大震災から学ぶ入我我入観
六大新報 平成8年1月1日 新春増大特集号掲載

 

平成七年は大震災で幕を開けた。私の自坊は西宮市に位置し、ちょうど被災地の真中にあり今までに体験したことのない激しに見舞われた。あの大震災から一年という歳月が経とうとしている。
 淡路島北部を震源に発生した阪神淡路大震災は神戸、西宮、芦屋、宝塚各市や淡路島を中心に六千四百人を越す人々の尊い生命を奪い、負傷者三万五千人以上、全半壊十六万棟という戦後最悪の大惨事となってしまった。
 親戚を失い、友人を亡くし、心に受けたショックはかなりものがあった。しかし、震災当初より全国の青年教師の仲間をはじめ、たくさんの教師の皆さんにボランティア活動等を通してお世話になり、勇気づけていただいた。改めて全国の仲間に誌面をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 震災当初、想像をはるかに越える惨状に自分自身どのような行動をとればいいのかわからなかった。わずかに四十秒の出来事で、普通であった生活が一変してパニック状態になった。誰もが想像していないことが実際に起こり、自分自身がその場に立たされた時、人間はどうしようもない恐怖で「自分」というものを失ってしまうものである。
 誰が信でもおかしくなかった。生きるか死ぬかはその人の持っている「運」だけであろうと断言してしまえばお叱りを受けるかもしれない。しかし、体験したものの実感としてはそうとしか考えられない。
 午前五時四十六分。あの時間が幸いしたともいえるであろう。仮に午前六時を過ぎて地震が発生しておればどうなっていただろうか…被害は数百倍にも達していたであろう。想像しただけでもゾッとする。震災直後、生きている自分に気付いたとき、おそらく助かった人全員が、生きている喜び、生かされている喜びに感謝して心の底から手を合わせたことであろう。しかし、一年近く経った今、生きているだけで十分ですと思っている人は誰一人としていないであろう。誰しもが現実に生きていかなければならないのである。
 震災後、全国から青年教師をはじめとするたくさんの仲間がボランティア活動を通して現地に来ていただいた。その姿を見て、本当に頭の下がる思いがした。本当にありがたかった。私の自坊は山手にあり、岩盤上に建っていたためか、町の寺院に比べると被害もましな方であった。また、全真言宗青年連盟の事務局員でもあり、幸いにも家族の理解、協力もありぼらんてぃあかつどう宗青年連盟の事務局員でもあり、幸いにも家族の理解、協力もありボランティア活動のお手伝いに参加することができた。
 毎日のように被災地で行われる炊き出し、斎場における無料読経所など、それぞれの仕事を奉仕の精神で、真心を込めて行動していただき、被災者はどれほど勇気付けられたことであろうか。
 ボランティア活動に参加していたある日の出来事である。その日はちょうど全真言宗青年連盟理事長、森英真師も参加されていて、話をする機会を得た。
 森師の話の中に、
「真言宗の修法の中に入我我入観がある。入我我入観とは仏と行者が一体となる観想だけど、仏と一体になることばかりを考えていてはダメなんだ。実際に我々が生きている世界で、衆生と入我我入しないと意味がないと思う。それをどのようにして実践できるかということが、その行者の価値につながると思うんだ。今回の震災で、活動に参加している人は、そういった意味で言い勉強になると思うよ」
という内容であった。
 この言葉にはいささかショックを受けた。少なくとも今まで私は、自分の心の中にある「仏心」を修法の中で見出すことばかりを考えて修法を続けていた。仏さまと自分が融合することばかりを考えていた。ただ一心に真言を唱えて入我我入すれば仏さまの功徳を頂き、パワーが得られるとばかり思っていた。
