ありがとう そして さようなら
義父、吉美の葬儀に関するドキュメント
 父の健康を按じて実家に帰っていた長女、俊江が携帯電話のカメラ
機能を使って撮影した生前最後の写真(’05/08/02夜)である。

 翌朝、午前7時43分 83歳で静かに旅立った。
↑この写真を見て、急遽、会社を休み見舞いに行く支度をしている時に訃報を受け取った
↑8月3日の夜、組合の方々と近親者が集まり葬儀の打ち合わせ
8月4日18時からの通夜で棺に花を手向けた↑
↑父が世話になった方々に酒肴を振る舞い生前を偲んだ
↑8月5日、旅支度が整えられ午前8時出棺となった
↑午前9時阿南の火葬場に到着、荼毘(だび)に付された
不謹慎とは思ったが葬儀に参列した曾孫(ひまご)の写真を載せた 行く末を見守って欲しい
↑葬儀は「JA虹のホール阿南」でしめやかに行われた
告別式(午後1:00〜2:00)の来場者を待つ遺族↑
↑葬儀は淡々と進み、最後、親族を代表して父の妹(平岡在住 鈴木操)が玉串を捧げた
ホール一杯の人たちが別れに来てくださった
↑なおらいの席 父が多くの人と会わせてくれた
↑母の希望で当日(8月5日)納骨した
↑8月6日 平岡の叔母が来て一緒に墓直しを行った
【おわりに】

 義父、吉美は平成17年8月3日午前7時43分、83歳で永久の別れを告げ旅立ちました。
決して若くはありませんが、まだまだ長生きして欲しかったと思います。
でも、病院で最期を迎える人が多い中、自宅で妻と二人の娘に看取られて旅立てたことは、
人生最後の締めくくりとしてよかったのでしょうか。
 病気療養中は、診療所の先生をはじめ村の関係者、ご近所の皆様には一方ならぬお世話に
なりました。また、今回の葬儀に際しましても関係の多くの方々にお世話になりました。
この場を借りて厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 さて、義父は若い頃、北支(中国の北、ロシアとの境)で戦争を経験し、戻ってからは農業一筋
で妻の俊江を初めとし、子供3人を育てました。働き者、若干頑固で律儀、機械いじりとカメラを
趣味としいました。おかげで想い出となる写真を沢山残してくれました。また、晩年に自動車
運転免許を取得し、義母と一緒に「しらびそ高原」や我が家に来るのを楽しみにしていました。
バイタリティー溢れる義父でしたが、80歳を過ぎた頃から急激に体力の衰えを見せ、アット言う
間に私たちの元を旅立ってしまいました。働き者だった義父、長い間お疲れさまでした。
有難うございました。これからは、ゆっくり休んで私たちを見守って下さい。

                                               (久男 記)