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鏡花の耽美主義について

平成18年(2006)7月・歌舞伎座:「山吹」

中村歌六(人形使・辺栗藤次)・市川段治郎(画家島津正)・市川笑三郎(夫人・縫子)


平成18年7月歌舞伎座は泉鏡花の戯曲4作一挙上演でありました。これは鏡花作品にこれまで何度も係わって来た玉三郎ならではの企画であると思います。吉之助は新派作品のいくつかの分野はいずれ歌舞伎が担わねばならないことになると思っています。鏡花の作品群などは特にそうです。今回の上演に「鏡花を歌舞伎にするんだ」というような意識というものはそう強く見えないようですが、いずれそれは確かな形になっていくでしょう。この時期に・歌舞伎座で・しかも「大歌舞伎」と銘打って鏡花作品がまとめて上演されたことは、大きな意味のあることだと思います。

ところで・今回上演の「山吹」(坂東玉三郎監修・石川耕士演出)ですが・幕切れで人形使(藤次)と夫人(縫子)が去る時に・静御前の操り人形を置いてその場を立ち去りました。吉之助は脚本を先に読んでいましたので・ここは当然人形使は人形を持って行くものと思っていたので「あれあれ?」と思いました。後で脚本を読み返してみると、確かに人形使は人形を持っていくとは書いてありませんね。しかし、人形を置いて去るとも書いてありません。要するに鏡花は人形のことに触れていないのです。ということは、どちらの解釈も有り得るということかも知れません。

ここで人形使が静御前の操り人形を置いて・夫人と立ち去る解釈に立つとすれば、こういう解釈でありましょうかね。人形使は若い頃に或る美しい婦人に対して深い罪を犯し・良心の呵責で自分を責め続け・この責めの代わりとして静御前の人形を遣いながら・人形に奉仕し・当てもない旅をずっと続けてきたのです。今ここに思いもかけず縫子という美しい婦人が現われ・自分と放浪の旅を続けてくれると言う。しかも、毎日自分を折檻してくれると言う。それで静御前の人形の代わりが出来た・と言うよりそれ以上の奉仕する美しい存在が出来たわけだから、もう静御前の操り人形は不要になったということなのでしょうか。まあ、その解釈も分らぬでもありません。

しかし、幕切れにおいて画家(島津)はこう呟いています。

「うむ、魔界かな。これははてな、夢か、いや、現実だ。(夫人の脱ぎ捨てていった駒下駄を見る)ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか・・・」

この幕切れでは魔界を想わせるような出来事が画家島村には本当のことに思えず・何だか夢のように思われるのです。これは画家にとってだけでなく・観客にとっても同じ思いでなくてはなりません。これが確かに現実だと確信させる証拠は・脱ぎ捨てられた夫人の駒下駄だけです。

ところが、舞台の横の立ち木に静御前の操り人形がデンと立てかけてあると、これが目障りなのだな。観客にとっては、夫人の駒下駄より・こっちの方がより強く現実を実感させます。拠って吉之助の解釈では静御前の人形はその場にあってはならぬと思うのです。すなわち人形使によって人形は持ち去られねばならぬということになります。

そもそも人形使がその商売道具であるところの人形を捨て置いてしまったら・ふたりはこれからどのような放浪生活を続けていくのでしょうか。これからは人形使は静御前の人形を遣って日銭を稼ぎ・朝に夕に夫人に責めを受けながらふたりは永劫の旅を続けるのでなくては筋(ストーリー)は完結しませんし、リアリティがないことになる。こういう些細な点が吉之助には非常に気になるのです。ふたりはこの場を立ち去ってからすぐ死ぬのではなく、ずっと生き続けなければならぬわけです。

「道行旅路の花婿」について考えた別稿「しばし松陰の足休め」において、巡礼の旅について語った折口信夫の言葉を引きました。

『この夏は土佐と伊予の国境を歩きました。そして、たくさんの顔を崩れかかった・あるいはまだ血色のいい若者が、ほんとうにほっつりほっつりと一人ずつ来るのに行き会いました。こんなのは死ぬまで家に帰らないので、行き倒れるまでの旅行を続けているのです。私はこの旅行中に気持ちが恥ずかしいほど感傷的になっておりましたのです。芥川龍之介さんが、あんなに死にたいならば、あんなに死に栄えのする道を選ばなかったらよかったと思います。世の中には死にたくっても、それをもって死んだ、と思われることの耐え難さに生きているものがたくさんあるのです。私らも死にたさが切に起こったら、こうした行人巡礼のような病気持ちではありませんけれども、死に栄えのない・そしていつまでも敬虔な心の村人が、ただそれだけによって好意を見せてくれる、柴折塚の主になりそうに思います。これは芥川さんほど血気が盛んでないせいでしょうか。』(折口信夫:対談「古代の旅びと」・昭和2年12月、*芥川龍之介の自殺は昭和2年7月24日のことでした。)

