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時代との親和性と乖離性

*平成19年7月・NY平成中村座:「法界坊」・中村勘三郎(法界坊)に関連したオムニバス的随想


時代との親和性と乖離性・その1

本年(2007年)のバイロイト音楽祭のオープニング・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でのワーグナーのひ孫カテリーナ・ワーグナー(29歳)の新演出はその過激さで大きな論争を巻き起こしたようです。この作品はワーグナーのなかでも最もドイツ的 なものとされ、マイスタージンガーたちの歌合戦を通じてドイツ芸術の栄光を高らかに歌い上げるものです。かつてヒトラーはワーグナーの作品を熱愛し、ヒトラーの庇護のもとワーグナー家はナチスの宣伝に大いに協力をしたため、戦後のワーグナー家は大きなツケを負わされることになります。戦後のバイロイト音楽祭の歴史は脱ワグネリズムの試みの歴史でもありました。ワグネリズムとナチズムとの関連はそれだけで本が何冊も出ているほどで・書くときりがないので省きますが、その象徴的な作品が「マイスタージンガー」ということになります。

「マイスタージンガー」では主人公ザックスはエヴァを内心愛しているのですが・その気持ちを抑えて・若いワルターとエヴァの間を取り持つ役どころです。ところがカテリーナの演出では、エヴァはザックスを露骨に誘惑して・ザックスはエヴァに縛られて喜ぶサドマゾの世界になっていまいます。終幕ではワーグナーやリスト・ゲーテ・シラーなどの仮面をつけた男たちが登場して・ズボンを脱いで・女の子にいたずらをする。最後にはすべての小道具は舞台に置かれた棺おけに入れられて・火をつけて全部燃やされるという具合だったそうです。曽祖父の作品を徹底的に茶化して「ドイツ精神の全否定」という感じですね。案の定観客は「冒涜だ」と叫び出し、終演後のカーテンコールでは怒号が飛び交う騒ぎとなりました。翌日の新聞は「 ひいおじいちゃんがパンツ姿に」と書きたてました。しかし、当のカテリーナは「ザックスが歌うドイツ芸術に真実はない。ヒトラーに賞賛されたあらゆるドイツ芸術は燃やされなければならない」と澄ましたものだったそうです。

ドイツでは第二次大戦の戦争責任は今も徹底的に追求されています。また学校教育にもそうした議論が組み込まれています。逃げ回る祖父母に対して孫たちが「どうしてあなた方はナチスに反対しなかったのか・戦争を阻止しようとしなかったのか」とその責任を追及して世代間に亀裂が入るようなことも実際頻繁に起きています。ましてワーグナー家にとってナチズムの問題は背負わされた十字架のようなもので、戦後の一族内でのトラブルは絶えたことがありませんでした。こういう演出が好きかと問われれば・吉之助は全然好きではないですし・その場に居合わせれば一緒になってブーを叫びそうな気もしますが、しかし、カテリーナの演出はワーグナー家・あるいはドイツ国民の心の傷の深さが察せられて心が痛む気がします。

ところで、上記カテリーナの演出ですが・舞台装置や歌手たちの衣装・動きについてはもちろん彼女の意図を反映したものですが、音楽については歌詞・音符のひとつも変えられていません。つまり、音楽はまったくそのままで・視覚上の内容が徹底的に意味が変えられて・そのギャップ(乖離)から何かの主張を引き出そうとするものです。もし音楽や歌詞が一緒に併せてアレンジされるのならば・あるいはその主張解釈はもっと明確なものにできるかも知れません。しかし、それでは全然別の作品になってしまいます。 あるいはそれは作品の歪曲ということになります。片方に厳然と変わらないものが存在(この場合はそれは音楽である)するから、もう片方にそれとは全然異質なものを配置して・ そこから音楽を照射し・新たな意味を創出できるというのが、オペラの現代化演出の方法論なのです。これが80年以降のオペラの解釈主義の演出の大きな流れです。

