特集 ●「希望の家」の根底にある精神とは?
作家 藤本義一氏にインタビュー

聞き手

全真言宗青年連盟前理事長  森  英 真
全真言宗青年連盟前常任理事 藤原 栄善  

平成8410

機関紙 全青連13号 平成861日号掲載

    援助の受けての立場を考える

  今回、藤本先生が震災遺児、孤児のために、「希望の家」を建設されるということを聞きました。きょうは全青連の災害事務局として、救援のあり方を会員の皆様にご紹介するために、藤本先生の「希望の家」について少しお話を承りたいと思います。

藤本 「希望の家」というのは、まだ仮称なんだけど、震災遺児、孤児たちのための心のケアとして、相談所、集会所、宿泊所を兼ねた憩いの場所を提供しようというものなんだ。

藤原 去る四月六日に西宮市仏教会主催で、「復興支援花祭り」が開催され、私たちはぬいぐるみを登場させました。今回は特に子供の心のケアを中心にした活動だったんですが、もぬいぐるみを必要以上に殴ったり、蹴ったりする子供がおりました。ストレスがあるんでしょうね。

  震災で親を亡くした子供たちは641人、その中で両親を一度に亡くした子供たちは113人もいるという事実には胸が痛みます。このように親を失った子供の心を癒すための施設ということで「希望の家」の構想が始まったわけですね。私たち一人一人の義捐金が「希望の家」を創る資金になるのなら、援助する方も、また援助を受ける方にも、スムーズな関係で行うことができますね。

   リフレイミングの入り口

  藤本先生からいただいた趣意書にある「リフレイミングの入り口」という言葉について説明していただけないでしょうか。

藤本 リフレイミングというのは、自己評価という意味です。肉親を失って子供たちが背負った深い苦悩は決して、外から人為的に取り除けるものではないし、推し測れるものでもない。子供たちの心理状態を回復させるには、子供たち自身が自分の心を見つめなおし、心を開くしかない。それが自己の再構築(reframe)という過程で、その作業に手を貸すのが私たちの仕事と考えているんだ。
日航機墜落事故で奇跡の生還をした川上慶子さんに専門医に接してもらい、川上さん自身の口から、きょうまでの心の軌跡を語ってもらい、その録音テープを子供たちに聴かせてみようと思っている。音声による方法が最も子供の心に近づきやすく、リフレイミングの入り口が見えてきやすい。

  趣意書の中で、「希望の家」は「子供たち同士が話し合える自己確立の場」を提供するとありますが、この自己確立こそが子供たちが社会人に成長していくためにも最も必要ということですね。
また、先生は、横につながる社会を形成することが被災した人々をあらゆるレベルで救援することになると考えておられると思いました。「希望の家」の完成予定は平成10年1月17日ということですが、現在どこまで進んでいるのですか。

藤本 今、「希望の家」の建設用地を捜しているんだ。これには、神戸市内の土地を氏に提供してもらうことを考えている。建設資金は一億円で、材木については奈良県十津川村に無償提供してもらう方向で交渉を進めている。施設は完成した時点で、神戸市に寄贈し、運営は「希望の家」運営委員会に引き継ぐことにしているんだ。また、南 うせつ、さだまさし等がコンサートを開いてくれている。これらには感謝している。というのも、我々がしようとしていることを全部すれば、二十億円程度要るからね。

  震災遺児、孤児に対する具体的な救援方法をどのように考えておられますか。

藤本  親を失った子供が対象なんだが、彼らが社会人になるまで面倒を見なければならない。震災で大きなショックを受けた子供が回復するまでに10年間は必要なんだ。一昨年のことだが、百円塾というものを作ったんだね。4才から小学校4年生対象に、子供たちが百円玉を握っていくと、ボランティアの先生が竹トンボや牛乳パックを使った遊技道具の作り方を指導してくれるんだが、これが全国に広まっているんだ。
震災が起こって、子ども達が集まっている場所が民営の避難所の第一号になったんだね。そういった地域的な場所を作っておかないと災害になったときに大混乱になるね。お寺なんかはまさにそういう場所なんだがな…。

藤原 先生が震災遺児に対して「希望の家」を創り、震災で心のダメージを受けた子供たちの一日も早い回復に手を差し伸べられている姿勢には、本当に感動を覚えました。<>を取り扱う私たち宗教者は、特に今回の震災で考えさせられることが多くありました。先生から、私たちに何かアドバイスがありましたら…。

    寺院を人の集まる場所に

藤本 うん、そうだね。今は、お寺に自由に出入りできなくなったイメージがあるね。僕の友人に禅宗の寺の住職が二人いますが、企業に解放していますな。禅とかを通して。難しい世の中になってきましたな。
コンピューターが普及しているけど、コンピューターが入り込めない所がお寺だと思うね。例えば「親切」という単語があるが、親を切って何故「親切」と言うのか…こういうことを仏教を通して説いていくとか、そういうものをこまめにやっていけば、人が集まって来るんじゃないかな。
仏教の経典を見ていますと、呉音がほとんどですな。漢音で全部やっているのはないね。例えば、南無阿弥陀仏というのも全部呉音ですもんね。呉音で書いて漢音で解釈してしまうからややこしくなってくるんですな。

藤原 最近の人達、特に若い人にお寺とは何?と質問すると90パーセント以上の人が、お寺とは葬式、法事をする場所。坊さんは人が亡くなったときに呼ぶ人と答えるでしょう。
昔、寺子屋は役場の代わりをして、学校の代わり、集会所の代わりをしてきた。しかし、いつの時代にか方向が変わってしまってそういった誤った認識が人々の意識に根付いてしまったような気がします。これは、私たち宗教家にも大きな責任があると思います。こういう意識改革が今後は必要だと思います。そういう意味で、今回の大震災で芽生えた他人に対する思いやりの心を大切に育んでいかないと、亡くなった6300余人の人々に申し訳ないと思います。

藤本 そうだね。青年僧の皆さんもこの度の貴重な体験を通して、討論を重ねて頑張ってくださるよう期待しますよ。これから先、何が起こるかわからない。そんなときに皆さんが力を合わせて何ができるのか、それはこれからの皆さんの考え方ひとつでどんなふうにも変化していくと思いますね。

  きょう、先生とお話をして感じたことは、震災による復興とは現状に戻すということではなく、マイナスをプラスへ転化していくことだと思いました。全青連もこの震災を契機に、社会とのつながりをしっかりと持つことが大切だということですね。

(全青連は、震災遺児、孤児のための「希望の家」に寄付させていただきました)

※現在「希望の家」は名称を「浜風の家」と変え、芦屋市浜風町に完成し活動されています

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