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「今の世に在って言ってはならないことは
    過去の架空の出来事に仕立ててしまえば良い」

*平成18年11月4日の第6回「歌舞伎素人講釈」公開講座の前半部分の草稿です。


1)為政者と芸能

近世江戸をご専門とする山本博文先生の著作に「踊る将軍・遊びをする大名」(江戸東京ライブラリー・教育出版)という本がありまして、これがなかなか面白い本です。この本は映画「王は踊る (Le Roi danse)」(2000年・フランスドイツベルギー合作、ジェラール・コルビオ監督)からインスピレーションを得て書かれたもので して、ルイ14世治世のブルボン王朝に代表される西欧の絶対君主制と、江戸期の徳川将軍治世下での政治と芸能の係わり合いを比較しています。

*山本博文:遊びをする将軍 踊る大名 (江戸東京ライブラリー)

もちろん江戸幕府の封建制と絶対君主制は、山本先生も本中で述べておられますが・厳密に比較するならば若干無理があるかも知れません。徳川幕府の場合は老中若年寄を中心として官僚システム ですから、将軍が直接裁定を下すようなことはありません。 だいたい日本の場合は天皇でも・将軍でも偉い人は現われぬのが良しですが、絶対王政の王様は公衆の前に現われて・自らの権威を誇示します。また、ルイ14世のように「予の許可なくしてパスポートの署名もならぬ」という ように・すべてを王自身が直接判断・統括しようとするのも、日本の場合とは全然違います。しかし、山本先生も書いているように、江戸の封建制を比較しようとすると・やはりこれは絶対君主制しかない要素があるのも また事実なのです。これは為政者が庇護した芸能との係わり合いを見ると共通項がよく理解できます。

まず西欧の絶対君主制ですが、この世の中心に王が位置し・王が民の守護者として君臨し・国を治めるという思想の上に成立しているものでした。しかし、この世で一番偉いのは王というわけではありません。まず神という存在があります。したがって、天に在っては神・地に在っては神の代理としての王が治めるという二重構造がその思想のなかにあるのです。

ルイ14世はその紋章に太陽を選びましたので「太陽王」とも呼ばれました。平和と芸術の神アポロンを意味する太陽は、万物に聖なる恩恵を与える天体であると考えられました。東から昇って西に沈む太陽のサイクルは、執務の勤務の規律正しさを示し、公の場における起床や就寝の儀式などによって太陽(アポロン神)との類似性を持ちます。また民に平和をもたらし・芸術を庇護することにより、恩恵を施す者であるとのイメージを強調したわけです。

こうした絶対君主制を背景として成立した芸能は、当然のことですが、他者(神あるいは為政者)がその作品世界の中心に立ち・慈悲を以ってその世界を守護し・登場人物はこれを讃えるという主題を持つのです。そのため、当時の演劇・バレエ・オペラなどの題材はほとんど聖書かギリシア神話あるいはそれに準じたものであって、これらの題材により芸能は王の絶対を賛美しました。

ルイ14世は1643年に5歳で即位しましたが、幼少のため政事(まつりごと)は皇太后と枢機卿マザランが執り行い、ルイ14世は名目だけの王である時代が長く続きました。ルイ14世はその憂さを趣味のバレエに打ち込むことで晴らしました。1661年にマザランが死去するとルイ14世は直 ちに執政を廃止し、絶対君主制の確立へ突き進んで行きます。

若きルイ14世は非常な踊りの名手でした。パリのバレエ学校はルイ14世が創設したもので、現行のバレエの基本テクニックはほとんどルイ14世の時代に固められたのです。まずルイ14世が14歳でバレエ・デビューした時の踊り「夜のバレ」〜「国王が昇る太陽を演じる」(1653年)を見てみます。作曲はジャン・バティスト・リュリ(1632〜1687)で、ルイ14世のもとで三千曲以上を作曲しました。リュリが宮廷舞踊に与えた変化は、荘重でゆったりした 舞踊の振りに急速な変化のある動きのあるバレエを採りいれたことです。また、戯曲家モリエールとの連携により、喜劇とバレエを組み合わせた「コメディ=バレ(舞踊喜劇)」という新しい形式を作り出しました。

