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松羽目における幽玄〜四代目猿之助襲名の「黒塚」

平成24年7月新橋演舞場:「黒塚」

四代目市川猿之助(亀治郎改メ)(老女岩手実は安達原鬼女)、市川団十郎(阿闍梨祐慶)
(四代目市川猿之助襲名披露)


1)

別稿「玉三郎新演出の船弁慶」でも触れましたが、明治期に能狂言から題材を取った松羽目物が盛んに創られたのは、「歌舞伎は筋が荒唐無稽で下らない」という演劇改良会などからの批判を受けて、歌舞伎を国劇にふさわしい高尚なものにしようという意図でした。「もう内容が低劣だなんて言わせないよ・何たって題材はお能だもんね・だからお能の真似をする」というのがその本音であります。そこに江戸期には式楽として重んじられてきた能狂言に対して・河原乞食と蔑まれてきた歌舞伎役者の複雑な思いが交錯しています。松羽目物には・高尚な能に憧れ・能に近づきたいという思いがある のです。

最初の松羽目物と云えば歌舞伎十八番の「勧進帳」です。ただし天保11年(1840)3月・河原崎座・七代目団十郎による「勧進帳」初演時では、現行上演のような能舞台を模して大きな松が描いている書割ではなく、正面には小さな松が何本か描かれた襖を描いた幕にしたもので、つまり能舞台ではなく ・座敷という設定でした。これは歌舞伎で能舞台を模して上演禁止になった例が過去にあったからでした。「勧進帳」が現行の松羽目舞台になったのは明治以後のことです。(別稿「身分問題から見た歌舞伎十八番・勧進帳」をご参照ください。)

七代目団十郎は当時の講談の呼び物であった「弁慶と富樫の山伏問答」(原作の「安宅」にはない)を作品中に取り込みました。さらに富樫を弁慶の男心に男が応える情の人に書き換えて、「勧進帳」を 能「安宅」よりはるかにドラマチックで熱い男のドラマに仕上げました。(これについては別稿「勧進帳の変遷」をご参照ください。)その後「勧進帳」は頻繁に上演されて歌舞伎として完全にこなれて、今では歌舞伎の最高の人気作です。

一方、明治になってからの九代目団十郎による「船弁慶」(明治18年新富座)・「紅葉狩」(明治20年新富座)、五代目菊五郎による「土蜘蛛」(明治14年新富座)・「茨木」(明治16年新富座)といった松羽目作品群は、能への憧れ・能に近づきたいという思いが生乾きで出ていると思います。荘重に重く演じて・いかにも能っぽい高尚な雰囲気を出そうということに腐心してい るけれど、能をいくら真似しようとして も・決して能そのものではあり得ないのです。つまり、何と言うか・どこかうさん臭いのですねえ。これらの作品を見るといつも感じるのですが、それならばホンモノの能の舞台を見ればいいことなんだよと言いたくなるのです。要するに歌舞伎として十分にこなれていないということです。昭和14年(1926)東京劇場で初代猿翁(二代目猿之助)が初演した「黒塚」も例外ではありません。

吉之助が考えるには、歌舞伎の松羽目物は思い切って能のイメージから離れるべきです。特に台詞廻しについて、テンポの遅い重ったるい能掛かりの真似をやめて・写実の方向へ向けた方がよろしかろうと思います。ご注意願いたいですが 、「崩す」という意味ではありません。 本行の格調を保持しつつ、表現ベクトルとして歌舞伎の本質である写実の方に意識を引くということです。そのような表現ベクトルが必要だと云うことです。 「勧進帳」がそのヒントを与えてくれます。

2)

ところで舞踊「黒塚」ですが、上中下の三つのパートに分かれ、上の巻が能掛かり・中の巻は新舞踊・下の巻が歌舞伎の変化物という風に様式がそれぞれ異なります。このうち中の巻・月の光のなかで老女岩手が踊るシーンは、原作の謡曲「黒塚」(流派によっては「安達原」と呼ぶ)にない場面で、ここが「黒塚」歌舞伎化の眼目となるわけです。

