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和事芸の多面性

平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」

片岡仁左衛門(河内屋与兵衛)、片岡孝太郎(豊嶋屋お吉)


○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その1

現代では近松門左衛門と言えば江戸時代最高の戯曲作家としてその名を知らぬ者はありません。人気も高くて近松が芝居に掛かれば満員間違いありません。もちろん江戸時代も近松の評価は 相当なものでした。しかし、江戸時代も終わりになった頃の歌舞伎では近松で上演されるものは限られており、しかも・もっぱら改作物に拠ることが多かったのです。近松の盛名はオリジナルの上演ではなく・もっぱら改作で維持されてきたとさえ言えます。例えば現代では人気作である「曽根崎心中」が歌舞伎で上演されたの も昭和28年8月新橋演舞場の二代目鴈治郎(徳兵衛)と二代目扇雀(お初)による上演が初めてのことでした。ただし宇野信夫による脚色は紀海音による改作を下敷きにしたものではありますが。現代では「女殺油地獄」は評価がとても高い 作品ですが、この作品が人気になるのは明治42年10月大坂朝日座 で二代目延若(与兵衛)と二代目魁車(お吉)の舞台が評判になって以後のことになります。これは文楽でも状況はほとんど似たようなもので・江戸時代には両作品の 原作での上演は初演以来絶えていました。これはどういうことか・その辺の事情をちょっと考えてみたいのです。

近松門左衛門が人形浄瑠璃(文楽)に専念する以前に歌舞伎で提携したのが初代坂田藤十郎であったことはご存知の通りです。藤十郎の上方和事は江戸の初代団十郎の荒事とならんで・ 元禄期の演技様式として歴史的にとても重要であり、同時にそれは近松と切っても切れない関係にあるものでした。しかし、現代では藤十郎が演じた上方和事の作品群は廃絶して、「廓文章」の伊左衛門や「河庄」の治兵衛などの演技にその痕跡を見るに過ぎません。歌舞伎の解説書などによく書いてあるポイントは、藤十郎の代表的な上方和事は傾城買いであったこと・そこに「やつし」の味わいがあったということです。「やつし」とは主人公が落ちぶれて・本来の身分を想像できない哀れな姿で登場し・人々の同情を誘う演技を指すとされています。それはもちろん間違いではありませんが、しかし、それは現代の歌舞伎の「廓文章」や「河庄」の舞台を見て ・そこから和事を規定するからそのような限定的なイメージになるのです。上方和事の本質をもう少し枠を拡げて考えれば、藤十郎の上方和事がどういう形で次代に受け継がれ・役柄や演目が発展していったかが分かると思います。

別稿「和事芸の起源」では折口信夫の「誣(し)い物語」の考察から、初期の歌舞伎のシリアスな役どころにおいて・「誣いる要素」を中和するために滑稽味や諧謔味が必要であったということを考察しました。どこまでも真面目であるべき和事の役柄が三枚目的な部分を兼ね備えてこそ一人前であるということになるのです。ですから和事の芸を滑稽な三枚目的要素・あるいはナヨナヨヒョロヒョロした弱々しさに見ようとする傾向が現代ではどうしても強いのですが、本当はシリアスな要素の方に和事の本質を見るべきなのです。折口は次のようなことを言っています。

『吉田屋主人の喜左衛門は、戸板(康二)君の意見と逆になるが、私は立敵のような人がいいと思う。大阪では荒治郎という人がなかなか良かった。女房が夕霧の話をするのを、ちょっととめるところがあった。仲をせくというほどではなくても、そんな気分が喜左衛門のどこかにあるのだ。それが本当だと思う。私は子供の時見て、その感じが分かった。鴈治郎(初代)が伊左衛門だと、梅玉(二代目)の喜左衛門は、どうしてもいたわるようなところがあったが、あれだけの茶屋の主人なのだから、毅然としたところを持っていた方がいい。訥子では格も違うが、話にならないね。私は立敵風の役を伊左衛門と対照させたい。』(戸板康二:「折口信夫座談」)

