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ピュアな心情のドラマ〜玉三郎・吉右衛門の「吉野川」

平成28年9月歌舞伎座:「妹背山婦女庭訓〜吉野川」

坂東玉三郎(太宰後室定高)、中村吉右衛門(大判事清澄)、
市川染五郎(久我之助)、尾上菊之助(雛鳥)


1)源太騒動について

「吉野川」のドラマを考える時に知っておかねばならないことは、この場が或る事件を基に作られたということです。つまり明和4年(1767)12月3日(人形浄瑠璃が初演される3年ほど前のこと)に実際に京都郊外で起きた「源太(げんだ)騒動」のことです。事件の詳細は別稿ますらおぶりの情緒的形象〜吉野川雛渡しについて」 (2001年3月、吉之助の最初期の論考になります)に記しましたから、そちらをお読みください。吉之助が目にする限り、「吉野川」解説で源太騒動に触れたものをほとんど見掛けません。高田衛先生の論考と、これを参照した吉之助の論考くらいしかないようです。理由はよく分かりませんが、この事件に触れると(現在ではすっかり忘れられた事件ですから)事件の著述に原稿のスペースがかなり取られるからでしょうかねえ。「吉野川」を見ると初めての方は「現実に在り得ない、随分と作為的なドラマだねえ」と感じると思います。そうではなくて、これは実際に起きた猟奇事件を基にしているのです。このことを知ると「吉野川」はより生々しいリアリティを以て見えて来るに違いありません

事件については吉之助の論考をお読みいただくとして、大事なポイントを記しておきます。事件発生当時・明和年間においては、源太の行為は「大丈夫(ますらお)」の志を持ち武家のプライドを守ったということで称賛されたのです。この事件を後に小説化した建部綾足の「西山物語」も、上田秋成の「死首の咲顔」も、源太の行為の倫理的な側面に重点が置かれ たものです。これは事件を文字で著述するならば、それは主人公の行動論理を読む人に頭で理解させ共感させようとするものですから、自然にそうなってくるわけです。ところが興味深いことに、芸能は事件に対してちょっと違った情緒的な反応を示すのです。つまり事件が殺す兄源太の方ではなく、花嫁衣裳を着て相手の家に赴き兄に首を斬られる妹つやの心情の描写の方へ重点が移って行きます。これが吉野川雛渡しとして形象化される場面です。

演劇や音曲の場合には、継時的に感性に直接訴える形で観客を共感させようとしますから、これはどうしても情緒的でウェットな側面が強くなってきます。例えばヴェルディの歌劇「リゴレット」は人を笑うことを商売にする道化リゴレットに掛けられた呪いが全体の主題になっていますけれど、最終幕で観客に強く訴えかけ涙させるのは、愛する男の身替りになって殺し屋に刺殺される乙女ジルダの心情の方であると思います。最後に父親であるリゴレットが「ああ、呪いだ」と叫んで倒れても、そちらの方はまあ筋の落ちが付いたようにしか聞こえません。実際、ヴェルディはジルダ の心情を重点に最終幕を書いたと思います。

「吉野川」を見ても、観客がグッと来る箇所は、これはご婦人方だけのことではなく・殿方においても、それは雛渡しの場面に違いありません。そのように芝居が作られているからです。ですから「吉野川」を見る時に思いを馳せねばならぬのは、殺されるふたりの子供たちの心情だということになるはずです。確かに「吉野川」の芝居は親のふたり、定高と大判事が主人公に違いありません。しかし、愛する子供を殺さなければならない親たちの 悲劇の本質を考察する前に、殺される側である子供たちの心情の分析の必要があるのです。吉之助の「吉野川」の考察はそこから始めなければなりません。(この稿つづく)

(H28・9・19)


