うちのかおり、そとのかおり
 桃 井 真 (防衛庁防衛研修所第五研究室長)

〜父親が初めて明かす”翔んでる”女優の素顔〜

親は子の試行錯誤を見守るだけ
 
 こういうものを書かされるのは、やりきれない。国際政治や戦略論なら、喋ったり、書くのは仕事の一つ。はったりと経験で、なんとかなるかもしれない。だが専門外のこと、女優かおりについて、となると気が進まない。
  第一、本人のやっている仕事の内容をよく知らない。TVはVTRでみれるが、映画を見にゆく時間はないし、照れ臭い。それぞれの受賞式で上映される作品以外には、見損うことが多い。別に無関心ではない。新聞などの批評は切り取っている。だが、ワーワー騒がないのが、うちの伝統みたいだ。
  かおりとその仕事についてだけではない。うちの中、全部同じだ。お互い一人前の専門家だという意識が自然、距離をおいて家族を眺めるようになる。妻は七宝工芸、宝石デザインでは二十年近いベテラン。専門書を出している。だが作品を見せられても「いいね、なかなか」とだけいう。それ以上やると「形じゃなくて、いろいろみてくれなくチャ」とやられるからだ。長男はTVなどの脚本を月二、三本こなす中堅どころ。書いたものをいちいち知らせてこないし、脚本家の名前はTV欄に出ない。よほどの偶然が重ならないと、彼の作品にぶつからない。次男は生化学の研究で在独中。妻がわざわざ訪ねても、滞在中血液の膜の話ばかりしていたそうだ。かおりの弟の三男は銀行で外国為替専門。こっちも相談されたら困る。
  皆それぞれの選んだ専門分野で、ともかくある程度やっている。そうなるとうちの中でも、下手な批評や讃め言葉は、白けた雰囲気を生むだけだ。「コンニチハ」を聞いて「日本語オ上手デスネ」というバカらしさは避けたい。冷たいといわれるかもしれない。だが本当はちがう。誰かが専門の道でいい線いったらしいと判ると、皆それぞれのやり方で気持を示す。妻の専門書は、読みもしないのに、うち中、一人一人どこかの本屋で買ったらしい−皆黙っているが。かおりが賞をとれば、「大喜びしている、というパパより」とカードに書いてコニャック一本を留守の部屋に置く。次男はハンブルクにかおりの出ている映画が来たと聞き、一晩泊まりで見に行ったという。脚本家の兄は、こっちが判らないといけないと思うのかキネ旬賞などの意味を電話で説明するだけ。三男は忙しい”姉”に代わって母方の墓参りをする。
  よかたね、凄いね、と口に出してしまうとつまらない。気持の表しようはいろいろある。かおり相手にそのピントを一寸狂わすと「親バカみたいなこと言わないでクレる?」とか、逆に「なぜもっと嬉しがらないワケ?」とくる。だが基本的には言葉にしないほうがいいのよ、というだろう。だからこんな雑文を書くと「イャーネー」といわれるのがオチだ。
  書きたくない第二の訳は、実のところ”女優かおり”だけでなく、”娘かおり”もよく知らない−まとめて文章にするほど知っていない。”これはいい娘で、早くいいムコを・・・”などとウィスキー瓶を前にして娘と雑誌のグラビア写真におさまるだけなら楽だろうが、娘について語れといわれてホイホイ引き受ける父親は、バカの見本みたいなものだ。娘は−または息子は−十代に入る辺りで、娘から女に、息子から男になる。自分でいろいろ決め、悲しみ、喜びを味わってゆく。いちいち親の出る幕ではないし、出れない。外での一挙手一投足まで関与できない以上、まかせる以外にない。
  だからお宅の教育方針をといわれても困る。そんなものはない。本屋と契約し、本は自由に買わせた−以外、意識的に教育にかかわった記憶はない。こっちの専門分野なら意見もいえるが、学校、職業、人生ともなると、教えることなどできない。一人一人が試行錯誤をくり返し、そのプロセスで何をどれだけ自分でつかむか。親はそれを見守るだけだ。そして困った時、苦しい時に他人には出来ないことをしてやれればよい、としか考えられない。親の自覚が足りないといわれても困る。しかし、黙って俺のいう通りにしたら間違いない、と大見得を切れない以上、いちいち干渉し、心配していたら切りがない。
  うちの男たちは、学校、職業、結婚を三人共自分で決めた−結婚式には、こちらも参列させて頂いたにすぎない。かおりも学校や仕事について自分で決めてきた。結婚をする、しないも、やり方も決めてから報告してくれるだろう。第一、”この人どう”ときかれて、世の中の親はどう答えるのだろう。いい人みたい、といってあとで”見損なった”というなら、判りもしない人物評は差し控えた方がよい。
  こういうと親として無責任といわれるだろうが−本人には親がいないと思って、考えて貰いたいし、事実いつまでもいる訳ではない。いる間だって、一人の人間の将来を、これ以外にないみたいないい方で決められるはずがない。