「夜のバレ」では、ルイ14世を昇りゆく太陽に見立てて、彼の周囲で踊る家臣たちを星々に見立てています。例えばルイ14世の前で膝まづくコンティ公は叔父にあたり・国王の地位を脅かす存在です。周囲で踊る若者たちは反乱貴族のフロンド党の息子たちで、この踊りのなかに観客は政事(まつりごと)の流れをも読むわけです。

*映画「王は踊る」(2000年制作・ベルギー・フランス・ドイツ合作。ジェラール・コルビオ監督)からの「夜のバレ」のシーンをご覧下さい。

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同様に日本の場合においても、式楽としての能楽を大名もその家来たちも一生懸命に稽古しました。能楽は芸能娯楽としても・政事(まつりごと)としても大事であったわけです。例えば室町幕府の将軍足利義満は世阿弥を寵愛しますが、二条良基はもちろん自身も世阿弥が好きであったと思いますが・義満に近づくために世阿弥を利用したようなところがあります。世阿弥をお好きなあなた様はやっぱりお目が高いというようなお世辞を言うわけです。そういうことで二条良基は義満の信任を得て、公家のトップの位置を固めていくのです。

このように為政者はつねにその世俗的権威をある世界観の下に擬そうとしました。当然ながらその世界観は当時においては宗教に立脚したものになるのです。日本の場合は、将軍があからさまに宗教的権威を主張するということはありませんでしたけれど・政権を安定化させるためには・思想的倫理的バックボーンとしての宗教感覚がつねに必要であったことは同じです。今日においても「政教分離」ということがやかましく神経質に言われるのは・逆に言えば政教どちらも求めあう・もたれあう要素が多いからに他なりません。また同じことが政治と芸能との関係にも言えます。
 

2)古典構図の意味

ルイ14世は歳を取って難しいステップが踏めなくなるとバレエから遠ざかました。それでリュリはオペラの作曲へ力を注ぎます。当時のオペラは まだイタリアで誕生したばかりの芸能ジャンルで、16世紀の末にフィレンツェのジョヴァンニ・ディ・バルディ公爵の邸宅で音楽劇が上演されたことがその始まりと言われています。リュリはこれをフランス語の歌による叙情悲劇(いわゆる「フランス風オペラ」)として発展させました。

ここでリュリの抒情悲劇「アルミードとルノー」(1686年)の一場面を見ています。まず感じるのは、何とも歯の浮くような歌詞の馬鹿々々しさです。言葉を尽くして王の栄光を賛美するだけで・生きた感情が感じられません。舞台の動きもパターン化された・生気のない機械的な動きです。一方、音楽の方は これは実にダイナミックで素晴らしいものです。音楽がすべてに生気を与えています。美しいところはひたすら美しく、激しいところは激しく・雷鳴のように轟きます。部分々々の感情は音楽により極大化されていて・しかも洗練されていますが、しかし、言い換えれば・ 部分々々が分裂して バラバラだとも言えます。そこがまさにバロック的な要素なのです。しかし、曲全体から受ける印象は見事に形式的・古典的なものになっています。それは作品の持つ世界構造から来るものです。

王侯貴族によって庇護されて発達したオペラの大きな主題は、他者(神あるいは為政者など)の慈悲による許し・あるいは施しです。 大事な点は許しを与えるかどうかの判断は、他者の権利として保留されているということです。その判断のキャスティング・ボードは他者が持つのです。許しの前提は、主人公の謙譲・悲嘆・懇願、あるいは贖罪という行為です。その内容はさまざまですが、他者によって主人公が許される、あるいは特別な位置を与えられることでドラマは落ち着き、最後はこれを讃える全員の合唱で終わるというパターンが普通です。これによりオペラは為政者の好みに沿うわけです。