2)この世では実現されぬ恋

『「ロミオとジュリエット」を上演する場合、まず、二人の若者の死に対する社会の責任について分析しなければならない。多くの批評家は、こう考えている。このカップルは、(a)憎み合う親と親を和解させるため、(b)社会が進んでいくべき道筋を示すために、死ななければならなかった。しかし、そう考える前に、まず問いかけるべきだろう。そもそも、二人の死は避けられたんじゃないのか?そう問い直すことで、ヴェローナの街を二分した確執を解決するためにどんな手段が取り得たのか?また取るべきだったのか、を議論することができる。』(マイケル・ポグダノフ:「シェイクスピア・ディレクターズ・カット〜演出家が斬る劇世界」)

マイケル・ポグダノフ:シェイクスピア ディレクターズ・カット―演出家が斬る劇世界

「吉野川」はよく日本の「ロミオとジュリエット」と云われます。比べてみれば違うところはいくつも見えるかも知れないけれど、引用した演出家ポグダノフの問いに関しては、これを「吉野川」に適用しても良いと思います。「吉野川」によく見られる解説は、こんなところでしょう。久我之助と雛鳥は、(a)憎み合う太宰の家と大判事の家を和解させるため、(b)独裁者入鹿への抵抗と帝復権の道筋を示すために、死ななければならなかった。こういう見方は、的を射てないわけでもないのです。時代物として の大筋を見れば、大体そんなところです。それで一応のカタルシスは得られます。しかし、この「吉野川」で殺される側である子供たちの心情に深く分け入って考える為には、まずこう問いかけてみるべきではないでしょうか。そもそも、二人の死は避けられないものだったのか?ということです。

入鹿から難題を突き付けられて、大判事と定高は、自らの子供を殺して相手方の子供を生かそうとします。しかし、それは成りませんでした。互いにどちらも同じことを考えて、既に子供に手をかけていました。このことを知って愕然とする大判事の台詞を見てみます。大判事はこのように言っています。

『千秋万歳の千箱の玉の緒も切て、今はあへなきこの死顔。生て居る内この様に、むこよ嫁よといふならば、いかばかり悦ばんに、領分の遺恨より、意地に意地を立通す、その上重なる入鹿の疑ひ仲直るにも直られぬ、義理に成つたが二人が不運。あれほど思ひ詰めた嫁、何の入鹿に従はふ。とても死ねばならぬ子供。一時にころしたは、未来で早ふ添はしてやりたさ。』

この大判事の台詞には検討すべき点が複数ありますが、まず一つ目を挙げます。「領分の遺恨より、意地に意地を立通す、その上重なる入鹿の疑ひ」という箇所です。領地の諍いで長年に渡りふたつの家は互いにいがみ合っていました。このことが「吉野川」のドラマの大前提にあるということです。この大前提に重なるように、今度は入鹿の疑いが欠けられます。両家は不和だと公言しながら、久我之助と雛鳥が恋仲だというのはどういうことか、これは表面は不和を装って内実は両家が通じ入鹿に反抗を企てているということではないか ?というのが入鹿の疑いです。そこで入鹿は「久我之助を入鹿の元に出勤させよ、雛鳥を入内させよ」と難題を突き付けます。これが前場・三段目序・太宰花渡しの場において突如降りかかった事態です。

「吉野川」前半を見れば、雛鳥は対岸の久我之助の元に行こうと吉野川の急流に飛び込もうとして腰元どもに止められるほど苦しんでいます。しかし、入鹿の難題をふたりが知るのは、定高・大判事が帰宅して後のことです。前半の場面においては、入鹿のことはまったく関係ありません。だから「吉野川」のドラマの根本は、両家の長年の不和というところにあるのです。入鹿の難題は、「吉野川」のドラマを動かすきっかけに過ぎないのです。

「妹背山婦女庭訓」を見れば、入鹿大臣の件はもちろん全段を通す大きな柱です。三段目切「吉野川」でも、途中から問題が入鹿の件に置き換わってしまいます。入鹿はそれほどまでに圧倒的な存在であり、抗することはできません。このため「吉野川」幕切れは独裁者に対するレジスタンス劇みたいな感動で終わりますが(先に書いた通り、それは的を射てないわけでもないのですが)、しかし、ふたりが死なねばならぬ発端は、実はそこにないのです。