同じサイズの”うちの女”

  書きたくない第三の理由。”娘かおり”についてといわれると、困るのは「パパ、パパ」「かおり、かおり」式な”父と娘の対話”は赤ん坊から女の子時代で終わっているから、いま書きようがない。十代の初めロンドンにバレエを勉強させにやった。一度ローマで会った。親子だし、費用も節約と、ホテルのフロントに二人一部屋を頼んだら、十三歳以上は別部屋で、といわれた。「どうする?」とこっちは心配して聞くのに、本人は「いいジャン」と意気揚々、鍵をもったボーイに案内させる。その後姿はもう十三歳の娘の影はなかった。一人の女が歩いていた。古典バレエに打ちこむ中に、自然、娘から女に脱皮していた。
  この女の他、うちにはもう一人女がいる。この二人は母娘のくせに(ということは二十歳は年が離れているはずなのに)、B、W、Hそれに靴のサイズまで同じと来ている。ドレスを時に交換して着ることもあるので、二人が陽当りのいいカーペットの上で、腹ばいになってダベっているのを離れてみると、区別がつかない。男三人が結婚して当然のように出ていったので、まさにわが家は二人の女に蟠踞され、男無用の雰囲気が漂う。
  それに二人の会話は、省略と、”専門語”が多く、こちらにはギリシャ語を聞く思いだ。なにしろ最近の役者や監督の名前は憶えられず、スターとは長谷川一夫、美人は山本富士子と思いこんでいるから、二人には相当”軽蔑”されているらしい。もっとも向こうさんもよくしたもんで、ただの一度も自分の出ているものを含めて、映画やTVの批評を求めたことはない。だから女優の部分は全く知らず、娘の部分は母親が引きうける。たまたま双方の時間が空いた時「タンシオと上ミノなんかで、どう?」ということになる。あとは喰べ物の話ばかりだ。これでは娘を語れない。
  しかし、編集部の熱意に負けて書き出してみたものの、見てない部分が圧倒的な娘について書くのはむずかしい。

事後報告の”三段飛び”

