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雑談:伝統芸能の動的な見方について(仮題)

(この連載は完結していません。新しい章はこちら。)


1)谷崎の地唄「狐噲」解釈のこと

このほど谷崎潤一郎の小説「吉野葛」に関する論考がやっと完結しました。その最終章で「吉野葛」を伝統芸能との動的な関係で読むということを申し上げました。そこで、このことをきっかけに伝統芸能の見方について ちょっと雑談してみたいと思います。したがって話はしばしば飛びますから、その辺を御承知のうえお付き合いください。

「吉野葛」では津村が地唄「狐噲(こんかい)」の自らの解釈を展開します。恐らく谷崎はこの「狐噲」を聴き知ったところで小説の構想を思い立ったに違いないので、ここが小説の核となる箇所です。

『その証拠にはあの狐噲の唄の文句なども、子が母を慕うようでもあるが、「来るは誰故ぞ、様故」と云い、「君は帰るか恨めしやなうやれ」と云い、相愛の男女の愛別離苦をうたっているようでもある。恐らくこの唄の作者は両方の意味に取れるようにわざと歌詞を曖昧にぼかしたのではないか。いずれにせよ自分は最初にあれを聞いた時から、母ばかりを幻に描いていたとは信じられない。その幻は母であると同時に妻でもあったと思う。』(谷崎潤一郎:「吉野葛」)

地唄「狐噲」は子が母を慕う唄である、と同時に相愛の男女の愛別離苦の唄でもある。この二つの見方がどちらも正しい見方だとして、二つを並列した形で捉えるのではなく、二つを混じり合った形で捉えたいのです。厳密に云うと、どちらの見方であってもこれを言い切ってしまうことは、決して正しくないのです。相愛の男女の愛別離苦の唄という見方もあり得るねという風に、別の見方を許容することも正しくない。

正確に云うと、津村がその顔を見定めようとすると、それが母の顔になったり妻の顔になったりするのです。母かと思えば妻に変わり、妻かと思えば母に変わるのです。ついでに云えば、それは母でも妻でもないものに変わる場合だってある。その像は絶え間なくくるくる変わって、決して定まることがありません。だからそこが化ける狐、或は初音の鼓のイメージになるのです。

地唄「狐噲」の本質はこういうものだという所から、谷崎の小説の構想が始まっています。もちろんこれは小説家谷崎の想像であって、地唄「狐噲」の成り立ちが本当にそうだったかは分かりません。しかし、 専門家の間でも地唄「狐噲」は非常に難解であるとされています。案外、専門外の谷崎の想像が的を射てないこともないかも知れませんね。

もうひとつ、この谷崎の想像は、十九世紀末から二十世紀初頭の、とても近代的感性から来るということです。二十世紀初頭という世相が醸し出す世界的な時代的心性というものがあり、そこから谷崎の、伝統芸能との動的な関係で読むという態度が出て来ると云うことです。

吉之助の「吉野葛」論にはハイゼンベルクの不確定性原理が出て来ますが、これも哲学的真理としては、同じ共通した時代的心性から出て来るわけです。文学論に不確定性原理が出て来ると引く方が特に文系の方にいらっしゃるだろうことは吉之助も承知はしていますが、吉之助は化学専攻の人間ですから、ここを押さえておかないと、次の論が展開しないので仕方がありません。谷崎が不確定性原理を踏まえて小説を書いたと云うのではないです。知らなくたって、同じ共通した時代的心性から出て来るのだから、必然的に似るということです。

近代的感性においては、対象(イメージとしての像)は絶えず動いており、定まることがない、それは見定めよう・特定しようとすると、スルリと逃げる、または別の像に変わる、そういうことを絶えず繰り返すということです。これが不確定性原理の哲学的真理なのです。まったく同じことを谷崎が地唄「狐噲」解釈でやっているということなのです。だから津村が求めているものは、母でもなく、妻でもなく、絶え間なく動いている「未知の女性」の像ということになるのです。それを象徴するのが、絶え間なく所在を変える初音の鼓のイメージです。

「義経千本桜」では、初音の鼓は静御前が持ち歩いているわけですから、静の動きに連れて初音の鼓は絶え間なく所在を変えているのです。それを慕って源九郎狐はどこまでもどこまでも付いていく。 もしかしたら狐のことだから、目的地が吉野だと、源九郎狐は認識していないかも知れません。源九郎狐は行く先も知らず、ただ静の向かっている所へ付いて行くだけなのかも知れません。「吉野山道行」がそのような舞踊であることは、歌舞伎を見る方ならば、 お分かりでしょう。「絶えず動く初音の鼓」のイメージがそこにあるのです。谷崎は、そのように「吉野山道行」を読んだのです。(この稿つづく)