これは現代のシェークスピア劇の上演でも基本は同じでして、シェークスピアの英語は現代語ではなく古語ですが(正確に言えば中世英語ではなく・これは古い時代の近代英語です)・テキストはまったく変えられることなくそのままで・舞台演出だけが現代化されて・現代の舞台が出来上がっているわけです。ここでも厳然として変わらないもの(テキスト)があり、変わらないものがあるからその一方で自由なこと を試みることができるわけです。オペラも・シェークスピア劇も伝統芸能ではありませんが、「変わらないもの・変えてはならないもの」ははっきり意識されているわけです。ある種の基準になっているものがしっかりとあるからこそ・「変革」の意義が出てくるということです。決して何をやっても良いということではないわけです。 そこに「古典」(クラシック)ということの規範を置いているわけです。ちょうどヨーロッパの旧市街の街並みが表向きは伝統的な古い佇まいを維持しながら、内に入ってみれば・実に現代的に自由に内装されているのと同じことです。この点は非常に重要な点なので強調しておきたいと思います。


時代との親和性と乖離性・その2

「歌舞伎素人講釈」では「歌舞伎の2つの死」ということを重要な史観にしていることはご承知の通りです。「歌舞伎の第1回目の死」とは寛永6年(1629)幕府による女優の禁止です。創成期の歌舞伎は女優を禁止されて・写実の演劇への発展を妨げられました。次に「歌舞伎の第2回目の死」を象徴する出来事が明治36年(1903)の九代目団十郎の死です。これにより歌舞伎はその故郷である江戸との精神的つながりを絶たれたことになります。この史観において重要な認識は、歌舞伎は時代と乖離し・時代に裏切られ続けてきたという感覚です。

歌舞伎はもともと「かぶき者の芸能」に発するのですが、江戸初期のかぶき者の思いを代表する科白が「生き過ぎたりや」です。「この俺を求めていたはずの時代が過ぎてしまった・俺はもっと早く生まれるべきだった・この時代は俺の生きるべき時代ではない」という思いが江戸初期の若者の共通した思いです。こうした思いから発するのが「かぶき的心情」です。歌舞伎という芸能は、ふたつの死を通して・常に こうした時代への喪失感を引きずっているのです。かぶき的心情は必ずしもあからさまな時代への反発・失望ではありません。その心情のベクトルが過去の方へ向いている・ここが大事なのです。つまり、「あらかじめ失われたものへの喪失感」ということです。逆に言えば、そのような心情が作品に反映していることが歌舞伎の必須条件 となります。例えば二代目左団次の創始した新歌舞伎も・ちょっと見は古典歌舞伎とは違った趣きがありますが、実は時代への喪失感を強く引きずっています。だからこれらは 新しい感覚でかぶき的心情を処理した芝居なのであり、これを新演劇とは呼ばずに・「新」歌舞伎と呼ぶ のです。(これについては別稿「新歌舞伎におけるかぶき的心情」をご参照ください。) こうしたかぶき的心情は歌舞伎が持つ時代への乖離性と重なってくるわけです。

一方で歌舞伎は不特定な大衆(都市在住の庶民が主体ですが・観客のなかには武家もあり・さまざまな階層がいる)を相手にする興行(エンタテイメント)で もあり・興行は大衆の支持を得なければ成立しませんから・時代に対する親和性も確かに持っています。この点において歌舞伎は捻じれているということが言えます。つまり、歌舞伎は時代への親和性と乖離性という相反した要素を内包しているわけです。

このことは伝統芸能としての歌舞伎の表現にも関連してきます。その発現の仕方は複雑で・ひと口には説明できませんが、ひとつは様式的な演技で・これは時代と乖離する要素を持っており、時代に背を向けて硬化・古典化しようとする要素です。もうひとつは具象的な演技で時代に親和する要素でもあり、いわば芸能のライヴ性につながるものです。歌舞伎はこのふたつの要素が交錯して織り成す芸能であるという見方がひとつの尺度として可能です。

『問題は、つまり歌舞伎というものの性質が、半分現代に足突っ込んで、半分古典だというところにもあるんですね。能みたいに、もう生きた社会から離れてしまえば、これは狂いようがないのです。文楽の場合も割合にそうだと思う。だからそれだけのファンなり見物がいつでもついていく。若い人もいつでもついていくと。そうなればいいんだけど、歌舞伎だけはどんどんどんどん広がって、本質が流動して流れていきますから。だけど、逆にここら辺で古典化させなくちゃあ。国の文化の財産がこんなものかと言うことになってしまう。』(郡司正勝:対談「国立劇場の三十年」:歌舞伎・研究と批評・第18巻)