同じような例を室町時代の能楽にも見出すことが出来ます。能楽のシテの多くが亡霊であることはご存知の通りです。例えば、僧がある場所を通りかかると・そこに老人がいて、その場所にまつわる昔話を語り始めます。やがて、老人は彼が語るところの昔その場所で死んだ武将の亡霊であることが分り・妄執を抱いて成仏できない苦しみを語ります。僧が祈ると亡霊は成仏して消えていく・・・というような筋であります。

能楽のシテに亡霊が多いのは何ゆえでありましょうか。「逆説の日本史」シリーズの井沢元彦氏は、これは日本の怨霊信仰の系譜を引くものだということを言っています ね。それはともかくとして、演劇形式から見れば・その題材が古典的な構成を取るためにシテは亡霊の形を取らねばならないということが言えるのです。つまり、歴史上の人物をそこに生きているかのように舞台に登場させるような生(なま)な形式 を未だ取ることが出来なかったのです。

亡霊を舞台上に呼び出し・他者(この場合は仏さまによる慈悲により)成仏させてあの世に送り出すという形式によって・その作品はある世界構造を持ち古典的なフォルムを成すわけです。能楽の場合には、 リュリのオペラのように明確な許しの構図は見られませんが、仏教的世界観のなかに全体が取り込まれることによって作品の世界構造は古典的な安定感を持ち、能楽もまた結果として為政者の好みに沿うのです。能楽が江戸幕府の式楽として重用されたことにはそのことに理由があるのです。

3)「フィガロの結婚」のラジカル性

このような他者からの許し・あるいは施しの構図を壊して・さらに新しい革新的な形式へ発展していこうと考えることは、ある意味で非常に危険なことです。 それは為政者から見ると不埒(ふらち)な行為なのです。為政者にとっては芸能者は自分たちを讃える芸能をやっていればいい・真実を描こうなんてことは考える必要はないのです。

しかし、民衆の意識が高まってくると民衆による民衆のための芸能を作ろうという動きが当然出てきます。モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」は、そうした新しい局面をオペラに切り開いた作品です。オペラ史におけるモーツアルトの位置は非常に重要です。オペラの歴史はモーツアルトで分けられ ます。今日のオペラハウスにおける基本のレパートリーはすべてモーツアルト以後のものと言って良いのです。

歌劇「フィガロの結婚」はロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書き・モーツアルトが作曲して、ウイーンで1786年に初演されたものですが、原作は革命前夜のフランスでボーマルシェによって書かれた同名の喜劇です。 ナポレオンはこの戯曲「フィガロの結婚」について、後年「あの芝居にはすでに革命が息づいていた」と述懐しています。 ボーマルシェの戯曲は各地で上演禁止になっており、もちろんウイーンでも上演禁止になっていました。この戯曲を持ち出してオペラ化しようというのですから、これは大胆極まる 危険な行為なのです。オーストリア皇帝ヨゼフ・フランツの許可を取り付けるためにダ・ポンテがどれほど奔走したかは彼の手記に詳し く記されていますが、大事な点は戯曲の政治風刺の部分を省いて・一見すると他愛ないラヴ・コメディに仕立て直したことです。こうして歌劇「フィガロの結婚」は初演に漕ぎ着ける わけですが、実はこのオペラはとてつもない革命的要素を孕んでいるのです。実はダ・ポンテは物凄いことを言っています。

『今の時代に在って言ってはならないことは、歌えば良い。』

これこそがダ・ポンテとモーツアルトが仕掛けた罠です。ここで大事なことは、このダ・ポンテの言葉は浄瑠璃・歌舞伎にもそっくり当てはまるということです。つまり、「今の時代に在って言ってはならないことは、過去の架空の出来事に仕立ててしまえば・許される」ということです。これが浄瑠璃・歌舞伎がずっとやってきたことです。江戸の昔はお上のお達しにより、当時の出来事や人名をそのまま芝居に使うことは許されていませんでした。ですから、すべての思いは過去の架空の出来事のなかに託されたのです。