折口信夫:戸板康二編・折口信夫坐談

伊左衛門の「恋も誠も世にあるうち」とか「七百貫目の借金負ってビクともいたさぬ伊左衛門」という台詞に伊左衛門という大阪商人の意気地が出ているのです。伊左衛門から そのような強い性格を引き出すために、吉田屋喜左衛門を立敵風に仕立てて・客を冷たくあしらうようにしなければならぬと折口は言うのです。舞台の伊左衛門を見ていると・苦労をまったく知らな い大店のボンボンで・ちょっと頭の方も弱そうな感じがしますから意気地ということがピンと来ませんし、それだと三枚目との兼ね合いが難しいと思うかも知れませんが、意気地がごく自然な形でやんわり出るのが上方和事なのです。ですから伊左衛門のじゃらじゃらした阿呆ボンぶりだけが上方和事だと思うと「やつし」のシリアスな要素を見落とします。

しかし、現実には藤十郎の上方和事あるいは「やつし」は技芸としては、もっぱら哀れとか滑稽という側面・ナヨナヨとした弱い印象によってのみ捉えられて、以後の歌舞伎に受け継がれたことは事実です。その典型 が「つっころばし」の芸で、例えば「双蝶々曲輪日記・角力場」の与五郎です。この与五郎のイメージを伊左衛門に移して処理すれば・現代の歌舞伎の舞台で見られる伊左衛門になるわけです。


○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その2

藤十郎の上方和事と呼ばれるものは、現行の歌舞伎の和事と印象が大分違うものだったと想像します。「やつし」というのは主人公が落ちぶれて・本来の身分を想像できない哀れな姿で登場し・人々の同情を誘うような演技を言うとされています。しかし、実はそれは表面的なことで、落ちぶれた身分の落差・哀れさが「やつし」の本質なのではないのです。「やつし」の本質とは「現在の自分は不本意ながら本来自分があるべき状況を正しく生きていない・自分は仮の人生をやむなく生きており・本当の自分は違うところにある」という思いにあります。藤十郎は傾城買いの芸を得意としました。不本意にも仮の人生を生きなければならぬとすれば・その憤懣と虚しさはどうしようもなく、その憂さを晴らすために一時の虚しい楽しみに走らざるを得ないというのが傾城買いの本意です。ですから「やつし」の役柄の内心に沸々とするところの「墳(いきどお)り」の強さこそが藤十郎の上方和事の芸であったのです。つまり藤十郎の和事には・吉之助が言うところの「かぶき的心情」の強さがあったのです。このことが分かれば仇討ち狂言において非人に身を落としながら仇を追いつづける役どころ ・代表的なのは「大晏寺堤」の春藤次郎右衛門ですが、あるいは「忠臣蔵・七段目」の大星由良助・さらには「盟三五大切」の源五兵衛さえも「やつし」の延長線上に捉えることが出来るわけです。これすべて「自分は仮の人生を生きざるを得ない」という認識から発するものだからです。ですから藤十郎の芸は技芸として確かに廃絶したわけですが、実は藤十郎の精神は歌舞伎の役どころの別なところで脈々と生きているのです。現代ではこのことがすっかり忘れ去られてしまって、藤十郎の芸は傾城買いのナヨッとした芸みたいに思われています。しかし、藤十郎の上方和事の芸は もっと凛としたものだったと吉之助は思います。