「歌舞伎素人講釈」のスタンスは上記の郡司先生の考えに近いものです。はっきり言えば「歌舞伎は博物館入りすべし」という考え方です。つまり、伝統芸能としての歌舞伎のスタンスを古典性の方に置くものですが、こうした考え方は実は同時代との乖離性を根底に持つのです。一方、ライヴ性というか・時代への親和性の方にスタンスを置く考え方も当然あり得ます。もちろんどちらの考え方も在ることで ・どちらが正しいとか間違っているということはないのですが、しかし、批評は視点(スタンス)を明確に取ってひとつの切り口を見せるものですから・吉之助が文章を書く場合は時代との乖離性の方に重きを置く立場に当然なります。


時代との親和性と乖離性・その

いつぞや・テレビの初芝居中継で舞台中継の合間にエレキ・ギターをバンバン鳴らしたロック・ミュージックに合わせて・パンク風俗の若者たちと歌舞伎役者が スタジオで浮かれて踊りまわる場面が出てきました。吉之助には新年早々騒がしい感じでありましたが、多分プロデューサーは「歌舞伎だって元は江戸のパンク風俗で、かぶき者も現代の若者も変わらないんだよ」ということが言いたかったのでありましょう。まっそれはその通り です。歌舞伎の「助六」も元禄のいかれたパンク野郎なのです。かと言って歌舞伎座の花道を助六がエレキ・ギターに合わせて登場するのは(もしそんなことがあればの話ですが)ご勘弁いただきたいですねえ。助六はもちろん江戸のパンク野郎ですが・その風俗は300年も経っていて・それはもう干物みたいなもので、水分も脂気もすっかり抜けて・日光と時間に曝されてたんぱく質は熟成して旨味を増して・別のものに変質しているわけです。そこになま物を出してきて・干物と同じだと言われても困るンだよなあ。渋谷のパンク野郎も300年経ったら・良い味の干物になって平成の助六になるかどうかは、それは分かりません。

要するに次元が異なるわけです。伝統芸能が現代において意味があるのは・現代との次元(時代感覚)の乖離(ギャップ)であると吉之助は思います。エンタテイメントとしてなら・現代には現代を描くのにもっとふさわしいものがあるだろうと思いますし、またそういうものが生まれるべきです。現代を楽しもうというだけなら何もわざわざチョンマゲ・帯刀の封建主義の芝居を見る必要はないと思います。ですから 敢えてそこで現代に伝統芸能をやるならば、その乖離(ギャップ)ということを積極的な意味に取るか・否定的に(時代遅れの・型ばっかりの・いつも通りで・新鮮味のない・・・)と取るかということ で、伝統芸能に対するスタンスは変わるということかと思います。しかし、伝統芸能の当事者とすれば・その芸が彼が生きている時代の感覚と無縁なことは決してありませんから、「俺は生きている」という感覚を持ち続けないと・芸が辛くなるということがあるのかも知れません。

先日(平成19年7月)の世田谷パブリック・シアターでの「国盗人」(シェークスピア:「リチャード三世」の翻案)では・これは狂言というわけではないから目くじら立てることもないですが、国三郎(グロスター公リチャード)役の野村萬齋が戴冠の場面でマイクを持って「ひとり殺せばひと殺し・五万殺せば英雄だ」とミラーボール輝くカラオケ広場で歌い踊っておりました。全体としてなかなか良い舞台に仕上がっていたと思うのに・この場面だけいかにも浮いていて、「狂言だって生きているんだ・友達なんだ」と声高に叫ばなくても・・と思いました。しかし、演じる側からすると・時代との親和性を叫ばずにはいられないという気持ちはまあ分からないわけではありません。


○時代への親和性と乖離性・その

歌舞伎の黒衣というのはとても奇妙な存在です。黒衣は「そこに見えているのに・見えないことになっている」という矛盾した存在であり、主役がすっと後ろに手を回すと・背後から小道具を手渡したりする影のお世話役です。芝居のなかではその小道具はその主役が持っているはずのもので・もし本当に袖内にそれを所持しているのなら・衣装が膨らんでしまって形が悪くなってしまう・だから黒衣がそれを背後からそっと渡すわけです。歌舞伎はまた随分と便利なものを考えたものです。

