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兼ねることには「意味」がある

〜変化・兼ねる・早替わりを考える


1)変化舞踊の「必然性

「変化舞踊」というのは、いくつかの舞踊小品を組み合わせたもので、踊り手が異なった役柄を扮装を変えて踊るものです。その最初は元禄10年(1697)11月に京都・都万太夫座で水木辰之助が踊った「七化(ななばけ)」と言われています。

この「七化」が大評判になって、翌年の元禄11年(1698)正月に同じ都万太夫座において上演された「上京(かみぎょう)の謡初(うたいぞめ)」(近松門左衛門作)のなかで、針売りに扮した水木辰之助が、袖島源次の宰相の姫宮城野と次のような会話を交わしています。

(宮城野)「この小さい子がおどっているはなんぞ」・(針売り)「七化でござんす」・(宮)「七化とは」・(針)「それは水木辰之助という女方が、万太夫が芝居へ上がりまして、顔見世の狂言に、大和屋甚兵衛に殺され、一念が、すなわち煩悩の犬となり、また姿を変え公卿となり、爺になり、怨霊となりついに夫婦となりました」・(宮)「ムム甚兵衛は怨霊と女夫になったか」・(針)「イヤ甚兵衛が親に合点さしょうために、水木と仕組みて、わざと怨霊になりました」

この時に辰之助の演じた変化は、煩悩の犬・初冠の殿上人(業平)・白髪の爺・禿(かぶろ)・六方の若侍・藤壷の怨霊・猩々の七役であったそうです。先の会話にある通り「七化」というのは、理由あって親から結婚の許しをもらえない男女が、親の承諾を得るために女が男にわざと殺されて、その女の怨霊が数々の変化になって現れて親を脅すという筋の芝居のなかで演じられたものでした。つまり、劇中に仕組まれた一幕としての舞踊であって、独立した所作事ではなかったのです。

その後の変化舞踊はバリエーションが増してきて、変化する役の数が多くなったり、複数の役者が複数の役を踊ったり、引き抜き・早替わりなどのケレン味がかった演出が多くなったりしてきます。なによりも劇のなかでの関連性が薄くなり、独立した所作事としての性格が強くなっていきます。

ここで大事な点ですが、どんなことでもそうですが・何か画期的な試みをする時にはそれを試みる大義名分と言いますか・その試みに至るまでの論理的な手続きがどうしても必要になると言うことです。その発想のプロセスが観客に納得されないと、その試みは突飛なものにしか観客に感じられないことになってしまいます。だからそのための「手続き」が必要なのです。この「七化」の場合ですと、女が殺されて怨霊になって出る、その怨霊がいろいろな変化になって現れる。そのことを観客が納得するそれらしき背景を設定する必要があったのです。同じ役者が違う役をいくつも変わって演じるという劇的「必然性」をドラマのなかに用意したわけです。

なぜ「必然性」が必要なのかというと、変化舞踊において同じ役者が複数の違う役を演じるということは、まったく違う人格を演じ分けているという意味ではないからです。違う人格は違う役者によって演じられなければならないのが本来の芝居の約束です。それなのに同じ役者が他の役を兼ねて演じるということは、それなりの演劇的意味をもたせなければそれは約束違反ということになってしまいます。

そのためには同じ人格が見た目の表面の姿だけをいろいろに変化させているだけだということを観客に納得させねばなりません。「七化」の場合だと水木辰之助という人格が表面的には七つの姿に変化しているのですが、 「辰之助」という人格自体はひとつであって変わらないということです。これが「変化」という趣向の本質なのです。初期の「変化舞踊」において劇のなかでの関連性が強かったというのは、同じ人格がさまざまな姿に変化するという趣向を観客に納得させるために それなりの「手続き」が必要であったということなのです。

後年においては、そうした「変化」の趣向が人々のなかに定着していくなかで、そうした説明が次第に必要でなくなっていきます。説明が形骸化していくことによって後期の「変化舞踊」は独立した所作事としての性格を強めていきます。あるいは見た目の変わりようだけを狙ったものになっていきます。

