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幸四郎の熊谷直実

平成26年11月歌舞伎座:「一谷嫩軍記・熊谷陣屋

松本幸四郎(熊谷直実)


○幸四郎の熊谷直実・その1

別稿「ラマンチヤの男・1200回」に書きましたが、吉之助は、歌舞伎への懐疑ということが、初代吉右衛門から初代白鸚(八代目幸四郎)・九代目幸四郎という三代を貫く大きな課題としてあるということを時々考えます。(染五郎はこれからのことだから、本稿ではまだ含めませんが、当然同じ課題を背負うことになるでしょう。)たとえその舞台を見ていなくても・文献でも良い、 彼らの芸を仔細に観察していくと、彼ら三代の芸の根本にあるものは、「演劇における真実とは何か・演劇におけるリアリズムとは何か」という疑問であることが、浮かび上がって来ると思います。それは、それぞれの時代における歌舞伎の在り方への懐疑 、つまり「人生の真実を描くべき演劇としての歌舞伎はこれで良いのか」という疑問に繫がります。

六代目菊五郎対初代吉右衛門というコンビは、歌舞伎における対立するふたつのテーゼというべきもので、歌舞伎を考える時に常に意識しておかねばならぬ大きな存在です。つまりアポロン対ディオニソスということです。(吉之助の「勘三郎本」にも入れた主題です。)しかし、これはその後を継いだ菊五郎劇団の面々の活躍や・多くの六代目信望者のおかげ だと思いますが、六代目菊五郎の芸を考える文献資料が多いのと比べると、初代吉右衛門の芸を考える手掛かりというのはありそうで・意外と多くないようです。六代目菊五郎を語る時に初代吉右衛門 がついでに出てくる感じで、初代吉右衛門だけが語られる機会がちょっと少ないやに思います。

そのせいか巷間語られる初代吉右衛門は「熊谷・清正などの英雄豪傑を得意とした」という、スケールの大きい時代物役者だったみたいな偏ったイメージで云われることが多いと思います。そうではなくて、初代吉右衛門とは、小柄で押しの利かない身体 の不利を逆手に取って、細やかな生きた写実の表現で・近代的な人間表現を目指した役者であったのです。ある意味において初代吉右衛門はバタ臭い役者でした。そういうことが忘れ去られていると思います。そういうことで、初代吉右衛門の芸というものの手掛かりということを考える時、現代の観客が現在の歌舞伎の舞台からそれを想像しようとするならば、そのヒントが孫である九代目幸四郎の舞台にあると、吉之助は考えます。

九代目幸四郎を演る時に、その演技が心理主義的でバタ臭いと云ってお嫌いになる歌舞伎ファンが少なくない、特にいわゆる「通」にそういう方が多いということも、吉之助はもちろん知っています。そのようなことは、六代目菊五郎の贔屓が「播磨屋(初代吉右衛門)の芸は臭い」と批判していたことと、実はとても似通ったところがあるのです。現象として、これは同じところから発しています。初代吉右衛門 がもし現代に生きて芸を見せてくれたなら、多分、九代目幸四郎と同じようなことを言われたと思います。ただし、平成の歌舞伎は、昭和二十年代(初代吉右衛門の晩年)の歌舞伎と比べると、全体がかなり保守化していますから、その表出の仕方が多少異なって来ると思いますが、九代目幸四郎は祖父と芸質がよく似ていると思います。たとえば九代目幸四郎の佐倉宗吾などを観ると、九代目幸四郎は身体の押しが利くのでそこは祖父と違うところですが、初代吉右衛門の感触はこんなだったかなということが、かなり具体的にイメージが出来ます。幸四郎の世話物の役は、ちょっと臭いと ころがあるでしょう。そこです。

九代目幸四郎の時代物についても同じことが言えますが、時代物の場合には、その感覚の表出の仕方がちょっと異なります。例えば九代目幸四郎の見得の仕方は、形の取り方のアンビバレントな要素への意識が強いというところに、その特徴が出ます。他の役者だと、見得が見得として収束してしまって、見得することの懐疑というのはあまり見えません。安定感の方が強く出ます。しかし、九代目幸四郎の見得には、見得が(写実であるべき)芝居の中に挟まることのギャップ・不自然さが明確に見えます。このことは九代目幸四郎の芸を考える時の、大事な点です。このような考えさせる見得をする役者を、吉之助は九代目幸四郎しか知りません。

型ものである時代物については、背景にもうひとつの要素が絡みます。それは、九代目幸四郎は本流意識が結構強いらしいということです。吉之助は本流意識ということを悪い意味で使っているのではないので、そこのところ誤解がないように。つまり、九代目団十郎以後の歌舞伎、大正から昭和に掛けての歌舞伎を背負ってきた本流、七代目幸四郎・そして初代吉右衛門というふたりの祖父の芸を、自分が引き継いでいるんだという自負が、感じられることです。これは九代目幸四郎の型ものへの強い意識となって現れます。例えば「熊谷陣屋」の熊谷直実です。そして もちろん「勧進帳」の弁慶を挙げておかねばなりません。