定高・大判事が、もし入鹿からの難題を受けないところで久我之助と雛鳥の恋を知ったとしたら、これを許したのだろうかと考えてみればよいです。長年の両家の不和ということがありますから、親たちは眉をひそめたに違いありません。他に もっと良い縁があるはずだと子供を説得しようとしたでしょう。親が許さぬ恋だということは、久我之助も雛鳥も、よく分かっています。だから、ふたりはあんなに苦しんでいます。これは この世では実現されない恋であるとふたりは思っているのです。

それではいがみあっていた定高・大判事は、どうして久我之助・雛鳥を殺して、ふたりに恋路を貫かせてやろうと決めたのでしょうか。それは「久我之助を入鹿の元に出勤させよ、雛鳥を入内させよ」という入鹿の要求を 呑むならば、久我之助は采女の行方を追及されて拷問に掛けられて責め殺されることは必定である、雛鳥は心に添わぬ入鹿と無理に結婚させられて泣き死にするのは必定である、愛する子供たちがそんな辛い目に逢わさせるのは御免である、しかし、入鹿の圧倒的な力に抗うことはできない、それならばいっそふたりに愛を貫かせてやろうと親たちは考えたということです。逆に言うならば、入鹿からの難題がなかったとすれば、定高・大判事は相変わらずいがみあっていたかも知れません。だから入鹿から難題を受けたことがきっかけで、定高・大判事は自分たちの問題(両家の諍い)を捨て、子供の行くべき道を本気で考えて、翻意したということです。そこから「吉野川」のドラマが一気に動き出します。(この稿つづく)

(H28・9・22)


3) 男の道と女の道

入鹿から難題を突き付けられた大判事と定高は、自らの子供を殺して相手方の子供を生かそうと考えました。定高は「せめて一人は助けたさ」と言っています。しかし、互いにどちらも同じことを考えていて、気が付いた時には、既にどちらも子供に手をかけていました。結局、久我之助も雛鳥も死んでしまいます。どうしてこういうことになったかと云えば、大判事 も定高も、両家の不和のわだかまりから意地を張り合って、自分の意志を素直に相手に伝えることができなかったことから来ています。もう一度、大判事の台詞を見てみます。

『領分の遺恨より、意地に意地を立通す、その上重なる入鹿の疑ひ仲直るにも直られぬ』

実は吉野川の両岸からの呼びかけの時点で、大判事も定高も自らの子供を殺して相手方の子供を生かそうと心に決めていました。しかし、仲直ろうにも直られず意地に意地を立て通したまま、ふたりは両岸に立っています。ふたりがここで確認できたのは、花のある桜の枝を川に投げ入れれば入鹿の要求を受け入れたという合図だということのみです。どちらも自分の意志・本音を相手に伝えることが出来ませんでした。だから、どちらかひとり助けようとしたことが水泡に帰することになります。素直に自分の意志を伝えることができていれば、 その可能性はあったかも知れません。久我之助・雛鳥がふたりとも死んだのは、両家の不和と意地の張り合いがそうさせたということです。「どちらかひとりを助けることができたはずだった」という悔恨のなかで、大判事も定高も余生を生きていかねばなりません。

両家の不和と意地の張り合いという問題を、殺される子供たちの側から見てみます。これは家の問題・親の問題ですから、親の考えに子供は従うべしと云う、当時の儒学の倫理感覚からすると、家長がそういう考えであるならば、これを受け入れざるを得ないということです。久我之助も雛鳥も、そこに微塵の疑いも持っていません。ということは、この恋は親が許さぬ恋、この世にあっては実現されない恋であるということです。こうなると、当時の女性は社会的弱者ですから、雛鳥はただ泣くしかないわけですが、久我之助の場合には、恋の焦燥のエネルギーが別の方向へ振り向けられたようにも思えます。

