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19世紀における西欧芸術と江戸芸術


サイト「歌舞伎素人講釈」では断続的かつ断片的になりますが、19世紀から20世紀初頭にかけての西欧の状況を・特に世紀末芸術との係わりから検証していくことにします。歌舞伎とは関係ないような記事になるかも知れませんが、もちろん吉之助のなかでは深層において歌舞伎と関連しているからです。「歌舞伎素人講釈」にオペラの考察が多いのもじつは歌舞伎と関連しています。しかし、歌舞伎をテーマに掲げているサイトが何ゆえ西欧の世紀末芸術にこだわるのか。シリーズを始めるに当たり・吉之助の目論見をあらかじめお知らせしておいた方がよろしいかと思います。

別稿「バロック論」において触れました通り、吉之助はすべての芸術のフォルムは古典的な形式とバロック的な形式の両極の間で揺れ動くという「心情によるバロック理論」を考えています。そのなかで19世紀末西欧で流行したジャポニズムは単なる物珍しさ・エキゾキシズムからのものではなく、「江戸の精神的状況が19世紀の西欧の状況を先取りしていた・だからこそ江戸の芸術が彼らにとっての道しるべとなった」ということを申し上げています。このことは逆に言いますと、19世紀西欧の精神状況と・17世紀日本の精神状況がある点において相似形となっていることを意味します。つまり、歌舞伎の表現のある部分を・西欧ロマン派から世紀末芸術での事象によって逆から読み解くことができるということです。 (これについては別稿「ジャポニズムとバロック」を参照ください。)

時代区分は歴史の流れを見る時に重要な考え方です。日本史学では江戸時代を中世と近代の間の中間的な時代として「近世」と位置付け、明治維新から 「近代」が始まるという考え方を随分長く取ってきました。この歴史観では江戸は中世の最終期となり・封建社会の完成期 と言うことになります。「前時代の江戸を否定するような形で日本の近代がある」と言うのが従来の日本史が教えるところの近代のイメージです。これに対して、江戸は明治のために近代を準備してきたのである・むしろ江戸から安土桃山を境にしてそれ以前を中世として捉え・江戸以降を近代 (あるいはプレ近代)であると見た方が良いという考え方もありまして、最近はそういう史観に立った歴史書 もぼつぼつ出始めています。しかし、いずれにせよここ二・三十年くらいの新しい時代区分の概念です。

本サイトは歴史サイトではありませんから・大ざっぱな感覚で時代区分を捉えますが、天文12年(1543)の種子島での鉄砲伝来、天文18年(1549)のザビエルが鹿児島に上陸 し・キリスト教の布教を始めたのを、一応、日本における「プレ近代」の始まりとします。その後、安土桃山時代において民衆のダイナミズムは最高潮を迎えますが、関ヶ原の戦い(慶長3年・1603)以降、そうした変革の熱気は急速に冷めていくのです。こうした江戸初期の若者の心情を代表する科白が「生き過ぎたりや」でした。「この俺を求めていたはずの時代が過ぎてしまった・俺はもう少し早く生まれるべきだったのだ・この時代は俺の時代ではない」という思いがこの時代の若者の共通の思いなのです。この慶長3年の同じ年にお国のかぶき踊り ・つまり歌舞伎が始まったことは注目すべきことです。 吉之助は、これ以後を「近代」という風に捉えます。

一方、西欧史の時代区分の概念も近年少しづつ変化しています。西欧史においては大体1492年前後を中世の終焉と見るのが普通の考え方です。1492年とはコロンブスのアメリカ大陸発見の年ですが、西欧史 でより重要な認識はスペインのキリスト教勢力がイスラムからグラナダを奪い返した・いわゆるレコンキスタの完成の年ということです。アルフォンヌ・アレーは「1492年の人々は12月31日の中世の夕べに眠りにつきながら・翌日1943年1月1日の朝にルネッサンスの朝に目覚める」というようなことを言っています。(ちなみに1492年は日本では明応元年に当たり、時代は戦国時代 に相当します。)