このことを念頭に入れた上で、まず歌劇「フィガロの結婚」を見てみましょう。アルマヴィーヴァ伯爵は使用人フィガロの婚約者スザンナに目をつけており、当時既に形骸化していた封建領主の特権である初夜権なるものを持ち出してきて・スザンナをものにしようとしています。最終幕(第4幕)では伯爵夫人が一計を案じ・スザンナと衣装を取り替えて、夜の庭で伯爵を待ちます。するとこれをスザンナと思い込んだ伯爵が愛の言葉で口説きに掛かります。一方、フィガロは伯爵夫人の衣装を着たスザンナといちゃついています。これを見て伯爵は「不貞だ、許さん」と怒ります。周囲の者が「お許しください」と言っても伯爵は許しません。伯爵は「駄目だ(No!)」を6回叫びます。しかし、これはすべて伯爵夫人が仕掛けたもので した。間違いを悟った伯爵は夫人の前に膝まづいて許しを乞います。「伯爵夫人よ、どうか許しておくれ」 夫人は「私は貴方より素直です。はいと申しましょう。」 周囲の者たちは事が収まったことに安心して「ああ、これでみんな満足するだろう」と歌います。

 この場面はこの作品のなかで最も美しい箇所だと言えます。しかし、実はこの場面がとてもラジカルなのです。この場面には他者的演劇の許しの構図が三つの意味で逆転されています。

まず第1に、封建領主たる伯爵が夫人に膝まづいて許しを乞い・夫人がこれを許すという構図です。つまり、社会的弱者である女性が強者である男性を許すということで、他者的構図を逆転させているということです。

第2に、スザンナの衣装を着たままの夫人が伯爵を許すという構図です。衣装を取り変えて大騒ぎするお芝居はシェークスピアの「十二夜」や「お気に召すまま」などにも出てくる趣向ですが、衣装は取替え可能であり・伯爵夫人の衣装を着ていれば 彼女は伯爵夫人であり・スザンナの衣装を着ていれば彼女はスザンナなのです。つまり、衣装が社会的地位を現しているのです。だから、ここでは伯爵はスザンナに許しを乞うている 風にも読めます。

第3に、伯爵夫人が「私は貴方より素直です。はいと申しましょう」と歌う旋律を、周囲の者たちが「ああ、これでみんな満足するだろう」でまったく同じ旋律でリフレインする(繰り返す)ことです。 伯爵夫人の旋律を繰り返すことにより、周囲の者たちも無意識のうちに伯爵を許していることが暗示されているのです。ここでも他者的構図は逆転されています。

さらにフィナーレの合唱を見てみます。ここは一転して音楽はプレスト(早いテンポ)で陽気に軽快に締められます。

『苦しみと気紛れと、狂気のこの日を、ただ愛だけが満足と陽気さで、終わらせることができるのだ。花嫁花婿よ、友人たちよ、さあ踊りに行こう、楽しく過ごそう。爆竹に火をつけよう。楽しい行進曲に合わせて、みんなでお祝いをしに行こう。』

めでたし・めでたしで、万事はうまく納まったということで、ハラハラドキドキした・混乱した筋もこれで見事にケリが着くのです。こうして古典的な世界への落ちがつくわけです。この場面 のモーツアルトのプレストの生き生きした音楽は登場人物がめまぐるしく陽気にバタバタと走り回る場面を想像させますが、実際の舞台は大抵は恋人たちがそれぞれ手をつないで動かず・舞台の前面に横一列に並んで歌って終わ るのです。最大の理由は歌手たちがバタバタ走りながらこんな早いパッセージを歌えないからです。 舞台面としては古典的で重い印象を与えます。しかし、音楽が表現しているものはそれとは全然対照的なものです。それにより音楽と舞台面が奇妙な感覚的亀裂を見せるのが実に興味深いと思います。 (これに関連して別稿「古典性とバロック性」をご参照ください。)

