お寺とは??
お坊さんはスーパーマンではありません

「お寺とはなに? お坊さんとはなに?」
こういった質問をすると、たいていの人から
「お葬式・法事をするところ、人が亡くなったときに呼ぶ人・・・」
こういった答えがかえってくると思います。
しかし、お寺とはもともと「寺子屋」といって、学校であり、集会所であり、役場のかわりをしていたのです。むかしは、子供たちがお寺で読み書きの勉強をしたり、境内で遊んだりしました。また、地域の人々が集まっておしゃべりをしたり・・・また、家庭のなかで「もめごと」があれば、すぐにお寺に駆け込んでお坊さんに相談したと聞きます。いわゆるお寺は地域のなかに溶け込んで、人々の生活になくてはならない存在であったのです。
ところが現在はどうでしょう??お寺に集まるといえば、葬式・法事・・・お坊さんといえばお経を拝んでもらうときだけ・・・むかしと比べると何か寂しい気がします。お寺ということばのイメージを改善していかなくてはならないと思います。

さて、日本の平均的一般家庭において、お寺・お坊さんとの最初の出会いはどんなものでしょう??観光でお寺を訪ねたというのは別として、たいていご不幸があったときではないでしょうか??大切なご家族が亡くなられたとき、ご縁あるお寺さんが来られて枕経からお通夜、お葬式とすすんでいくのです。
ところが、ここで問題が発生してきます。お坊さんはスーパーマンではないということです。お坊さんにとって、亡くなられた方と普段から付き合いがあって、どんな人であったのかということがよく把握できているからこそ気持ちをこめて、心のこもった供養ができるわけであって、はじめて会うのが亡くなってからではなかなか心もこもらないのではないかと思います。また、昨今では戒名も葬儀の折にお授けするという風習になっていますが、その人がどのような人であったのかということがわからなければ、戒名もつけようがないのです。
普段から、お寺とご縁をもたれてお坊さんと友達・知り合いになっておくこと。これも大切なことではないかなと思います。
しかし、けっして「死ぬ準備をしよう」という意味ではありませんよ。お寺とは死んでからお付き合いしてもらう場所ではなく、生きているときから活用していただく場所であるということを申し上げたいのです。お寺は住職のものではありません。みなさんが生かしていくものなのです。
また、お寺は敷居が高いと思われがちですがそうでもないですよ。お坊さんもやさしい人たちばかりです・・・なかには変わった人もいますが・・・?? 勇気をもって門をたたいてみてください。たぶんニコニコと迎えてくださると思います。

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