2)兼ねることには「意味」がある

このように「変化」の趣向の本質というのは、ひとつの人格がさまざまな姿に変化する・見た目の姿は変われどひとつの人格であることは変わらないということにあります。これは変化舞踊ではありませんが、「京鹿子娘道成寺」の「恋の手習い」のくどきを生娘・遊女・人妻の三つに分けて踊るという説に対して、六代目歌右衛門はこのように言っています。

「なるほど唄の文句の方からはそうかも知れないけれども、それでは私はいけないと思います。あそこでそれを意識するとムラができます。ふっつり悋気せまいぞ、も何も、どこまでも娘でいっちゃわないと。ええ、「娘道成寺」なんだから娘でいかないと。」(六代目歌右衛門:「歌舞伎舞踊を語る」・歌舞伎学会誌「歌舞伎・研究と批評」第17号・1996年)

これも変化舞踊の論理と同じでして、「娘道成寺」だから本質は娘なのだけれど、同時に女性たるいろいろな要素・あるいは魅力が形を変えて現れるということです。生娘のなかに遊女の娼婦性もあり、人妻の貞淑さもあるのです。これを唄の文句通りに三つに分けて理解しようとすると踊りがひとつのものになってきません。すべての要素はその本質のなかに包含されていて、ある局面において形を変えてフッと顔を出すものなのです。

さらに、このことは「そこに見える姿はひとつの人格がまとった仮の姿である」という哲学的観念にまで至ります。こういう考え方は割りとすんなり観客に受け入れられたと思います。歌舞伎の番付けには「役人替名」というのがありますが、これは芝居のなかの登場人物名は役者が舞台上で仮に名乗っている名前であるという考え方からきたものだからです。そういう精神的土壌がすでにあったわけです。

例えば舞踊「汐汲」は文化8年江戸市村座初演の三代目三津五郎の七変化「七枚続き花の姿絵」のひとつ。舞踊「年増」は天保10年江戸中村座初演の四代目歌右衛門の八変化「花翫暦色書八景(はなごよみいろのしょわけ)」のひとつ。どちらも後期の代表的な変化舞踊です。ここでの三津五郎や歌右衛門が演じる役どころはひとりの役者の魅力のさまざまな局面を披露するものであると同時に、ひとりの役者が舞台で演じる仮の姿をバラエティー的に見せるものです。

つまり、「ひとつの人格が表面的な姿を変化させながら複数の役を演じる・しかし芯となる人格は変わっていない」ことにドラマにおける本来的な意味があるということです。これは「変化舞踊」だけでなく、ドラマにおいて複数の役を同じ役者が演じる場合・あるいは「早替わり」などのケレンにおいても同じことが言えると思います。

例えば鶴屋南北の「桜姫東文章」の初演(文化14年3月河原崎座)では高僧清玄と釣鐘権助を七代目団十郎が二役で演じています。これは現在の舞台ではふたりの役者が別々の役として演じることも多いのですが、じつは南北の脚本では清玄と権助が幼い時に生き別れした兄弟だということになっています。ふたりが兄弟であるということは、「岩淵庵室」で見られる二役の早替わりとこの後に桜姫が権助の面差しが清玄に似ていると言って驚く場面にしか効いていないように思われますが、この二役をひとりで演じることは「桜姫」のドラマのなかで大きな意味があるのです。

清玄は桜姫にとっての男性の「精神」、権助は桜姫にとっての男性の「肉体」を象徴しているのです。あるいは聖と俗の対比であると言ってもよいと思います。そのふたつの存在の狭間のなかで桜姫は揺れ動き、翻弄されていきます。つまり、女性から見た「男性」の本質のふたつの局面を見せているということです。この二つの局面の対比を、ふたつの役をひとりの役者が演じることで舞台で象徴的に表現しているということが、「桜姫東文章」において清玄・権助の二役を同じ役者が兼ねることの意味だと思います。そっくりの兄弟だから同じ役者が演じるべきだというのではなく、この二役を兄弟に設定していること自体にドラマの意味があると読むべきなのです。

