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民俗芸能としての「鮨屋」


黒森歌舞伎(山形県酒田市黒森地区)は、270年以上昔からこの地に綿々と受け継がれてきた農村歌舞伎です。毎年旧暦の正月にあたる2月15日と17日の2日にわたって、この村の鎮守である日枝神社の奉納神事として上演が行なわれます。厳冬の雪の降りしきるなかで、神社の境内で行なわれる「寒中芝居」です。村人たちは雪をかぶって真っ白になりながら・寒さを我慢しながらお芝居を見るわけです。もちろん本番のお芝居は一座の人たち(妻堂連中と呼ばれる)の長い時間を掛けての練習の賜物なのです。

それはまず何よりも、その年の豊作・村の安泰を神様に感謝する奉納神事であったのでしょう。そして農閑期の村人たちの慰み・愉しみでもあったのでしょう。中央の芝居(江戸時代の芝居というのはつまり歌舞伎のことでした)を伝えたのは、旅巡業の役者たちであったかも知れませんし、江戸から戻った村民が伝えたものかも知れません。こうした歌舞伎の地方への伝播と定着の過程を調査していくことは、民俗学的にも興味深いことです。実際、中央の歌舞伎ではもはや見られなくなった珍しい型・演出が地芝居で見られることがあります。

今回は山形県国民文化祭の一環として黒森で上演された「義経千本桜・鮨屋の場」を見てまいりました。(平成15年10月5日)普段は寒中で行なわれる奉納芝居が気候のよろしき時期に見られるという・滅多にない機会ということでお邪魔をしました次第です。

吉之助は黒森の地を訪れるのは初めてでしたが、これは今回、主役のいがみの権太を演じられた瀬川公志さんとのご縁によるものでした。瀬川さんには大事なお芝居の前日に酒田市内を案内いただきまして有難うございました。公民館には江戸時代から保存されている舞台衣装が展示されていましたが、こうした地元の人々に支えられて黒森歌舞伎は生き残ってきたことを痛感しました。本番の「鮨屋」の舞台が素晴らしかったのはもちろんです。瀬川さんのいがみの権太の演技ももちろんですが、村の人たちが力を合わせて作り上げる・熱気ある舞台に演劇の原点を見る思いがいたしました。

芝居は役者と観客が一体になって作るものだということを改めて感じたのが、今回の黒森訪問の最大の収穫でした。これは地元の日枝神社の境内に設置された黒森歌舞伎演舞場という環境であるからこそ感じられたことだと思います。観客は 吉之助のようなよそ者もおりましたけれど、観客の大半はおそらく地元の人たちであったろうと思います。

例えばいがみの権太が鮨桶の重みを取り違え・間違った鮨桶を抱えて駆け出す時に観客から大きな拍手と笑い声が上がります。「アハハ、ほら間違えたよ」というような感じなのです。それから、手負いの権太が「(御台若君と見えたのは)この権太郎が女房せがれ」と叫ぶと、観客からまた大きな拍手が沸きます。「そうか偉いぞ、権太郎」というような感じです。観客が芝居の流れに ホントに素直に反応しているのです。このような観客の反応は東京の歌舞伎座でも見られないことはありません。しかし、教養主義に邪魔されたりするので芝居にこうした反応をするのはちょっと気恥ずかしい感じがありますし、実際、観客の反応はスマシタものになりがちです。

このような黒森の観客の反応を見て・ハッと気が付いたのは、この「鮨屋」という芝居の感動というのは、結局、「ならず者の男が改心して・最後にいいことをして死んでいった」という、ただそのことだけから来ているのだということで した。それがこの芝居の骨格・本質になっているのだということです。忠義とか孝心などはその後にくる問題で芝居の味付けに過ぎない・たいした問題ではないのです。少なくとも民俗芸能として「鮨屋」を見る場合には、そう考えなければならないと思いました。

「鮨屋」を見て現代の我々は「いがみの権太はいつ・どこで・どうして改心するのか」とか、「忠義の為とは言え自分の女房・子供を身替りにするとはひどいじゃないか」とか、「結局は権太の行為は無駄ではなかったのだろうか」などということを考えたりします。そういうことを考えるのはもちろんそれなりの意義があるのです。しかし、それは現代のドラマツルギーの次元で考える事柄なのです。芝居の感動の原点ということ・「何がどうしてこの芝居が自分を感動させるのか」ということを突き詰めていくと、 こうした問題はドラマの本質とあまり関係がないことが分かってくるのです。

いがみの権太が鮨桶の重みを取り違え・間違って首の入った鮨桶を抱えて駆け出し見得をする時に観客から「アハハ、ほら間違えたよ」というような感じで笑い声が起きるのです。それは権太の失敗を冷たく面白がるというような笑い声ではありません。それは権太を応援する・とても好意的な暖かい笑いなのです。もちろん黒森の観客は芝居を知っています。その鮨桶を間違えたことで権太が死なねばならなくなることを知っています。権太の自己犠牲で維盛夫婦・親子が救われることを知っています。だからここで観客が笑うのは、「ならず者の権太が善人に転ずる瞬間を見て喜んでいる」ということなのでしょう。

折口信夫は「古(いにしえ)の人々は美よりもまず善を愛したのである」と言っています。善とは神々が見て良きことと思われる何事かです。道徳的に正しいと言うのとはちょっと違うようです。道徳的に正しい行為では「美しい」ものになってしまいます。美の基準となる道徳とか規範というのは理性から発するものです。「良きこと」というのはそれよりももう少し原初的・原形質的な感情から発する概念なのです。

権太が「自分のすべてを捨てて他人を救った」というのが良きことなのです。それが主人のためであるとか・高貴なお方のためであるとか、親のためとか・勘当の許しが欲しいとか言うのは後から付いてくる理屈なのでして、何よりも自己 を犠牲にしてなすことが神々にとっての良きことなのです。自己犠牲で死んだ権太は「いい人(善人)」です。だから、権太が死ぬ幕切れは祝福すべきことなのです。

間違って首の入った鮨桶を持って駆け出し花道で見得をする権太に対する「アハハ、ほら間違えたよ」という声援は、いい人(善人)にいよいよ転じようとする権太・つまりモドリの権太に対する観客からの祝福・応援なのです。手負いの権太が「(御台若君と見えたのは)この権太郎が女房せがれ」と叫びます。観客から「そうか偉いぞ、権太郎、お前はいい奴だ」というような歓声が沸くのは、観客によって・いがみの権太はいい人だと認知されたということなのです。だからこそ死んでいく権太は救われるわけです。民俗芸能として「鮨屋」を見る場合にはそう考える必要があるようです。

だから「鮨屋」は確かに悲劇なのかも知れないのですが、それならば我々はもうすこし「悲劇」の概念を広げて考えてみる必要があるのかも知れません。悲劇が人生の底知れぬ悲哀・非情を描くものであるという固定観念だけで見ていると、この感動はどうしても説明できないでしょう。良きことを神々が然りと受け留めてこそ「鮨屋」の悲劇は完成するのです。 芸能における「癒し」のことを考えて見なければなりません。なるほど黒森歌舞伎は確かに「奉納神事」であったのでした。

義経千本桜 (岩波文庫 黄 241-3)

義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))

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