以上のような経緯で「河庄」の治兵衛・「封印切」の忠兵衛などはその後の改作によって・そのようなナヨナヨとした弱々しい性格が強められていき、歌舞伎の和事の役どころはそのようなイメージで位置付けられ・受け継がれてきたわけです。このように考えると「曽根崎心中」の徳兵衛や「油地獄」の与兵衛が江戸時代に演じられなかった理由も感覚的に理解できると思います。まず徳兵衛は和事の系統として見た場合、その生き方が妙に生真面目で 熱過ぎるのです。与兵衛も殺人犯ですから演者がなかなか感情移入できないのは当然ですが、与兵衛の性格もどこか偏執狂的にカーッと来る熱い側面があって、これも歌舞伎のパターン処理では役どころが巧くはまらないものです。現代においては自然主義的な観点から近松作品の理解がされていますから・そのようなことにあまり違和感を感じないと思いますが、「曽根崎」や「油地獄」は江戸時代には主人公の複雑な性格付け は後年の戯作者が改作してもなかなか巧く処理しきれなかったのであろうと推察します。逆に言いますと、明治以降に自然主義的の観点から徳兵衛や与兵衛の多面的性格の解釈ができるようになってはじめて、これらの近松作品が再評価され・復活したということです。

先に書いた通り・「女殺油地獄」が人気になるのは明治42年10月大坂朝日座 で二代目延若が与兵衛を演じて以後のことでした。延若はとても優れた上方芸を持つ役者でしたが、当時の上方和事の名手と言えば・もちろんそれは初代鴈治郎のことでした。ガンジロハンと言えば「頬かむりの中に日本一の顔」ということで、その最大の当たり役は「河庄」の紙屋治兵衛(紙治)でした。その鴈治郎が何度か「油地獄」の与兵衛を勧められても・どうしても承知しなかったということです。与兵衛を勧めた人がどういうつもりで鴈治郎にそれを言ったかは分かりませんが、多分「鴈治郎は和事の名手=近松の名手」ならば鴈治郎に近松の「油地獄」はできるという単純発想であったのかなと思います。学者先生に勧められて「心中天網島」の原作準拠上演なども鴈治郎はしておりました。鴈治郎=近松のイメージは世間に結構強かったと思います。鴈治郎が与兵衛を嫌がったのは延若が当てた役ということもあったかも知れませんが、やはり紙治のパターンで与兵衛は処理できぬということが大きかったと思います。上方芸のなかで延若は鴈治郎とは違う系統を引いています。鴈治郎のように洗練された感覚ではなくて、大坂では「だだこしい」と言いますが・ゴチャゴチャと整理されていない猥雑な感覚で した。延若は自然主義の影響を受けた与兵衛の性格解釈をそのような「だだこしい」芸風で処理したのだと思います。

「曽根崎心中」の徳兵衛について鴈治郎がどういう評価をしていたかは分かりませんが、多分勧められれば拒否したと思います。そもそも縁下でお初の足を取って自分の喉に当てるなどという惨めな演技は鴈治郎が好まぬものですし、これはどう考えても和事の領分ではないからです。昭和28年8月に復活された「曽根崎」は二代目鴈治郎によるものですが、実は二代目鴈治郎の芸風は父親(初代鴈治郎)の芸を素直に継いでおらぬのです。これは二代目と初代がうまく行っていなかったということではなく、上方の芸の受け渡しという ものがそういう在り方であったのです。初代はどんなに人に勧められても「そんなことしてもガンジロウの偽物ができるだけだす」と言って自分のやり方を息子に決して教えませんでした。ですから二代目鴈治郎の芸風は、父親のやり方を基本にしながらも・延若の影響が意外と強いものだった言われています。その点を考えれば徳兵衛を復活したのが初代ではなく・二代目鴈治郎であったこともなるほどと納得できるものがあると思います。


○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その

このように初代藤十郎の芸はその後の歌舞伎において滑稽な三枚目的要素・あるいはナヨナヨヒョロヒョロした弱々しさの側面で捉えられ・上方和事として定着しました。この事実はそれなりの意味があることで、これを歴史的経緯として踏まえることはもちろん大事なことです。しかし、折口信夫が指摘した通り・上方和事のシリアスな要素を念頭に入れないと特に近松作品の理解は一面的なものになってしまいます。近松と藤十郎との提携による「傾城仏の原」や「壬生大念仏」などの純歌舞伎は現在は上演されることがありません。現在では藤十郎の芸はほぼ廃絶しており、その芸風は文献から想像するしかないのです。近松は元禄16年(1703)に藤十郎の一座から離れ・「曽根崎心中」以降は浄瑠璃作品の方に専心し、その後に歌舞伎を書くことはありませんでした。しかし、ここで忘れてはならない 重要なポイントは、その後の近松が浄瑠璃を書く時にその主人公の性格描写に藤十郎の芸が反映していないはずは絶対にないということです。つまりシリアスな要素と滑稽な三枚目的要素が交錯する演技・そのようなアンビバレントな性格表現を近松の世話物の主人公たちに見たいと思うわけです。

