に自立していますし、精神的にもそれなりに成熟しています。浄瑠璃を支えた大坂の町民に は仏教はもちろん深く浸透していますが、日常の倫理観を作用しているのは儒教的な要素です。ここでは説経浄瑠璃の持っている「原日本人的な救いようのない悲しみ」が、反仏教的な要素として捉えられています。それが「合邦庵室」に見られる血の奇跡のようなグロテスクで呪術的なイメージを呼び起こすのです。(それこそが谷崎潤一郎が嫌悪したものでもあります。別稿「谷崎潤一郎:東京と上方と」をご参照ください。)

そこに時代が下って変化した日本人の精神構造を思わざるを得ません。もちろんこれは良いとか悪いとか・進歩したとか堕落したとかということではありません。

折口信夫は「歌の円寂する時」では芭蕉は「堕落した」という感じで論を進めていますが、これはアララギ派歌人としての折口信夫の立場が言わせているものですから。芭蕉の世界は悲しみのなかに慰めを見出してしまって、その悲しみに絶対的な深さがないと折口は言っています。芭蕉も日本人ですから「原日本人的な救いようのない悲しみ」に心揺り動かされることはあったに違いないと思いますが、「芸術家・芭蕉」はそれを「慰め」で計ろうと したということだと思います。 そのような生な悲しみを歌うことを芭蕉は決して是としなかったでしょう。そうした芭蕉の態度を歌人・折口(=釈迢空)が批判したのです。(その意味で折口信夫の感じ方は谷崎潤一郎の感じ方とまさに対極にあることが理解できましょう。)

これは芭蕉にとっても大坂の町人にとってもおなじです。彼らにとって、生な悲しみはグロテスクな形をとらなければならなかったのです。「自分はひとりで生まれ・ひとりで死ぬのだ、自分だけが頼りなのだ」という確信はどこかに反社会的な・個人主義的な思想の萌芽を孕んでいると も受け取られたと思います。一連のシリーズで「かぶき的心情」を考えましたが、これも同様に江戸時代の社会においては敵視された個人的感情の噴出なのです。これも原日本人的な感情の発露と考えること があるいは可能かも知れません。

このような視点から「合邦庵室」などの歌舞伎を読んでみるのも一興ではないでしょうか。

(H14・8・25)

(後記)

「むごたらしいほどに救いようのない・絶対の孤独と悲しみ」を坂口安吾は「文学のふるさと」あるいは「人間のふるさと」と呼んでいます。安吾は随筆「文学のふるさと」の最後にこう書いています。

『このような物語を私はそれほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれど、大人の仕事は決してふるさとに帰ることではないから。だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。私はそのように信じています。』 (坂口安吾:「文学のふるさと」)

新版歌祭文―摂州合邦辻・ひらかな盛衰記 (歌舞伎オン・ステージ)

(参考文献)

折口信夫:「歌の円寂する時・続編」:折口信夫全集第29巻「短歌論」・文庫版では第27巻に収録・中央公論社)

坂口安吾:「文学のふるさと」:坂口安吾評論全集第1巻「文学思想篇」・冬樹社(本篇は文庫でも手軽に手に入ります。)
 

 

(TOP)           (戻る)