ここで黒衣が「実際は舞台に見えているのに・見えないお約束になっている」ことは重要です。この矛盾した存在は、現代演劇からするとアンビバレントで・刺激的な存在に見えると思います。この魅惑的な存在をどうやって 現代演劇に積極的に生かすかですが、例えば登場人物の心のなかの深層心理・暗い情念を 背後霊のように・彼の背後につきまとって表現するという手法が考えられます。これは先日(平成19年7月)の世田谷パブリック・シアターでの「国盗人」のなかでは国三郎(野村萬齋)につきまとう影法師(じゅんじゅん)の使い方がこれに近いものでしょうかね。あるいは黒衣を集団で起用して・ 主役の周囲で舞台の状況に応じてギリシア悲劇でのコロスのような演技を無言で行なわせるということも考えられます。これは篠田正浩監督の映画「心中天網島」(1969年・中村吉右衛門・岩下志麻 の主演)での黒衣の集団の使い方もそのようなものだろうと思います。しかし、よく考えてみると・このような黒衣の使い方は「目に見えないもの(深層心理とか・情念とか・雰囲気というもの)を視覚的に感じられるものにする」ということにあるわけなので、歌舞伎の黒衣とは ちょっと違って・その理念に捻 (ひね)りが入っていて・方向性(ベクトル)が逆になっています。捻りが入るところに実は現代のアンビバレントな要素があるのですが、それは現代演劇の思想が「舞台上にあるものはすべて観客に見えている」という写実(リアル)に根差しているからそうなるのです。逆に言えばこのような黒衣の起用方法は、歌舞伎の黒衣が実際は見えているのに・見えないことになっていることの「ご都合主義」を現代演劇の立場から批評するということにもなっています。だからこのような黒衣の使い方を歌舞伎で行なうとすれば・その方向性が逆になりますから・様式的に齟齬をきたすことになるかも知れません。

ところで本年(平成19年)7月に勘三郎がニューヨークで「法界坊」(串田和美演出)を上演した映像がNHKハイビジョンで先日放送されました。放送後の串田氏へのインタビューで・ アナウンサーが・「舞台にしゃしゃり出てきて積極的にギャグに絡む黒衣の使い方が面白い」ということを言って、それに答えて串田氏が「現代演劇ではこの小道具をあらかじめどこに置こうかと悩むのだけど・歌舞伎では黒衣がさっと手渡してくれるのだから、これはシュールでアバンギャルドな手法である云々」と発言しておられました。しかしねえ、手品じゃないのだから・歌舞伎の黒衣はそこにないものを出すわけではなくて・そこにあるべきものを役者に手渡しているのですよ。この違いは大きいのではないでしょうかね。串田演出の「法界坊」での黒衣は「お約束で見えないことになっているけれど・実は姿がバッチリ見えている」ということの歌舞伎のご都合主義のパロディだと言いたいのでしょうが、実は串田氏の黒衣の使い方の方が歌舞伎よりもっとご都合主義なのです。「法界坊」というのは世話物で・世話物というのは一応写実(現代演劇がイメージするところの写実とはもちろん微妙に異なりますが・写実には違いない)に根差している芝居です。写実を旨とする世話物のなかでこう した黒衣の使い方は・現代的解釈からの視点からのものだと認めるとして・歌舞伎のアンビバレントな側面のどんな部分を抉り出すことになるのですかね。まあ、そんなことを考えたわけではないのでしょう。ただ笑いを取るために面白ろそうだから黒衣をギャグに絡めてみ ただけだと思います。こういう使い方は歌舞伎の技法の単なる崩しであって・それ自体に発展的な要素を孕んでおりません。平成18年6月のシアター・コクーン:「四谷怪談・北番」での「隠亡堀」での浪衣の集団の使い方は面白かったと思いますが。