入鹿大臣の横暴は当時の帝をないがしろにするものでした。帝が寵愛する采女は政敵藤原鎌足の娘なので、入鹿はこれを煩わしい存在に思っています。采女は猿沢池に入水して死んだとされていますが、実は生きてどこかに隠れていて、采女の付き人である久我之助はその行方を知っています。久我之助は見掛けは前髪立の美少年でまだ大人の考えを持っていない子供に見えますが、実は独裁者入鹿へのレジスタンス勢力の結構重要な位置にある人物なのです。一方、大判事は圧倒的な入鹿に対してひたすら恭順を 示しています。 大判事は入鹿の不興を買わぬため表面上そのように装っているわけですが、息子である久我之助はこのような父親の態度に不審の念を抱いています。「吉野川」前半で久我之助は父の心を占おうと、柏の葉を川へ投げ入れます。

『ムム重き君も入鹿といふ逆臣の水の勢ひには、敵対がたき時代のならひ、それを知て暫しの内、敵に従ふ父大判事殿の心、善か悪かを三つ柏。水に沈めば願ひ叶はず浮む時は願成就。』

久我之助は、意外と冷静に見えます。雛鳥との恋のことは親の考えに背こうとは思っていないようです。しかし、入鹿に関しては、久我之助ははっきり自分の考えを持っています。もちろんこれは自分が采女の付き人であるということから来ています。恐らく父と敵対したとしても 、采女を守り入鹿に反抗する覚悟が出来ています。この息子の覚悟を受け入れたからこそ、これまで入鹿への政治的立場を曖昧にして来た大判事が、一転して、入鹿に反抗して・息子に忠義を立てさせる決断をすることになります。子供への愛情の問題ではなく(もちろんそれもあるでしょうが)、ここでは「自分の信念を如何に貫いて生きるか」という「男の道」が、子供から親に対して問われています。息子に命を賭けて覚悟を問われた以上、親はそれに応えなければなりません。これがかぶき的心情の行動です。男の場合は、まず男の道を 貫くことが第一です。この決断を踏まえたところで、「女の道」を立て通して死んだ雛鳥への大判事の感動の言葉が出て来 ます。

『あれほど思ひ詰めた嫁、何の入鹿に従はふ。とても死ねばならぬ子供。一時にころしたは、未来で早ふ添はしてやりたさ。』

雛鳥のことを考えてみます。当時(もちろん「妹背山」初演時の江戸期のことです)の女性は社会的弱者であったでしょうが、当時でも当時なりに女性にも「自分の信念を如何に貫いて生きるか」という「女の道」がありました。それは「婦女庭訓」と呼ばれました。「妹背山婦女庭訓」という題名からも、三段目においてはそれが雛鳥のことを指すことは明らかです。(四段目においてはお三輪を指すことはもちろんです。)当時の「婦女庭訓」の細目のすべてが現代女性に受け入れられるかは別のことですが、「祝言こそせね、心ばかりは久我之助が、宿の妻と思ふて死にや」という定高の台詞に涙せぬ女性がいるとは思われません。時代や社会構造を越えて通じる「女の道」が 何かあるのだろうと思います。作者近松半二は儒学者穂積以貫の次男であることをお忘れなく。半二は「人はどう生きるべきか」という問題に極めて敏感な作家なのです。

ここで明和4年(1767)12月3日夜に、兄源太に連れられて花嫁衣裳を着て・想う男の家に赴き・そこで首を斬られる妹つやの気持ちを、改めて考えてみなければなりません。つやにも「自分の家を不当に低く見られた恥を潔しとせず、死をもって家の名誉を守る」という意識があったかも知れませんが、半二は妹つやの行為のなかにそれよりももっと強く、「私はこの男の嫁として死ぬ、だからせめて花嫁姿でこの家で死にたい」という気持ちを読んだに違いありません。これが劇作家としての半二の感性です。だから「吉野川」の雛流しという情緒的かつ感傷的なシーンが 出来上がったのです。ここでは入鹿の件とか・そのような政治的・世俗的な問題が、消し飛んでいます。雛鳥の、夫・久我之助に対する純な気持ちが、久我之助の「男の道」と並立する形で、「女の道」を高らかに主張しています。だからこの芝居は「婦女庭訓」なのです。(この稿つづく)

