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ポスト・モダンとしての歌舞伎


実はちょっと仕事で海外出張して本日戻ってきたばかりです。ところで海外では車や電器製品・アニメーションを始めとして日本という存在がその生活のなかにかなり浸透しているようで、外国人と初対面で話をしても「私は日本語の単語いくつか知ってます・いつか私は日本に行きたいです」などという話になる事が多くて、そういう意味では会話のきっかけがあってとても助かります。しかし、向こう(外国)の方が日本という国 にどのようなイメージを持っており・日本のどこに興味を持っているのか、具体的にもう少し探ってみる必要があるようです。彼らが日本を正しく理解しているか否かということではありません。彼らはとにかく日本に良い意味で興味・好意を持ってくれているのですから、これを巧く利用しながら・さらに深い真の相互理解につなげて行かねばならないと思うのです。そういう点では逆に日本人の方が外国に日本を紹介する時に「フジヤマ・ゲイシャ・キョウト」になり勝ちのようで、なかなかその機会を巧く生かすことが出来ないようです。

NHK-BSに「Cool Japan」という番組があるのをご存知でしょうか。吉之助もたまに見るのですが、「ホウ外国の方は日本をそういう風に見てるんだなあ」という軽い驚きがあってなかなか興味深い番組です。なるほど日本の事象・風俗にはそんな良さがあったかと気付かされる場面があったり、日本をそういう風に見てくれてるとは面映く(あるいは奇異に)感じる場面があったりするわけです。しかし、それは決して見方が間違っているということではなく・彼らの目に見える日本のひとつの側面(真実)であるわけです。このことは認めなければなりません。ともあれ「Cool」という単語がキーなのです。この番組を観ていると「Cool」は単純に「カッコいい」という意味だけでなく色んなニュアンスがあるのだなあと思います。このような色んなニュアンスを総合して「Japan is cool」というならば、この国際化の時代に日本人はこれを利用しない手はないと思います。米国在住の作家冷泉彰彦氏の「クールジャパンの悲劇と再生」from911/USAレポート」はこの問題に触れていますが、とても参考になるものです。

『一言で言えば、海外の視線は「日本文化はポストモダンだからクール」だというハッキリした認識に基づいているのだと思います。ポストモダンという言葉の定義ですが、思想的には色々と厳密な話もあると思いますが、ここでは「単一の価値観を前提にして、機能主義的な合理性を追求する価値観」を「近代=モダン」とするならば、そのカバーできない範囲を求めて「異なる価値観の共存、効率だけでない感性や美意識の追求」などを行う発想のことだということにします。(中略)ところが、日本では「海外に受けるものは日本の伝統文化が中心」という発想がまずあり、そうした日本の伝統というのは「古くさい前近代」(プリモダン)だという認識があるのです。例えば、今はもう流行遅れになりましたが、バブル時代とその余韻の時代にはフランスやイタリアの料理が進んでいて(モダン)、寿司とか天麩羅は古くさい(プリモダン)という感性が強くありました。今でもそうした発想は残っています。アニメやマンガもそうで、日本ではもう主要なメディアとして定着してしまっており、今更そこにカテゴリとしての新しさを感じるということはないように思います。更に、様々な「外国人受けする」カルチャーに関していえば、サムライ文化にしても、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸などについても、今現在では例えば東京圏の人々の日常生活の中には「メインストリーム」の存在としてはないと思います。好きな人にとっては非日常であり、そうでない人にとっては古くさい「過去の遺産」(プリモダン)なのです。』(冷泉彰彦氏の「クールジャパンの悲劇と再生」from911/USAレポート」・JMM・2009年12月19日号・全文はこちらのサイトで読めます。)

外国の日本の見方はポスト・モダン、しかし日本人が外国に対して自分を意識する時にはその感じ方が未だに「古臭いプリ・モダン」というわけです。 つまりまったく正反対の角度から日本文化を見ているのです。そこで「歌舞伎素人講釈」ではこの話題が最後に歌舞伎に転換するわけですが、昨今の巷の歌舞伎の 評論など見ても、日本人はその大方の歌舞伎の見方がプリ・モダンだと思いますねえ。時代に背を向け・時代に適応できない寂しさを持ちながら・現代の世話しない喧騒を離れて・失われた過去に寄せる限りないノスタルジアというわけです。まあお楽しみは人それぞれのことですから、そうした楽しみ方があるのは当然です。しかし、吉之助はそれとはまったく異なったポスト・モダンの視点から歌舞伎を解析していきたいと思っています。現在サイトで連載中の論考「歌舞伎とオペラ」はここ数年の「歌舞伎素人講釈」の総括になるものですが、「江戸は西欧の19世紀末芸術を先取りした」という視点で展開しています。ポスト・モダンという視点で見れば、歌舞伎は驚くほど鮮やかで活き活きした同時代的なものに見えて来るのです。そういうわけで論考「歌舞伎とオペラ」の更なる展開をお楽しみに。

(H22・1・30)

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