(H29・5・15)


2)谷崎の地唄「狐噲」解釈のこと・続き

地唄「狐噲」の出目は不明ですが、どうやらこれは遊里における相愛の男女の愛別離苦の唄、つまり遊女がつれない客の男のことを想って嘆く唄であるようです。これに葛の葉説話が絡められたために、意味が何だかよく分からない、辻褄の合わない歌詞になっているらしい。そこで遊女の恋にどうして葛の葉説話が絡む のかと云うと、これは吉之助の推測ですが、遊女は商売で客を騙すものだからこれは偽りの恋、だからこれは狐の恋だというロジックなのだろうと思います。古来、狐は人間の生活と関係が深く、しばしば化けて人を騙すとされていました。だから遊女は女狐に擬せられました。 それで遊女の恋に葛の葉説話が絡められたのです。或る時期には、狐と云うと何でも葛の葉に結び付けられたのでしょう。本来は狐の繋がりで 取り入れたのですが、葛の葉の母と子の要素も一緒に取り込んだのです。

それならば地唄「狐噲」に唄われているのは遊女の偽りの恋かと云うと、そうではないのです。それは真(まこと)の恋です。遊女は「いたわしやな」と云うほど悩みやつれて苦しんでい ます。それは真の恋なのですが、しかし、 男女の自由恋愛は当時の倫理道徳の概念では大っぴらに表現してはならないことでした。だから、外見においては、それは狐の恋だ、遊女の恋だ、偽りの恋だということにして置くのです。これを世間一般の相愛の男女の愛別離苦の唄にしてしまったら、当時の倫理道徳の概念では、それは非常に危険な、淫らな風を帯びてしまいます。だから遊里での出来事、狐が仕掛ける偽りの恋の唄ということにして置くのです。唄の作者が本当に描きたいものは、そこにはない。この曲を聴く者も、暗黙のうちにそのことを分かって、この曲を聴くのです。 そうやって地唄「狐噲」は安心できるものとなるのです。

だから『その証拠にはあの狐噲の唄の文句なども、子が母を慕うようでもあるが、「来るは誰故ぞ、様故」と云い、「君は帰るか恨めしやなうやれ」と云い、相愛の男女の愛別離苦をうたっているようでもある。恐らくこの唄の作者は両方の意味に取れるようにわざと歌詞を曖昧にぼかしたのではないか。 』と谷崎(=津村)が語っていることは、大筋においては納得できるものだと思います。 視点の違いによって、いろんな解釈が出来ますから、その解釈のどれもが正しいと云えるし、間違っているとも云えるのです。解釈はひとつに定まることはありません。

前章において、近代的感性では、対象(イメージとしての像)は絶えず動いており、定まることがない、それは見定めよう・特定しようとすると、スルリと逃げる、または別の像に変わる、そういうことを絶えず繰り返すということを申し上げました。これが谷崎の感性であるならば、谷崎がどうして地唄「狐噲」に惹かれる のか、その理由は明らかです。それは「この曲のなかに私が聴きたいものは、本当はこれではない」という感覚なのです。津村がその顔を見定めようとすると、それが母の顔になったり妻の顔になったりする。母かと思えば妻に変わり、妻かと思えば母に変わる。母でも妻でもないものに変わったりする。津村が求める像は絶え間なく クルクル変わって、決して定まることがありません。だから谷崎は地唄「狐噲」を近代的感性で読んでいることになります。(この稿つづく)

(H29・5・15)


3)武智鉄二はプランテから何を聴いたのか

武智鉄二がクラシック音楽を愛し、一番好きなレコードにフランシス・プランテの弾くショパンのエチュード「木枯らし」を挙げたことは、別稿「武智鉄二の愛したレコード」で触れました。そこで武智がプランテの弾くショパンのどこを聴いて、その価値を認めたのかということを、ちょっと考えてみたいのです。まず予備知識として必要なことは、プランテは、 ショパンがピアノを弾くのを実際に生(なま)で聴いた人で(これはプランテ10歳の時のことでした)、つまりショパンと同時代に生きた人で、ショパンの録音を遺すことができた唯一のピアニストだということです。

