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芸道における体罰・いじめ


最近、スポーツ関連の指導者や先輩による体罰・いじめについての報道がよく話題になります。「いかなる体罰も虐待であり、決して許されない」という声がある一方で、「体罰というのはいわば選手に対する愛の鞭である、そういう厳しさを乗り越えて選手は強くなっていく」というような容認論も依然としてあるようです。そういうことと絡めて、芸道の修行が引き合いに出されることも少なくないようです。確かに「○○道」などと云われるものは、どこか似たようなところがあるようです。折口信夫は、そのような師弟関係というのは通過儀礼の意味合いがあるとして、次のようなことを言っています。

『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』(折口信夫:座談会「日本文化の流れ」・昭和24年12月)

二代目豊沢団平と三代目大隅大夫の芸談には、吉之助でもどこか胸に熱くなるものを感じてしまいます。杉山其日庵は、大隅大夫のことを話す時にはいつも目に涙を浮かべていたそうです。 ただし、団平は暴力は振るいませんでした。そこは誤解ないように願いたいですが、しかし、厳しかったですねえ。それでも師匠を仰ぎ見つつ、ストイックに芸道を追い求める大隅 大夫の姿には何だかツーンと来ちゃいます。

こういう話から書き始めると、吉之助は体罰容認派かと思われそうですが、逆です。吉之助は、スポーツの体罰問題であんまり芸道の話を引き合いに出して欲しくないと思っているのです。体罰に伝統的な裏付けがあるなどという論理展開になってしまう ならば迷惑だと思っているのです。昔はどうだか知りませんが、現代においては弟子であっても・選手であっても、ひとりの個人としての尊厳がありますので、そういうものを大事にしなければならないと思います。現代 においては団平と大隅大夫のような師弟関係は、もう無理でしょう。団平は今生きているならば、別の指導法をせねばならないと思います。そうすると芸というのは、どこかふやけたような・厳しさのないものに変容していくのでありましょうか。まあ、それならばそれなりの芸の在り方があるべきだろうと思います。

昭和24年に四代目清六が山城少掾とのコンビ解消をした話は、武智鉄二や八代目三津五郎の芸談など読むと清六が一方的に悪者にされていて、「清六は我慢が足りなかった、芸に対する謙虚さが足りなかった」と言われますが、吉之助が思うには、山城少掾がいろいろな場面で「自分がここまでこれたのも女房役の清六の支えのおかげです」とでも言っていれば、このコンビ解消はなかったと思います。それだけのことなのです。そのひと言が言えなかったところに、山城少掾の 人間として至らぬ部分がなかったかということを考えます。現代の師弟関係においては、ますますそういうことを考えねばならなくなります。当然、芸の在り方も変わらざるを得ない。昔と同じではあり得ません。

出典が思い出せないので記憶で引きますけれど、六代目菊五郎が芸術院会員になった時(昭和22年)のことですが、ある方が菊五郎のお弟子さんに話を聞いていたところ、その年老いたお弟子さんが「(菊五郎が功なり名遂げた今)俺は旦那に何でも欲しいことをしてもらう権利がある」と言ったので驚いたそうです。「子供 の頃から(菊五郎に)それだけのことをされてきたんだから・・」、そう言った彼の目は憎しみに燃えていたそうです。こういうことを、ちょっと考えてみなければなりません。

六代目の評伝など見ますと、子供の頃の六代目は弟(六代目彦三郎)やその他御曹司連中を引き連れてグニャ征伐と称して三階の女形役者にいたずらを仕掛けに向かう、そういう逸話を「いたずら好きの元気が良い子供で・・」みたいな調子で書いてあるものが少なくありません。三階の役者さんが子供たちに押さえつけられて、「坊ちゃん、やめてください」などと叫びながら、それでも旦那の子供だからと我慢して、いいように弄られている、そういう光景を想像してみれば良いです。そういうことは今の歌舞伎の世界にはないと思いたい。

六代目菊五郎と云えば、吉之助にとっても芸の神様みたいなものですけどね、決して良いところばかりではなかったのです。

(H25・5・27)


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