  ただ”うちの子”の中でも、強い印象を残して来たことはたしか。生まれたばかり、普通はやや猿に似ているのに、彼女はえらくまともな顔をしていた。スクリーンで見せる、ひっとした表情に、その顔がオーバーラップするから、映画そのものを鑑賞しにくい。上二人、下一人の兄弟の生活で、適当に兄貴に可愛がられるコツを覚え、駅への迎えなどさせ、弟を子分にできた少女期はある意味で得だったはず。ただ母方の祖母が強く望み、三、四歳から古典バレエを習い始めさせられたのは大変だったらしい。鎌倉・世田谷を放課後通うのは大変なこと。雪の日、駅に迎えにゆく兄貴たちも同じだったろう。しかし、へんに集中するクセがあり、小学生の娘にしてはこわいくらい、バレエに熱中していた。
  そしてロンドンに行ったが、着いて二日目には、バスを三回乗り換えて、ローヤル・バレエに通ったらしいから、度胸はある。休日はパリーにいる日本人のところに、一人で飛んでゆく。十三歳にしては、よく出来ていた。だが帰国して、しばらくして文学座に入り、研究生とやらに残されて、やっとこれからという時に、映画に転向してしまう。
  この三段飛びは、一切自分で決めて、こちらには事後報告。映画に至っては、上映されて、雑誌に批評が載って、知る始末。本人がケロリとしているから、こちらも黙っていた。あれだけ熱心に苦労して習ったバレエを捨てるからには、それだけの理由があったはず。それを予めきかされても、同じこと。映画も、脱ぐことも、本人がそう決めた以上、口は出せない。ただうちはまともすぎた。
  私の方の祖父は明治時代にアメリカに留学したメソジストの牧師、父は農林省の役人、母はミッションスクールの先生、やや堅目のほう。妻の亡き父は欧州航路の商船の機関長、母は上野音大出の声楽家。こちらも柔らかい方ではない。全員揃っていたら、大騒動は免れないところ。こっちは、昔なら脱ぎそうにして、”そこで一転画面が暗くなり・・・・”というところを、今はもう少し映すだけだろう、くらいにしか考えていなかった。
  もっとも本人は、まともすぎる家庭環境からとび出して芸術の仲間との一体感を求めるために映画に出たのかもしれない。あるいは、こちらがオタオタするのを見たかったのかもしれない。それだったら、がっかりさせたことになる。第一、その頃は娘というより、一人の女だとみていたから、本人が苦しんだり、本当に困らない限り、こちらの出る幕ではないと思っていた。
  その代わり本当に困っている時は−正直なところ−親の出番だと感じる。そんなことは余りあっては困る。だが体の問題は困るなどといっておれない。かおりは数年前に腎臓を一つ取ってしまった。万一、もう一つがまずくなれば、こちらのしてやれることは一つしかない。前の手術の時、万一を考えて友人の医者と相談しておいた。生体からの腎臓移植。それが可能であることを確かめてからは、手術室に入るかおりをほっとして見送った。今度万一になればほっとするだけではすまないだろう。父親の出番はそういうつきつめた場合に来るので、それほどでないことにいちいちオタオタしたり、口を出しても始まらない。
  そうはいっても、口は出したくなる。その辺の判断が難しい。原則として、うちでは米ソ関係のような小さな話はこちらにまかせて貰い、重大問題−カーテンの色や照明の角度−は女二人にやらせて、平和を維持している。”女”相手はそれが一番安全だ。しかし”女優”かおり”がそのまま家に戻ると大変。仕事に入ると役の人物に近くなるらしい。もっぱら聞き役の妻の話だと、今どんな役で、うまくいっているかどうか、帰ったとき判るそうだ。どういう訳か、彼女には屈折した感情の持ち主の役が多い。うちに女優かおりが帰ると、そのまま屈折した感情が母親に向くので大変だという。
  それを知らずにうっかり、こっちが食事にでも誘うと、「今そんな気分になれないのよネ」とくる。もっとも役が一段落すると、憶えていて、「この間の分まで、かっ喰うツーのは、どう?」などとわざと乱暴な口調で、”この間はゴメンネ”の代わりにする。しかし役者とはおそろしい。役になると全く変ってしまう。いつもは、「オイ肉少しつきすぎ!」とヒップ位叩けるが、役に入っている彼女には話しかけられない雰囲気が漂う。