例えばここに六代目菊五郎の舞台を生で見たことがある人がいて、しかもそれがある程度目利きの人ならば、ちょっと六代目の思い出話をお聞きしたいなあ、その証言のなかに何か大事なヒントがあるかもと期待すると思います。武智がプランテに期待するのも発端はそんなところだったと思いますが、実際に証言を聞いてみるとあんまり参考にならなくてガッカリと云うこともよくあることですけれど、まあ何でも有難がって見たり聞いたりしないと御利益は得られないと思います。しかし、尊敬の念と云うか、信仰と云うか、そのような態度を以てプランテの録音を聞けということで、武智がプランテの名前を挙げたわけではなさそうです。武智はプランテを聴いてガッカリしなかったと思います。そこで武智はプランテから何を聞いたのか 、それが武智の歌舞伎観とどういう関連があるのかということを、武智の弟子を自称する吉之助が考えます。

まずプランテの弾く「木枯らしのエチュード」(作品25-11)を聞きますと、印象に強く残るのは、激しく下降する十六分音符のパッセージの音符がひとつひとつ明確に弾かれていることです。吉之助がよく云う表現ですが、音のツブツブ感が強いことです。ひとつひとつの音が正しく明確に弾かれていることで、激しく下降する旋律が生み出す、おどろおどろしいほどの不安感、焦燥感というものが、はっきりと像(イメージ)を以て伝わって行きます。武智は『ショパンは地獄を見ていたのだ。そうしてプランテもまた・・・。』と書いています。

プランテよりも早いテンポでもっと見事に滑らかにこの十六分音符の急降下のパッセージを弾きこなすピアニストは、たくさんいると思います。しかし、実に多くのピアニストが、急降下のパッセージを滑らかに弾くけれども、指を速く動かすことに神経が行くあまりに、ひとつひとつの十六分音符を正しくその長さだけを弾き切れていません。十六分音符のリズムを深く打ちきれないまま、中途半端な形で次のキーで指を移行しています。急降下のパッセージの音型が正しい姿を現していません。だからこの旋律が持つ不安、焦燥のイメージが研ぎ澄まされたものになって来ません。お試しにYoutubeで木枯らしのエチュードの音源をいくつか聞いてみてください。表面的には滑らかに見事に弾きこなしているけれども、ただそれだけの演奏が沢山ありますから。

もうひとつ大事なことは、派手な急降下のパッセージばかりに耳がいくけれども、左手で奏でられる序奏4小節で提示される主題との関連です 。プランテの録音を聞くと、この曲は左手を明確に弾くのが大事なことなのだなあと云うことが、ホントによく分かります。この主題がこの曲の骨格であるからです。プランテの演奏は、律儀に過ぎるかなと思うほど、左手が明瞭ですね。 これがあるから右手のパッセージが生きて来るのです。

この曲のイメージを十全な形で早いテンポで表現する為には、超絶的な技巧が必要です。しかし、ピアニストの使命は急降下のパッセージの音型を正しい姿で再現することにあるのですから、もしそのテンポでそのことが実現できないのであれば、 早いテンポにこだわっては駄目です。ピアニストはそれが実現できるテンポで弾くべきです。つまりそのピアニストの技巧でパッセージの音型を正しい姿で再現できるレベルにまで、テンポを遅くすべきです。これは或る意味では不本意なことかも知れませんが、優先すべきはテンポではない。優先すべきことは、急降下のパッセージの音型を正しい姿で再現することです。それでないとショパンのフォルムにならないのです。

ここで吉之助が云いたいことは、大事なのは「心」だということです。正しい心が正しいフォルムを表すということです。その逆ではないということです。 テンポにこだわるということは、表面的な形に固執することです。これでは正しいフォルムは表現できないのです。

このプランテの弾いた録音がショパンが弾いた解釈そのままなのか?これだけでプランテがショパンの雰囲気を伝えていると云えるのか?それが ホントに正しいものであると 、どうしてそんなことが云えるのか?といろいろな疑問が湧いて来るかも知れませんが、とりあえずそういう疑問は置かねばなりません。武智は、この録音を聴きながら、ショパンの何に思いを馳せたのかなあと、そう思って聴くことは、とても意味があることなのです。(この稿つづく)

(H29・5・22)