これに対して最近のことですが・フランスの中世史家ジャック・ル・ゴフは、中世は産業革命とフランス革命によって19世紀初めに終わると言う「長い中世」の概念を提起しています。(ジャック・ル・ゴフ:「中世とは何か」・藤原書店)ル・ゴフはその理由を「その頃まで人々の生活リズムはほとんど変わっていなかったのだから」と言うのです。 フランス革命はバスティーユ陥落は1789年のこと。産業革命はすでに18世紀半ばにイギリスで始まっていましたが、18世紀末にはその影響は大陸にも及び始めていま した。これ以後、19世紀西欧の人々の生活は激変し、その精神状況は大きく変化するということです。そこで、一応1789年フランス革命勃発を「近代」の始まりと見ることにします。さらに、フランス革命の終焉(1799年・ブリュメールの18日のクーデター)からナポレオン戦争・1848年二月革命を経て、1852年ナポレオン三世即位を区切りにしまして、一応、ここら辺りから「 近代」が本格的に始まると見ます。(ちなみに1852年は嘉永五年、翌年がペリー浦賀に来航の年になります。)

ジャック・ル・ゴフ:中世とは何か

このことを組み合わせて見ると、非常におおざっぱな仮説が出来上がります。すなわち、「日本の近代は1600年頃より始まり、西欧の近代は1800年頃より始まる」ということです。 もちろん背景・現象としてはそれぞれ異なるもりますが、質的には同じような精神的な断層のズレが、日本においては西欧より200年近く前に起きているということです。

以上のことは厳密な歴史論議ではありませんので、まあ、知的なお遊びとお考えいただきたいのですが、厳密に時代区分をしようとするのであれば異論は当然あると思います。年代区分にそんな にこだわる気はありません。精神史的な側面からおおざっぱな「流れ」を捉えていただきたいのです。この仮説は歴史学的に見ればかなり飛躍があると見えるかも知れませんが、しかし、歌舞伎・あるいは江戸美術のフォルムと、西欧の19世紀ロマン派芸術のフォルムを見れば、 その類似点から逆説的に裏づけができます。

慶長3年(関ヶ原以後)急速に身分が固定化され・時代の閉塞感が次第に漂ってくる江戸の精神状況と、フランス革命の興奮が落ちつくと同時に・急速な近代化により個人の尊厳が失われていく西欧の精神状況は非常によく似てい ます。江戸の美術品・工芸品が19世紀末の西欧の芸術家に衝撃を与えたのは、吉之助から見ればこれは不思議でも何でもありません。それは必然のことであったのです。つまり、「歌舞伎素人講釈」でこれまで論じてきた通り、「江戸の精神状況は・19世紀西欧の精神状況を先取りしている」ということです。西欧のジャポニズムの背景はそう考えれば理解ができると思います。 (別稿「かぶき的心情とバロック」を参照ください。)

昨今は江戸ブームであるそうです。江戸の画家と言えば葛飾北斎はつとに有名ですが、伊藤若冲・曽我蕭白・長沢蘆雪・歌川国芳などはその存在はしばし忘れられていて・ついちょっと前から再評価されてきた画家たちです。しか し、最近催された展覧会のキャッチフレーズを見れば「ギョッとする江戸の異端美・奇体美」なのです。まだまだ世間の興味は物珍しさの域を出ておらず、そのバロック的な歪(ひず)んだ感性のその源(みなもと)まで 理解されているとは申せません。いわんや歌舞伎をやであります。

したがって、吉之助が19世紀ロマン派芸術・特にアール・ヌーボーに代表される世紀末芸術までの流れを検証しますのは 江戸のバロック的感性の研究が非常に遅れており、西欧のこの分野での研究の方がはるかに進んでいるからでして、これをベースに歌舞伎を逆説的に検証しようということです。

 

 

 

 

 

 

ジャポニズムの事例はいくらでも挙げられますが、上の写真はフランスのエミール・ガレの工芸品で「鮮魚文花瓶」(1878)です。酸化コバルトで淡く青の色付けをしたガラスに、エナメルで絵を描き・金の装飾を施しています。

実は、この図柄は北斎の「北斎漫画」(1814 ・・左)のなかの「魚濫観世音」の鯉の絵から採られています。当時の器などの工芸品にはガレの他にも、「北斎漫画」から実に多くの引用がなされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

左の絵は有名な北斎の浮世絵「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」。この絵を見て感動したドビュッシーは、そのインスピレーションを交響詩「海」という曲にしました。ドビュッシーは楽譜の表紙にこの絵の写真を使っています。

 

 

ゴッホの弟テオはこの絵の波を見て、「この波は爪だ。船がこの爪に捉えられているのを感じる」と兄にその感動を手紙にしたためました。ゴッホは「北斎はその線と素描によって・君にその叫びを上げさせたのだ。ただ正確なだけの素描で描いたのであれば、そうした感動は引き起こされなかっただろう。」と返事を書き送っています。

 

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