普通以上に常識的で保守的

  そうでないかおりはただのノーマルな女だ。まず日頃やれない片付けを始める。衣装から紙一枚まで調べながら、整理する。何か思いつめたのではないかと心配するほど、根をつめて片付ける。途中、写真か何かを見つけて、これまた仕事で忙しい母親と話しこむ。結局明け方までの徹夜作業になる。そうでなければ、料理が始まる。私が最初留学した時、イタリア人夫婦のところにいた。その時憶えたガーリックとオイルだけのスパゲチ(向こうでは朝食)や、カネローニ、メキシコ風ピラフ、帰国して子供たちに教えたので、今でもよくやってくれる。料理のうまい母親譲りと、かおり自身の海外生活で、自然身につけた手早さ、残り物の使い方、思いつき即席−そして二度と同じものを作れない−料理法。
  時間さえあれば楽しんでいるようだ。トリは一羽買い。首の骨は叩いて団子、ササミは隠しワサビ、三つ葉和え、手羽はフィリッピン風カレー・スープ、モツ類は照り焼きオロシ和え、身はインド風タドリまがいの味になる。だが作っても自分より、人に食べさす癖は、父親譲り。「おいしいでしょうガ−ウン?」と讃辞を強要する。大体うまいほうに入るから、それほど被害は大きくない。
  しかし電話となるとそうはゆかない。誰かが私の仕事のことで電話をかけてきて、彼女が出るとややこしくなる。自分の仲間ではないと判ると、極めて自然に普通の女の話法に戻るからだ。役柄が、番長や崩れたネーさま役のイメージが強かった頃だ。外務省のある局長からの電話に、彼女が出た。留守中の私への伝言を聞いてくれた。
  二、三日後突然その局長から「桃井さんところの、もう一人のお嬢さん−大変お上品な言葉を遣われる方−もう御結婚はお決まりでしょうね?」と、問い合わせが来た。結婚話はありがたいのですが、うちには娘は一人でして、と説明しても、その局長はあのかおりが、普通の(お上品な!)言葉を遣うはずがない−「はい、かしこまりました。父にそのように伝えさせて頂きます」といえるはずがない−と思いこんでいた。
  言葉も、動作も、うちでは普通のつもり。少し食事のマナーにうるさいくらい。それと挨拶だけはチャンと、を希望していた。”外のかおり”が「オース」的挨拶をしても、うちでは別だ。営業用をもちこまない。ただ普通の、まともなということが、女優の役のイメージと一致しないらしい。「おうちではさぞ大変で」と変な同情をされるのには閉口する。むしろ本人のほうは、嫁、姑のややこしいのは見ていられないと、勝手に母親の傍にいつまでもいる気らしい。その辺は普通以上に保守的だ。全然、翔んでなんかいない。
  だがたしかに普通以上だと思うのは−だから女優がつとまるのだろうが−人の感情をつかむ鋭さだ。相手の気持を察するのが早く、適確だ。その上で、それを悟らせずに対応する。だから彼女に嘘を長くつきつづけることはできない。ゴマかし、虚勢、ハッタリはすぐ見破られる。だが初めそうでないと思い、あとでゴマかしが出てくると彼女は落ちこむ。自分がいやになるらしい。
  マスコミで自分が不当な扱いをうけたと思いこむと怒る。下手に、マスコミというのはね、などと解説を加えると火に油を注ぐだけだ。その上”娘”が外で侮辱させたのだからと、うち中で怒ってほしいらしい。
  その辺は、普通の女だ。とくに自分が相手のことを考える度合が深いだけに、無神経な人間や動作には耐えられない。誰のために、ともいわず色紙を十枚も重ねてサインしてといわれた時の憮然とした表情。人気商売とはいえ、路上で「オイかおり!」といわれては、返事のしようもないだろう。
  事務所の手違いで記者会見におくれれば、「生意気だゾ!」と怒鳴られる。新しい仕事で、なれないスタッフに苦労して帰ってくると、相手をする母親も大変だ。それ以上に将来、一緒にでもなる男性は御苦労さまだ。よほど神経がタフで、しかも鋭敏。それでそれを表に出さずにいないとだめ。何にしろ相手のかおりは単純ではない。彼女の随筆集のどこかにあった。好きな男が来る二日前に、彼の好きなビーフ・シチューを作り、冷蔵庫に入れておく。本人が来た時、何気なく、「お腹空いてるなら、残り物でもたべる?」とさり気なく、シチューを暖め直す。
  わざわざ貴方のために、と恩着せがましくやらない気の配りよう。それを何気なく気づいて、知らぬ顔で食べる男。大変な役割だ、と予め御同情申し上げる。
  しかしうちでは、さりげない気の遣い方はあたり前。父親が出番でない時、出ないこともその一つ。ただ本格的ではない半出番はちょいちょいある。身代わりがそれだ。物の片づけが悪い、くしゃみが大きすぎる、煙草すいすぎよ、どうもパパに似て、と母親の文句をこっちが引きうけておればよい。もう一つの半出番は外で食事をするときの支払い役。必ずこっちと決まっている。娘におごられて「どうも御馳走さま」というテレ臭さを省いてくれる”娘の情け”だ。
  そういう半出番を除けば、万一の時の出番以外に”うちの女”に父親はいらない。人生相談ならこっちでしたいくらい。非常にまともな考え方をしている。発想は時に奇抜で、人を驚かすらしいが、生活ともなると普通以上に常識的で、保守的ですらある。
  それでいいと思う。自分だけでも、生きて行けるようになってほしい。これからも試行錯誤をやるだろうが、錯誤の幅がだんだんせまくなり、独りで生きて行けるはずだ。
  だがそれまでは、同じサイズの母親と女二人が蟠踞しつづける。


※管理人より
かおりさんの最愛のお父様・桃井真さんが、1980年『文藝春秋』5月号に書かれた、最初で最後の「娘・かおり」「女優・かおり」についての随筆です。
古いファンならご存じの方も多いでしょう。いつかHPに掲載したいと長年したためていたのです。
かおりさんの事を考える時、この随筆が私のバイブルになってきました。これから益々それが色濃くなってくるような気がします。
天国に召され、これからもずっとずっとかおりさんを安心して見守り続けてくださることでしょう!