4)武智鉄二はプランテから何を聴いたのか・続き

武智はプランテのショパンの録音から何を学んだのでしょうか。武智はそこに彼が理想とする古典芸術(クラシック)の在り方を聴いたのに違いありません。だから武智の歌舞伎批評を読んで、武智が山城少掾や吉田栄三の理知的な芸風、六代目菊五郎のかつきりとした規格正しい芸を理想としたことを考え合わせれば、武智がプランテから何を聴いたかが容易に類推が出来ます。

別稿「伝統芸能における古典〜武智歌舞伎の理論」で論じたとおり、武智がプランテから聞き取ったのは、ノイエザッハリッヒ(新即物主義的)あるいは新古典主義的なものであったと云えます。武智が聴いた録音は1928年にプランテが89歳の時のものです。1928年と云ればノイエザッハリッヒの芸術思潮の真っ最中でした。この老プランテの録音もノイエザッハリッヒの香りがプンプンしますね。

正確に云えばノイエザッハリッヒという概念が提唱されたのは、第1次世界大戦後の1910年代のことで、演奏様式としては1960年くらいまでが隆盛期でしょうかねえ。しかし、芸術のなかでその傾向が現れていく過程を遡って行くと、そのような現象ははるか以前の19世紀半ばから始まっていることが分かります。(演奏史としては、録音がないのでその辺が確認できません が、当然深層でシンクロしていると考えられます。)この流れが表層に現れてきて、20世紀に至って概念化されたと考えるべきです。だからショパンを新古典主義的と規定することは歴史的に考えれば間違いでしょうが、例えばショパン自身は自分を浪漫主義の作曲家と呼ばれることを嫌い、作品に文学的なタイトルを付さなかった(木枯らしのエチュードと云うのもショパンの命名ではない)ことを考え合わせれば、ショパンは或る意味において新古典主義的な予兆を見せているということが云えると思います。1928年に録音された老プランテのショパンを聴くと、そのようなことが脳裏をよぎります。

まず前章の、木枯らしのエチュードの録音で云えば、ひとつひとつの音が正しく明確に弾かれていることです。特に律儀に過ぎるかなと思うほど左手が明瞭に弾かれて、これに右手の十六分音符の急降下のパッセージの動きがきっちりとはまっていて、とても規格正しい印象があることです。つまり楽譜の縦の線が明確に決まっていて、音楽の骨格に揺るぎがない。これがこの演奏に、古典的(クラシックな)印象を与えています。

このことは例えば三味線の鶴沢道八が語るところの義太夫の足取りの話とか、六代目菊五郎が自在に踊りこんで舞台の端をかつきり下駄の歯一枚で踏み残したという逸話にもどこか通じるところがあるわけです。(この稿つづく)

(H29・6・3)


5)武智鉄二はプランテから何を聴いたのか・そのまた続き

ショパンの動的なイメージは、黒鍵のエチュード(作品10-5)を聴けば、もっと良く分かると思います。黒鍵をめまぐるしく行き来する右手のパッセージは、音の粒立ちが良くないと、この曲の本質は決して味わえません。指の動きが早いことは大切 には違いないですが、動きが早いだけでは駄目です。一音一音がその音符の長さ分しっかり弾かれていなければなりません。

黒鍵のエチュードを良い演奏で聞くと、吉之助には花園で花の上を蝶々がパタパタ飛びまわっている光景が浮かんで来るのです。 これを捕まえようとすると、蝶々がスルッと手の間をすり抜けて逃げてしまいます。アレッと思と、今度はこちらをパタパタ飛んでいる。そこへ手を伸ばすとまた蝶々が逃げて しまう、そのような光景なのです。この曲の右手のパッセージは、そういう風に聴こえて欲しいのだなあ。 (ショパンが自分の曲に対する文学的な解釈を嫌っていたことは知ってはいますがねえ。) プランテの弾く黒鍵のエチュードを聴けば、吉之助の持つ印象がお分かりいただけるだろうと思います。プランテより速いテンポでこの曲を弾くピアニストはたくさんいますが、眼前に蝶々が浮かび上がる演奏はそう多くはありません。

何が云いたいかというと、対象(この曲の場合は蝶々)は絶えず動いていて、蝶々がそこにいると思って手を伸ばすと、蝶々は既にそこにはいない、こちら に現れたと思えば消えて、今度はあちらに現れるという感じで、蝶々は一定の場所に留まることはなく、実に捉えどころが ありません。しかし、それが決して幻ではないことは、たしかに蝶々が実在感をもって私の目に映っていることから確かなことで、それが真実であるのを私は決して疑うことはないのです。 これが吉之助の、黒鍵のエチュードのイメージです。