○時代への親和性と乖離性・その5

勘三郎のNYの「法界坊」の印象に関しては・別稿「勘三郎の法界坊」(平成17年8月歌舞伎座の観劇随想)と大差ありませんから・そちらをご覧いただきたいですが、大喜利「双面」の舞台には・アンビバレントな乖離した感覚があって、そこのところにアメリカ人がカブキを感じてくれたなら良いなあと思います。「法界坊」前半は喜劇・というよりオチャラケみたいなもので吉之助は好きではないですが、これが「双面」に続くというところに何とも異様で・奇怪で・理不尽なものを感じます。そこには何かとても大きな断層 (乖離)があります。その断面のザラザラした感触を描き出すことにカブキの意味があります。野分姫は法界坊に殺される直前に・法界坊に「俺がお前を殺すのは松若の指図だ」と嘘を言われて・それを信じて松若を恨んで死にます。だから「双面」に野分姫が怨霊として登場する理屈は分からないではないが、問題は野分姫がどうして選りによっておぞましくも法界坊と合体せねばならぬかということです。この件はいずれ別の機会に考察する予定なので・本稿では簡単に触れますが、結局、野分姫も法界坊も除け者であるということです。つまり、ふたり とも同じく状況から疎外された存在で・本質的に引き合っているということです。そこにふたりが合体する要素があるのです。

そう考えてみると「法界坊」前半に疎外された法界坊の姿がもっと描かれて良いという気がします。しかし、これが勘三郎の舞台から見えて来ません。見えてこないのは串田演出だけでなく・在来型の「法界坊」でも同じなのですが。しかし、串田版はますます関係のない方向に観客を連れて行ってしまいます。勘三郎はインタビューで「(法界坊は)みんなに汚い、汚いって言われて厄介者に思われていて、雷様とだけ しか話しができない。なんと淋しいヤロウだ。法界坊は『Nasty, nasty… I’m not nasty(汚い、汚いって…、俺は汚くなんかない)』って心の中のぼやきを英語で言うんだな。」と言っています。まさにその通りです。そこに取っ掛かりがあると思います。しかし、実際に彼が舞台で演じている法界坊は「皆に汚いと罵られれても・どこか憎めない愛くるしい法界坊」 (宣伝チラシの文句)なのだなあ。汚くないんだ・ホントはピュアだ・天衣無縫だと言いたいのかも知れません。しかし、「憎めない愛くるしい法界坊」では疎外されているとは言いません。疎外されている法界坊と言うのなら、汚らしくて嫌われていて・本人は逆にそれを恨みに思って・世を呪っていて・それでも生き抜く欲望はギラギラと人一倍強いのが法界坊なのです。そう言えば先代勘三郎の法界坊の目付きには時々行っちゃってるみたいな・狂人的な感じがありました。ああいう感じが近いのかも知れません。しかし、先代の法界坊もお笑いに傾いて全体的には疎外されてるというという感じはあまりありませんでした。「法界坊」を読み直すならお笑いギャグの増強ではなく・疎外された法界坊の方に焦点を当てる方向へ行ってもらいたいと思います。それならば「双面」のアンビバレントな乖離した要素を解明できると思うのです。えっ、それでは「法界坊」は笑えないじゃないかって?そう、吉之助は「法界坊」は「悲しい喜劇」だと思います。

*先代勘三郎の「法界坊」については写真館の記事をご参照ください。


○時代への親和性と乖離性・その

もう随分昔のこと(1979年)ですが・中世イタリアの伝統的な仮面喜劇で・即興性を持つ「コメディア・デラルテ」(ミラノ・ピッコロ座)の来日公演の演目「アルレッキーノ〜ふたりの主人を同時に持つと」で、主人公の召使アルレッキーノが「オイシオイシ・タマネギノオミオツケ」と日本語を言って・観客を爆笑させたのを思い出します。こういうのはもちろん受け狙いということもありますが・観客との親和性を高めることで大きな効果があります。30年近く経っても吉之助がその場面をはっきり思い出せることでも・これは証明できるかも知れません。勘三郎がNY公演の「法界坊」で英語を特訓して芝居のなかで使ったことは、カブキをアピールしようとする勘三郎の意欲をアメリカの観客も感じてくれたと思います。勘三郎という人は歌舞伎役者という以前に芝居をするのが根っから好きなんだなあと感心しました。 勘三郎は同時代へのライヴ感覚を大事にする役者なのです。