(H28・9・24)


4) ピュアな心情のドラマ

源太騒動のエピソードを、近松半二は雛流しの趣向として「吉野川」に取り入れたに過ぎないのでしょうか。いや、吉之助は「吉野川」の主題に源太騒動がもっと積極的に絡んでいると考えたいのです。妹つや(=「吉野川」では雛鳥に相当する)は言い交した男とただひたすら添い遂げることだけ願っていました。そこでは 身分とか家の格・ 名誉・義理といった社会的な要素は消し飛んでいます。つやの思いは、純粋無垢で暖かい血の通ったもので、人間が生きることの本来の喜びを訴え掛けるものです。従容として死に赴くつや(=雛鳥)の心情のなかに、半二は人間 が持つ根源的な、とても強い・ピュアな心情を見ているのです。

大人たち、定高や大判事にとっても、それはかつて持っていたはずのもので、今はやむを得ぬ事情により捨てざるを得なくなってしまったけれど、彼らもずっと守っていたかった、決して失いなくなかったものでした。注を付しておきますが、それは若者がキレイで大人が汚れているということではないのです。社会に生きていくなかで、人は否応なしに状況に適応し、時には妥協し・人間的な感情を抑え込んで生きていかざるを得ないのです。それが生きて行くということなのです。
定高も大判事も、時には互いにいがみ合い、時に入鹿にへつらいながら生きています。しかし、定高にとっても大判事にとても、雛鳥の思いは、それを失ってしまったらこの世が無味乾燥の世界に帰してしまう大事なもの、それゆえ絶対に守ってやらねばならぬ、その願いを叶えてやらねばならぬと切実に思う、とても大事な存在であったのです。この心情は、時にすべてを打ち棄てても良いと思わせるほどに強いものとなります。

その心情が大人たちを突き動かし、「家が滅んでも構わないから子供たちの思いを守るのだ」と思わせ、さらにそれが入鹿への反逆精神を呼び起こし、ついにはそれは入鹿の独裁政権の崩壊にまで至る大きな流れとなって行きます。これは「四段目」のお三輪の悲劇も同じことです。求女を恋い慕うお三輪の気持ちが疑着の相に凝縮し、それが入鹿の霊力を奪います。(別稿「疑着の相を考える」を参照ください。) 雛鳥もお三輪も、入鹿のことなど全然頭のなかにありません。しかし、結局、ピュアな 心情が国を守る・国を変えるというところにまで、「妹背山婦女庭訓」のドラマが行きます。このことがはっきり分かるのは、大判事の台詞です。

『せがれ清船承はれ。人間最後の一念に寄て輪廻の生を引くとかや。忠義に死る汝が魂ぱく。君父の影身に付き添いて、朝敵退治の勝軍を草葉の影より見物せよ。今雛鳥と改て親が赦して尽未来、五百生迄か わらぬ夫婦。忠臣貞女の操を立、死たる者と声高に、閻魔の庁を名乗て通れ、南無成仏得脱』

久我之助の場合は男ですから、社会的立場がそこに絡んできます。久我之助にとって恋愛だけが大事なのではなく、それはまず男の道を貫いた上のことです。「太平記」に拠れば、湊川の合戦で楠正成は弟の正季と手に手をとり組み、刺し違えて自害をして果てます。この時に正成は「七生までただ同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさや」と誓い、「最後の一念によって善悪の生を引く」と言ったと伝えられています。大判事の台詞は、 明らかにこのエピソードを重ねています。これは、お前(久我之助)の反入鹿の遺志を親である自分が引き継いで入鹿と戦うぞということですが、実はそれ以上のものです。これは息子の遺志を怨念に見立て、これを自分のなかに取り込もうとする行為です。お前の怨念を頼りに父は悪鬼 となって戦うぞということです。大判事の戦いは凄まじいものになることでしょう。 (注:久我之助は怨念を父に引き渡すことで、安らかに成仏できるということでもあります。)

