鐘 楼




当寺にはもともと鐘楼があったが、戦国時代に織田信長軍に攻められた荒木村重軍に属する姫君が自分の操を守るため底なし池(現在の弁財天池)に身を投げられた。その後、その霊を慰めるために池に鐘を沈めたという伝説がある。それ以降、当山には鐘楼がなかったが、昭和60年 当山檀信徒 香西坦子氏の御寄進により再建された。






昭和60年再建され、多くの檀信徒に喜ばれたが、平成7年1月17日に発生した《阪神淡路大震災》により倒壊するが、鐘だけが助かった。その後再建し、大震災にて犠牲となられた多くの方々の菩提を祈り、今後の復興に思いを托し『希望の鐘』と命名される。

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