折口の言う通り、「世の中には死にたくっても・それをもって死んだと思われることの耐え難さに生きているものがたくさんあるのです」と言うことです。この人形使と夫人のふたり連れの放浪も同じです。「世間を棄てた」ように見えますが・実はそうではなくて、「世間」が強く意識されているのです。夫人が最後に画家に言う「世間へ・・・よろしく・・・さようなら」という言葉にそれが現われています。

この「山吹」という作品はまったく異様なお芝居でして・常人には素直に賞賛しがたい感覚があるのは確かです。それは同時代に谷崎潤一郎が数々の小説で試したところの女性に愚弄されたり・鞭打たれたりするのに快感を覚える官能耽美主義に通じるものがあります。それはその通りですが、そのような歪んだ快楽に浸ることを理想の境地として鏡花が描いているのではありません。それだけが鏡花の耽美主義だと考えると誤解を生じることになります。(これは谷崎潤一郎に対しても同じことが言えると思います。)

「山吹」での夫人の述懐にもありますが、夫人はいったんは自殺を考えながらも・(昔密かに慕っていた男性であった)画家島津の「(この死んだ鯉のような)このような姿にお成りなさるのだけは堅くお止め申します」と言う言葉で自殺を思い止まります。しかし、画家の忠告がこの芝居の幕切れのような思いがけない展開を呼ぶのです。さらに夫人はこのようなことも言っています。

「先生・・・金魚か、植木鉢の草になって、おとなしくしていれば、実家でも、親類でも、身ひとつは引き取ってくれましょう。私は意地です、それは厭です。・・・この上は死ぬほかには行きどころのない身体を、その行きどころを見つけました。このおじさんと一緒に行きます。」

「私は意地です、それは厭です」ということです。世間に対する未練か・憎しみか・あるいは憧れか・それは分らないけれども・それらが入り交じった「世間」への強い意地があるのです。その意地だけが夫人を自殺させず・放浪の旅を続けさせるのです。これは人形使にとっても同じことです。結局、夫人が人形使を折檻し・人形使が夫人に奉仕するというふたりの歪んだ関係は・ふたりが同道の旅を続けていくための口実に過ぎぬのかも知れないのです。

そこで幕切れの画家島津の言葉に戻ります。

「うむ、魔界かな。これははてな、夢か、いや、現実だ。(夫人の脱ぎ捨てていった駒下駄を見る)ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか・・・(夫人の駒下駄を手にす。苦悶の色を顕しつつ)いや、仕事がある。(その駒下駄を投げ棄つ。)」

「・・いや、仕事がある」という台詞は舞台では難しいようです。どうしてもここで笑い出す観客が出るでしょう。なんてダサい台詞だと・世間に固執するみっともない男だと。しかし、そう言うのは大誤解だと思いますよ。芸術家というのはそういう魔界を見詰めつつも・そこに陥らず・冷徹にそれを観察することができなければ・優れた作品を生み出すことは決して叶わぬからです。画家島津の芸術家魂がかろうじて彼を世間に繋ぎ止める。そう考えるべきでしょう。ダサいどころか、恐らくその後の島津の画風は一変することになると思いますよ。

言うまでもないことですが、お芝居の幕切れの最後の台詞は決め言葉なのです。そんな大事な箇所にダサい台詞を置くほど鏡花がセンス悪いはずがありません。「・・いや、仕事がある」という幕切れの台詞は、この作品を理解するために非常に重要です。もしかしたら観客を現実に引き戻すためにも重要なのです。

「山吹」のような心理主義的な芝居は歌舞伎座のような大きな舞台に必ずしも適しているとは言えませんが、歌六・段治郎・笑三郎の三人はよく演っていると思います。

(H18・7・15)

海神別荘 ・山吹(岩波文庫)
 

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