 しかし、本来の修法の目的はそのような段階にはとどまらず、もっと深いものであることに気が付いた。即ち、修法によって養われた「仏心」を、いかに一般社会で実践するかということである。経典の中に説かれていることを現世で実践しなければ何のための修法なのか…
 かつてお大師さまが密教を恵果和尚より授かり日本に帰られ高尾山寺を中心にその教えを広めようとされていた。同じく最澄さまも天台宗の確立に必死であった。その時の「理趣釈経」にまつわる事件は有名な話である。密教の正統を継承して、その密教によって他の一切の教義を包摂しようという立場のお大師さまと、天台法華一乗の中に密教を取り入れよとした最澄さまの立場の違いがあった。最澄さまは自分が唐で学んできた自分の密教が十分なものではないことをお大師さまとの交流を重ねるごとに、その感を深めていかれたのであろう。自分からすすんで阿闍梨灌頂を伝授していただくように申し出たが、なお三年の実修が必要ということで許可されなかった。続いて弟子の泰範を自分の代わりにお大師さまのもとにとどまらせ、密教を学ばせることにして、比叡山に一端帰られる。後に「理趣釈経」の借用を願うが、お大師さまはきっぱりとお断りなさったということである。
「性霊集補闕抄」巻十に収める「叡山の澄法師の理趣釈経を求むるに答する書」の中に
「もしまことに凡にして求めば、仏教に随うべし。もし仏教に随はば、必ず三昧耶を慎むべし。三昧耶を越えれば伝者も受者も倶に益なかるべし。それ秘蔵の興廃は唯汝と我となり。汝、もし非法にして受け、我もし非法にして伝えば、将来喪求法の人、何によってか求法の意を知ること得む。非法の伝授せる、これを盗法と名づく。即ちこれ仏をあざむくなり。また秘蔵の奥旨は文の得ることを貴しとせず。唯心を以て心に伝ふるに在り。文はこれ糟粕なり、文はこれ瓦礫なり。糟粕瓦礫を愛すれば粋実至実を失ふ。真を棄てて偽を拾ふ、愚人の法なり。云々」
とある。
 これは、真言密教の教法は文字文献の上だけによっただけで理解できるものでなく、実習し実践することで体得するものであるという意味である。即ち、お大師さまは大宇宙の生命の根源である大日如来と一体になるため、日夜真言を唱え修法される傍ら、自分の足で野山を歩き、村に病人を発見されれば薬草を探して煎じて与えられるなど、現世で実践、実習しておられる。誠に、森師が言われた言葉そのままの実践行がお大師さまの考えそのものであることに気付いたのである。
 そういわれてみれば、大学時代より「声明の達人」といわれた今は亡き、中川善教先生に師事する好機に恵まれ、卒業後も先生が亡くなられるまでの間、週に二回の割合で声明を習いに高野山まで通ったが、先生は
「理趣法でいいから、一日に一座は修法せんといけませんなあ」
とよく言われていたことを思い出した。
 この度の震災により、被災地で繰り返されたボランティア活動…
 自分たちの本来持っているやさしい気持ちを以って、即座に被災地に飛んできていただき真心込めて奉仕いただいた人たちの心はお大師さまの精神そのものであり、現世に生きるお大師さまの教えを実践された尊い人たちに他ならないと思う。
 大震災当初は気持ちを落ち着けて考えることができなかったが、一年近く経過した今、落ち着いて考えてみると、普段からしつかりとした信念を持って生きることが一番重要なことだと考えるようになった。自分の心のもち方、考え方一つで起こす行動が違ってくる。この度の大震災に置き換えて考えてみても、誰が死んでいてもおかしくなかった状態で、自分が生かされていたことに気付いたとき、適切な行動をとれるかとれないかは、そこにつながってくると思う。こういった的確な行動を引き起こさせる冷静な精神を鍛錬する為に、また人を思いやる心、愛する心を養うためにも毎日の修法が生かされてくるのではないだろうか。
 森師の言葉をヒントに、大震災の中からお大師さまからのメッセージを学んだと思い、逆にこの大震災をステップして強く生きていきたい。


 

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