七重石塔 伝武田信玄公墓 (西宮市指定有形文化財)
境内中央参道右側に小さな墓地があり、塔はその西側隅に南面して建っている。花崗岩造の七重塔で、相輪を欠くが、他は完存し、保存も良い。基礎の下端から七重の上端までおよそ2.5mを測る。初重の軸石に金剛界四仏の種子を刻む。その薬研の彫法には古制が偲ばれる。また、軒先の形式は、川西市満願寺九重塔(正応6年---1293)、尼崎市西武庫素盞鳴神社十三重塔(元応2年---1320)のそれを髣髴させるものがある。当寺の塔もまた同じころのものとみて大過なかろう。保存も良好である。この塔は現在知られている市内最古の石造遺品として注目される。
寺伝として武田信玄公の墓と伝える。これには二説ある。
@信玄公が得度を当寺で行い、剃髪した頭髪を石塔の下に埋めたという説。
A当山麓の鷲林寺村には甲斐姓が多い。これについて、戦国時代、信玄公の末もしくは家来が当地に逃げ延びて寺の周りに集落を構えた。そして鷲林寺境内にあった七重石塔を信玄公墓として崇拝したという説。
いずれにしても、当山・当村では武田信玄公の墓として大切に守られている。