お 盆(おぼん)

七月十三日から十六日までの四日間、ご先祖の霊を迎えておまつりする行事です。もともとは陰暦(いんれき)の七月におこなわれていましたが、現在では太陽暦(たいようれき)の七月、もしくは月遅れの八月に行われています。

お盆とはなにか・・・??
お盆とは正式には「盂蘭盆」(うらぼん)といいます。これを略して「お盆」といいます。
ご承知の通り、仏教はインドでおこり、それが中国に渡り、そして日本にわたってきました。もともと「盂蘭盆」ということばはインドの「ウランバナ」ということばが日本に伝わって「盂蘭盆」になったといわれています。
もともとは「アヴアランバナ」ということばですが、それがなまって「ウランバナ」になりました。「ウランバナ」とは" さかさまにつるされている" という意味です。死者が死後にさかさまにつるされるような苦しみを受けているのを救うために、おまつりをして供養をしました。のちには特にご先祖の霊を供養する法会をいうようになりました。

むかしむかしのインドのおはなし
むかしのお経に『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)というものがあります。そのなかに目連尊者(もくれんそんじゃ)とそのお母さんのはなしがでてきます。このおはなしが盂蘭盆の起こりであると伝えられているのです。
遠い遠いむかしのおはなしです。インドの国にモトクガラという母親が住んでいました。その母に子供が生まれました。母が住んでいた村の名前をとってコオリタと名付けました。
コオリタはお釈迦さまの弟子となり、その教えをよく学び、よくおこなってお釈迦さまの十大弟子のひとりとして人々にあがめられる立派なお坊さんになりました。十大弟子のなかでもとくに神通力(じんつうりき)といって、この世以外のほかの世界の様子が見える力が第一番で目連尊者(もくれんそんじゃ)とよばれるようになりました。
目連尊者のお母さんモトクガラは、いわゆるケチンボでがめつい人でありました。亡くなったあと、そのケチンボであったこと、がめついというところから、飲めない食べれないの世界である、あの餓鬼(がき)の世界におとされてしまいました。そのことを神通力で知った目連尊者は、たいそう悲しみました。自分の大切な大切な母親が餓鬼の世界におとされた・・・そして、何故そんな世界におとされたのかということを改めて考えました。それは・・・我が子、すなわち目連尊者を育てるために、子の母なればこそ、がめつい暮らしの餓鬼道であったのだと感じられました。母の一本一本の白髪も、額の一筋一筋のしわも、すべて目連ひとりを心配し、目連ひとりのためのご苦労のためであったとしみじみと感じるのでした。
目連は人々から尊者とあがめられるこの自分こそが、母を餓鬼の世界に落とした本人であると知ったとき、山よりも高く海よりも深い親の恩愛に泣き、この餓鬼道に苦しむ母をなんとか救い出したいとの一心で、母の救われる方法をお釈迦さまにお尋ねになりました。
「目連よ、のちの一切の人々のなかに、もし孝行の心があるものは、父母を想い、七月十五日が仏のよろこぶ日、僧懺悔(そうさんげ)の日であるから、たくさんのお供え物を供えて、父母をはじめとする先祖の恩に感謝をするために、たくさんの僧侶に供養せよ・・・」
と告げられました。その教えのとおりたくさんのお坊さんを招いて供養していただき、そしてそのお坊さん方にたくさんの施しをされました。
すると餓鬼道におちていた母をもふくめ、大勢の餓鬼たちは救われ、お腹一杯の食事をとり、たくさんの水で喉の渇きをうるおしたということです。

このお釈迦さまの教えを身に受けて、お盆の行事はインドから中国に伝わり、そして日本に伝わってきたのです。
インドでは日本のように大げさな供養はしませんが、インド・中国・日本では風俗や人情がちがいますので、日本では次第に今に見るような盛大な先祖供養がおこなわれるよになりました。

日本のお盆行事

大きくわけて関東方面と関西方面ではお盆の行事がおこなわれる月日がちがいます。関東方面は七月、関西方面は八月となります。


迎え火と送り火
13日にお迎え火をたいてご先祖をおむかえし、15日夜か16日朝に送り火をたいてご先祖をお送りします。13日から15日の三日間、お盆にご先祖が家に帰ってこられて、この間はご先祖に対して大切におもてなしをするのです。
むかし、お墓が各家庭になかった頃、山に住んでいる人々は山から、海に住んでいる人々は海からご先祖が帰ってくると信じられていました。墓ができましたころからお盆になれば、ご先祖を墓にお迎えにいく習慣ができました。お盆前になると墓地の草を刈って、ご先祖が通る道をつくるという習慣がある地方もあり、ご先祖を大切に思う心があらわれた実に心なごませる風景です。
お迎えの仕方もその土地でちがいますが、家の軒先で "おがら" を燃やしてお迎えする土地が多いようです。また、ちょうちんに火をつけて墓までお迎えに行って、その火を家まで持って帰るというところもあります。
送り火も "おがら" を燃やしてお送りします。また、ちょうちんに火をつけて墓までお送りするところもあります。

お盆のお供え
墓からお迎えしたご先祖を仏壇でおまつりしますが、むかし仏壇がない頃は、家の軒先などに棚をつくっておまつりしました。おまつりの仕方は地方によって様々と思いますが、仏壇にはたくさんの季節の果物などのお供えものをします。
また、地方によりましてはお盆の間、仏壇からお位牌などを出して特別につくった精霊棚(しょうりょうだな)におまつりをするところもあります。
また、きゅうりでつくった馬やなすびでつくった牛などをおまつりするところもあります。
13日から15日までの三食のお膳のメニューが決まっていて、生きている人と同様にお給仕するところもあります。そのまつり様は地方によって様々ですが、私たちがまごころこめてお客様をおもてなしして喜んでいただけるような心構えが大切であると思います。
その土地の習慣・風習にならってお祭りをすればよいと思いますが、都会では田舎のようなわけにはいかない場合があるでしょう。自分達ができる範囲内で、こころをこめて供養してあげることが大切であると思います。あくまでもまつり様は参考例ですから、これらのことを参考にしていただければ幸甚です。

お供えのおさがり
お盆にご先祖にお供えしたおさがりは、普段のおさがりのように私たちが食べないようにした方がよいと思います。これは、お盆という行事が、ご先祖の供養と同時に餓鬼の供養にもつながっているからです。お盆中にお供えしたものはかためておいて流します。むかしは川や海などに流しましたが、昨今では環境問題などで行政の指導があり、役場などが日・場所などを指定して、まとめて持ち帰ってくれるサービスがあるようです。それぞれの担当役場にお問い合わせください。

初盆のまつり方
お亡くなりになって初めて迎えられるお盆を初盆(はつぼん)といいます。初盆のご先祖は、はじめてのお盆ですから古いご先祖よりもていねいにおまつりする習慣になっております。地方によってまつり様はちがいますが、新棚(あらたな)といいまして古いご先祖とは別に専用の棚をもうけて特別におまつりします。これも地域によって違いがあることでしょうから、参考にして下さい。

棚経について
むかし仏壇がない頃は、家の軒先などに棚をもうけてご先祖をお迎えしおまつりをしました。そこにお坊さんがお参りされたのです。よって棚経(たなぎょう)といいます。現在は、家の中の仏壇を拝みますが、その頃の習慣がそのまま伝わり、現在でもそういう呼び方をしております。

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