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歌舞伎の生(なま)感覚

平成17年(2005)6月・歌舞伎座・「野田版・研辰の討たれ」
 
中村勘三郎(守山辰次)ほか
(十八代目中村勘三郎襲名披露公演)


「古典」を揺るがすもの

「野田版・研辰の討たれ」のようなお芝居は好きですか?とのご質問を戴きました。吉之助はサイトで「伝統」を理屈っぽく論じていますので・吉之助はこういう芝居は嫌いだろうと思っている方もいらっしゃるかも知れませんが、「研辰」嫌いではありません。まあ好きというほどでもないですがね。「これも歌舞伎だ」と思うくらいの許容性はある。(笑)しかし、昨年(平成17年)6月歌舞伎座での勘三郎襲名での「研辰」再演のビデオを・平成13年8月の初演時のビデオを比べてみると、細かい捨て台詞は別にして・台詞も演技もまったく同じ・配役もまったく同じということで、コピーを取ったみたいで・ 新しい発見が全然ない舞台でありました。少しは演技(終盤の辰次の演技)に深みが加わったところがあるかも知れませんが、初演時の興奮を追体験したいお客の前では大した意味はないようです。 吉之助はこういうライヴ性を売りにした芝居の再演が初演のコピーのような舞台になるのは残念だなあと思いますねえ。こうした芝居は公演を経るたびに絶えずどこかを変えていく事こそ本来だと思います。

たしか勘三郎は「江戸の・生き生きしていた時代の歌舞伎を蘇らすんだ」ということを言っていたと思います。その意気は結構なことです。しかし、その歌舞伎の生き生きした本質という ものは・どこから来るものでしょうか。江戸の時代には「伝統芸能」という概念も・「古典」という概念もありませんでした。当時は歌舞伎の台本は上演のたびに役者にあわせて細部を書き直すのが通例でした。そうやって趣向や工夫を凝らしたものでした。何をやらかしても歌舞伎は歌舞伎であったのです。しかし、今は「伝統芸能」や「古典」という概念が厳然としてあります。だとすれば現代において歌舞伎を活性化する対立概念(アンチテーゼ)を何に求めるのか見極めることは大事なことなのです。それは恐らくライヴ性・即興性ということになると思います。

例えば「熊谷陣屋」において九代目団十郎の型とまったく違う型を創造したとすれば・それが歌舞伎らしい型であるかとか・あるいは新しい熊谷の人物像を提示し得たかとかの議論はもちろんできます。しかし、そうした実験では「古典」という概念の根本を揺るがすことはもはや 不可能なのです。まあせいぜいが古典としての型の並列でしかない。そして、いつの間にやら古典に取り込まれてしまうでありましょう。

現代における歌舞伎の「伝統芸能」や「古典」の概念を根本から揺るがすものがあるとすれば、それはライヴ性・即興性しかありません。歌舞伎を古典の束縛から解き放つというアナーキーな実験はただ新作においてのみ可能なのです。しかも、この実験は作品を慎重に選ぶ必要があります。最初から古典を目指したような作品ではそうした実験は無理です。これはドラマの主題内容とは関係なく、その作品のフォルムが大事なのです。つまり、同時代性と演技の生(なま)感覚が必要になります。その意味で・現代における稀有な劇作家である野田秀樹氏は適任でありましたね。

「研辰」初演はそれなりの意義があったと吉之助も思います。それは野田氏の作品の持つ同時代性と生(なま)感覚のおかげです。しかし、この実験の肝心なことは初演ではなく・むしろそれ以後の再演をどうするかだと思います。再演のたびに勘三郎は野田氏と協力して・場面や台詞の細部を絶えず書き変える・ もちろん主演は勘三郎で固定してよろしいが(このキャラクターは他に代えようがないでしょう)、他の配役はどんどん替えていかねばなりません。役者にはめて本筋に関係ない部分を少しづつ書き変えていく。そういうことでその作品はライヴ性・即興性を保つことができます。これは言うほど簡単なことではないと思いますが、しかし、野田氏にならできるだろうと思います。こうした試みを 繰り返し続けることで初めて「研辰」は「運動」となり・古典の歌舞伎へのアンチテーゼの意義を帯びるのです。野田氏と勘三郎にはそこまで考えてもらいたかったなあと思いますねえ。実にもったいないことです。