これまで大判事は入鹿の不興を買わないように、ひたすら恭順を示してきました。大判事は内心では入鹿の横暴に対して反対だったに違いないですが、これも家の存続のためと我慢して批判を避けていたのです。それゆえ久我之助も父親に不審を抱いてい ました。そのような曖昧な態度をかなぐり捨てて、反入鹿の姿勢を明確にするのは危険なことですが、大判事をここまで変えたのは、息子の久我之助のピュアな正義感です。これが雛鳥の女 の道に並列するところの、久我之助の男の道です。

そこで我々は「そもそもふたりの死は避けられないものだったのか?」という最初の問いに返らねばなりません。避けられなかったと云うよりも、多分、久我之助と雛鳥は自分たちは死なねばならないと 感じていたのです。ふたりの恋はこの世にあっては実現されない恋、だからその実現のために、ふたりは絶えず死への衝動のなかで生きてきたということです。確かに「吉野川」の芝居は親のふたり、定高と大判事が主人公に違いありませんが、定高や大判事が子への愛からふたりの恋路を貫かせ る為に行動したということではなく、正確に云うならば、子供たちの強いピュアな心情が親たちをそのような方向へと突き動かしたのです。つまり「吉野川」 のドラマとは、定高と大判事の悲劇なのではなく、定高と大判事が悲劇を引き受けたということなのです。(この稿つづく)

(H28・9・29)


5)吉右衛門の大判事・玉三郎の定高

今回(平成28年9月)歌舞伎座での「吉野川」は、吉右衛門の大判事・玉三郎の定高・染五郎の久我之助・菊之助の雛鳥と役者も揃ってなかなか見応えがありました。これを平成の歌舞伎の精華とすることにまったく異存ありませんが、このこと踏まえたうえで、吉之助が感じたことをメモ風に記してきます。

歌舞伎での大判事は重い役とされているせいか、どの役者も老けに作り過ぎの気味があると思いますねえ。吉右衛門の大判事も例外ではなくて、吉之助の感覚では化粧が老け過ぎに思えます。「せがれが首を切る刀とは五十年来知らざりし」というのですから、五十歳を過ぎてることは明らかですが、久我之助との年齢バランスを考えても、あまり老けに仕立てるのはどうかと思います。吉右衛門は肚がしっかりして安定感があって、良い大判事だと思いますが、首斬る直前に久我之助に向けて言う「せがれ清船承はれ・・・」以下の長台詞はやはり泣きが強いですねえ。これは「岡崎」の政右衛門「春日村」の有常でもまったく同じで、こういう台詞で泣きを入れずにいられないところに吉右衛門の役者としての真実(まこと)があることは十分理解しますけれども、吉之助としては大判事は悲劇を引き受けたと考えますから、この台詞は決然と言い切りたいと思います。ここで大判事は涙を見せては、時代物としてのカタルシスが弱まるように感じますがねえ。吉之助としては映像(昭和45年10月歌舞伎座)でしか知りませんが、ここは初代白鸚(吉右衛門の父上)の骨太い大判事が思い出されるところです。

玉三郎の定高は、花道での渡り台詞で川向うの大判事に呼びかける心持ちで、発声をわずかに伸ばし気味・トーンを高めに取っていましたが、これはそうする必要はまったくないと思いますねえ。そうすると台詞に隙が出ます。例えば「その代わりにお前の御子息さまの事は真実何とも存じませぬ」の台詞では、観客から少し笑い声が起きました。「何とも」の抑揚に、意図せぬところで女形の愛嬌が出てしまって、せっかくの緊張を壊しています。ここでの定高はもう覚悟が決まっているはずです。「お前の御子息さまの事は真実何とも存じませぬ」と言っていながら真実はまったく逆で、「私の娘のことは良いから、お前のご子息は生き抜きなされ」と云うのです。ここで定高が言うことは嘘なのですから、淡々と無表情に言われるべき箇所です。観客から笑い声をほんの少しでも起こさぬようにしてもらいたい ものです。

