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伝統を受け渡す者・伝統を繋ぎ直す者


先日(平成25年12月16日)のことですが、早稲田大学・演劇博物館主催で「豊竹山城少掾を語る」という演題で、渡辺保先生・他の講座がありました。吉之助は仕事があって行けなくて残念でしたが、当日参加した方から聞いたところでは、渡辺先生はご自分の著作で一番大切に思っているのは「歌右衛門伝説」(1999年)でも「女形の運命」(1974年)でもなく、豊竹山城少掾」(1993年)であるということを仰ったそうで、ほほう・・と思いました。意外だったというのではなく、最近の渡辺先生が書いていることからすれば、「なるほどその気持ちは理解できるなあ」ということでした。例えば「豊竹山城少掾」の最初の章「焼け跡の四ッ橋文楽座」で、渡辺先生は次のように書いています。

『山城少掾について、なぜ私が書きたいと思うようになったのか。一つは、多くの人が山城少掾のことを知らなくなったからである。あの名人の芸が忘れられていくのは、実にさびしい。よくも悪くも今日の人形浄瑠璃の基礎をきずいた人間を忘れるのは、斯道衰微のあらわれ 以外のなにものでもないだろう。山城少掾はのちにふれるように歴史的な存在であった。その人が忘れられるということは歴史が忘れられるということであり、歴史が忘れられれば伝統は存在しなくなる。そのことが問題だと私には思えるからである。』(渡辺保・「昭和の名人 豊竹山城少掾」)

渡辺保:昭和の名人 豊竹山城少掾(新潮社)

山城少掾は文楽のことですが、これは歌舞伎であっても同様で、最近の渡辺先生は「歌舞伎の演劇の方法論として、型が重要である。型を俳優が血肉のものとして、それを超えたところに芸がある。型がなくなってしまえば、歌舞伎は時代劇に過ぎない。それが私の最後のメッセージだ」( 2012年10月22日・読売新聞の記事)という趣旨のことを、いろんな場面で発言されています。「江戸演劇史」(2009年)や「明治演劇史」(2012年)のような大著も、そのような思いのなかから生まれたものだと思います。

山城少掾でも六代目菊五郎でも、どんな素晴らしい芸も、舞台の芸は終わってしまえばその途端に消えてしまうものです。それらは見る者の脳裡に残像でしか残りません。その芸の素晴らしさを、たとえ断片であっても、後世の世代に何とかして語り伝えたい。これを自分が後世に伝えなければ、ここまで綿々と続いていた伝統が断ち切られてしまう。そのような強い思いが渡辺先生を駆り立てているのだろうと思います。これは伝統を受け渡す側の強い思いとして、とても理解が出来ます。

渡辺先生の思いを受け取る次の世代の人間として、とりあえず六代目菊五郎も初代吉右衛門も知らない世代(吉之助ももちろん含まれますが、亡くなった十八代目勘三郎も含まれます)は一体どうしたら良いのかということを考えて見たいのです。これは、想像するしかないのです。見たこともないものを、いくら素晴らしい・素晴らしいと言われても、分からないのです。百本の論文を読んでも・百本の映像を見ても、分からない人には分からないです。その素晴らしさが分かるようになるのには、素晴らしい芸というのはどんな芸のことを言うのか、どうすれば素晴らしい芸だと言えるのかを、ひたすら想像するしかないのです。

取っ掛かりは、とりあえずは今そこにある舞台を見ることしかありません。吉之助は、十七代目勘三郎や二代目松緑の舞台を見ながら六代目菊五郎のことを考えていて、家に帰ったら昔の劇評やら芸談読んで、六代目の芸というのはこんなものだったかな・でも今日見たのはちょっと違ってたかななどと考えながら、今日見た舞台の印象をまた反芻したものです。直接的に六代目の演じた役でなくても七代目梅幸や十七代目羽左衛門の舞台でも参考にします。六代目に直接薫陶を受けた役者でなければ六代目を考えるヒントがないということではありません。六代目歌右衛門だって・二代目鴈治郎だって・十三代目仁左衛門だって参考に出来ます。六代目のことが分かれば、今度はそれを手掛かりにして九代目団十郎や五代目菊五郎が繫がってきます。 そうやって更に横に拡げて昔へ遡る。吉之助はそのようにして歌舞伎を考えてきたのです。伝統というのは、そうやって遡っていって摑むしかないのです。十八代目勘三郎だって、そうやって祖父・六代目のことや歌舞伎のことを考えてきたに違いありません。

吉之助が言いたいことは、伝統を受け渡して繋ごうという側の強い思いはもちろんよく理解したうえで言うのですが、ホントは伝統はそこで一旦断ち切れるのだということです。その断ち切れた伝統の綱を再び繋ぎ直すのは、後の世代の役割なのです。「歌舞伎素人講釈」のなかで何度か書きましたが、「今そこで見た舞台がこれほど素晴らしい。それならば昔の舞台はもっともっと素晴らしかったに違いない。そんな素晴らしい芸というのは、どんなものなのだろう」という思いこそが、歌舞伎を純粋にします。こうして伝統というものは、結果として、繫がって行くのです。それは切れているのだけれど、繫がっている。途切れているようだけれど、流れているのです。

吉之助は「十八代目中村勘三郎の芸」において、伝統を先代から受け取り・それを再び繋ぎ直さねばならない側が、伝統とどのように対峙するかということを書いたつもりです。これは十八代目勘三郎のことですが、同時に同世代である吉之助自身の問題として書いているのです。十八代目勘三郎は五十七歳で亡くなったわけですが、この年齢は「そこで見た親父の舞台があれほど素晴らしかった。それならば見てない祖父の舞台はもっともっと素晴らしかったに違いない。そんな素晴らしい芸というのは、こんなだっただろうか・それともこんなだったろうか」という試行錯誤の最終段階であったというべきです。自分が受け継ぎ・熟成した芸を次代に受け渡そうという段階は、もう少し後、六十歳過ぎてからのことになります。同世代の批評家として、そういう真っ最中にあった役者の苦闘を書いたつもりです。同世代でなければ書けない批評だと思っています。

もっとも伝統を受け渡す側としては、「伝統はそこで一旦断ち切れる」と諦めてしまえばそれで終わりですから、何かを後の世代に託そう・そうすれば何かがきっと残るはずだと信じて頑張る。これは先輩世代の役割としてとても大事なことですね。その思いが後の世代に作用して、伝統を繋げることに必ずや貢献することになるでしょう。渡辺先生の思いは、吉之助には十分伝わっています。しかし、断ち切れた伝統の綱を繋ぐのは、後の世代の・受け取る側の役割であり、責任でもあるのです。このことを吉之助は認識しています。

(H25・12・22)


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三


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