2)一番最後のものが正しい

九代目団十郎の「勧進帳」も「熊谷陣屋」の型も・九代目は演るたびにどこか変えて演じました。九代目は「俺が古典になるんだ」とか・「俺が後世の規範になるものを残す」などと考えたことは決してなかったと思います。現代の我々 が古典の規範として有り難がって見ている九代目団十郎の型は、九代目が何度も演じたうちの一番最後の舞台のものです。一番最後のものが残ったのは何故でしょうか。

ピエール・ブーレーズは指揮者であると同時に・現代の代表的な作曲家であります。彼の代表作「ル・マルトー・サン・メートル(打ち手のない槌)」は初演以来もう何度も書き換えられています。 この頻繁な書き換えには固定を拒否する作曲者の前衛的な姿勢が反映しています。この曲録音も何種類かありますが、 当時の最新ヴァージョンを使用していますから・どれも内容が違っています。「一体どの版が正しいのですか」とインタビューで聞かれて・ブーレーズは即座に「もちろん一番最後のものが正しい」と答えています。このことは大事なことでして・決して軽く考えるべきではありません。ブーレーズは以前の版が間違っていたと答えたわけではないのです。彼は「 この曲を判断するなら自分としては一番最後の版でお願いしたい」と答えたのだと思います。これは彼にとって疑いようがないことだと思います。そして、一番最後のものだけが「古典」になる資格を与えられるのです。

九代目団十郎はその生涯に20回(興行)弁慶を演じ、演る度にどこかを変えて演じました。その結果、父・七代目の演じた舞台とはかなり違ったものになってしまいました。現行の「勧進帳」は恐らくは九代目が最後に演じた明治32年(1899)4月歌舞伎座の舞台を原型にしています。ここで疑って掛れば、もしかしたら最後の型より も・もっと良いものが過去の九代目の型のなかにあったかも知れないと考えることもできます。文献に残ってなくて・我々が知らないだけかも知れないのです。あるいはもう何年か九代目が長生きして・ さらにもう一回弁慶を演じていれば・その舞台の型が残って・明治32年の型は消えていたと考えることも出来ますね。実はそういうことを考えることは「古典」を考える場合には意味がないのです。型の懐疑論としてなら意味はありますがね。「古典」として残るものは一番最後のものでなければなりません。このことは舞台であれ・音楽であれ・文筆であれ・表現を追及している者にとっては自明のことです。もちろん 吉之助にとってもそうです。サイトの文章をちょこちょこ読み直しては細かい言い回し直したりしてますよ。趣旨を変えたことはありませんが、しかし、もっといい表現があると思ったら修正はせねばならないと思います。生きているうちに完成などないと思っています。

風聞では勘三郎は「研辰」再演に当たり「あえて同じ配役と同じ脚本で押し通す」と言ったとも聞きます。ある評論家(名前はあえて伏す)が今回の再演を「古典になろうとする寸前」と書いていたのには驚き ・呆れました。吉之助にはそれは「ミイラ取りがミイラになる」ことに思われます。勘三郎には・自分が生きているうちに「研辰」を古典にしようなどと思わないで欲しいものです。そんなことは歴史が決めるに任せればよろしいことです。生きているうちはせいぜい生(なま)することだと思います。

(H18・3・1)

野田秀樹:野田版歌舞伎

(後記)平成13年8月・歌舞伎座での「野田版・研辰の討たれ」初演については別稿「出来損ないの道化」をご参照ください。


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三
 


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