しかし、これまでの舞台を見る限り、九代目幸四郎の熊谷直実については、吉之助は、これは基本的に七代目幸四郎〜二代目松緑の熊谷を踏襲したものであって、初代吉右衛門のコンセプトとはちょっと違うものであるという風に見てきました。吉之助がそのように見る根拠のひとつは、筋を強めに引いた熊谷の化粧にあります。別稿「名優たちの熊谷直実」・「熊谷と相模」などで何度も触れたので繰り返しませんが、初代吉右衛門の実事の熊谷のコンセプトを延長するならば、熊谷の化粧から筋は消えるべしというのが吉之助の考えです。顔の粧りのことだけでなく、これまでの九代目幸四郎の熊谷は武人の印象が強く、心中の嘆き・苦しみを女房相模に悟られることを潔しとしない熊谷に見えました。それが悪いということではなく、それは九代目幸四郎がそういう解釈であったというに過ぎませんが、吉之助としては、九代目幸四郎の芸質は初代吉右衛門に似ていると思っているので、熊谷については、初代吉右衛門がやり・また初代白鸚が引き継いだ実事の熊谷、つまり相模への情がよく見える熊谷を演じてもらいたい、その方が仁としてずっと良い熊谷が出来上がるのにという思いが強かったのです。(この稿つづく)

(H26・11・16)


○幸四郎の熊谷直実・その2

別稿「平成26年6月歌舞伎座・大石最後の一日」観劇随想で触れましたが、このところ幸四郎は 演技の感触が変わってきて、芸の円熟への確かな道程を歩んでいると感心することが多い。吉之助は、幸四郎の変化について、角々の決まりに余計な力を込めるところがなくなって・演技が滑らかに変化してきたと見ていたので、実は今回の熊谷の演技も 、これまでよりも型の締め付けが緩んで実事の方に寄るかなと予想をしていました。しかし、今回の舞台を見ると、吉之助の予想はちょっと外れたようで、「熊谷陣屋」が型ものの代表的演目であり・高麗屋にとっても大事な役であるせいか、形をピシッと決めるところはしっかり決めており、形容的な面から見ると型を守ろうとする意識 がまだ結構強いものに思いました。この辺に幸四郎の本流意識が出ているのでしょう。しかし、今回の幸四郎の熊谷 には、内面的な性格の把握に変化が見て取れます。

これまでの幸四郎の熊谷は、妻相模に対して威圧的な感じが強いものでした。妻相模には弱音を見せず、誰もいないところで男はひとり泣くという熊谷でした。これは二代目松緑の熊谷がそんな感じ だったと思います。もちろんそういう熊谷もありなのです。ですが、少なくとも初代吉右衛門の熊谷はそうではありませんでした。これは遺された映画(昭和25年)を見れば確認が出来ます。今回の幸四郎の熊谷の変化は、性根の置き方として若干情の方へ、つまり妻相模に対する情を表出する方向が出て来たことであると見ます。例えば物語の時の身体の向き方があからさまではないにしても若干相模の方へ向くとか、物語の最中にチラチラ相模の方へ視線を向ける、そのようなことです。そうすることで敦盛の首を討ったという熊谷の物語が実は嘘である(討ったのは実は息子小次郎である)ということを匂わせるわけです。その視線の動かし方と息の遣い方がとても上手い。幸四郎はもともと体躯の良い方で物語は見栄えがします(この点は祖父と比べて段違いに有利な点です)から時代物のスケール感があり、なおかつ情の表現の彫りが深い熊谷になりました。

こういうことを底を割る・熊谷の人物が小さくなると批判する方もいらっしゃるようです。熊谷が日本一の豪の者であるから、女房への情を見せると神経質あるいは女々しくなって「熊谷の人物が小さくなる」と言いたいの でしょう。熊谷の見掛けの男丈夫のイメージに固執しているから、そう見えるのです。一方、映画で見る初代吉右衛門の熊谷は、明確に女房への情が見える熊谷でした。吉之助に言わせれば、物語において熊谷が女房への情を見せることは必要なことなのです。底を割るどころか、この場でそれをしないでどうするんだと思います。なぜならば、物語というものは過去にあった出来事を当事者が第三者に語って聞かせるのが本義ですが、熊谷は物語で嘘の出来事を語るからです。つまり熊谷は自分が語ることは嘘だということ、本当は息子のことを思って泣きたいくらいなのにこの場で嘘を取り繕わねばならないという引き裂かれた状況をはっきり現出しなければならない。それが熊谷の物語なのです。

正確な時期が分かりませんが、文楽の初代吉田栄三が熊谷の人形を遣った時のことです。熊谷の有名な物語りの件、「父は浪濤におもむき給い、心にかかるは母人のおん事、・・・」という箇所の「母人のおん事」の時に、栄三は相模に向って直実の横目を引いて見せたのです。武智鉄二は「古典演劇を近代精神のなかでとらえ直そうという再検討運動の出発点にさえなったほどの影響を後世に与えた」と書いています。それからは誰が直実の人形を遣ってもこの引き目をやります。 まあ見る人が見ると、これも底を割っていると貶すのでしょうな。

武智はここで「近代精神」と書いていますし、それは直截的には歌舞伎の初代吉右衛門とも同時代になる、自然主義演劇的思想から発する新しい解釈であると考えて間違いではないです。しかし、この解釈がはるか昔の作者・並木宗輔になかったものでしょうか。 吉之助はそうは思いませんね。吉之助は、相模への情を見せることは古くして・尚且つ新しい解釈だというべきだと思います。今回の幸四郎の熊谷ですが、祖父と違って段違いに有利な押し出しの良さを生かしつつ、さらに祖父の特質である「情の熊谷」への傾斜が見えた点で、幸四郎らしい熊谷に仕上がっていたのではないでしょうか。吉之助としては、まだまだ幸四郎の熊谷は進化の余地があると考えるので、今後の再演を期待したいと思います。

(H26・11・22)

一谷嫩軍記 (歌舞伎オン・ステージ (4))


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