これについては別稿「団十郎菊五郎在りし日のわが母よ〜谷崎潤一郎・「吉野葛」論の最後の章でも同じことを書きましたが、これはとても近代的な感性の所産なのです。絶え間なく動く物体を私が目で見よう(認識しよう)とする時、私はその物体を直截的に捉えるのではなく、光が当たって物体が反射した光を網膜がとらえて、それで私はその物体を認識することができるのです。つまりそこに時間差が生じますから、私が認識したものは「像」に過ぎず、私が認識した時にはその物体は既に違うところへ移動してしまっているのです。ですから物体の位置は明確に捉えることは 出来ず、敢えて表現しようとするなら、それは雲のようなイメージで確率として表すしかない。これがハイゼンベルクの不確定性原理(1927年)の哲学的な解釈なのです。つまり、吉之助はここでショパンがそのような近代的な感性を先取りしていると考えたいのです。

吉之助のそういうイメージを採るならば、黒鍵のエチュードはショパンではなくてプロコフィエフみたいに聴こえっちゃう のじゃないの?と仰る方がいそうです 。その指摘は、ある意味で正しいです。実際、吉之助はショパンのこの曲の右手はそういうイメージの方が近いと思っているのです 。ただし、この曲がプロコフィエフにならずにまさにショパンのものであるのは、その左手の扱いゆえです。 実はショパンのエチュードの本質は左手にあるのです。ショパンのエチュードを古典的(クラシックな)印象に結び付けているのは、左手です。右手は伴奏。その右手の伴奏に物凄く技巧的な手が付けられているのですが、結局、大事なのは左手なのです。

プランテの弾く黒鍵のエチュードを聴けば、木枯らしのエチュードと同様、 ショパンのエチュードにおける左手の重要さが明瞭に分かると思います。要するに、これは足取りの問題ですね。足取りというのは、鶴沢道八が武智に語った義太夫用語なのですが、足取りのなかに曲の風格とか、位取りが自然と現れるということです。イヤこれは決してこじつけではなく、実際、武智はそのようにプランテを聴いたと思いますよ。吉之助 もこういう風に音楽を聴くからです。

もうひとつ付け加えておきます。黒鍵をめまぐるしく行き来する右手のパッセージは、無窮動な(果てしなく続いて終わりがない)イメージです。この解決が付かないパッセージを聴いていると、せわしなく動き回る蝶々の動きを止める術(すべ)を吉之助は想像することがまったく出来ません。 ところが、この曲の終結部を聴くと、これはちょっと乱暴じゃないかと思えるほど、ホントに思いがけない止め方なのです。グレン・グールドは、ショパンの奇態指数ということを言っています。「奇態指数」(quirk quotient)というのはグールドの造語だそうで、予測がつかない転調・休止・アクセントなどのことを言っています。グールドは、ショパンの音楽では「彼はたった今何をしたんだ?」と 聴き手が思うような予測不可能なことがしばしば起こると言っています。黒鍵のエチュードの終結部は、奇態指数が最高レベルの例です。これはまさに前衛的な表現と云えるもので、その意味でも黒鍵のエチュードは、ショパンが近代的な感性を先取りしていると感じます。(この稿つづく)

(H29・6・5)


6)カラヤンとメニューインとの対話

近代的感性においては、対象(イメージとしての像)は絶えず動いており、定まることがありません。見定めよう・特定しようとすると、それはスルリと逃げる、あるいは別の像に変わる、そういうことを絶えず繰り返します。「私」 が対象を見定めようとしても、それを掴むことはとても難しい。しかし、それが決して幻ではないことは、対象が実在感を以て「私」の目に映っていることから明らか なのです。だから、それが真実であることを私は決して疑うことがありません。

ここで大事なことは、絶えず動いて定まることがない対象が確かにあると、実在感を以て「私」に認識させるものは何かということだと思います。それはほんの一瞬であるけれど「私」のなかに対象の明確なイメージが刻みつけられたからに他なりません。刻み付けられたイメージがあまりにリアルであるから、それが真実であるのを「私」は決して疑うことはないわけです。 つまり真実味(リアルさ)と云うことです。