帰国後の勘三郎のインタビューをいくつか読むと・NY公演の興奮醒めやらぬなかで語っているせいもありますが、日本の歌舞伎の現状(劇評家・観客も含む)にイラ立っている感じがあって興味深く思いました。もしかしたら勘三郎は古典を演じる時に何だか時代を生きていない「もどかしさ」を感じているのだろうと思います。江戸時代の封建芝居である歌舞伎が現代日本と乖離しているのは仕方ないことですが、その乖離(ギャップ)を否定的に(時代遅れの・型ばっかりの・いつも通りで・新鮮味のない・・・と言う風に)感じ始めると・ 演じる側は苦しくなるかも知れません。「古典を演じる時の勘三郎の演技はどことなく重い」ということは別稿「勘三郎の法界坊」にも記しましたが、そこに一因があると思います。そこに歌舞伎の家に生まれた 勘三郎の苦悩があるかも知れません。

現代における歌舞伎の乖離性(ギャップ)をどういう方法で積極的な意味に転化するかは大事なことです。勘三郎はその解決の取っ掛かりを親和性の方に見出しているということだと思います。これは吉之助が考えている方向とは違いますが、まあ、ひとつの解決手法として理解はできます。しかし、そこは伝統演劇ですから・同時代に親和することも良いですが・さっと本筋に戻るという呼吸・何と言いますか節度が大事です。そうしないと本筋の方の規格が崩れてきます。狂言でも歌舞伎でも・伝統芸能のバックグラウンドが厳としてあります。歌舞伎役者はいつでも本道に戻って古典を演じなければならないのですから、何をやっても良ろしいですが・本道の規格が崩れてしまうならば・極端に親和性に傾いてしまうことはやはり問題があると思います。そこの兼ね合いが難しいところです。(注:勘三郎が英語をしゃべったことを言っているのではありません。)

昨年8月の名古屋の巡業での「鮨屋」の舞台は「平成中村座」を名乗っていたので・勘三郎の権太は普段と趣向を変えたものかと思っていたら・この舞台の権太はオーソドックスで・ちょっと重い くらいでした。演技が「重い」ということに別の問題が潜んでいることは前述の通りですが、それにしても勘三郎はその気になれば・やることはちゃんとやれる役者なのです。こういう役者は良いのですが、問題はそうではない場合です。例えば弥助(維盛)役の扇雀ですが、権太に「あっち向いて面見せろ」と言われて「こうでござんすか」とポーズを取る場面が軽くて・「ここでちょっとクスッと笑って下さいね」という感じです。事実、ビデオを見てると客席から笑いが聞こえます。弥助は突っころばしではなく、平家嫡流が身をやつしているなかで・気品と育ちの良さがほの見えなくてはなりません。この場面で権太は弥助が維盛であることを確信するわけですから・ここは決して笑いを取る場面ではないのです。扇雀の前半の弥助には平成中村座の「法界坊」のお組での笑いを取ろうとする浅い演技と同質なものを感じます。これが平成中村座の「法界坊」の舞台から扇雀が学んだものです。こうやって古典の規格がだんだん崩れていくんだなあと感じます。いずれにせよ歌舞伎において親和性と乖離性を両立させることはなかなか難しいこと ですね。


○追加:マリア・カラス没後30年・または写実の命題

歌舞伎とは直接関係ないような雑談になりますが、実は間接的に関連するという・吉之助にとってとても大事なオペラの話です。先日イタリアに旅行してきましたが、ミラノ・スカラ座やベネチア・フェニーチェ劇場の玄関や町のあちこちに「マリア・カラス回顧展」のポスターが貼ってあって・イタリアでは相変わらずカラス人気が根強いことだなあと思いました。しかし、考えてみると今月9月16日がカラス没後30年ということだったわけです。1979年9月16日にカラスはパリのアパルトマンでひとり寂しく亡くなったのでした。

オペラ歌手としてのカラスの全盛期は1950年から60年代前半ですので、吉之助はやや遅れた世代です。しかし、1974年にステファーノと一緒に来日してリサイタルを行いまして・吉之助も当時テレビに噛り付いて聞きましたから、吉之助もかろうじてカラスに間に合った わけです。本年9月にはヨーロッパ各国のテレビでカラス回想の放送がありまして、吉之助も言葉不自由ながら伊独仏での映像を見ましたが(最近はインターネットでこういうのがすぐ見れちゃうのですねえ、便利な世の中になったものです)、ヨーロッパではカラス伝説はいまだ健在です。カラス伝説というのは・英国のダイアナ姫伝説みたいなところがありまして、オペラ歌手としてのカラスだけで成り立っているのではなく・社交界のゴシップ女王としてのカラスのイメージ(華やかなりし時代への回顧趣味もあるのでしょう)が重要なのですが、もちろん吉之助の関心はオペラ歌手としてのカラスです。

