多宝塔落慶法会
平成5年5月9日


多宝塔の建立は、昭和27年に先代住職 片岡栄光老師が晋山された時からの夢でありました。
「この伽藍には多宝塔があったはず。死ぬまでに多宝塔を建立することが私の夢です」
この言葉を残して念願叶うことなく昭和58年10月28日、先代住職は遷化されました。先代住職は多宝塔の建立のために檀信徒の皆さんにご協力をお願いされていました。特に思い出すことは、人にお願いするばかりではなく、仏様にお願いしなければならないという誓願のもと、毎月第2日曜日に檀信徒の皆さんとともに100回の心経読誦修行を永きに渡って続けられたことです。
夢を果たすことができずに遷化されてしまった先代住職。その想いを果たすべく、“先代住職の最後の仕事”としてどうしても完成させたい。そんな思いで現住職はその意思を継ぎ東奔西走したのです。そして住職になって10年目の平成5年に大勢の皆様のご協力・ご理解を得て無事に完成することができました。先代住職が30年、現住職が10年。計40年にわたる夢が現実になりました。
多宝塔完成を見ずに遷化された先代住職はもちろんですが、多宝塔建立にご協力していただいた檀信徒の皆さんのなかにも完成を見ずしてお亡くなりになられた方も大勢おられます。そんな方々の供養も兼ねて『百僧供養』を執り行いたいという願いのもと、大勢の御寺院にご協力願いました。
また、スリランカよりお釈迦様の仏舎利を奉迎することができ、その奉納式も執り行われました。

平成5年5月9日 落慶法会を迎えた多宝塔



境内をお練り供養
先頭を行くのは檀家総代のご子息と
住職の弟です

このあとに、聖女、ご詠歌隊、舎利奉迎者
お稚児さん120名、
お坊さん100名の行列が続きます
境内をお練りの職衆
スリランカより仏舎利奉迎
スリランカ・ナイヨッパーラ寺管長猊下より
いただいたものです

奉持者はスリランカより来ていただいた
サニー氏です
お稚児さん加持をされるため
本堂前にてお待ち受けの
高野山真言宗管長
竹内崇峯大僧正猊下

この日は読売テレビも
取材に来ておられました
境内は人人人・・・
埋め尽くされました
管長猊下のお加持を受ける
お稚児さんたち
一度に受けることができないので
数回に分けて受けました
神妙な顔をして合掌
子供は純真でいいですね

管長猊下のお加持を受けることは
精神的にお加持を受けることです

どこの学習塾に通うよりも
効果的とはどなたかのお言葉です
いよいよ行列が多宝塔前広場に
到着です
職衆の入場
職衆全員が整列し庭儀が行われます。
大きな声で声明を唱え、
道場を清める儀式です

管長猊下を真ん中にして
儀式が執り行われます
庭儀を見守られる管長猊下
庭儀が終わり
階段を昇り多宝塔の周りを囲みます
作家 藤本義一先生も
参拝していただきました
スリランカの天蓋に守られ
舎利奉持者が多宝塔内に進みます

仏舎利は尊いものです
よって頭の上に大切にかかげて敬意を
表するのです
落慶法会にお参りいただいた
住職の恩師先生方
多宝塔に進む
住職と住職のお師匠さま
多宝塔に進まれる
管長猊下
法会が開始しました
まずはご本尊さまに
色々なお供え物をします

聖女によってお供え物が
運ばれます
願文を奉読する住職
法会終了後、参拝の皆様に
お礼の言葉を述べる住職
法会終了後の還列 
天気予報では100パーセント雨でした
しかし、朝から見事に晴れ渡り
法会終了後に降りだした雨・・・
後から聞いた話ですが
大阪・尼崎・西宮あたりは雨が降っていたそうです
しかし、鷲林寺の上だけがポッカリと雲がきれていたそうです

まさに神仏のお加護しかない
そんな体験をした一日でした
法会終了と同時に降りだした大雨に参拝の
人々も大歓声をあげられました

すべての御魂に供養が届くように
たくさんの風船が供養されました


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