これから書くことはちょっと意地悪な見方であるのは承知のうえですが、初代猿翁の代表作である「黒塚」の本質を斜めに切って・別の切り口を見せることになるだろうから、まあそのつもりでお読みいただきたい。まず吉之助は、間に挟まった新舞踊様式の中の巻(月の踊り)に、良くも悪くも取って付けた違和感を感じるのです。原作の謡曲「黒塚」は、見てはならぬと言って置いた奥の部屋を覗かれて・その本性を知られてしまった鬼の怒りがストレートに来て、劇構造は案外単純です。一方、舞踊「黒塚」では・原作にない中の巻を置いて・この浅ましい鬼の身にも有難い仏の救いがあるのであろうかという淡い期待が岩手にあ り、その思いが裏切られたので岩手は怒って鬼の本性を現すということになるので、筋が複雑になっており、そこに如何にも近代的な人間理解が見えるということが言え ます。実は「黒塚」の歌舞伎化は初代猿翁が最初ではなく 、昭和初期に六代目梅幸が能掛かりの松羽目で上演した記録があります。初代猿翁の舞踊化に当たり・それを参考にしたことも十分考えられますが、舞踊「黒塚」全体を見渡せばこれはケレンの変化舞踊だというのがホントのところだと思います。原作の「黒塚」の筋を単純に歌舞伎に移せば・必然的にそうなるのです。ケレン物の正体を、「これは人間の性(さが)の哀しさを描いた作品なんです・どうです深いでしょう・何たって原作はお能ですから」と中の巻の印象で誤魔化していると云うか・隠しているのです。そこに大正から昭和初期のアカデミズム(教養主義)の芸術思潮を読み取ることが出来るかも知れません。ただしちょっと底が浅いアカデミズムなのですがね。

能の「幽玄」ということを考えます。現代では「幽玄」という言葉は能のキャッチフレーズになっていますが、その意味が十分理解されないまま・世間で能は幽玄と云われているような気がします。能の幽玄ということを論じたのは確かに世阿弥ですが、世阿弥の芸能論が世に出て知られるようになったのは明治以後の話です。幽玄というキャッチフレーズのおかげで能が得しているところは確かにあると思いますが、現代では「幽玄?ああ分かった・分った、もう結構だよ」という感じで損している場面もかなり多いと思いますがねえ。ともあれ、幽玄というイメージには何となく高尚で・芸術的な深い香りが漂っているように思われて・そこが良い。そこで幽玄が大正から昭和初期のアカデミズムの芸術思潮と結び付いていきます。演劇においては、幽玄が自然主義の写実の顔をして立ち現れます。それは電気照明を駆使した写実かつ幻想的な舞台面となるのです。代表的な例を挙げるならば、この舞踊「黒塚」の中の巻、そして舞踊「隅田川」です。「名月八幡祭」の幕切れもこれに付け加えて良いと思いますね。

中の巻(月の踊り)は新舞踊風ということですが、つまりバレエ・リュッス(ディアギレフの率いたロシアバレエ団・1909〜29年)の芸術思潮の影響を受けているということです。その影響は、例えば老女岩手が浮かれて踊る振りの爪先立てて腰のバネを効かせる動きに出ます。それはバレエのトウ・ダンスに似た動きで、弾みを付けて浮き立った気分を表出するわけです。

それはともかく、吉之助が気になるのは、舞台面・特に照明のことです。言うまでもなく電気照明というものは江戸時代ならばあり得ませんから、照明それ自体が近代芸術思潮を体現していると言えます。歌舞伎を見てると照明はただ明るくしているだけで何もしてないみたいに思うかも知れませんが、現代の舞台芸術においては照明は舞台の印象を左右すると言って良いくらいです。(別稿「舞台の明るさ・舞台の暗さ」をご参照ください。)中の巻・芒ヶ原では一面に芒がなびき、自然主義の写実の舞台面です。舞台奥に三日月が見えます。ところが舞台の月の動きと・照明によって作り出される月光にリアル感が全然ないのですねえ。吉之助が初めて「黒塚」を見た時(もちろん二代目猿翁=三代目猿之助の舞台)のことを思い出します。まずあの照明は満月の光であって・とても三日月ではあり得ないということ、舞台奥の月と・照明の光の方向が全然シンクロしない、何よりも「この芝居では月は西から昇って・東へ沈むのかね?」と思ったことでした。変痴奇論だとお思いかも知れませんが、一面ススキの原で写実を標榜しておきながら、随分と好い加減な照明コンセプトではありませんか。好意的に見れば表現主義的に舞台面と照明は乖離していると云うことかも知れませんが、そこまで考えたとはとても思えないのです。吉之助には、ここには「幽玄」が全面に押し出されている・「幽玄」があれば 何でも良くなるみたいな安易なものが舞台面に顔を出しているように思えます。「これは人間の性(さが)の哀しさを描いた作品なんです・どうです深いでしょう・幽玄でしょう・何たって原作はお能ですから」という感じです。つまり、明治期の松羽目物と同く、昭和の舞踊「黒塚」も能に対するコンプレックスを依然として引きずっているということなのです。(注:上記のことは初演の初代猿翁の舞台での照明の詳細が明らかでないので、二代目猿翁の舞台の印象を以って考察しています。)

