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さとうただかずという名の漏電

劇団表現舎刻一刻・劇団夢一座  座長  佐 藤 正 一

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1968年に、市内にある劇団に入団し、演劇活動を始める。
この間、役者、裏方(舞台美術)を学び、更に、モダンダンス、ジャズダンス、日本舞踊、
民舞、新舞踊を体験し、本格的なミュージカルを手掛ける。

1989年に劇団表現舎刻一刻を数人の仲間と旗揚げをする。
現在までの全ての作品の演出を手掛ける。

1992年に、廃墟になった映画館を借りて、夢が時代に流されていく男の物語
「映像都市」を公演し、新たな活動拠点を模索する。

1994年に、作家松坂礼子氏と出会い、それぞれがあたためていた
庄内所縁の鉄門海上人をテーマにした作品を産み出し、劇団創作劇場として、
記念すべき力のある作品となった。

1998年には、「街は劇場」という発想で、市内のモダンな広場に、
日本的な素材を導入し、「野外ギリシャ劇」を現出させた。

1999年には、初めて作品の上演依頼を受けて、他の劇団の応援を頂きながら、
激戦地沖縄の悲しさを、沖縄の芸能を挿入して構成、演出をし、
語り劇の新たな試みをみた。

 

私のトラウマ

少年期、青年期と自分を表現することが実に苦手、下手な私でした。
人とのコミュニケーションがとれずにいた。
しかし、演劇をすることで、演劇を通して、人との関係を持つことで少しずつ
社会のこと、人間のことを知りはじめていった。
そのことは、実に楽しくもあり、自信にも繋がっていった。
しかし、人から、あの人は、お前は、「こうだ」と決め付けられるのが物凄くいやだった。
理由は、「自分が狭い人間のように思えた。」
つまり、私には、いろいろな可能性があることを主張したかった。
そのことが、在りとあらゆる事に挑戦する、欲たかり(注:欲張り)な私につながった。
じっくりと一つの事に拘っていくタイプではない。それは強さでもあり、弱さでもある。
今、「何かを作り上げていく仲間がいることは、無条件に素晴らしい」
その場を今は失いたくない。

 

作品づくり

地元の素材や、地元のひとからヒントをいだたき、創作性のある舞台づくりをしたい。

 

場づくり

演劇だけでなく、色々な人たちが語り合える、刺激しあえる、あるいは癒しあえる場づくりが出来ないか。

 

生きているって言ってみろ

そんな唄がありました。私が気がふれた人を呼んで、「人生哀しく、負けないショー」をやりたい。
例えば、友川かずき 秋田の犬  今どこをほっつき歩いているのだ!
私も、もっと、もっとさ迷え!

 

 いつかお会いしましょう 

2001.1.31

 

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