水分地蔵(みずわけじぞう)

北山ダム


人間にとって水は絶対に必要なものです。昭和20年代後半から急激な人口増加とそれにもなう水需要の増大に対処するため、西宮市は昭和33年度から第4次拡張事業を開始しました。その事業の一環として北山ダムが築造されました。
従来鷲林寺への参道は北山ダムの真中を通っていました。しかし、ダム築造にともなって道路の付け替え工事が行われました。
旧道途中には豊かな水と子宝を恵んでくださるといわれる「水分地蔵」がまつってありました。しかし、ダム築造にともない現在の位置に移転されました。


北山ダム周辺地図


北山ダムと甲山


水分地蔵のいわれ

弘法大師が鷲林寺の十一面観音を刻んだと伝えられる天長年間(824〜828)に北山の麓を流れる水分谷の路傍にあった自然石に地蔵尊の像が刻まれたといわれ、豊な水と子宝を恵む地蔵さんとして里人の振興があつかったと伝えられています。北山貯水池ができるまでは、現在おまつりされている場所から20メートルほど下に安置されていましたが、北山ダム建設にともない、お堂のむきはそのままにして建物は新たにし、昭和42年3月7日に地蔵尊とともに境内にあったほかの碑石とともに現在の地に移されました。地蔵尊への信仰は今も絶えず、地元の人たちによって大切に守られています。
今もひっそりとたたずむ水分け地蔵尊

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