音楽についてそれを考えてみると、そのイメージをリアルにするもの、これは何でしょうか。それは、音と音の間に在るものを明確に聴き手に意識させるということです。ところで、宜しければ、下記の映像をご覧ください。カラヤンとメニューインの対話です。日本語字幕付きで25分くらいの映像ですけれど、付き合う価値は十分にあります。(1966年1月ウイーンでの収録 )
 

映像の7分辺りからを見てください。

メニューイン:「(楽譜が示す通りに弾かないで)短い音を長く、長い音を短く、大きい音を小さく(してしまうことで、コントラストを正しく付けることができない。)本来、我々は劇的な効果のためにコントラストが必要なのです。」
カラヤン:「さらにもうひとつ、我々が忘れてはならないことがある。音が連続している時に、その間の空間が最も重要なのだ。それらの音そのものよりもはすかに重要なのだ。ひとつの音と次の音との間に、どれだけの時が流れていくか・・・。ひとつの音につづいて次の音のまったく完全に精密に連続させる。もちろんこれで旋律には、より強い緊張が与えられる。そして練習では、まさにこのためにほとんどの時間が費やされる。」

音楽の劇的コントラストを付ける為には、楽譜にある音符をその通りの長さに正しく弾くことが大事です。短い音を長く、長い音を短く弾いては駄目です。 作曲者が指定した正しい長さで音符を弾かなければいけません。このことをメニューインが指摘してますが、さらにカラヤンがこれに付け加えます。しかし、音符をその通りの長さに正しく弾くということは、同時に音と音の間、その間の空間、つまり沈黙の時間の長さを正しく決めるということでもある のです。 これによって音楽的イメージは、くっきりと明確なリアルさを持ったものとなるのです。音は耳に伝わったらその場で消えてしまいますが、イメージは実感を持ったものとして聴き手のなかに明確に残ります。

プランテが弾くショパンは、音の粒立ちが良い。指の動きが早いことは大切 なことですが、プランテは逸るところがなく、一音一音をしっかり弾いて、リズムをしっかりと刻んでいます。だから音楽の骨格がしっかりしています。これが武智が、プランテから学んだことのひとつです。 歌舞伎役者の台詞回しも同じことです。名優の台詞回しはしばしば音楽的だと感じるものですが、それは一語一語を明確に発声して、リズムがしっかり刻まれているから、観客はそれを音楽的だと感じるのです。

もうひとつ大事なところが、12分辺りです。ここもよく読んで欲しいと思います。

カラヤン:「指揮のテクニックとは何を意味しているのかね?(中略)伝統的に確立されたものもいくつかある。一拍目では手を下におろすとか・・・それでオーケストラを楽に指揮できるという技術は確かにある。だが私は、それに反対なのだ。な ぜかと言うと、オーケストラが強制されて修正しても、それはもう間違った響き、間違ったテンポなのだ。だから私は別の意見を持っている。修正自体が正しくないと駄目なのだ。和声的な基礎が正しく置かれれば、その後に来るものは、音楽の本来の流 れを正しく示すのだ。私は何度も面白がってやったのだが、古い世代の指揮者たちの真似をしてみせたのだ。私は尊敬する6人の指揮者の真似を君の前で見せることができる。人々が真似できない彼らの特別の指揮の技術を・・・。だが生徒たちはその精神を感じなくてはならないのだ。表面的な動きは真似できるが、その精神には及ばない。それでは無意味なのであって、自らのやり方で体験すべきなのだ。そうすれば最後には、何とか手の動きで表現できるようになる。最初から手の動きを学ぶべきではない。それは後からで良いのだ。』

役者が強制されて修正しても、それはもう間違った演技、間違った台詞廻しなのだ。表面的な動きは真似できても、先達の精神には及ばない。それでは無意味なのであって、自らのやり方で体験すべきなのだ。そうすれば最後には、何とか身体の動きで表現できるようになる。最初から型の手順を学ぶべきではない。それは後からで良い のだ。先達の精神を学び、正しい演技のプロセスを踏むならば、演技はおのずから型本来の動きを示す。

カラヤンが音楽について語っていることと、伝統芸能で武智が普段言っていることと、まったく同じであることがお分かりいただけると思います。音楽と歌舞伎と何か違うところがあるでしょうか?芸の真理はひとつなのです。音楽が分かれば、歌舞伎が分かる。歌舞伎が分かれば、音楽も分かるのです。(この稿つづく)

(H29・6・13)


 

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