四国遍路の魅力 |
最近、一種の“遍路ブーム”ともいえる現象が起っています。四国八十八ケ所をはじめ、西国三十三観音霊場や坂東、秩父、東北など、札所巡りは盛況を極めています。なぜに人々は巡礼に魅力を感じるのでしょうか。 実は、日本人の旅の歴史は巡礼からはじまるといわれています。いまでは旅は必ずしも宗教的目的を持っているとは限りませんが、かつて日本人にとって遠方に旅することは聖地を巡ることにほかならなかったのです。 巡礼が盛んになるのは平安時代で、僧侶や貴族達は伊勢や熊野をはじめとする近畿一円の社寺に泊りがけで出ました。それはすべてが修行の旅であり、娯楽的目的というものはなく、超自然的な力の助けを求めるといった宗教的願いがこめられていたのです。 四国遍路は弘法大師がかつて修行をしながら訪ね歩いたといわれる八十八ケ所をめぐる巡礼です。全長約1440qに及ぶ長大な行程となります。ある伝では、お大師さまがこの八十八ケ所をめぐって四国遍路を開創したのは弘仁6年(815)であるといわれております。しかし、実際のところは歴史的史実からは離れたところがあり、いつ、何歳のとき、八十八ケ所の各地を歩かれたかははっきりしません。
巡礼者が同じ服装をするということは、巡礼者の区別を無くするという意味があるのです。世間では、貧富や社会階層の差は服装をはじめとして様々な形であらわされています。巡礼では同じスタイルなので、ときには男女の差、老若の差すらも忘れてしまいます。お大師さまの前では、すべての人が平等なのです。また、同じ衣装を着けているということで、巡礼者同士の連帯感が強化されるのです。さらに、巡礼中に同じお経を唱えて参拝をすることによって益々堅固なものになっていきます。
いわば巡礼衣は俗世間からの“死”を象徴しています。しかし、それはあくまでも“再生”を願う“死”であり、人生の終着点としての“死”ではなく、新たな出発としての“死”なのです。これは四国遍路には病気平癒などの願をかけた巡礼者が多いことが物語っています。それは病気という状態からの“死”を願い、お大師さまのおかげによって健康をとりもどすという“再生”への願いをこめているのです。ただし、“再生”への願いは病気治癒といったものを求めるだけにとどまらず、精神的意味における生まれ変わりの願いも含まれているのです。
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