(TOP)     (戻る)

右団次・右近親子襲名の「雙生隅田川」

平成29年1月新橋演舞場:「雙生隅田川」

市川右団次
(右近改メ)(猿島惣太後に七郎天狗・奴軍助)、市川右近(初舞台)(梅若・松若)


1)

「雙生隅田川」は三代目猿之助四十八撰の内で、初演は昭和51年10月新橋演舞場のこと。この初演は吉之助は見ていませんが、昭和60年10月歌舞伎座での再演 を見ました。この再演は班女御前の菊五郎との珍しい顔合わせがあったこと、松若・梅若を若き日の四代目猿之助(当時は亀治郎)が演じたことなどで、よく覚えています。これらの上演を含めて猿之助歌舞伎としての「雙生隅田川」の上演は、今回(平成29年1月)の上演で、4回目となります。(注:近松座での上演など本興行でないものが別にあって、吉之助はこれも見ました。)これは数ある猿之助歌舞伎のなかでも、再演数が低い部類だと思います。再演が少なかったのは、恐らく本作は松若・梅若のウェイトが高いので子役の演技力が求められるからでしょう。もうひとつ、猿之助歌舞伎は○役早替わりというのが売りでしたが、本作は早替わりがあまりないし、芝居としての派手さにちょっと欠ける。鯉つかみの立ち廻りはありますが、エンタテイメントとしてやや渋めの感があります。

再演が少ないことはいろんな意味がありますが、上演回数が少ないと初演から見て、仕勝手から来る崩れが少ないというメリットもあるようです。上演が多いとどうしても良かれ悪しかれいろんなところが変わることが避けられません。今回の
「雙生隅田川」を見ていると、三十数年前の
猿之助歌舞伎全盛期の雰囲気が吉之助のなかに蘇ってきて懐かしい気がしました。良い意味において当時の雰囲気をよく伝えています。旧名で呼ばせてもらいますが、今回興行で三代目右団次を襲名した右近は二代目猿翁が倒れた時も一座をよく守って来たし、この「雙生隅田川」も、師匠の芸風をよく伝えていると思います。(注:傍らに四代目猿之助を置いて書いているつもりはないので、これは素直にお読みいただきたい。)ただし右団次を襲名したら、これからは師匠の写しではなく、独自の道を切り開かねばならないし、またそうあってもらいたいと思います。初代小団次(斎入)は上方のお化けやケレン芝居を得意とした大正期の名優ですが、これも我が道を行く役者だったと思います。いい名前を継いだのではないでしょうかねえ。(この稿つづく)

(H29・3・31)


2)

伝統芸能の「隅田川」物は、謡曲「隅田川」を始めとする一大系譜がありますが、近松の「雙生隅田川」を経て、幕末期の「隅田川続俤(法界坊)」や「都鳥廓白浪(忍ぶの惣太)」までの流れを見渡すと、同じ流れでないみたいに随分クネクネ変転しています。まあ伝統芸能というのは、素直な段階的発展を辿るとは限りません。変なところに枝葉が伸びたり、別種のものを摂取して変形したりするものです。そうやって見渡してみると近松の「雙生隅田川」というのは、随分と理が立った感じで、「隅田川」物としてはむしろ特異な存在かも知れないと思います。伝統芸能の「隅田川」物は、近松の「雙生隅田川」で大きく左の方へ振れた後に、今度はまた大きく右に振れて「法界坊」になっちゃったのかも知れませんねえ。

謡曲「隅田川」を見ると、母親の孤独と悲しみがピュアに伝わって、なるほどこれは演劇として素晴らしいものですが、一方、江戸期の近松の「雙生隅田川」では、もう少し社会的な視点が入って来ます。 正確には社会的な視点というよりも、「家」の観念が入って来ることで、個人の感情が捻じ曲げられて、素直に発露されない状況になって来るのです。「雙生隅田川」では班女御前が気が狂う理由は、子供をさらわれた母親の強い悲しみがもちろんありますが、それだけではない。狂言全体に御家騒動の骨格が強固ですから、吉田家の再興のため何としても我が子を探し出さねばならぬと云う重圧が班女御前 に非常に強いわけです。加えて班女御前 は吉田家の後妻で遊君であり、悪伯父常陸大掾からは「彼の女はもと美濃国野上の宿の傾城、乞食非人の娘も知れず、萬人に枕を並べ身の穢れたる女」と満座で罵倒され、ここは内裏で玉座も近い、無礼があってはならぬと追い出され、誰も助けてくれる人がいない。御家再興の責任がすべて自分一人に掛って来る。そんなこんなで懊悩して、班女御前は気が狂うのです。
猿之助歌舞伎のアレンジでは、この件はカットされています。カットしても筋としてあまり大した違いは見えないですが、序幕が急ぎ足で通り過ぎる印象があるせいで、班女御前の狂乱が、後の幕のための段取っぽく見えて、あまり痛切に響いてこないきらいがある。

同じような印象が、「惣太住居」の場にもあります。放蕩が理由で親から勘当を受けた吉田の家来淡路七郎は、人買い猿島惣太と名を変えて、吉田家への帰参が叶うようにと爪に火を灯す思いで金を 貯めるのですが、人買いという稼業の因果さゆえに、目標達成まであと十両というところで、主筋の梅若を殺してしまうという形ですべてが瓦解して、悪業の報いが惣太を襲うと云うのが、ここで描かれる惣太の悲劇です。近松の斬新さは、人身売買の悪行が 一転して、因果応報的に問われるという、その社会的視点にあると思います。ところが舞台を見ると、御家騒動の印象が強すぎて、惣太が主殺しの罪の恐ろしさだけを嘆いているような感じが強くなるようです。人身売買という悪業に対する惣太の人間的な反省にまでドラマの実感が至っているかというと難しいところです。作劇面で近松の理屈が若干先走っているような気がしますね。この辺に「雙生隅田川」の問題点がありそうです。

惣太が主殺しの罪だけを悔いているように見える、もうひとつの理由は、右団次の猿島惣太に時代の印象が強いせいであるかも知れません。(これは二代目猿翁の舞台も同じ印象がしました。)「惣太住居」は「雙生隅田川」 の三段目であり、本来は世話場に当たるのですから、「やつし場」と考えた方が良いです。と云っても人買いのことだから哀れが効きませんが、だからこそ執権武国が登場するまでの前半の惣太を世話で行った方が良いのです。そうしないと後半との対比が付きません。右団次の惣太は、 後半の時代への変わり目が弱い。特に前半の世話の台詞に工夫が欲しい。あれでは重すぎで、まるで大時代です。前半が難しいのは、梅若を折檻する場に義太夫が絡んで様式的な振りが付いている点だと思いますが、ここも極力糸につくのを避けた方が良い。その方が世話に取りやすいはずです。右団次は線の太い時代の演技がなかなかのもので、したがって後半に惣太が腹を切って天狗への転生を見せる場面は気迫があって良い出来だと思いますが、全体を見るとやや一本調子な演技に見えるのは、前半部分に更なる工夫が必要なのです。

右近の
梅若松若二役は頑張っていて、感心しました。この芝居は親子同時襲名の舞台として、とても良かったのではないかな。

(H29・4・3)

近松全集〈第11巻〉「雙生隅田川」所収)




  
(TOP)     (戻る)