演出家フランコ・ゼッフィレッリは次のようなことを言っています。「オペラの歴史はふたつの時代に分けられる。カラス以前とカラス以後に。」と言うのです。これは日本語訳 にすると洒落が分かりませんが、英語では紀元前をBC(Before Christキリスト以前)、紀元後をAD(Anno Dominiキリスト以後・・ラテン語)といいますが、ゼッフィレッリはBC(Before Callas)、AD(After Diva・・・Divaとはオペラのプリマドンナのこと)と引っ掛けているわけです。まあ、そのくらいカラスはオペラ歌唱の歴史のなかで重要な位置を占めているということです。オペラ歌唱の感情表現・心理描写においてカラスはとてつもない影響を与えました。

オペラ・ファンの間でもカラスの声に好き嫌いはあると思います。カラスの高音は伸びますが・ちょっと喉を絞ったような感じがあって・決して美しいわけではありません。ところが、これが感情が激する表現の時には鮮血がほとばしるような生々しさに打ちのめされます。この旋律にこれほど豊かな感情が秘められていたのかと驚くような経験がカラスの場合は幾度となくあります。貧弱なモノラル録音でも身体がゾクゾクする感覚がします。カラスより声が美しい歌手は大勢いますが、まあ彼女らは確かに折り目正しく歌を歌っているわけです。オペラで歌手が歌を美しく歌うのは当然だとお思いでしょうが、しかし、カラスほどドラマをリアルに生々しく歌える歌手はそう多くはありません。

歌というのは・芝居の台詞ではありませんから、いくら写実にやろうとしても・所詮は台詞の写実にかなうはずはないのです。芝居の演技と比べれば・「歌う」という行為自体が写実から離れるものです。歌らしく・美しくメロディアスに歌うほど・それは耳には心地良くても・写実から自然と離れていく・そういう宿命なのです。これを写実の方に表現を引き戻すにはどうしたら良いか・美しくかつ写実に歌うにはどうすれば良いか・歌における写実の表現とは何か、これらの 命題にカラスは挑戦したわけです。技法的にはリズムを意識的に 揺らす・音程をずらす・音色を変えるなどの工夫を駆使するのです。そこで表現を崩し過ぎて・音楽のフォルムを維持できなければ・芸術家としてはそれで終わりです。カラスの凄いのは・そのギリギリのところで・フォルムを持ち堪えていることです。それが カラスの歌唱の異様な緊張感になって表れるものです。

例えばカラスのヴィオレッタが「愛して、アルフレード、私を愛して。私があなたを愛しているくらいに」(ヴェルディ:歌劇「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」第2幕)と歌う時に・そこにヒロインの揺れ動く熱い感情がどう表現されているかです。(別稿「その心情の強さ」をご 参照下さい。)これを聴いていただけれけば吉之助が歌舞伎のサイトでカラスの話をするのが何となくお分かりになると思います。それは「型」のなかに生々しい感情を如何にして込めるかという古典歌舞伎の 写実の命題とまったく同じです。自分のやりたいように・自分の個性に合わせて・リズムやキーをアレンジして歌うというのは・それはポピュラー歌手のやることで、クラシックの歌手はそんなことはしないし・してはならないのです。作曲者から与えられたリズムと音程とフォルムの 枠のなかで自分を最大限に表現せねばなりません。だから吉之助にとってカラスの歌唱を聴く事は、歌舞伎の表現を考えることでもあるわけです。歌舞伎の乖離性(ギャップ)を否定的に(時代遅れの・型ばっかりの・いつも通りで・新鮮味のない・・ と)取るのではなく・これを積極的な意味に転化しようとすれば、カラスの行き方は大いにヒントになるはずです。勘三郎さんにも聴いていただきたいですねえ。イタリアオペラファンの玉三郎さんから勧めてもらえないかなあ。

(H19・9・23)


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三


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