丹波地方の伝説
泣きやまない子は鷲林寺に捨てるぞ !!


鷲林寺は平安時代、大変栄えたお寺でした。しかし、観応年間の足利氏の内訌に、また天正年間に織田信長のために焼かれて、76坊あったという伽藍堂塔も焼け滅んでしまいました。その後も幾多の山津波や落雷で再興ができないまま近年をむかえたのです。
大正時代の頃のおはなしです。丹波地方で、泣き虫の子供がいました。いつもいつも泣いていたそうです。お父さんお母さんは困り果てていました。ある日、老婆がやってきてその子供にひとこと言いました。
「そんなに泣く子は鷲林寺に捨てるぞ !!」
すると子供はびっくりして泣きやんだ・・・というおはなしです。
当時の鷲林寺は、住職もいない状態で荒れ果てていたそうです。寺の周囲は竹薮で、昼間でもひとりでいると気味が悪いところであったということです。" そんなところに捨てられてはたまらない " というところでしょうか・・・
今は地元の方々を中心に、多くの人々に支えられながらひとつひとつ整備されつつあります。

トップに戻る

いまむかし目次に戻る