この舞台のフィナーレによりモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」は音楽が本質的に持っているラジカルな特性を隠匿したのです。しかし、全体的には楽しいラヴ・コメディの体裁を採って・古典的な演劇構図を持 っているように見えます。これによって「フィガロの結婚」は旧体制化の各国においても安心して上演されたわけですが、ここで大事なことは「今日の世に在っては言ってはならないことがここで歌われている」ということです。

4)逆転の構図

ここで話はいよいよ歌舞伎の方に入っていきます。「フィガロの結婚」において見られるような・身分が上の者が下の者に対して膝まづいて許しを乞い・これを下の者が許すと言う逆転の構図が、浄瑠璃・歌舞伎の場面で見られるだろうかということです。同じような場面はすぐには思いつきませんね。そっくりそのままという場面はすぐに思いつきません。しかし、よく見ると三大歌舞伎には次のような場面が出てきます。

例えばいがみの権太は父親弥左衛門に斬られますが、権太は自分の女房倅を若葉の内侍と六代君の身替わりに立てたことを告白し、父親は泣きながら・権太を許すという場面です。(「義経千本桜・鮨屋」)あるいは、勘平は不忠を働き・さらに義父を殺したという疑いを掛けられて切腹するのですが、最後にその疑いは晴れて・死に際に討ち入りの連判状に名前を連ねることを許されるという場面です。(「仮名手本忠臣蔵・六段目」)

これは一見すると通常の「許し」の構図を取っており、まったく古典劇のルールに則っていると考えられます。もちろん第一段階としてはそういう理解でいいと思います。この「許し」の基本構図 はしっかり押さえて置かねばなりません。

しかし、「かぶき的心情」ということを踏まえて考え ると、さらに第二段階の読み方が可能になってきます。つまり、これは自分の命と引き換えに・相手に自分の言い分を力づくで認めさせているということです。結果として上の者(この場面での他者は父弥左衛門であり・由良助である)がこれを許すという形になっていますが、 これは上の者が慈悲を以って自分で判断して許しを与えているのではないのです。これは見方を変えれば、下の者が自分の心情の熱さ(かぶき的心情)で・上の者を心理的に揺さぶり ・上の者は「お前を許す」と無理やりに言わされているということです。

つまり、主人公の強い心情(かぶき的心情)が上の者を下から突き動かしているわけです。浄瑠璃歌舞伎では、他者的演劇の逆転構図がこういう形で現われます。そこに浄瑠璃歌舞伎のラジカルな要素が隠されているのです。これこそが浄瑠璃歌舞伎が民衆の・民衆による・民衆のための芝居であることの証(あかし)です。 そこに「フィガロの結婚」が持っているのと同じようなラジカル性があるということです。

注意すべきことは、このような逆転構図がドラマの核心であることを隠匿するかのように・最後は古典的な構図のなかに芝居が収められてしまうことです。「鮨屋」においては権太の一世一代の大博打はすべて梶原のお見通しであったということになり・ドラマは平家物語の世界のなかに絡め取られてしまうことになります。「六段目」の場合は、勘平の死は四十七士の討ち入りという大義のなかのひとつのエピソードとして留め置かれるという形になります。こうして「鮨屋」も「六段目」も古典的な演劇の構図を全体として守ったことになっています。これは「今の世に在って言ってはならないことが、過去の架空の出来事に託して語られている」ということなのです。

(H18・12・17)

(後記)

別稿「かぶき的心情とは何か」もご参考にしてください。

モーツァルト フィガロの結婚 (名作オペラブックス)

 

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