同じく南北の「東海道四谷怪談」の初演(文化8年7月中村座)において、三代目菊五郎がお岩と小仏小平・佐藤与茂七の三役を演じたことも同様に考えられます。小平とお岩はほぼ同時に伊右衛門によって殺されるわけですが、小平の場合はご主人大事の精神に凝り固まった忠義者がそのまま幽霊になる、一方のお岩は怨みを持ってさらにこの世ならざる・凄まじい力を持つ存在に転化していくことで二つの幽霊の性格が対比されています。さらに与茂七は伊右衛門に対する死刑執行人・つまりお岩の代理人として大詰めで登場するわけですから、これを同じ役者が演じることはドラマで大きい意味があります。また、これは無残に殺される役を演じる役者が最後に綺麗な役で再登場して気分を変えるという約束にも沿っています。(このことは別稿「与茂七と三角屋敷の意味」をご参照ください。)

このように異なる役をひとつの役者が演じるということは劇における登場人物の位置付け、その役の「対称性」・あるいは「並列性」を暗示しようとするものなのです。ひとつの芝居のなかで役者が役を兼ねる場合にはそうした「必然性」がドラマのなかに本来備わっていなければならないのです。

「義経千本桜」の川連法眼館(「四の切」)においても、狐忠信(源九郎狐)は佐藤忠信に化けているわけですから二役の姿がそっくりなのは当たり前のようですが、そのことがこの二役を同じ役者が演じるべきであるという「早替わりの必然性」に即つながるわけではありません。

忠信の兄継信は、屋島の戦いで能登守教経の射た弓によって義経の身替りとなって命を落とします。忠信はこのことを思いやり日々口惜しく思っています。源九郎狐はそのような忠信の義経への忠義の気持ちと兄想いの気持ちに感応して忠信の姿に化けて義経に近づくわけですから、義経の傍にいる人間なら化ける対象として誰でもよかったのではありません。義経の身替りになった継信と、忠信の身替りとして登場する狐忠信はある意味で対比される存在です。また、忠信の兄想いの気持ちは、義経の兄頼朝に対する気持ちにも対比されます。源九郎狐は忠信に化ける「必然性」があるわけです。だから、この二役は同じ姿になるのであり同じ役者によって演じられなければならないのだと考えなければならないのです。

こうした役を兼ねることの本来的な意味を知っておけば、登場人物の関係から作品の構造を読むことはかなり容易になります。

3)ドラマ性の喪失

おそらく「早替わり」の場合も初期にはそうした 「必然性」がある場合においてのみ行われたものだろうと思います。初期の歌舞伎においては演劇的必然性を用意しなければ早替わりはしたくてもできなかったでしょう。しかし、その技巧の派手さから次第に「必然性」 が拡大解釈されて多用されるようになっていきます。「伊達の十役」や「お染の七役」といった作品は技巧の面白さだけを追求するもので、役を兼ねることの演劇的必然がもはや存在 しないかのように見えます。しかし、「ひとつの人格が表面的な姿を変化させながら複数の役を演じる・しかし芯となる人格は変わっていない」という本質ということでは、役者本位という視点から見れば後期の変化舞踊と同じなのです。その「本質」が逆転して作品の前提・あるいは売り物になってしまっているのが早替わり狂言です。

「忠臣蔵・九段目」において、戸無瀬と由良助を早替わりする演出が上方にはあります。おそらく幕末ごろに成立した演出で、これなども後半に本蔵が登場すると戸無瀬はあまりやることがないから ・それなら兼ねちゃえという安易な発想から考え出されたもののように思われます。演劇的に早替わりの「必然性」はまったくありません。しかしこの場合においても人気役者が女形から立役に変身するわけですから見た目には引き立つでしょうし、「そこに見える姿はひとつの人格がまとった仮の姿である」という観念からすれば万華鏡のような演劇の一面を見せているとも言えるのです。

このように「役を兼ねる」ということが演劇的必然から次第に遊離して趣向本意になっていくという流れが、変化舞踊でも早替わり狂言においても見られます。これはある意味でドラマ性の喪失・表現意欲の衰退という風に理解されましょう。このことは「ケレン」というものの本質を考えるうえでも重要なことなので、ちょっと頭の隅に置いておいていただきたいと思います。

(H15・2・2)

(参考文献)

諏訪春雄:「変化物・歴史と構造」:歌舞伎学会誌「歌舞伎・研究と批評」第17号・1996年)
 

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