実は花道での台詞を聴いて、吉之助はそれ以降の定高にかすかに不安を覚えたのですが、幸いこれはまったくの杞憂に終りました。本舞台からの玉三郎の定高は、気合いの入った実に見事なものでした。恐らく多くの定高役者が(吉之助の見た歌右衛門もそうであったと思いますが)、情の強さを前面に出して雛鳥を説得に掛かる 線の太い感じであったと思います。それはそれでもちろん良いものですが、一方、玉三郎の定高の場合は、理の強さが前面に出て来るようです。これは玉三郎の台詞に隙がなく言葉でぐいぐい押していく強さがあるから、そのようなシャープな印象になったと思います。吉之助にとって色々考えるヒントを与えてくれる、とても新鮮な定高に仕上がりました。

吉之助の考えるところは、こういうことです。雛鳥は人間 が根源的に持つピュアな心情を持っており、その心情は定高にすべてを打ち棄てて雛鳥の思いを守ってやりたいと決意させるほど強いものですが、その心情はまだ方向性を持っているわけではないのです。「その実現の為に何をしなければならない」という具体的かつ明確なものを持っていなければ、行動に至りません。当時の女性は社会的弱者ですから、雛鳥はただ泣くことしか出来ません。 雛鳥は何をしたらよいのか分からない。そのような雛鳥に方向性を指し示すことができるのは、母親である定高だけです。親鳥が雛に飛び方を指南するように、母親が娘にヒントを与えなければなりません。それが定高の役目です。(もしかしたら、それだから半二は娘の名前を雛鳥としたのかも知れぬと思います。)もちろん定高も女性ですけれど、彼女の場合は夫の亡き後太宰の家を守ってきた家長ですから、社会的な立場があり、またその立場から来る理屈があるわけです。その理屈は男と同じようなものです。そのような定高であるからこそ、はっきり言えることがあるのです。

ここで吉之助には、定高に源太騒動の兄源太のイメージが重なって来ます。源太は「男の俺に立てねばならぬ男の道、ますらをの道があるように、女のお前にも、立てねばならぬ女の道があるはずだ」ということを妹つやに懇々と語ったに違いありません。そういうことは唾を飛ばすように熱く怒鳴られたら、押しつけがましくて困ります。そういうことは冷静に、ひとつひとつ念を押すように、論理的に語られなくてはなりません。源太はそんな風に語ったと思います。本人に「だから私はそのように行動せねばならない、私は女の道に殉じるのだ」ということを心底納得してもらえなければ、妹の首を斬る兄としてはやりきれないでしょう。

吉之助には、雛鳥に語り掛ける玉三郎の定高にも、まったく同じ印象がするのです。覚悟を決めた定高にとって、娘にしてやれることは、そのピュアな心情に方向性のヒントを示してみせることだけです。親が認めない相手であっても、好きになってしまったものは仕方ない、ならばお前は、女の道を立てる為に、相手に対して何ができる?お前は貞女として何をしなければならない?と、玉三郎の定高は論理的にぐいぐい押して行きます。母親との対話のなかから、雛鳥は自分が取るべき行動を悟る、そのような過程が刻々と描かれます。玉三郎が提示する定高像は輪郭がシャープで、或る意味において、とても生々しい。そのような印象が若干丸本離れしたように感じる方もいるかも知れませんが、吉之助は逆の意見です。玉三郎の定高は線は細いかも知れないが、強くしなやかです。そこに女形にしか表現できない強さが見えました。吉之助はまったく新しい定高像を見た思いがして、玉三郎の定高を積極的に評価したいと思いますね。半二もこれを認めると思います。

妹背山婦女庭訓 (歌舞伎オン・ステージ )

(H28・10・2)


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