もうひとつ、前シテの老女岩手は舞踊「黒塚」で上の巻・中の巻を担うわけですが、ふたつの場面で印象がかなり異なるということです。上の巻は能掛かりですが、 テンポが重くて・登場した時から不気味な雰囲気を醸し出しています。これでは強力でなくても・何か隠していそうだという不信感を抱いて奥の部屋を覗かないではおれないでしょう。もちろんこの重い感触は原作の謡曲から来るものですが、中の巻の岩手にはつながりません。せっかく中の巻に原作にない見せ場を作ったのであるから、上の巻も思い切ってテンポの遅い重ったるい能掛かりの真似から離れて・写実の方向へ向けた方がよろしかろうにと思うわけです。二代目猿翁(三代目猿之助)の「黒塚」は何度か見ましたが、上の巻・中の巻での老女岩手のバランスがやはり良くありませんでした。だから中の巻が浮いて見えることになるのです。吉之助が思うには、中の巻を見据えるならば、上の巻の岩手はもっと写実に・テンポを早く・歌舞伎の世話の感触に近く演じた方が良ろしいのです。逆に上の巻を見据えるならば、中の巻の岩手の踊りは浮き立つ調子をもっと抑えて・地味な感触に仕立てた方が良ろしいのです。そうすることで、上の巻・中の巻の連関性が生まれて来るでしょう。舞踊「黒塚」初演の時に初代猿翁は五十歳であったそうです。確かにこの踊りは中の巻は抑えた方が良い。あまり身体が動き過ぎて・踊り過ぎては良くないようです。ということは 、この「黒塚」は壮年期を過ぎた役者の方が「向き」の作品であるのかも知れませんねえ。

3)

そこで新・四代目猿之助襲名の「黒塚」のことです。この若さでこれだけ演れれば十分だということは間違いありません。よく頑張っていると思います。そのこと認めた上で申し上げますと、上中下の・三つの場面をきっちり描き分けようとするよりも、もっと各場面の連関性を考えて欲しいと思うのです。下の巻の鬼女はまあ車輪に演っても良い。しかし、上の巻はできるだけ写実の方向に軽めにもっていくこと、中の巻は身体の動きを抑えて・できるだけ地味に仕立てることです。猿之助の上の巻の老女岩手は能掛かりを意識し過ぎで、台詞も演技も伸び過ぎ・粘りすぎ・重過ぎです。これはもう二代目猿翁よりもはるかに重い。これだけ身体が重くて陰鬱な気分の岩手が、中の巻になると一転して・明るく跳ねるように踊るのですねえ。だから連関性が見えないのです。役の印象がバラバラになって、かえってケレン物の正体が露呈することになる。そこは作者が一番隠したいと思っているところなのですから、これではちょっとマズいなあということに気付いて欲しいわけです。場面を仕分けようとするのではなく、連関性をよく考えて欲しいのです。これは「四の切」などでも同じことですよ。いずれにせよ、新・猿之助に限ったことではないですが、松羽目物は本行(能)の感触を真似して処理すれば良いという思い込みは止めにしたいと思います。

このことは団十郎の阿闍梨祐慶を見ればよく分かると思います。団十郎の阿闍梨は、吉之助が何度か見た阿闍梨のなかで最もピッタリ来る感じがします。しっかり歌舞伎の阿闍梨になっているのです。何故かと言えば、荒事の押し戻しの感触がすることです。襲い掛かって来る鬼女を、法力で押し止め・祈り伏せる迫力を感じさせます。これは まさに「娘道成寺」の押し戻しと同じです。原作の能の役どころを歌舞伎の発想で消化する。期せずしてそういうことが出来ているわけです。この団十郎の阿闍梨のおかげで、猿之助の鬼女の幕切れがどれだけ引き立ったことか。このこと考えるならば松羽目物が本行から離れるべきだということの意味は自ずと分かるのではないかな。いずれにせよ「黒塚」は猿之助にとって生涯賭けて取り組んでいく作品であろうから、今後を期待したいところです。

(H24・9・17)

(参考文献)

*三代目市川猿之助(二代目猿翁):「演者の目」(朝日新聞社)・・「私の黒塚」を収録



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