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見得と隈取り

〜歌舞伎における「バロック的なるもの」・その2

*本稿は「バロック的なる歌舞伎・その3:偉大なる男の記憶」の関連記事です。


「隈取りは自らの容貌を修正し・その短所を補う変身のためのものであったが、その魅力が技芸の持つ魅力さえも圧倒してしまうことになった。こうして歌舞伎は役者を中心に発展していき、文学的内容が貧弱なものになった。隈取りは、歌舞伎をそのような宿命に追い込んだ化粧なのである」(伊藤信夫:「隈取り〜歌舞伎の化粧」)

*伊藤信夫:隈取り―歌舞伎の化粧

1)「鏡獅子」の化粧

隈取りで気になるのは「鏡獅子」の後シテの化粧のことです。最近の後シテの化粧を見ていますと・線が強過ぎで曽我五郎が獅子に変身したような感じに見えてなりません。獅子は強いんだ・パワフルだという発想で、だんだん化粧の線が太く 濃く強くなっているようです。九代目団十郎が前シテのお小姓と後シテの獅子のイメージの落差を「鏡獅子」の発想に置いているのは確かです。しかし、「鏡獅子」は荒事ではないのです。可愛い女の子が獅子に変身しているのであるし・ 獅子物舞踊の系譜上に「鏡獅子」を見るのであれば、あまり線の強い化粧にするのはいかがなものかと思うわけです。いずれにせよ・こうした隈取りの使い方はどこかイージーで・歌舞伎の落とし穴だと 吉之助には思えてなりません。

*左の写真は昭和2年10月新橋演舞場での六代目菊五郎の「鏡獅子」の後シテですが、この化粧を見ますと、今どきのものよりずっと線が細くて・ 凛々しさのなかにも優美さがあり・「このくらいなら 」という気がします。この位が本来のものではないでしょうか。もっとも六代目でも映画で残っている昭和10年のものだともう少し線が太めになっているようですが。

2)見得の過剰さ

「歌舞伎の見得は映画で言えばクローズ・アップだな」と言ったのは映画「戦艦ポチョムキン」(1925年)を撮ったソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュタインでした。二代目左団次一座がモスクワで歌舞伎公演をした時の感想だそうです。なるほど見る人が見れば直感で本質を見抜くものなのです。エイゼンシュタインの言う映画のクローズ・アップとは、画面一杯にある人物を捉えて・その人物の心情で画面全体を満たしてしまう手法です。そこに「過剰さ 」があるのです。これは歌舞伎の見得の本質でもあるのです。

このような見得の「過剰さ」は隈取りという化粧・あるいはツケという音響効果があるとさらに効果的です。見得は荒事にこそふさわしいものです。最近では世話物でもツケを多用しますが、本来は世話物での見得でツケは使用しないものだということは知っておく必要があります。世話物での見得は正しくは「極まり」と言うのであって「見得」とは言いません。(ちなみに「見得を切る」と言うのも間違いで、正しくは「見得をする」です。)

世話物の「極まり」を見得と呼び・ツケを多用することに、現代歌舞伎の問題の一端(様式感覚の混乱)が現れていると思いますが、ここでは置きます。本稿では、見得・隈取り・ツケの意味は「荒事」において考えるのでなければ分からないということだけ記しておきます。

 

*左の写真は「菅原伝授手習鑑・車引」の松王丸(十一代目団十郎)の見得。後ろの時平の見得と組み合わさって・「天地の見得」となります。 その絵面から発せられる過剰な・強烈なオーラは、見得・隈取り・ツケという三つの効果から成りますが・この三つの要素は切り離せません。それは荒事の持つ「祭祀性」との関連から考えなければならないものです。

3)団十郎殺しの記憶

「歌舞伎年代記」によれば延宝元年(1673)初代団十郎の「四天王稚立 (してんのうおさなだち)」の坂田金時が全身を赤く塗って・紅と墨で隈を取って大評判をとったのが「荒事」の最初であると言われています。「荒事」にはかつてかぶき者が我が世の春を謳歌していた時代(ほぼ安土桃山から江戸初期のある時期まで くらい)・かぶき者の過剰さが人々に愛された古い時代の記憶があるのです。それが荒事の稚気となって現れます。そうやって芝居のなかのかぶき者は自分が愛されていることを確認しようとするのです。(別稿「荒事における稚気」をご参照ください。)

 

*左の写真は荒事を演じる初代団十郎。団十郎の時代には江戸幕府のかぶき者の弾圧はかなり進行しており、かぶき者たちはかつてのような元気さはありませんでした。歌舞伎もまたある意味で袋小路に追い込まれていた状態でした。そこに登場したのが団十郎であったのです。いわば団十郎の創始した荒事によって・歌舞伎はかぶき者の演劇であることのアイデンティティーを再確認し、その様式的な手掛かりを見出したのです。

 

しかし、荒事が「祭祀性」を帯びるためにはひとつの過程が必要でした。それが「初代団十郎殺し」であったのです。初代団十郎は「時代にいきどおった」役者です。その過剰さゆえに時代に愛され・そして疎まれたのです。フレーザーが「金枝篇」で提唱した民俗学の重要な概念「父殺し」・「王殺し」の典型例がここに見られます。「偉大なる男の記憶」は荒事への祭祀性となって・そのなかへ封じ込められたのです。(別稿「バロック的なる歌舞伎・その3・偉大なる男の記憶」をご参照ください。)

 

 

 

*左の写真は「菅原伝授手習鑑・車引」の梅王丸(二代目松緑)の元禄見得。その単純な形象のなかに凝縮された過剰なエネルギー。しかし、隈取りや見得の持つ強烈 なイメージが、芝居の持つ他の繊細な要素を圧倒してしまうことになったのも事実なのです。これは香辛料の効きすぎた料理では素材本来の味わいを味わえないのと同じことです。隈取り・見得といった手法が歌舞伎を役者主体の演劇にして、その文学的内容が貧弱なものにしてしまったということもまた否めません。

このことは歌舞伎の持つ「祭祀性」・すなわち他者的な要素と深い関係があります。それは荒事の「民衆劇にして・祭事劇」という二面性に発するのです。そのことを考えるためには団十郎の荒事のバロック性を十分検討してみる必要があるでしょう。

(H17・7・3)
 

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