「油地獄」の与兵衛に話を絞りますと、現代演劇で与兵衛を演じる場合、ある瞬間にフッと顔を覗かせる狂気・別の人間になったかの如くガラリと豹変する人間の二面性・あるいはその生い立ちから来るところの精神的未熟という側面などにどうしても興味が行きますから、これらの諸要素を統合して・矛盾のない一貫した性格表現を目指そうと現代の俳優は考えるだろうと思います。そうなると与兵衛の人間像はシリアスというよりも・ニヒルな様相の方にどうしても傾いてしまいます。自然主義の観点からするとこれは当然のことです。しかし、それであると歌舞伎にはなりません。現代演劇がアンビバレントな様相をリアルに克明に描き出そうとすればするほど、与兵衛の心の暗闇は救いようのないものに見えることでしょう。虚無的な不良っぽい与兵衛では歌舞伎では慰(なぐさみ)にはならぬということです。近松が「虚実皮膜論 」で説いている如く、「芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜の間にあるもの」ということが大事なのです。与兵衛を歌舞伎にするには、性格の矛盾をそれとして容認する余裕・というか大まかさが必要になります。アンビバレントな性格表現を様式そのものにしてしまう技術が必要なのです。恐らく明治42年に二代目延若が演じて評判を取った与兵衛はそこに工夫があったに違いありません。アンビバレントな要素を根源的に持つのが和事の演技様式だからです。

そこで平成21年6月歌舞伎座の「女殺油地獄」のことですが、仁左衛門の演じる与兵衛はシリアスなところはシリアスに描き・滑稽な三枚目的なところはそのように描くという ・その場その場の局面々々をそれなりに真実に描く与兵衛なのです。自然主義の観点から見ると、残酷な殺しをやる人物があのように人の良い愛嬌のある人間であるはずがないとか、あのよう な性格のひ弱な人物がどういう心理過程であれほど残忍になれるのかとか・そのような見方になってしまうでしょう。そうすると殺人の動機と行動の一貫性・性格の統一に疑問が生まれてくると思います。現代人に与兵衛という人物の理解が難しいのはその為です。しかし、それは次のように考えれば良いのです。与兵衛の取る行動は第三者からみればバラバラで・一貫性のないものに見えても、どんな時においてもそれらは彼の真実から出ているのです。遊び呆けている時も・両親に対して反発する時も・親の情にほだされて泣く時も・殺意に燃えて刃を握る時も、その時それぞれに何かしら与兵衛の真実があるのです。人間というものはそのようにアンビバレントな・統合しきれない存在であるという風に近松は与兵衛を描いているからです。そこにシリアスな要素と滑稽な要素が脈路なく交錯します。仁左衛門が演じる与兵衛は和事のふたつの要素の配合のバランスがとても巧くて、まことに歌舞伎らしい愉しみのある与兵衛であるなあと感じ入る見事な演技です。もしかしたらあまり深く考えていない大まかな表現に見えるかも知れませんが、実はその大まかさが独特の風味を醸しだしており、それが人間のある本質をやんわりと突いているわけです。和事とはそのようにアンビバレントな様相を描き出し・なおかつそれを慰(なぐさみ)・愉しみとすることのできる不思議な演技様式なのです。

(H21・11・8)


新編日本古典文学全集 (74) 近松門左衛門集 (1)・・「女殺油地獄」を収録

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